最果てまでワルツ | ナノ
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 ある中忍の男性と、ツーマンセルでBランクの任務に出たときのことだ。中忍二人でBランク。楽勝とはいかないけれどさほど苦労もなかった。
 予定通り二日で充分な結果が得られたので、わたしたちは里に戻り、報告書を出して解散――となるはずだった。

「少し話があるんだけど……いいかな?」

 「さようなら」と別れるつもりが引き留められ、彼の頼みを聞く形で後ろをついて歩いていくと、人気のない、建物の裏手の方に辿り着いた。
 男性はわたしより三つ年上だ。二期上の先輩で、以前からちょくちょく顔を合わせることが多く、人当りの良い人だなという印象。
 背を向けていた男性が足を止め、わたしと向き合う。ソワソワと落ち着かない様子から、これから始まる話が、非常に言いづらいものだというのが伝わってくる。

 もしかして、何かまずいことしちゃったのかな。

 たった二日とはいえ、わたしたちは常に二人で行動を共にしていた。その間に、知らずにわたしが彼の地雷のようなものを踏んでしまったのかもしれない。それでそのことを咎めるために、わざわざこの場を作ったのではないだろうか。

「あの……話って何でしょうか?」

 わたしに対する不満や怒りなら、とにかく早く解決しなければ。不備があったのならすぐに認め、迅速に改善に努める。働く上で大事なことだ。これからも同じ木ノ葉の仲間として任務で一緒になることもあるから、人間関係は円滑なものにしておきたい。
 声をかけたわたしに驚いた男性は、「えー」だの「そのー」だのと勿体ぶったように声を上げ、一度大きな咳払いをした。

「その……前から君のこと、いいなと思ってて……。それで、よかったら、俺と――付き合ってください!」
「えっ?」

 直立不動の状態から、男性は体を90度に曲げるほど深い礼を取った。頭のつむじを向けられて顔は見えないけれど、短い髪の間から見える耳は真っ赤だ。
 『付き合ってください』が、買い物に付き合うなどの類ではないことくらいは分かる。この場合『男女のお付き合いをしてほしい』の意味だ。

「えっ……? えっ? えっ?」

 てっきり、何か指摘を受けるものだと構えていたわたしは、予想外の告白にすぐには対応できず、現状を把握することもままならなかった。
 体を曲げていた男性は少し身を持ち上げ、わたしを見上げる。茹でた蛸のように真っ赤だ。

「もしかして、もう付き合ってる相手がいる、とか……」
「え? いえ、別に……誰とも付き合っていませんけど……」

 恥ずかしながら、誰かとお付き合いしたことは一度もない。告白されたこともなかった。こんなこと初めてだ。だからこういうとき、どういう顔をすればいいのか、何と答えればいいのかも分からなくて、頭の中が混乱している。

「じゃあ、じゃあ、お試しって感じで、どうかな? とりあえず、俺がどんな奴か知ってもらうために付き合って、それで、もしよければ、そのまま本当に付き合ってさ……」

 男性は体を完全に上げて、わたしに一歩迫った。口元は笑っているようにも見え、畳みかけるように話を進めていく。お試しでお付き合いって、そんなの有りなのだろうか。それは『本当に付き合って』とどう違うのだろう。
 一歩近づいた彼に、わたしは自然と一歩下がった。すると男性はさらに一歩詰めてきて「俺、連絡はマメなタイプだから、寂しい思いはさせないよ」と聞いてもいないことをアピールしてくる。

「俺の周りでもそんな感じで始めて上手くいってる奴ら結構居るし、珍しくないよ? 先輩なんかは結婚までいったし。あ、結婚とかそんな重く考えなくていいから。いやま俺も考えてなくはないけど、その、お互い色々あるよね、相性とか。変な意味じゃないよ? ただ単に、付き合うと結婚はやっぱり違うかなって。そこのところはこれから話し合おうよ」

