でも、毎日かと言われたら違う。雨が降っていれば屋根のないいつものところで修業はできないし、みんなそれぞれ用事がある日もある。今日がそうだ。リンはお家の手伝い、オビトはアカデミーで居残り。座学の点数で赤点を取りすぎてしまって、補習を受けなければいけなくなったらしい。
一人きりの時間など、今までもなかったわけではない。ただ二人と一緒なのがあまりにも当たり前だったので、いきなりポンと一人で投げ出されると何をしていいか分からなくなる。いつものところで鍛錬しようにも、いまいちそんな気になれない。
アカデミーを出て、目的もなく歩き回った。家に帰ってもよかったけれど、夏の盛りを過ぎ、外に出ていても心地よいと思えるこの時間は、ほんのわずかだ。すぐに冬が来て、今度は寒くなる。だったら今のうちにと、わたしの足は木ノ葉の里の整えられた道を歩いていく。
人の通りの少ないところへ。そう思いながら歩を進めれば、賑わう商店街や、暮らす者の音がする住宅地は自然と避けられ、着いた先は田の広がる場所だった。
収穫前の、黄金に揺れる稲穂の海。区切るように、田んぼとの間を通るのは、幾筋もの緋。
「きれい」
緋色は彼岸花だ。この季節、田畑の畦道によく咲く。毒を持つから、モグラなどが入って荒らさぬように植えるのだと、農家のリンから教えてもらった。
風に煽られた稲穂の金が一斉に波を作ると、鮮やかな緋の花も優雅に頭を振る。
きれいだと思うと同じく、少し物悲しい気持ちにもなった。暑かったのが寒くなるからかな。温かさが遠のいていくのは、寂しいものだから。
それに今日は一人きりだ。オビトもリンもいない。二人も一緒だったらよかったのに。きれいなものを、二人と見られたら。
「サホ」
目の中に入る風景を、そのまま頭に送る作業をひたすらに続けていると、後ろから声をかけられた。振り向くと、稲穂や彼岸花の色とは無縁の色を纏う、はたけくんが立っていた。いつの間にか傾いている橙色の陽が額当てに反射し、きらきらと眩しく光る。
「何してるの?」
「え? 彼岸花がきれいだなぁと思って……」
先ほどまで見ていた光景を指差しながら言うと、はたけくんは指し示す先を見て、相槌のようなものを打った。額当てを付け、忍服を着ているはたけくんは任務帰りだろうか。それとも陽が沈むのに今から向かうのだろうか。前に会ったのは一ヶ月ほど前。これから任務だと言う彼と道でばったり会って、『頑張ってね』『ああ』という簡素なやりとりを重ねただけだった。
「楽しい?」
「楽しい……っていうか……」
『楽しい』かと問われると、何だか違う。決して楽しくないわけではないけれど、遊ぶときや物語を読むときのように、わくわくしたり、ドキドキしたりしていない。ただ、稲穂の田を縁取るような彼岸花の緋色から目を放せなかった。
楽しかったのだろうか。どうかなと、確かめる意味で、はたけくんから田んぼへと向き直り、連なる緋をもう一度見た。自身はすっかり見えなくなったのに、山際の空は太陽の在り処を知らしめんとばかりに朱に染まる。辺りは暗くなってきたのに、彼岸花の色は濃く浮き上がっていた。
きれいだ。やっぱり二人も一緒に来られたらよかった。はたけくんともこうして偶然会えて、久しぶりに四人で――
ああ、うん、でも。オビトは、そうじゃないかもしれない。
こんなきれいなものを、好きな人と二人きりで見たいかもしれない。好きな人ではないわたしは、いらないかもしれない。
もし、オビトの補習が早く終って、リンのお家の用事も早く終わって、それで二人がいつものところに来ていたら、どうしよう。わたしが居なくて二人きりなことを、オビトが喜んでいたら――そう考えると、息もできなくなりそうなくらい、胸が痛い。
