最果てまでワルツ | ナノ
話題のイラストメタバース
バチャスペ
- ナノ -



 国、町、里。人が集まって暮らす場所は、たくさんの決まりごとがある。
 木ノ葉隠れの里には、里で暮らす者に向けての、忍たちに向けての、一般人に向けての――色んな立場の人間に、様々な決まりごとがあって、それを守って里で暮らしている。
 この里に住まう、一部の世代を除いても、とある一つの決まりごとがある。
 四代目火影の息子にして、数年前に里を襲い尊い命を奪った九尾を体に押しこめられた、ナルトの存在について。



 単独任務が終わり里へ着いたのは夕方だった。
 受付所へ報告をしたあとは、今夜はそのままどこかで軽く食事をして、部屋に戻ったらお風呂を済ませて明日の準備をして……と、これからやるべきことを頭の中で並べていると、前方遠くから、男の張り上げる声が響いてきた。

「このガキめ、とっとと消えろ!」

 決して広くはない通りは、いつもと違って行き交う人が少なかった。この時間帯なら、家路を急ぐ者が多くすれ違うだろうに、その姿は通りの端にぺたりとくっついて、人の壁を作っている。まるで、中央で騒ぐ男を避けるようではあったけれど、避けられていたのは男ではなく、地面に手をつき怯えながら男を見上げる子どもだと、すぐに察しがついた。
 遠目でも分かる、きらきら光る金色の髪。歳からすると小柄な体躯。砂に汚れた服。
 男と子どもから少し離れて囲む者たちは、皆一様に、子どもへ同じ視線を向けていた。大人かそれに近い年嵩の者は緊張を孕み、子どもとそう変わらない歳の幼子は場の雰囲気を恐れて不安気に。

「家に籠ってろ! 表に出てくるな!」

 子どもに向かって拳を上げ、ぶつような動きをすると、子どもはぎゅっと身を縮めた。あんなに幼いのに、その拳が自分に何をするのか分かっている。分かってしまうほどに、その拳に痛めつけられて育ったことを、嫌でも悟ってしまう。
 周りは誰もあの子を助けない。当然だ。あの子は周りの大人が怖いのだろうけれど、大人にも同じことが言える。

「早く、早く、消えろ!」

 唾を飛ばして怒鳴りつけるあの大人がいい例だ。ああまでして毛嫌いを見せるのは、子どもが憎く目障りだからだけではない。あの子が恐ろしいという怯えも含まれている。殴る気だって本当はない。触れるどころか近づくことさえ、彼らにとっては恐怖だから。
 男の気持ちが理解できるからか、自身も男と同じ感情を抱いているからか、面倒事はごめんだからか。何にせよ、周囲は遠巻きに状況を眺めているだけで、男を止める者も、あの子を助けようとする者も居ない。
 わたしもそうだ。男とあの子の間に割って入らない――入れない。
 ただこの場から、あの子が逃げるように去って行くのを見るしかできない。
 何度もぶつ真似をする男の拳が上がるたび、あの子はぎゅっと身を縮めて目をきつく閉じる。小さな体をさらに小さくして、怒鳴り声に震える姿に引かれるように、足は自然と一歩を踏み出した。

「――止まれ」

 体が触れるほどすぐ後ろに、若い男が一人立っていた。それ以上先へは進ませないと、わたしの腕を掴んで制する。顔も知らない男ではあったが、その声には聞き覚えがあった。
 戸惑うわたしに構うことなく、男は脇道へと引き込み、辺りに人が居らず、気配もないところまで来ると、足を止めてやっと腕を解放する。
 見知らぬ男は解の印を結んだ。わずかな煙が立ち、見覚えのない姿は狗の面を掛けた暗部へと変わった。

「お前のナルトへの接触は、固く禁じられてるでしょ」

 隠された顔の表情は窺えないけれど、開いた穴から見える瞳は鋭い。
 暗部のカカシの言葉は正しく、わたしはあの子への――ナルトへの接触は許されていない。誰よりも三代目からの命だ。