 このまま黙っていたら、もはや付き合う前提で話すその勢いに飲まれ、彼に押し切られて、お試しとはいえお付き合いすることになってしまいそうだ。
 それは無理だ。お試しで付き合う気なんて一切ない。この男性はいい人なんだと思うけど、今のわたしは恋人なんて考えていない。
 どうしたらいいだろうか。こういうときはどうすればいい? 断ったら、この人はきっと嫌な気分になるよね。ならないわけないよね。じゃあ受ける? いやそれは無理だけど、無理だけど、でも嫌な気分にさせないように断るって、どうしたらいいの?
 大体、付き合うのはお互いが好きで成り立つ関係なのだから、わたしが男性を好きじゃないのなら意味がない。
 わたしの好きな人は? わたしの好きな人はオビト。ずっと前からオビト。
 好きな人は、うちはオビトただ一人。
 太陽みたいに明るくて、オレンジ色のゴーグルとうちはの赤い紋が似合っていて、黒檀みたいな目を持っていて――今はもう、赤く光る左目しか残っていないけれど。

「あの、あの――――写輪眼、持ってますか?」

 口からぽろっと出た言葉に、男性は目を丸くした。



 いいえ、写輪眼は持っていません。だって自分はうちはの人間ではないので。
 要約すると、そんな感じで、男性は肩を落として去って行った。
 落ち込んだ様子の男性に、良心はかなり傷んだ。その背中を見送っていると、告白してくれた男性に申し訳なさが募る。
 やっぱり嫌な気分にさせた。しかも断り方も最悪だった。『写輪眼を持っていますか?』って。自分でもどうしてこんな言葉が口を出たのか理解できない。とにかくオビトのことを考えたら写輪眼が浮かんで、そのまま口に出してしまった。
 男性自身に目を向けることなく、写輪眼の有無で突っぱねるなんて、一番やってはいけないことだ。ああ、もう、あのときの自分を殴り飛ばしてやりたい。
 罪悪感で胃がキリキリと痛むけれど、文句も言わずにすんなりと身を引いてくれたのは、正直とても有難かった。一方的に饒舌だったとはいえ、男性は本当に人のいい方だと思う。ひどい断り方をするわたしを、詰ったりなど一切せずにサッと引いてくれるなんて。
 あんなにいい人なのだから、きっとわたしなんかよりも、素敵な女性に巡り合う。その女性はわたしと違って、ちゃんと男性自身を見た上でお付き合いをして、二人は幸せになるだろう。

 そんな風に、男性への申し訳なさに頭を下げつつ、彼の良縁を願っていたら、『かすみサホはうちは一族にしか興味のないエリート好き』という噂が、中忍を中心に知らず広まっていた。



 中忍待機所でも、受付所でも、里を歩いていても。あまり話したことがない忍の女性たちが固まって、わたしの方を見てこそこそと話している。男性たちもそうだ。こちらを見ては「あれが」と、揶揄を示すような笑みが浮かぶ。
 中には直接、「うちは一族が好みなんだって? お目が高いね」と冗談なのか本気なのか分かりかねるような声をかけてくる人も居た。初めてそう言われたときは、全身からぶわっと汗が噴き出た。
 どうしてそんな話になっているのかと探ったら、あのときの男性がわたしのことをそう言っているのだと、最近周りの態度がおかしいのはそれが原因だったのだと、ようやく知り得ることができた。

「でも、それはサホが悪かったから仕方ないわよ。いくら焦って頭が回らなかったからと言って、そんな断り方はないわ」

 『買い出しに付き合うからサホの部屋で夕飯を食べましょう』と紅に声をかけられたのは数時間前。最近のこともあって、ストレス発散のように大量の食料品を買って部屋に帰った。ダイニングテーブルの向かいに座って、キンと冷やした白ワインを片手に、サーモンのカルパッチョを口に運んだ紅は、ぴしゃりとわたしを叱った。
 紅は、わたしに関するよろしくない噂を耳に入れ心配し、わたし側の話も聞くべきだと声をかけたと言う。なので正直にあのときのやりとりを話すと、赤い目がわたしを冷たく捉えた。

「そう……そうなの……でもまさか、こんなことになるなんて……」

 元々はわたしが悪い。それは認めざるを得ない。相手を尊重し、ちゃんと考えてもっと言葉を選んで断るべきだった。この状況は、誠意の欠片もないわたしが招いた事態だ。

「もちろん、言いふらした奴が正しいわけじゃないわよ。『ひどい振り方をされたからって相手を悪く言って回る、器の小さな男です』って、自分で宣伝しているようなものだもの」

 紅はグラスをあおって空にすると、手酌でワインを注いだ。ワイングラスなんて洒落たものはないので、わたしが普段から使っている、よくあるガラスのグラスだけど、紅が持てばそれなりに体裁が整っているのはさすがというか、これもヨシヒトの言う『美しさは強さ』というところか。

