元々任務明けすぐは休みだったので、次の日の休みは、クシナ先生が必要だと判断して融通してくれたのだろう。
クシナ先生は次の任務の内容と、集合場所を告げた。クシナ班のみんなで、里周辺の警備。いつもやっていて、慣れた任務だ。
用件を済ませると、先生は家を出て、自分の任務へと向かった。最後までわたしの顔色を窺い、何度も謝罪の言葉を口にして、そのうちわたしの方が、クシナ先生に罪悪感を抱いた。わたしがこんなだから、先生は要らない心配をして、心苦しい思いをしている。
クシナ先生が訪ねてきたあと、そのまま家のリビングで、どこかに目を向けて呼吸を繰り返すことだけを続けた。母が出したお茶も出しっぱなしにして、いつも座る場所に背中を預けていた。
ようやく母からの言い付けを思い出したのは昼を過ぎた頃で、客用の湯飲みと茶卓を下げて、洗った。それからは部屋に籠り、任務明けの兄が帰ってくるまで、何をするでもなくベッドに横たわっていた。
先生が配慮してくれた二日目の休み。カーテンの端から光が漏れて、一睡もせずに、夜から朝に変わったことを知る。家族が起きて、それぞれ支度をする音が聞こえたが、わたしは構わず、ベッドの中で、布団に身を包んだ。
しばらくすると、母から話を聞いたらしい兄が、任務に向かう前にわたしの部屋に顔を出し、「飯はちゃんと食えよ」とだけ言って家を出た。
また時間を置いて、今度は朝の家事を終えた母が部屋を覗き、「ご飯ちゃんと食べるのよ」と兄と同じことを言って出て行った。
父は任務からまだ帰っていないので、これで家にはまたわたし一人だ。
のそのそと布団から出て、リビングへ向かった。当たり前だが、誰の気配もしない。
ダイニングテーブルには、母が作ったのであろう朝ご飯が、全てにラップがかかった状態で、食べられるのを今か今かと待っていた。
それに応える気がしなくて、とりあえず水だけ飲んだ。意外と喉が渇いていたらしい。昨日も夜中に何度も泣いたから、当たり前と言えば当たり前だ。
二杯目の水を飲んでいる途中で、呼び鈴が響いた。ピンポン。出る気にはなれず、無視をした。
間を置いて、ピンポンピンポンと、連続で、何度も鳴り響く。
うるさくて、それを止めるために玄関のドアを少し開けた。
「あっ……サホ」
一番先に目に入ったのは、ドアのすぐそばに居たヨシヒト。ドアを大きく開けば、ヨシヒトの横に立つナギサも見えた。
「サホ……大丈夫か?」
「……なにが……?」
言いたいことは分かっていた。けれどあえて問うと、ナギサは口を結んで答えなかった。鋭い目が、玄関のドアを睨む。ああ、八つ当たりしてしまった。ナギサやヨシヒトはきっと、わたしを心配して来てくれたのに。
「上がってもいいかい?」
「……うん」
ヨシヒトに訊ねられ、わたしは体を少しずらし、二人が通れるようにした。口々に「お邪魔します」みたいなことを声に出し、わたしも履いているものと同じタイプのサンダルを脱ぐ。リビングに通そうと、二人を引き連れて先頭を歩いた。
「その辺に、座ってて」
「うん」
昨日、クシナ先生が座ったソファーあたりを指差して言うと、ヨシヒトが返事をし、黙り込んだままのナギサを促して二人でソファーに腰を下ろす。
客用の新しい湯飲みや茶卓を出し、薬缶に水を注ぎ、火にかけた。
その間に、急須に二人分の茶葉を計って入れてしまえば、あとはお湯が沸くのを待つだけで、当たり前だがすぐには沸かない。手持無沙汰になる。
どれくらいだろう。五分くらいだろうか。その間、薬缶の前で立ち続けたわたしも、ソファーで待っている二人も、誰も喋らなかった。