「咎められるだけじゃ済まない」
「……分かってる」

 三代目の命に反するは、里に反すると同じ。場合によっては厳罰が待っているとも限らない。
 状況は十分に把握しているけれど、我慢ならないことはどうにもできない。グローブ越しでも短い爪が手のひらに刺さりそうなくらい、ぎゅっと堪えても先ほどの光景が頭から離れない。

「……今日はカカシが監視なの?」

 頭の中を占めるものをどうにか薄めたくて、わたしは特に興味もない、分かりきっていることを訊ねた。カカシは「ああ」と短く返し、会話はそこでぷつりと途切れる。監視の当番に当たっているのにわたしに割く時間はあるのかと疑問が湧いたけれど、カカシ一人きりで監視していたわけではないから、まあこれくらい、いいのだろう。

「そう……」

 短いやりとりでは、頭の中を落ち着ける時間稼ぎにならない。それよりも、カカシは『監視』という名目で、ナルトの傍に堂々と――暗部なのでもちろん隠れてではあるが――居られるのだと思うと、苦い感情が噴き出してくる。

「庇ってやれない悔しさは分かるけど、今は我慢するしかない。時機が来れば――」
「分かってる。分かってるよ」

 慰めの言葉をかけてくれるカカシを突き放すように、わたしは駄々を捏ねる子どものごとく、荒い口調で遮った。

「カカシは、ミナト先生の代わりにナルトを守ってる。たとえ当番制でも、ただ見ているしかなくても、何かしてあげられる」

 九尾の人柱力であるナルトは、常に暗部に監視されている。ナルト自身や、ナルトに近づく者の監視であり、それ以上の意味は持たない。つまり、例えばナルトがああやって、男にひどい言葉をかけられても、基本的に暗部は監視の域を出ない。暗部が接触するとしたら、わたしのようにナルトに近づこうとした者を制するときくらいだろう。
 だからと言って、ナルトが怪我をするのを黙って見ているわけではない。男がいざ殴ろうとしたならば、一般人に変化して「関わると後が怖いぞ」などと自身も怯えた風を装い、男をナルトから遠ざける。
 けれど毎回それで上手くいくとは限らない。止めても尚、ナルトを殴ったり蹴ったりする者も少なくはない。そういう奴らが、ナルトに恐怖を植え付け、あの子は掲げられる拳に怯える子に育ってしまった。

「わたしはクシナ先生の代わりに、何もしてあげられない。ナルトを庇うことも、ナルトのお母さんが、産まれてくる前からナルトのことをどれだけ愛していたかも、何も伝えてあげられない」

 似た立場であるカカシも、ナルトを周囲の厭忌から庇いきることができなくても、わたしよりはナルトを守っている。自分の師の忘れ形見に何かしてあげてられる。
 わたしはできない。三代目から一切の接触を禁じられている。わたしがクシナ先生の弟子であり、また産前を含めた関わりの深さから、ナルトに余計なことを吹き込む可能性を案じた上層部が決めたことだ。わたしだけでなく、同じくクシナ班だったヨシヒトやナギサにも同じ命が下った。
 何もできない現状が悔しくてたまらない。しかし命令には逆らえない。

 何もできないなんて、昔からだった。

 たくさん忍術を覚えた。戦闘だって苦手ではなくなった。上忍になった。任務の際には部下を持つようになり、人に教える立場にもなった。
 しかしその実、わたしはまったく変わっていない。弱い自分がいやで、変わりたくて頑張っていたはずなのに。できることをいくら増やしても、できないことの方が目に付いて、また愚痴っぽくなって、カカシはいいよね、なんて考えて。

 だめだ。こんなんじゃだめ。

 カカシだって、『はたけカカシ』としての接触は禁じられている。傍についているのも、暗部として命を受けた場合のみで、それだって頻繁にあるわけじゃない。
 条件は同じ、立場が違っただけ。カカシは裏で、わたしは表で。そうやって里を守ってきて、たまたまナルトを近い位置から見守ってあげられる当番が来ただけ。駄々を捏ねたって、何も変わらない。