「でもそれとこれとは別よ。付き合いたくないのなら、写輪眼がどうこうと持ち出すべきではなかった。そうでしょ?」
「……そうだね」

 彼女の言うとおりだ。写輪眼なんていう、一部の人しか持たない先天的な物を挙げて断られたら、相手は納得なんてできないだろう。自分の人間性で判断されたのではないのだから。
 わたしが悪い。本当に悪い。あのときのやりとりを触れ回った男性を、被害者ぶって批判できる立場ではない。重々承知だ。あの断り方は、最低だったと思う。

「でも、わたしの好きな人は……本当に写輪眼を持ってたし……」

 説かれても尚、みっともなく言い訳を重ねるわたしが、今でもオビトを好いていると知っている紅は「まあ、そうね」と呆れたように相槌を打った。
 わたしは実際に開眼したオビトを見てはいないけれど、カカシの左目が、オビトが写輪眼を持っていたという証だ。
 だからわたしの好きな人は写輪眼を持っている人で、その人以外興味がないから、広い意味で言えば『写輪眼を持っている人』というのは、あながち間違ったことを言ってはいない。ただ、それをそのまま伝えるのは愚行だった。

「だったら、ちゃんと『好きな人がいるから』って言えばよかったのに」
「……もう死んでるじゃないって、言われるよ。みんな、オビトのこと、『もう死んでるんだから』って、言うもの」

 わたしとカカシとの件で、たいていの人は『前を向かなくちゃ』と、オビトやリンへの気持ちに区切りを付けろと勧めてくる。死人にいつまでも囚われ続けてはいけないと。
 あのとき、『オビトが好きだから』と正直に話していたら、そうしたら男性は素直に身を引いてくれただろうか? 彼もまた『死んだ人間よりも生きている自分に目を向けてくれないか』などと返したのではないか。

「とにかく……こういう噂はなかなか消えないから、気を付けなさいよ」
「……うん」

 紅の忠告をしっかり胸に留め、わたしは冷えた麦茶に口をつけた。喉を通る爽やかな冷えでも、頭や心の中はスッキリしない。



 周りからの視線がザクザクと刺さり、胃の痛みは長く続いて、胃薬を飲んだ回数は片手を越える。立ち話をしている人たちが大きな声を上げて笑うと、わたしのことで笑っているのではないかとその場から逃げ出したり、すれ違う女性たちと目が合っただけで、またわたしのことをエリート好きと揶揄しているのではないかと思った回数は、手足の指で数えても賄えない。
 日々憂鬱で、中忍待機所はもちろん、アカデミーでも火影邸でも、里の至る所でわたしはできるだけ目立たないよう怯えていた。
 そうやっていつまでも気にしていても仕方ないと思えるようになったのは、噂を気にしない人たちが身近に居てくれたからだろう。

「サホ! お前のことを、『エリート狙いで身の程知らずの、傲岸不遜な女』と噂している者が居るが気にするなよ! このオレが、熱く否定しておいてやったからな!」
「うん。ガイ、ありがとう。でも、わざわざ言いに来なくてもよかったかな……」

 『傲岸不遜』なんて初めて聞いた。あとで調べたら、『人を見下す思い上がった様子』のことを指しているらしい。辞書を破り捨てたくなったのは産まれて初めてだった。
 同性の友人である紅は、『詳しく聞かせて』とわたしを取り囲む好奇心に満ちた女性たちに、『そうやって面白がって詮索するのは品がないわよ』と赤い瞳を光らせ助けてくれた。
 ナギサはわたしを茶化しに来た人たちを睨んで追い払ってくれて、ヨシヒトは『美しくない人間の美しくない言葉に価値はない』と、わたしのことを悪く言う人たちに独特の感性で返して、庇ってくれた。
 他にも、アスマは『下手な手を打ったな』と快活に笑い飛ばしてくれて、ゲンマは『タチの悪い犬に噛まれたと思って諦めろ』と微妙な慰め方をしてくれた。
 センリ上忍もシイナさんも、『人のことをどうこう言うほど暇なら、鍛錬したり勉強すればいいのに』と呆れて、他の封印術者の人たちも、噂を鵜呑みにすることなく自分たちの知る“わたし”に寄り添ってくれた。