シュンシュンと注ぎ口から湯気が出てきたところで火を止め、急須に注いで味と香りを引き出したあと、湯飲みに注ぐ。小ぶりのお盆に重ねた茶卓の隣に乗せて、二人の下へ向かう。
「熱いから、気を付けて」
お盆をテーブルに置いて、茶卓と共に二人の前に湯飲みを置く。湯気が立ち上り、ゆらゆらと二人の前で揺れた。
「ありがとう」
「……サンキュ」
やっとナギサが声を出した。二人は湯飲みをそっと持ち上げ、少し口をつける。
わたしはテーブルを挟んだ向かい側の椅子に座り、自分が淹れたお茶をぼんやり眺めた。
「サホ。オビトの、こと」
ヨシヒトが『オビト』と発して、わたしの目はやっぱり、涙を呼び寄せた。鼻がツンと痛い。
「サホ、ごめんよ。いきなり、ごめん」
だからどうして、みんな謝るのだろう。
みんながオビトを殺したの? 違うでしょ? オビトは岩に圧し潰されてしまったのだから、殺したのは岩だ。
なのにみんな、まるで自分が殺してしまったみたいに。
「僕たちも、ショックだ。聞かされたときは、嘘だと思った。だけど、カカシの目を見たら、疑いようがなかった」
はたけくんの目。夜色の目は、血の色に変わった。あれがオビトの目だって。知らないよ。わたしが知っているオビトの目は黒炭だ。オビトの情熱で焦がされてできた黒だ。
「サホ。いっぱい泣いていい。ずっと泣いていい。けれど、任務は任務だ。明日からは、オビトのことは頭から切り離して、任務にだけ集中しなくちゃいけない」
昨日のクシナ先生と似たようなことを言うヨシヒトの口調に、感情はほとんどなかった。オビトのことを話すときは、みんな何かに苦しんでいるようで、滲み出てくるような強い感情があった。ヨシヒトは、その中の誰よりも淡々としていた。
「おい、無理言うな! サホの気持ちも考えてやれ!」
その胸倉を掴み、ナギサが大きな声でヨシヒトに迫る。元々吊っている目がさらに吊って、力いっぱい握りこむ手が震えていた。
「考えているさ。考えているよ。でも、現実は受け止めなくちゃいけないんだ。どんなに醜い現実でも、それを受け止め前を向かなければ、美しくなんてあれない」
「こんなときに、お前の頭おかしい理論を、こいつに押し付けるな!」
自分の服を掴むナギサの浅黒い手を、ヨシヒトの相対的に白い手が掴む。
「じゃあ、ナギサはサホに、ずっと泣いていればいいと言うのか!?」
普段のヨシヒトからは考えられない怒号が響く。間近で聞いたナギサは驚いて固まった。わたしの頭も、オビトへの悲しみより、ヨシヒトの初めて見る姿に対する恐怖で塗り重ねられる。穏やかなヨシヒトがいつも纏っていた、柔らかい空気は粒一つ残らず尖っている。
「そ、そうじゃないだろ!? オビトが死んだと聞かされて、まだ二日しか経ってないんだ! サホにだって、受け入れる時間が――」
「死んでいるのはオビトだけじゃない! 僕らの同期も、四日前の任務で死んだだろう!?」
ナギサの言葉を遮って、ヨシヒトが声を荒げる。え、とナギサの顔を見ると、目を見開いたままだ。ヨシヒトの口ぶりから、ナギサもそのことを知っているようで、ヨシヒトの胸倉を掴んでいた手から力が抜けていく。
「先輩も死んだ。後輩も死んだ。ついこの間、下忍になった子も、巻き込まれて死んだ。死んだ者の親、子、夫に妻に恋人。兄弟、友達、仲間……全員が、悲しいから、死を受け入れられないから、だからもう少しだけ待ってほしいと、そうやって任務を放棄したらどうなる? 木ノ葉は終わりだ。里中の人間が死ぬかもしれないんだ!」
ヨシヒトがナギサの手を放すと、浅黒い手はそのままだらんと指先を床へと向けた。