咲き誇る彼岸花に葉はなく、緋色の花弁が反り上がる様は、踊るように燃える炎に似ている。
燃えている。燃えている。花も、わたしの胸に燻ぶる、嫉妬心も。
薄闇に浮かぶのは、なんと昏い緋だろう。連なる美しい
――顔のすぐ前に手が一つ。目元を覆うべく後ろから回り込んできて、驚いて一歩後ずさると、トンと背中が壁にぶつかった。
「あんまり見ない方がいいよ」
頭の後ろから響いて、その近さにびっくりして体が固まり、これ以上触れないようにと身をできる限り細くした。
「ど、して?」
視線を送り続けていた緋色の花は、男の子にしては少し白い手のひらだけに取って代わった。わざわざこの手で遮ってまで見るなというのは、一体どうしてなのか。
「連れて行かれる」
言うと、はたけくんは手を下ろし、そのままわたしの肩を掴み、無理矢理に引いて、田んぼに背を向けさせた。正面には小川が流れ、耳には水音が入り込んできて、今までその存在を忘れていたことに気づいた。
はたけくんは何も言わずに歩き出し、わたしはきっとそうするのが正しいのだろうと、はたけくんの後ろをついていき、稲穂と彼岸花の前からそっと離れた。
田んぼから少し遠ざかり、人の手が加えられた土の道を通る。人が進むための道を辿れば、迷うことなどなく、家に帰られるだろう。
「どこへ、連れて行かれるの?」
あの彼岸花は、わたしをどこへ連れて行くと言うのか。結んだ額当ての、巻き布の尻尾が見える頭に問う。背負う一振りの刀は、はたけくんの体が動いても音一つ立てない。
「さあね」
返答は短く、ポケットに手を突っ込んだまま、はたけくんは歩き続ける。『連れて行かれる』と言って、わたしを彼岸花から遠ざけたのははたけくんなのに。
けれども、彼が止めてくれなければ、わたしは本当にどこかへ連れて行かれていたのかもしれない。
わたしは、間違いなく彼岸花に囚われていた。ほぼ同じ音を繰り返す川も、薄闇の空も、肌を凍らせるような風も忘れて、魅入られていたわたしは、はたけくんが居なかったら帰れなかったかもしれない。
今もまた、そうなのだろうか。闇に浮く白い銀は、わたしをどこかへ連れて行くのだろうか。
「はたけくんは、どこへ連れて行くの?」
濃く鮮やかな彼岸花の緋から、暗がりでも輪郭がよく分かる白銀へと、この目は奪われる。
背を向け進み続ける彼は、常に口元を見せない。つまらないと歪むところも、面白いと笑む様子も分からなくて、昔から表情が読みづらい人だった。
「サホの家に決まってるでしょ」
当然だとばかりに、呆れすら混じった答えが返ってきた。まったくだ。はたけくんは人だ。アカデミーでは同じ教室に腰を下ろしていたし、わたしを心配して家へ送ろうとしてくれている友達だ。
わたしたちが歩く道は人の道。幾多の野を駆け、山を駆け、月も星も光らない夜道でも、人の手の入った道は人の地へと着き、はたけくんはわたしを家まで送ってくれる。おかしなところになど連れて行かない。
――だというのに、わたしは記憶の片隅にあるものを思い出してしまった。
「はたけくん」
名を呼ぶと、前から吹く風に乗って「なに?」という少しかすれた声が耳の傍へ届く。陽が沈み視界が鈍ると、他の感覚からの情報が際立つ。
「彼岸花って、白もあるよね」
リーリーと鳴くようになった虫たち、小川が放つ少し湿ったような匂い。「そうだっけ」と普段より鼓膜でよく震えたはたけくんの声は、ツンとしていて、でも嫌いじゃない。
「はたけくんに、似てるね」
緋の花より、宵の口に凛と浮き上がる、やわく逆立つ白い銀の
前を歩く白い彼岸花に目を奪われる。見てはいけないと遮る手はない。背は人の形をしていて、歩は確かに人の道を進むのに。
「連れて行っていいの?」
わたしはまた囚われているのかもしれない。