 だから最近はもう、みんなの言うとおりに、なるべく気にしないことにしている。
 わたしが必死になって説明して、そんなつもりはなかったと否定しても、噂をそのまま信じる人たちは最初から考えを変える気はない。自分にとって都合がよい、面白い方がいいと、そちらの方を事実と思い込みたがるのだと気づいたら、何をしても意味がないことを悟ったからだ。
 それに、わたしの対応に不手際があったことは違いないし、『そんなつもりじゃなくて』と訂正するのも違うのかなと思いもした。というか多分、連日の緊張感で頭も心も疲れて、考えるという行為が煩わしくなってきたのだ。
 放っておくのが一番いい。みんな言う。相手にするだけ時間の無駄と、異口同音に。
 そうやって、噂に惑わされずに、わたしの話もちゃんと聞いてくれた人たちを大事にするべきだ。それ以外の人たちとは、任務に支障を来さない程度の関係が築ければいい。周りの目が怖いなら、もういっそ俯いて歩けばいいんだ。



 アカデミーの資料室から必要な巻物を持って廊下を歩いていると、向かいからやってきた男性に「かすみサホさんですよね?」と声をかけられた。

「そうですけど……何でしょうか?」

 男性の顔に見覚えはない。黒髪に黒い目は、木ノ葉隠れの里でよく見る色だ。緑の木ノ葉のベストを身に着けているので中忍以上だろう。忍になってもう十年経つ。年の近い仲間の顔は大体見覚えがあるのに、彼はまったく記憶になかった。

「ちょっと話がしたいんだけど、今いいかい?」

 なんだかいやな切り出し方だ。頭の中で警報が鳴り響くけれど、丁寧に伺いを立てられているので無碍にすることもできず、「少しなら」と了承を口にした。

「実は、君の噂を耳にしたんだけど……君、うちは一族の男にしか興味がないんだよね?」

 『噂』と男性が口にし、わたしの体は即、臨戦態勢を取る。この顔をどこかで見たことがあるだろうかと記憶から探るのをやめ、男性に構うことなく小さくため息をついた。

「一応、その噂に関しては否定しているんですけどね……」
「え? そうなの?」
「どんな噂を聞いたのか知りませんけれど、わたしは別にうちは一族の男性にしか興味がないわけじゃありませんし、エリート狙いでもありません」

 黙っていたら肯定とみなされるので、一応否定だけは忘れずに。それが終わったら、この男性と話すことはもう何もない。彼の横を通り過ぎてしまおうと思ったのに、「ちょっと待って」と引き留められた。

「実は、前から君のこと、いいなって思ってたんだ」

 どこかで聞いた台詞。背筋がゾクッとして、ゆっくり振り向くと、男性はニコッと愛想よく笑った。

「俺、うちは一族なんだ」

 言った彼の両目は赤かった。写輪眼だ。彼をじっくり観察すれば、忍服の二の腕辺りに四方手裏剣型の布が縫い付けられ、その中央にうちは一族の紋が施されている。

「俺は警務部隊で、正規部隊の君とはあまり関わりがないから、遠くから見てるしかできなかったんだ。でもあの噂を聞いてね。これは運命かも、と思ってさ」

 うちは一族で警務部隊とあれば、この男性の顔に見覚えがなくても不自然ではない。警務部隊が多く接するのは木ノ葉の一般人だ。わたしたち正規部隊とは任務の内容や管轄が違うから、顔を合わせる機会もさほどない。
 そんな中で、彼はわたしを知っていた。遠くから見ていたとは、一体いつから、どんな距離からだろう。存在を認識していなかった相手にずっと見られていたなんて、正直に言ってしまうと恐ろしい気持ちがある。

「あの、だから、うちは一族だとか、そういう話じゃないので」

 うちは一族だったらいい、というわけじゃない。逆だ。好きな人がたまたま、うちは一族の男の子だっただけで。

「なら、それを抜きにして、俺と付き合ってくれない? 難しいなら、まずは友達からでもいいよ」

 うちはの男性はそう簡単に諦めるつもりはないらしい。むしろ、どこか自信ありげだ。写輪眼を持っているという条件を満たしているというのが、彼のこの自負に繋がっているのだろうか。
 『友達からでもいいよ』なんて、何様だろう。わたしは、噂を鵜呑みにする相手とは、友達からでもごめんだ。
 一歩踏み出してくる彼に、わたしは一歩後ずさる。