「今は、違うんだよ。平和な日常じゃない。平和だったら、サホの心が落ち着くまで、そっとしておいたよ。けれど今は、悲しみの底に落ちていい時間は、せいぜい一日だ。一日だけ、朝から晩まで思う存分嘆いて、寝て起きたら、もう振り切らなきゃいけない」
明日のスケジュールをお知らせします。この場にそぐわない、そんな言葉が脳裏を駆けた。
予定を立てて悲しむって、一体どういうことなの。一日経ったら、オビトの死を悼む気持ちは「はい、おしまい」と、どこか物置きにでも仕舞うようなことをしなければいけないの。
「何なんだよ……それがお前の言う、『美しさ』だとでも言いたいのか?」
ナギサの口からは、震える声。歪めた表情からは、怒りとも取れるし、ヨシヒトを全く理解できないと訴えているようにも見えた。
淀みなく、演説するかのごとく喋っていたヨシヒトの唇が止まる。薄く、今は少し血色の悪い二枚の花弁は、しばらく蕾のように硬く閉じたあと、暖かさに誘われた花のように、ゆっくり開いた。
「一週間前に、母が死んだ。岩隠れに殺された」
自分の息を呑む音が、ナギサのそれと同じタイミングで鳴る。
ヨシヒトの目は、ナギサもわたしも見ていない。虚ろではないけれど、彼の目にはきっと、わたしの家の中ではなく、自分の家や、自身の母が映っている。
「悲しいさ。つらいさ。泣きたいよ。だけど僕は、忍だから」
一度目を伏せたあと、開いたヨシヒトの目は、しっかりと目の前のナギサを捉えていた。
「僕の特技、知ってるだろう? そのものの、美しさを引き出すことだ。僕はこの木ノ葉を、美しい里にしたいと思い、忍になった。だから僕は、戦争が終わるまで、もう母を思い出すのはやめた」
ナギサを掴んでいた、自身の空の手のひらに視線を落とし、そこにある何かを、ヨシヒトがぎゅっと握り込む。
「木ノ葉に平和を取り戻して、それから目が腫れるまで涙を流す僕が、一番美しいに決まってるんだ」
再びナギサと向かい合った顔には、虚ろも悲しみもなかった。優雅に微笑む姿は、わたしが知っているヨシヒトとまったく同じだ。
ナギサからわたしへと、ヨシヒトが体ごと向く。まじまじと見つめてみれば、ヨシヒトの目の下には、うっすらとクマがあった。中性的な顔も、以前より少しほっそりした気がする。
「サホ。つらいだろう。苦しいだろう。いっそ自分も死んでしまいたいだろう。でもだめだよ。君は生きなくてはいけない。木ノ葉の忍として、オビトの意志を継ぐんだ」
「オビトの……意志……」
繰り返すわたしに、ヨシヒトは頷いたあと、トンと肩に手を置いた。二、三度叩くと、そのままリビングを出て、玄関へと向かう。ナギサも、ヨシヒトが置いた方とは別の肩に手を置き、「また、任務でな」と言い残して、後を追うように玄関から外へと出て行った。
湯気が立ち消えた二客の湯飲みと共に、わたしはまた取り残された。
オビトの意志って、なに?
火影になること?
じゃあ、わたしに火影になれとでもいいたいのだろうか。
わたしが? 違うよ。わたしは、火影になりたいなんて思わない。
わたしは火影のお嫁さんになりたかった。オビトのお嫁さんになりたかったのに。
ヨシヒトとナギサが帰って、数時間経った。あれから訪問者はいない。わたしはいつしかまた眠ってしまった。昨夜ろくに寝れなかったため随分と眠ってしまったようで、時計を見ると、ちょうどおやつ時だった。
陽射しが入るリビングは、ポカポカと暖められている。きっと外を歩けば気持ちがいいのだろう。起きてこの部屋に入ったときと、差しこむ光の角度がこんなにも変わったのに、わたしは何もできないでいる。
オビト、本当に死んじゃったの?