「わたしの分まで、守って」

 狗の面に向かって頼むと、カカシは頷く形で答え、それを見届けたわたしは、ナルトが居た方とは別の道へと歩いた。カカシはわたしを見送ることもなく、自身の任務に戻るため、わたしとは逆方向へと向かう。
 どうにもできないことは仕方ないことだと、受け入れるべきだ。カカシを羨んで詰っても、ただカカシを傷つけるだけ。そんなの、オビトやリンのことで、もうたくさんだ。



 久々の休日だった。非番ではなく、休日。つまり、よほどのことが起きなければ招集されないので、のんびりと心を落ち着けられる日だ。
――とは言え、最近はそんな日が滅多に来ないので、いざ休みがあると『何をしたらいいのか』と途方に暮れてしまう部分もあった。休日を取り慣れていないと、やっと得た休みにどう振る舞っていいか分からない、というおかしな戸惑いは、先輩方曰く『上忍あるある』らしい。

 結局、日頃部屋に干している洗濯物を日光が注ぐベランダに干したり、布団も干したり、乱雑に並べていた本棚を整えると同時に、不要な物や返却しなければいけないものを分けたりと、昼を過ぎても部屋から出ることはなかった。
 冷蔵庫や棚を開けて食料を確認し、期限切れの物や、逆に買い置きがなくて困っていたものをピックアップして、やっと外出したのは昼下がり。遅めのランチを済ませたら、やることリスト、買い出しメモに沿って店を巡った。
 部屋に戻って、買った荷物を一旦置いたら、外に干していた洗濯物や布団を取り込むために、ベランダへと出た。陽は西に傾きつつあるものの、まだまだ盛りを保っており、触れる布はどれも温かい。先に衣服などを取り込んで部屋に戻したあと、大きな布団やシーツに手を伸ばす。

「よっ……と」

 先ほどとは違って重みや嵩のある布団を抱え、そのまま寝室へ。開けっ放しだった掃き出し窓を閉めようと戻ると、誰も居ないはずのベランダに、人影が一つ。

――不審者。

 長年染みついた、もはや本能で迷いなく構えると「オレだよ」と声がかかった。

「カカシ?」
「昔から思ってたけど、サホっていちいち反応がでかくない?」

 ベランダの床に足を付けて、手すりに背を預けているのは、隣の住人であるカカシ。呆れたような表情を窺わせる右目と共に、『反応がでかい』とはどういった意図で言っているのか考えると、少し恥ずかしくなる。確かに、お淑やかな反応ではないかもしれないが、忍として生きていたらこういうものではないだろうか。

「人の部屋のベランダに入り込んで、何かご用?」
「……いやな言い方するようになっちゃったもんだね」

 わざと棘のある言い方をすれば、カカシはため息をついたあと、まるで久々に会った親戚のように返した。カカシがわたしの何を知っているのか、と思いはしたものの、幼少より顔を合わせて、今は隣で暮らしている。遠くに住んでいて、何年も会っていない親戚よりよほど近しく、昔を懐かしむ間柄だ。

「これ」

 掃き出し窓の枠に体を寄せるわたしに、カカシは腕を上げ、手に持っていた小さな袋を突き出した。巾着型のそれは、手の中にすっぽり収まるほどに小さい。
 カカシが差し出す物が、わたしに害を及ぼすとは考えられなかったので、その大きな手のひらに乗った袋を素直に受け取った。

「なに?」

 巾着袋は、指輪などのアクセサリーを入れておくような小さなものだ。まさかカカシがわたしにそんな物を贈るとも考えにくいので、きっと違う物だろう。
 カカシが無言という体で、自分で確かめろと促しているように見えたので、袋の口を開いて、自分の手の器へと落ちるように逆さまにすると、ころころと白い物が落ちてきた。

「……真珠?」

 虹色を柔く放つ、白色のそれは、粒と称した方が正しいくらいに小さい。八粒ほどのそれは、貝が殻の中で作ると言われている真珠にそっくりだ。

「昔、クシナ先生が言ってたでしょ。渦の国の珍しい花。咲いて種がついたら、お前にやるって」

 カカシに言われて、真珠のような粒の正体がようやく分かった。クシナ先生が妊娠していたとき、わたしに見せてくれた海花[わたつはな]という名の花。乙女の涙で咲くから『コイヤブレ』と呼ばれていると教えてくれて、いつか種をつけたらわたしにあげると約束していた。

