今回も一次試験はペーパーテストだった。聡明なリンに勉強会を開いてもらった甲斐があって、回答欄は全て埋めることができたし、ほぼ正解しているだろう自信もあった。オビトはやはり厳しかったようで、今回もリンのカンニングペーパーで難を逃れた形だ。
一次試験を無事に通過し、第二次試験。
こちらは班での野外実戦。巻物を探し、持ち帰るというものだ。巻物の数は、一次試験を通った班の半分の数しかない。必然的に、ここで半分のチームが脱落する。
わたしたちは何とか巻物を探し出して、途中で奪われそうになりながらも応戦し、指定されたポイントまで運ぶことができた。三人で修業し、特訓したおかげで、連携は非常にスムーズだった。
最後の第三次試験。やはり個々の資質を問われるようで、前回と同じく個人戦だった。
以前はなかなか攻撃に回れなかったわたしも、風遁と体術で積極的に攻めたり、相手を誘って結界で動きを封じたり、自分でもはっきりと成長を感じ取ることができた。
一人目に勝ち、二人目にも何とか勝ち、三人目には、善戦したけれど負けてしまった。
ただ、勝ち負けは一つの採点箇所であって、負けた者でも中忍としての技量が十分にあると判断されれば合格になる。
そのおかげで、わたしは中忍足りえる力を持っていると認めてもらい、合格証書を手にすることができた。
「やった……! やった!!」
合格証書と緑色のベストを両手で抱え、わたしは真っ先に、クシナ班の二人の下へと走った。二人はわたしの合格を見届けるためにと、わざわざ三次試験の会場に来てくれている。クシナ先生はミナト先生と任務みたいなのでここには居ないけれど、前日に顔を見せてくれて「頑張って」と言葉をかけてくれた。
駆け寄るわたしの手に、証書とベストがあるのを見て、二人は明るい表情で迎えてくれた。
「サホ、おめでとう。先生の言った通りだったね」
「最後に負けたのは悔しかったろうけど、一期上の相手にあれだけやれてりゃ御の字だぜ」
ヨシヒトが笑顔で言い、ナギサはわたしの髪を乱暴に掻き混ぜた。額当てがずれ、まとめていた髪もグシャグシャになったけれど、そんなの気にならないくらいに嬉しい。自分のことのように喜んでくれる二人に抱きついてしまいたい気分だったけれど、それはさすがにはしたないと思って堪えた。
「オビトとリンも合格したんだろ?」
「うん。あっ、そうだ。あのね、リンがあとで、公園に来てほしいって。わたしたち三人とも」
オビトはわたしと同じく三回戦で負けて、リンは二回戦で負けてしまったけれど、二人とも前回の試験から比べると大幅に強くなっていて、わたしと共に合格証書を受け取っていた。そのときにこっそりと、「ヨシヒトさんとナギサさんも連れて、あとで公園に来て」と耳打ちされたのだ。
「僕たちも? なんだろう。もしかして、僕が近々出版する予定だった、『美しき中忍になるための十ヶ条』の情報をどこからか耳に入れて、サイン本を頼みたいのかもしれない。作者である僕と、僕の仲間であるサホとナギサのサインもついでに」
「なんだそのふざけた本は」
「どんなときでも美しさを心掛けたい後進のための本さ。僕たちクシナ班の、美しい思い出も書き連ねているから楽しみにしておいて」
「ぶっとばす。マジでぶっとばす。そんな本燃やせ!」
何やら知らない間に、ヨシヒトは自筆の本を出版するつもりらしい。ヨシヒトらしいタイトルだけど、本の中でわたしのことをどんな風に書いているのかと考えると恥ずかしいので、わたしもそんな本は出版してほしくない。心の中で、ナギサの言葉に同意した。
「やれやれ……美ほど身近な指針はないというのに――サホ、額当てがずれているよ。髪も乱れている。三百六十五日、二十四時間、一分一秒、一瞬一刹那、美しさを怠けてはいけない。美しさは強さだといつも言って――」