本当に? 本当に?
――確かめなくちゃ。
漠然と考えついて、わたしはそのまま玄関でサンダルを履いて外に出た。ほぼ染みついた習慣によって鍵だけは掛けたあと、何かに導かれるように足を動かす。
本当にいい天気だ。雲は自らが発光しているかのように白くまばゆい。さんさんと降り注ぐ熱の根源は、今日も変わりなく空に昇って、世界を焦がしている。空の太陽は、地に足を付けていたあの太陽が死んでも、素知らぬ顔だ。
途中、行き交う人たちは、皆それぞれのために歩いている。買い物かごを腕にかけている人、大量の荷物を背負って歩く人。遊んでいるらしい男の子と女の子が、わたしの横を駆けて行く。
オビトが死んだのに、世界は一つも変わっていない。
だから、本当はオビトは死んでいないと思えてしまう。
足を向けた先は、うちはの集落。
躊躇うことなく中へと入り、一軒の家を目指した。
頭の中にある地図を頼りに歩き、辿り着いたのは――オビトの家。
その家の壁は、朱鷺色だ。それがわたしとしては意外で、最初に見たときに「かわいい家だね」と言ったら、オビトから「オレはもっと男らしい色がよかった」と不貞腐れた答えが返ってきた。
玄関が少し高い位置にあるので、そこまでは階段が備えてある。そこに足をかけ、登ろうとしたら、いきなり玄関のドアが開いた。
「オビ――」
オビト。オビトが居た。
そう思って名を口にしようとしたけれど、現れたのはオビトとは似ても似つかない、髭を蓄え、眼鏡をかけた男性だった。
「ん? なんだ? この家に用か?」
階段に足をかけるわたしに気づいて、男性が訊ねる。わたしは慌てて足を引っ込めた。
「あの……ここは、オビトの……」
「ああ、オビトの友達か?」
オビトの名を出すと、男性がもう一度訊ねたので、頭を縦に振って肯定すると、オビトの家の中からもう一つ声が響いた。
「どうした? 何か――なんだ。また君か」
もう一つの声の主から、『また』という言葉が出てきた。どういうことだろうかと自分の記憶を探ると、長い髪を後ろで縛る、鷲鼻の姿に思い当たる人が出てきた。少し前に見た。オビトにお守りを渡すために、うちはの集落の前で待っていたら、不審に思って声をかけてきた人だ。
「ここは、オビトの家ですよね?」
問うと、鷲鼻の男性は頷いた。
「そうだ。俺たちは遺品整理をしに来ている。あいつは親も兄弟も居ないから、俺たちでやってやろうって話になってな」
遺品整理。何年か前に、木ノ葉隠れの里とは別の村で暮らしている、わたしの祖父母が亡くなった際に、両親が行った。家の中のものを引き取り、処分したり、誰かに譲ったりしていた。
「本当に……オビトは……」
オビトは本当に、死んでしまったんだ。
一縷の望みも消えて、視界がぼやけ始めた。あ、また泣く。思ったときには、階段に涙の染みができていた。
「まだ、片付け始めたばかりでな、オビトの部屋には手を付けてないんだ。最後だ。見ていくか?」
鷲鼻の男性の申し出に、わたしは無言で頷き、彼らに促されてオビトの家へ入った。
静まり返った玄関には、男性たちが用意したらしい、たくさんの空の段ボールや紐が置かれていた。履き潰して、穴が空いたり履けなくなったオビトのサンダルが、たたきの隅っこにいくつも積み上げられている。捨てるのも面倒で、そこに置いたままなのだろう。
「オビトの部屋は分かるか?」
「……はい」
オビトの部屋は二階にある。何度か入ったことがあるので、案内は不要だ。男性たちは一階の片付けを進めると言うので、わたし一人で階段を上り、二階の部屋へ向かう。