「ど、どうしてカカシが?」
「先生の自宅から荷物を回収していたときに見つけた。ずっと、お前に渡そうと思ってたけど、タイミングがなかった」

 説明されて納得した。九尾が暴れた際に、クシナ先生の自宅は全壊してしまった。一部を除いて立ち入りが禁止されており、暗部などが瓦礫の中から、火影の職に関わる資料や私物までも、全て回収していた。
 クシナ先生が教えてくれた珍しい花がどうなったのか分からず仕舞いで、今こうして思い出すまで、その存在すらもうっすらとしか覚えていなかった。
 カカシが、わたしとクシナ先生とのやりとりを知っていたとは。カカシはいつもあの家に居たし、聞いていても不思議ではない。
 でも、わざわざ種を持ち帰ってくれているとは思わなかった。種とはいえ、任務中に先生たちの私物を個人的に持ち帰ったと知られては、怪しい素振りをしたとして疑いをかけられ、尋問にかけられる恐れもあったのに。
 そんな危険を承知で、あの瓦礫の中から種を持ち帰り、今日までずっと持っていてくれたことは、カカシとの間に大きな溝があろうとも、感謝の気持ちしかない。

「……ありがとう」

 カカシに向かって礼を言ったのは、何年振りだろうか。昔は、思ったらその場でそのまま伝えていた。たくさん助けてもらって、たくさん言った。今までだって本当は、ありがとうと伝えるべきときが何度もあったのに、ちっぽけなわたしはあと一歩の勇気が出ずに伝えられなかった。
 言えなくなってしまったのはどうしてだろう。答えは簡単に出るけれど、それじゃ埋められないものがわたしたちにはあった。
 先生は、全てを受け入れられる日が来たなら、と仰った。『恋の終わり』の蕾をつけ、『あなたに会えてよかった』と咲かせることができるほどに、心が落ち着く日が来れば。
 残念ながら、それはまだ先のようだ。わたしはまだ、振り切ることも、受け入れることもできない。
 それにこの種は、クシナ先生の形見だから。

「ねえ。これ、ナルトに分けてもいい?」

 八つほどの種のうち、半分の四粒を取り分けつつカカシに訊ねると、

「オレはお前に渡せたらそれでよかったから、別にいいけど」

と、わずかばかり驚いた調子で返ってきた。

「三代目が、ナルトが植物を色々育ててるって、言ってたから」

 わたしはナルトに近づくことは許可されていない。それを不憫に思ったのか、時々三代目が、ナルトについて教えてくれることがあった。どんな食べ物が好きか、どんな色が好きか、どんな遊びが好きか。
 最近は、命について学べればと考え、芽を出した花の鉢を渡したと言っていた。毎日欠かさず水をやり、日光を与え、伸びて育って花を咲かせる過程で、命を育てる達成感や慈しむ心を見つけてほしいと。三代目のその思惑はうまくいったらしく、ナルトは多くの植物を育てていると聞く。

「これを渡すくらいなら、許してくれるかなって」

 ナルトへ何かを贈ることも、また接触の内に入るだろう。だけど種くらいなら、三代目に頼み込めば渡して頂けるかもしれない。

「お母さん自身のことは伝えられないけれど、クシナ先生の産まれ育った国の花だから」

 自分の母親の名も、あの子は知らない。今はもうない渦の国のことも、母親がその国の産まれだということも、何も知らない。
 あの子と先生を繋げる線を、一つでも増やせたら。カカシがミナト先生の代わりにナルトを守るように、わたしはこうやって、ナルトとクシナ先生を繋げられれば、少しは先生への恩返しになるかもしれない。