「うるせぇ! オラ、とっとと行くぞ」
とても簡単な授業を理解できない、不出来な生徒を前にした教師のように、ヨシヒトはため息をつき、わたしのずれた額当てを指摘した。ナギサがずらしただけで、わたしがずらしたわけじゃないのにと思いながらも、口に出すとうるさいので、黙って髪型を整え額当ても結び直し、先を歩くナギサの後を黙ってついて行く。
公園を覗いてみたけれど、リンの姿はなかった。リンたちはリンたちで、何か用事があるのかもしれない。代わりに、アカデミーで同期だったガイくんたちが居た。十人とは言わないが、それくらい居る。男子のほとんどが緑色の木ノ葉のベストを身に着けていて、何やら談笑をしていた。
「あら。サホも?」
声をかけてきたのは、その場に居た中で唯一の女の子、夕日紅さんだった。癖の強い黒い髪と、真っ赤な瞳が印象的な、大人びた風貌の彼女は遠くからでもよく目立つ。
「わたしも、って?」
「リンに呼ばれたんじゃないの?」
「うん。そうだけど……」
紅さんは同期だけど、わたしより一つ上だ。紅さんも早くにアカデミーを卒業している飛び級組で、わたしたちと同じくさきほどの中忍試験に合格した。
紅さん以外はすでに中忍になっていた人がほとんどで、アカデミーを早くに卒業した人ばかりだ。そのため、わたしが親しいと言えるほどの人はいない。紅さんは同性だからそれなりに会話したことがあるし、ガイくんははたけくん繋がりで何度も顔を合わせている。あちらがわたしの顔を覚えているかどうかは別だけれど。
「後ろの二人は、たしかサホの班の?」
「うん。ヨシヒトと、ナギサ。二人とも一期上」
紅さんがわたしの後ろに立つ、ヨシヒトとナギサに目を向ける。ヨシヒトは一歩前に出ると、いつも見る優雅な一礼をとった。
「やあ。夕日紅さん」
「どうも。私をご存知なのね」
「うん。君は腕のある幻術使いな上に、美しいからね」
にこにこと上機嫌なヨシヒトの後頭部に、ナギサが平手を打つ。パンといい音がして、その場に居た全員の目が二人に向けられた。
「何をするんだいナギサ。僕の美しい後頭部がおじゃんになってしまうよ」
「なれなれ。変なこと言い出す頭はおじゃんになれ。ぶっとばすぞ」
「もう叩いたじゃないか」
ぶたれたところを摩るヨシヒトと、心底苛立っているナギサを前に、紅さんは一瞬戸惑ってみせたものの、わたしの耳に唇を寄せ「面白いのね」と囁いた。「面白い」に含まれている意味を考えたり、紅さんの髪からふわっといい匂いがしたり、間近で見てもきれいな顔だなぁと思ったりして、やけに心臓がドキドキした。
ヨシヒトが言う、『美しさは強さ』はこういうことだなぁと実感する。いい匂いのする、きれいな女の子にこうやって囁かれたら、心はあっさり掴まれてしまうもの。
「わたしたちもリンに、三人で来てって呼ばれたんだけど」
「そう。じゃあ一緒に待ちましょう」
紅さんがそう言ってくれて、わたしたちも輪の中に入れてもらった。少し心配だったけど、ヨシヒトやナギサと知り合いの人も居て、すんなりと溶け込むことができた。アカデミーの同期には年上も多いし、一期上で歳も二つ上の二人の方が、同性ということもあって馴染みが深いのだろう。ガイくんはやっぱりわたしの顔は覚えていなかった。
顔見知り程度ではあったが、皆、わたしも紅さんと同じく中忍に昇格したばかりと知ると、おめでとうとお祝いの言葉をくれた。あまり話したことがない相手からの言葉は、嬉しさより恐縮の方が勝る部分はあったけれど、お祝いの気持ちは素直に受け取って、「ありがとう」とお礼を返した。
「リン、まだ来ないな」