ギシギシと音を立てる床。端には埃が溜まっている。オビトの部屋のドアの前まで着くと、一度深く呼吸を繰り返した。
意を決し、ドアノブに手をかけ開ける。
最初に目に飛び込んできたのは、脱ぎっぱなしの服。
ドアの対角線上に壁があって、小物を保管しておくような低い棚が一つ。棚の上にはカチカチと音を立てる目覚まし時計。
向かって右には窓と、その前に机と椅子、見慣れない大きなボード。脇には本棚。入りきらない――というより、整理してきちんと入れることが面倒くさかったようで、何冊かは本棚の前の床に置いたまま。
窓の反対側の壁は敷きっぱなしの布団。整えた様子もなく、掛け布団を剥いだままの状態で、枕元には卓上ライトが床にそのまま置かれている。
以前、オビトの部屋に来たときと、ボードの存在を除けばほぼ変わりなかった。あのときよりも散らかったように見えるのは、きっとオビトが片付けなかったからだ。人を招くというのであれば、いくらオビトだってある程度は体裁を保つべく整える。
オビトは普段通り、任務から帰ってくるつもりだった。乱雑に剥いだ布団に寝転がって、床に置いたままの本の上に、また別の本を積んで。そういういつものことを、繰り返すつもりだったからだ。
「変なの……」
ついさっき、オビトが本当に死んだのだと再認識させられたのに、この部屋だけ見ていると、オビトが死んでいるなんて思えなかった。主の不在を、この部屋は何てことない顔で待っていた。
脱ぎっぱなしの服や布団を踏まないように避けながら、部屋の奥へと進む。机の上には、開きっぱなしの巻物や、出したままの筆記具があった。
窓に背をつけるように立てかけられているボードは、この部屋の中で唯一、初めて見る。
ボードには写真がいくつか貼ってあった。リンの写真だ。リンだけじゃなく、リンと共にオビトが写っているものや、リンとわたし、リンとわたしとオビトが写っていたり、とにかくどの写真にもリンが写っていた。一際古く傷んでいる一枚だけは、オビトの両親と思われる男性と女性と、オビトだろう小さな赤ちゃんが写っていた。
「リンばっかり……」
アカデミーの頃のリン、額当てを付けたリン。アカデミーの頃より幼いリンも居た。
このボードは、誰かが来るときは隠していたのだろう。だってこれを見たら、オビトがリンを好きだってすぐにバレてしまうもの。
嫉妬の感情より、微笑ましさがあった。ここまでリンを好いているオビトが、かわいらしく思えてしまう。
机の上にも写真立てがある。ミナト班が組まれた直後に、ミナト先生とオビトとリンとはたけくんで撮った、すこし畏まった写真だ。リンの部屋で見たものと同じ写真で、唯一違うのは、はたけくんの顔辺りにテープでバッテンがされてあって、その顔が見えないといった点だけ。
「写真にまでこんなことしちゃうなんて」
そんなに、はたけくんが嫌いだったのだろうか。わたしは、何だかんだ言ってオビトは、そこまではたけくんを嫌っているようには思っていなかった。嫌いは嫌いだろうけれど、ミナト班での任務を何年もこなしていたのだから、それなりに絆ができているはずだと。
ミナト班で写るオビトの顔は、最近の顔より少しだけ子どもだ。確かこのときも撮影時間に遅刻したのよと、リンが笑っていたっけ。
「オビト……」
写真立てを手に取り、オビトの顔を、指で撫でた。ガラスの冷たい、硬い感触しか伝わらない。
オビトの体は、岩の下に埋もれてしまったので、連れ帰ることすらできなかったとはたけくんは言った。
もう、オビトに触れるには、こうやってガラスを撫でるしかないのか。