「あ、あの」

 これ以上近づかないでほしい。怖い。思わず両手を突き出して、距離を取ろうするけれど、男は気にも留めないでさらに近づいてくる。

「うちはって、うちは同士で付き合ったり結婚したりするのが当たり前みたいなところがあってさ。でも俺は、そういう閉鎖的なのってもう古いと思うんだよね。やっぱりうちは以外の子を好きになる奴は居るから。だから俺と君をきっかけにして、そういう奴らも自由に恋愛できる時代になったらいいなとも思っててさ――」

 だめだ。また、このままだと押し切られてしまいそう。考えや志は立派だけど、わたしを巻き込まないでほしい。
 どうしよう。写輪眼――は、持っている。目の前で爛々と輝いている。二つも。一揃えで。
 言わなきゃ。言わなきゃ。『わたしはオビトが好きなので』って。
 でも、この人もうちはだ。なら、オビトがすでに亡くなっていることは知っているはず。
 だったら言うだろう。『もう死んでいる奴なんて』と。
 違う。オビトは死んでいない。オビトは死んでいるけれど、死んでいない。
 だって今も、カカシの左目として生きている。
 そうだ、カカシの中で生きているんだから。

「あの――――はたけカカシを知ってますか?」



「サホ。話があるんだけど」

 最近、この切り出され方でいい思いをしたことがない。
 それでも逃げられないのは、相手がカカシであり、リンの墓の前に膝を曲げていたわたしを、頭一つ分も高い位置にある右目で、逃がさないとばかりに見下ろしていたからだ。
 声変わりを終えて、すっかり低くなった声に滲むのは怒りだろうか。意を決して膝を伸ばし、額当てを斜めにつけているその顔に向き合う。

「場所、変えない?」
「……いいよ」

 何について話しに来たのかは分かっている。けれどリンの前ではしたくない話だ。カカシはわたしの気持ちを察したらしく、リンを始めとした、里の数々の英雄たちが眠る墓地の外まで、黙って歩いてくれた。
 墓地から少し離れ、人気のない広場に着く。煉瓦で舗装された上を歩き、真昼の今は必要のない外灯の下で足を止める。

「お前ね。なんでオレを巻き込むわけ?」
「……悪かったって、思ってる」

 腕を組んだカカシの、主語のない問いに、わたしは謝罪にもなっていない言葉を返した。カカシと目を合わせることができなくて俯いてしまい、ため息をつく彼がどんな表情をしているのかが分からなくて、あんなこと言わなければよかったと、後悔の念が次々に湧いてくる。


「あの――――はたけカカシを知ってますか? あいつより強いですか?」


 うちは一族の男性にそう言った。もちろん『カカシより強いか』というのは、カカシ自身と比べているのではなく、カカシの中のオビトと比べて、ではあったが――たとえオビトより強くとも付き合う気はないのだけど――前回と同じくかなり言葉が足りなかった。
 男性はカカシのことを知っていて――というか、木ノ葉隠れの里の忍でカカシを知らない人なんてまずいない――愛想のよかった顔は不愉快そうに歪められた。


「なんだ。やっぱりエリート狙いじゃないか」


 正直、何も言い返せなかった。わたしの発言は『里でも有名なエリート忍者のはたけカカシと同レベルの男を求めている、エリート狙いの女』でしかない。
 掘った墓穴に苦しんでいたのに、さらに深く掘り進めてしまった。もはやわたしは、平穏な地上に上がることなどできない。『エリート狙いで身の程知らずの、傲岸不遜な女』の噂を、さらに強めて真実に近づけてしまった。
 そう。うちはのあの男性も、わたしとのやりとりを簡単に広めてしまった。やっぱりあいつは噂通りの女だった、と。こういうのも、男運がないと言うのだろうか。

「まあ……お前がどういう理由でオレの名前を出したのかは分かってる。でも、他の奴らは違う。お前がオビトを好きなことを知ってる奴なんて、ほんの数人でしょ」
「うん……そうだね」

 わたしがオビトやリンの死を引きずっていることは、同期を始め多くの人が知っている。アカデミー時代からよく一緒に居た、特に親しかった仲間という括りだろう。
 でも、オビトを異性として好きだということは、カカシや紅などの本当に近しい人にしか打ち明けていない。大半の人が、友達としてオビトを慕っていたと思っているはず。