「喉渇いた。なんか飲みに行こうぜ」
猿飛くんが公園の出入り口を眺めながら零すと、不知火くんがこの場に居るみんなにそう声をかける。近くに商店があるので、そこにちょっと行って、すぐに戻ってくれば大丈夫だろうと判断し、全員で向かうことにした。
わたしは道すがら、紅さんとさっきの中忍試験でのことで話が盛り上がった。共通の話題と、紅さんの穏やかで話し上手な人柄もあってか、一時間も経っていないのに紅さんとは随分と親しくなれた。アカデミー時代から、きれいな子だなぁ、大人っぽいなぁ、わたしとは違う世界の人みたいだ、と考えていたので、思わぬ形で距離が近くなって、わたしは自分でも分かるくらいヘラヘラと浮かれていた。
商店で飲み物を買い、その場でそれぞれ口にしたあと、再びぞろぞろと公園へと戻る。リンはまだだろうかと足を踏み入れた公園には、人影が二つ。一つはリンの背中だ。
「おっ。来てるみたいだな!」
ガイくんが歩調を速めて、桜の木の下で立つリンの下へと向かう。リンはそれに気づいたのかこちらを振り向いて、「みんな!」と手を振って自分の方へと呼ぶ。
各々のペースで歩いて向かうと、徐々にもう一人の顔が見えた。オビトだ。わたしたちが集まると、キョロキョロと頭を動かして、明らかに動揺している。
「な、なんで、みんな居るんだよ!?」
両手を後ろに回したまま、オビトは予想外だとばかりに、わたしたちの存在理由をリンに問う。慌てるオビトに、リンはきょとんとした表情を見せたあと、にこっと笑った。
「お祝いの相談をするから集まってもらったの」
「『お祝いの相談』って……?」
何のことだと、まずはオビトが。そして次にその場に居たわたしたちも、各々に顔を見合わせた。
リンは手に抱えていた紙束を、一枚ずつわたしたちに配って行く。紙には大きくかわいらしい文字で、『同期メンバーで、カカシ上忍就任を祝うプレゼント企画』と書いてあり、下には『(極秘任務)』という一文が添えられている。
「今度、カカシが上忍になるでしょ? だから、同期のメンバーで、何かプレゼントしようと思って」
配りながら、リンは紙に書いてある内容を読み上げる。なるほど。確かに、ここに居る顔ぶれは、アカデミーの同期だ。
「僕らは同期じゃないけど、いいの?」
「そうなんですけど……ヨシヒトさんとナギサさんもカカシと親しいですし、せっかくだからぜひ」
「まあ、祝ってやらない仲じゃないな」
ヨシヒトの疑問に、リンがそう答えると、ナギサは納得して受け取った用紙を眺めつつ、傍に居た不知火くんと何だったら喜ぶかと早速話し始めた。
周囲の同期メンバーたちも、顔を突き合せて「あいつ、もう上忍か」「ほんとエリートだな」「さすがオレのライバル」などと口にしながら、はたけくんのことを振り返ったり、それは贈っても突き返されるんじゃないのかと盛り上がっている。
「カカシが上忍……?」
「あれ? オビト知らなかったの?」
オビトの呆然とした呟きを拾ったリンは、不思議そうな顔を見せた。わたしも今初めて知ったけれど、わたしはミナト班ではないから当然として、オビトは同じ班なのに知らないなんておかしな話だ。
「同期の私たちにとっても、自慢の種でしょ」
にっこり笑うリンに、オビトは口元を引きつらせて笑う。ガサ、と音がして、何の音かと周囲を見てみると、オビトの足元に先ほどまでなかったものがあった。白い紙に包まれた、赤い花の花束だ。
どうして花束? そのまま花束からオビトの顔へとスライドさせると、切なげな表情が刻まれていた。視線の先は、やっぱりリンだ。
「ねえ、何をあげたらカカシは喜ぶと思う?」
リンはオビトの視線にも落ちた花束にも気づくことなく、紅さんにはたけくんへの贈り物について問う。