抑えきれない嗚咽に、体が苦しい。息をするにも、引きつったような声を上げてしまう。
写真立てごと、オビトを胸に抱えた。硬い。小さい。温かかったオビトがいない。
「――大丈夫か?」
声をかけられ、ゆっくり振り向くと、鷲鼻の男性が部屋の出入り口に立っていた。写真立てを抱えて泣くわたしを認めると、眉を寄せて、同情するような顔を見せる。
「それは、写真か?」
「……はい」
男性が訊ねるので、わたしは写真立てを体から離し、男性に見えるように向けた。
「オビトが、下忍になったときに、同じ班のみんなで撮った、写真です」
細切れにはなったけれど、男性にきちんと説明できた。
ここにわたしは写っていない。アカデミーではいつも一緒に居たけれど、下忍になってからはわたしだけが一人外れていた。リンの部屋でこの写真を見るたび、三人が一緒に居ることが羨ましかったものだ。
「それ、持ってくか?」
「え?」
男性がわたしの下まで歩み寄って、その場で部屋をぐるりと見回した。
「オビトの私物は、書類や本や巻物なんかの、残しておいた方がいいもの以外は、燃やしてしまうつもりだ。家や家具はともかく、こういう物の引き取り手は、うちはにはいないしな」
『こういう物』と、男性がわたしの手の中の写真を指差す。
「本当は、写真一枚すらも、うちはの物を他所の手に渡すなと言われているが、バレなければ問題ない」
指を引っ込め、そのまま腕を組んで、男性がわたしの反応を待った。
「いただいていいのなら……いいですか?」
「おう。バレないようにな」
頼むと、男性はニッと笑った。良い人だ。初めて会ったときは警戒しているのが伝わって怖かったし、さっき玄関で会ったときも、そのときの怖さがまだ残っていたけれど、今はすっかりなくなった。わたしの気持ちを汲んでくれて、きっとバレたら怒られるだろうに、見逃すと言ってくれるのだから、優しい人に違いない。
「この写真も、燃やしてしまうんですか?」
「オビトと両親の写真は残しておくが、他のはな。ちゃんとうちの神社で焚き上げる。煙になってオビトへ届くさ」
赤ちゃんのオビトと両親の写真のことを訊ねると、それだけはちゃんと保管しておいてくれるようだ。うちは一族の人たちの写真だから当然だろう。他の、リンが写っている写真も、男性が言うようにオビトの下へ届くのなら、そうしてもらった方がオビトも喜ぶ。
「じゃあ、いただいていきます。ありがとうございました」
「ああ。オビトと仲良くしてくれて、ありがとう」
そんなことを言われたら、鎮まった目元がまたむずむずしてしまう。目の前で泣かれたら男性も困ってしまうだろうから、わたしは深く頭を下げたあと、オビトの部屋を後にした。
階段を下りて玄関でサンダルを履いていると、一階で作業をしていた眼鏡の男性の足音がしたので、慌てて服をめくってお腹のところに写真立てを突っ込んだ。ひんやりしたガラスが当たって、思わず寒気がする。
「帰るのか?」
「はい。ありがとうございました」
「俺たちも一族の、しかも若い奴が先に逝くなんてやりきれないが……オビトの分まで、生きてくれよ」
「……はい」
眼鏡の男性にも頭を下げて、オビトの家の玄関から外へと出る。脇の階段を下りて、少し歩いたところで足を止め、オビトの家を見上げた。朱鷺色の壁は、いつの間にか傾いていた陽を受けている。
家や家具は引き取り手があると言っていたから、遺品整理が終わったら、この家はオビトの家ではなくなるのだろう。
オビトの家でなくなる前にと、わたしは壁に夕陽が当たらなくなるまで、その場に立ってオビトの家を目に焼き付けた。