「迷惑かけたのは、本当……よくないって、反省してる」

 カカシまで引き合いに出したことは、本当に悪いと思っている。オビトの写輪眼を持っているからという、ただそれだけでわたしの勝手に巻き込んでしまった。オビトやリンの件でカカシを許せないことと、これとは別の話だ。

「……大体、どうしてそういう断り方になるの? 『ごめんなさい』の一言でよかったんじゃないの?」

 組んでいた腕を解いて、片手で頭を掻くカカシは、呆れた様子だ。

「さ……最初の人は、告白されるなんて初めてだったから、動揺しちゃって……。『お試しで』って言われたけど、お試しで付き合うとかよく分からないし、とにかく断りたくて、でも不快にさせない断り方なんて思いつかなくて、理由を探してたら、わたしはオビトが好きだし、オビトはうちは一族で、それで写輪眼が浮かんで……」
「……そう。で?」
「……で、次の、うちはの人は、自分はうちは一族だからどうですか、って……。その人も『友達からでいいよ』ってグイグイ来るから……それで……その……オビトは……カカシの……だから……」

 喋っているうちに、自分の対応力の低さに辟易して、尻すぼみになり、伝えたいこともまともに伝えられなくなった。
 二人とも、うまく説明できないけれど、すごく押しが強かった。わたしが断るなんて考えてもいなかったような感じで、予定通りに事が進まなくて驚いてさえいたようだった。そんな態度を見ていると、『断ってはいけないのでは』と考えてしまった。

「あの、本当に……」

 いくら言い訳を並べたところで、無関係のカカシを巻き込んだことは、単純にわたしの浅はかな逃げの姿勢のせいだ。カカシが言うように、ただきっぱりと「お付き合いできません」と断り続ければよかったんだ。今更もう遅いけれど。

「ほんと……本当に、その……」

 きちんと謝罪しなければいけない。『ごめん』の一言でもいいから、謝らなければいけないのに、その一言がどうにも口に出せない。喉を通れない謝罪の言葉が、胸に溜まって息がつまりそうになる。
 カカシは下ろしていた腕をまた組んで、わたしに向き合ったまま黙っている。辺りには静けさが広がり、小鳥ですらさえずらない。

「二人」
「……二人?」

 やっと口を開いたと思ったら、『二人』という脈絡のない単語。オウム返しするわたしに、カカシはふう、と大きな息を吐く。

「オレのところに、二人。来たよ」
「来た? 誰が?」
「サホを好きな奴が」
「へ?」

 思いがけない言葉に、顔が熱くなる。

「え? え? 二人って、わたしに声をかけてきた人?」
「いいや。その二人とは別だね」
「……嘘でしょ?」
「……人って、人生で三回くらい、モテ期が来るらしいよ」

 動揺するわたしとは反対に、カカシは達観した風に、右目を横にずらす。モテ期が三回あるという説はわたしも聞いたことがあるけれど、じゃあ、それが今なのだろうか? え? 本当に? 人生で三回のうちの一回が、まさに今なの?

「そ、それで、その人たちは何しに来たの?」
「お前がこういうこと言ってるけど、どういう関係なんだ、って。まあ、それは他の奴らも訊いてきたんだけど」
「他の奴らって……その人たち以外にも?」
「そいつら以外にも。忍って奴は職業柄か、どうにもこうにも知りたがりの性分が多いね」

 どうしよう。よく考えれば、面白がってカカシの下に来る人が現れることくらい想像できただろうに。以前は『うちは一族』という大きな括りだったけど、今度は『はたけカカシ』という個人名だ。

「な、何て説明したの?」
「……『サホとはただの同期だけど』」

 見下ろすカカシが言う、『ただの同期』は間違いない。やけに低い声は、ただの同期という関係なのに面倒事に巻き込まれたという、不快さの表れだろう。

「で、その二人が、実はお前に気があるから、ただの同期なら、よかったら仲を取り持ってくれないかって。でもそんな義理はないし、そもそもオレはあいつに好かれてないから逆効果だとは言っておいたけど」

 そのときのやりとりがよほど面倒だったのか、カカシの眉間には皺が寄っている。
 本当に、本当に迷惑をかけた。普段はカカシに毛嫌いした態度を取っているのにこのザマだ。情けないにも程がある。