 多忙な三代目にとって迷惑は承知の上で、何とか取り次いでもらい、事情を話したあとナルトに種を渡してもらえないかと頼みこんだ。種をくれたのがカカシだというのは伏せた。知られたらカカシに罰が下るかもしれない。
 ナルトに何かを吹き込む気はなく、ただ種を渡してほしいだけだと必死に訴えると、三代目は思いのほかあっさりと「分かった」と種を受け取ってくれた。

「よろしいんですか?」
「なんだ。無理じゃと突き返す方がよかったか?」
「い、いいえ、そんなことは」

 受け取ってもらえるのなら、それに越したことはない。ただ予想以上に簡単に許可をくださったから、少し戸惑ってしまった。三代目から直接、ナルトへの接触を禁ずる旨を命じられているから、もっと拒まれると思ったし、それを想定し尤もらしい理由を考えてきたけれど、その努力は水の泡となった。結果的によかったけれど、割と睡眠時間を削って悩んだのにと、何だか損をした気分だ。

「海花は、まだあの子には手入れが難しかろう。少し時間を置いてあの子がきちんと面倒を見られる歳になったなら、そのときに渡そう。それまではワシが責任を持って預かっておく」

 口元に微笑みを称え、大事そうに真珠のような種を指で触れつつ、三代目はわたしにそう約束してくださった。三代目は義理堅いお人だ。必ずナルトに種を渡してくれるだろう。

「しかし、まこと、真珠のようだの」

 粒の一つを、優しく摘まむ三代目は、物珍しそうに海花の種を眺める。アクセサリーを彩る真珠のように、完全な球体ではないけれど、虹色の光沢を持った白い粒は、種だと知らなければ真珠と見間違えてもおかしくはない。

「サホ。お主、この花の二つ名を知っておるか?」
「はい。『コイヤブレ』だと教えて頂きました」
「うむ」

 クシナ先生から教えられた、渦の国の風習。失恋した女性はコイヤブレの種を植え、花を咲かせることで想いに区切りをつけるのだと。切ないけれどロマンチックで、きっとオビトのことがなければ、つらい恋の苦しみを知らないわたしは、ただ素敵なお話だと憧れただろう。

「諸説あるが、そう呼ばれるようになったのは、種が真珠のようだからと言われておる」
「それは知りませんでした。何故ですか?」
「真珠は貝が作る。しかし渦の国では、真珠は、人に恋した人魚が流した涙だという話があってな。叶わぬ恋の果て、傷つき悲しんだ人魚の、泣いて零した雫が、真珠になったのだと。その真珠によく似た種ゆえに逸話が生まれ、『コイヤブレ』と呼ばれるようになった」

 真珠が人魚の涙とは、また美しくも悲しい呼び名ではあるけれど、そんな話を聞かされては、そうとしか思えなくなった。
 貝は殻の中にできた核を、幾重にも包んで丸くする。層を重ねて厚くなり、虹色の光沢を持つ白い珠となる。
 終わってしまった恋は、胸の内に棘のような欠片を残す。人は時間をかけてその棘の尖りをじっくり包んで、一粒の真珠を作り上げる。悲しみと切なさが混じったその真珠は、様々な感情を表すように多様に光り、少し歪つだけれど、涙となって零れ、身の内から切り離される。時の流れが、いつしか思い出の一つにしてくれる。
 その涙も種となり、花が咲かせるのかもしれない。誰も知らない、手折ることも枯らすこともない花を、心の中に。

 手元に残った種は、クシナ先生が言ったように、いつかわたしが、もう大丈夫だと思ったときにとっておこうと、引き出しを開けてその中に仕舞った。
 引き出しの中にはすでに、オビトの家から持ち帰ったミナト班の写真と、オビトに渡せなかったお守りが先住している。このお守りも、いつかはオビトに渡せるだろうか。何度かうちはの神社で焚き上げてもらい、届けようと思うこともあったけれど、いまだにできないでいる。
 わたしの中の棘は、まだ真珠のように丸くはなれていない。触るとやっぱり、指先に痛みが走る。
 心の中の棘が覆い隠され、真珠を作り上げたときが、花の種を植えるときだろう。それまでもうしばらく、この奥で眠っていてもらう。あと少し。あと少しだけ。



45 まどろむ種

20181110


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