「そっか……」

 言葉に棘はあるけれど、カカシが仲介役を取り持つ気はないと断ってくれてよかった。もちろん、カカシから紹介されても会う気はないけれど、カカシのところで止めてくれるなら、仲介されて気を揉んだりしないで済む。

「これからどうするの?」
「どうするのって……?」
「お前、また告白されて、ちゃんと断りきれるの? どうも強く押されたら簡単に流されそうなんだけど」
「そ、それは……頑張るよ」

 仮に、そんな機会がまた訪れたとしたら、今度はちゃんと、きっぱりと断るつもりだ。写輪眼だとかカカシだとか引きずり出さずに、きちんと自分の言葉で、誠意を持ってお断りする。
――しかし、カカシの言うとおり、押されたら流されそうな自分もいる。何せこういうことにはとことん慣れていない。幼い頃はオビトなどの一部を除いた男子に苦手意識があったし、忍になってからも、任務を遂行するという共通目的を持った仲間としか見ていなかったし、見られていなかったと思う。
 相手に対して気持ちはなくとも、自分に好意を持っている人だと思うと、きっぱり断って傷つけてしまうのが怖い。いい人ぶりたいつもりはないけれど、無意識にそう考えているかもしれない。

 だって、わたしなんか好きになる人なんて、そうそういないもの。

 スマートに対応できなくて、うじうじして、自分から距離を取ってるくせに、勝手にカカシを巻き込むようなわたしに好意を寄せてくれたのだと思うと、その期待に応えなければいけないのではと、変なプレッシャーに焦る。相手の機嫌を損ねるのが恐ろしくなってしまう。
 冷静になった今は、きっぱり断る方が相手に余計な気を持たせず、結果的に互いのためになる最適解だと分かっている。わたしみたいに、『押せば何とかなりそう』みたいに思わせる態度を取るのが一番よくない。あの二人の押しが強かったのも、わたしのこの優柔不断さが原因だと思う。

「いいよ。オレの名前を出しても」

 自信がない、だけど自分で断らないと意味がない、でも自信がない。そんな風にグルグルと考え、黙っていたわたしを見兼ねてか、カカシは自分を断り文句にしても構わないと許可を出した。

「え……?」

 『面倒だ』という気持ちがひしひしと伝わっていたから、まさかそんなことを言われるとは全くもって思っていなかった。わたしは呆けたようにカカシを見るしかなく、カカシはそんなわたしの視線が煩わしいのか、晒している右目を隠すように体を横にする。

「断って、流されないように踏ん張って、それでも無理そうなら、オレの名前を出してもいい」
「で、でも、それじゃカカシのところに、その人が来るんじゃ……」
「オレより強い奴なら、サホに断られたらすぐに身を引く頭の良さを持ってるはずでしょ。引けずに食い下がるみっともない奴に負けるほど、オレも弱くはないよ」

 そういうものなのだろうか。頭の良い人はすぐに身を引くのか。それより、頭の良い人がわたしを好いてくれるだろうか。頭が良いなら、ヨシヒトに『一輪挿しにちょこん』と称されたわたしより、紅あたりの美人の魅力を正しく評価して好きになりそうなのに。カカシが『みっともない奴』に負けるほど弱くないというのは、自惚れではないだろうけれど。
 取り留めのない、色んな考えが頭を巡る。
 だけど一つ確かに分かるのは、カカシがわたしのために盾になってやると申し出てくれていること。

「あっ……」

 『ありがとう』と、言わなければ。分かっているのに、喉はうまく動かない。五文字だ。それだけでいい。友人や同僚たちに普段から言い慣れている言葉だ。それをカカシに言えばいいだけ。
 カカシはわたしが何を言うのかと、出方を窺っている。早く言わなければ。そう考えれば考えるほど焦り、口は金魚のようにパクパクと動き、喉は固くなる。早く。早く。
 いくら待っても続きを言わないわたしに痺れを切らしたのか、カカシは慰霊碑とわたしから背を向け去って行った。引き留めてでも言わなければいけないのに、謝罪も礼も言えず、黙って見送る自分が情けなくて不甲斐なくて、やっと口から出たのは、重たいため息だけだった。



40 高嶺に植えられた花

20181008


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