「そうねぇ……あいつのことだから、実戦に役立つ物がいいんじゃない?」
「それもそうね。ああ、何にしようかしら」
少し思案したあと、紅さんがはたけくんの性格と照らし合わせた答えを出すと、リンは手を合わせて同意し、頬を染めてワクワクしている。はたけくんのために選ぶことが楽しくて仕方がないといった感じだ。
オビトに目を戻すと、渇いた笑いを浮かべたまま、さりげなく落とした花束を拾うと、近くにあったゴミ箱まで小走りで向かい、乱暴に中へと押し込んだ。そして手を目元にやって、何度か左右に動かす仕草をしたあと、くるりとこちらを振り向いたときには、普段通りの明るいオビトだった。
「カカシが上忍ねぇ〜。ハンッ。人のこと足手纏い扱いする奴が、上忍やれんのかよ」
「オビト、いまだに足手纏い扱いなのか? それも問題だぞ」
「うるっせーな! オレはタイキバンセー型なんだよ!」
鼻を鳴らすオビトに並足くんが呆れた声を上げる。まさかそう返されるとは思っていなかったようで、オビトは少し片言めいた『タイキバンセー』だと自称した。
「へえ? お前、それちゃんと書けるのか?」
「ああ!? 書けるに決まってんだろ!」
猿飛くんが訊ねると、オビトは近くに落ちていた小枝を掴んで、地面に文字を書いていく。「確か」「これは」と言いながら、オビトが地に彫ったのは、『太気番正』の四文字。
「なんだこれ! 一つも合ってないぞ!」
「はあ!? 一つくらい合ってるだろ!?」
「合ってません! いいですか、『タイキバンセイ』というのは……」
まったくもって不正解の『タイキバンセイ』に、猿飛くんが大きな声を上げて笑った。よほどツボに入ったらしい。エビスくんがもう一つ落ちていた小枝を手に取り、『太気番正』の文字に、正しく『大器晩成』の四文字を彫っていく。
「あーこれね。いやぁうっかりしてたぜ。そうだったこれだった、これこれ」
「嘘つけ。絶対分かってなかっただろうが!」
さも「実はちゃんと分かっていましたよ」という態度を取るオビトに、並足くんが眉を吊り上げる。
「何だよ! たまたま間違えただけだろ!」
「たまたま四文字全部を間違えるとかどんだけだ」
「あー! あー! あー!」
不知火くんの指摘に、オビトは両耳を塞いで声を上げ、「とにかくオレはこれからなんだよ!」と叫んだ。みんなはオビトを囲み「さっき中忍になった奴がなんか言ってら」と、からかう口ぶりではあるけれど、中忍に昇格したオビトにお祝いの言葉も忘れずかけている。
オビトはあっという間に、みんなの中心に居て、場を明るくしてしまう。自分がどんなに落ち込んで、傷ついていても、そんなのなかったみたいに振る舞える。周りに人を集めて明るく照らす様は、太陽に似ている気がした。
あの花束を、オビトはリンに渡すつもりだった。渡して、きっと、リンに伝えるつもりだったのだろう。好き、と。
はたけくんへのプレゼントを考えるリンを、オビトは友達の合間を縫って見つめる。眉を寄せて、口を引き結んで。太陽が一瞬陰る。重たい雲が遮ったように。その雲は、友達から話を振られればすぐに風が吹いて飛んでいって、太陽はまた強い光を放つ。
太陽が恋焦がれるのは、菫色の化粧が似合う、一輪の花のようなリン。素朴で、穏やかで、美しく咲く菫だけを、オビトはずっと見てきた。
「美しさは強さだ」
ヨシヒトがいつも口にしている。その意味は分かっていたつもりだった。さっき、紅さんを美しいと思ったときも、分かっていたつもりだった。
けれど、今改めて思う。
美しさは強さだ。
世界で一番やわらかく、無慈悲な強さ。
視覚で人を殴りつけ、聴覚で足を折り、嗅覚で喉を締め、存在で心を捉える。
美しさは罪なのだ。
一輪の美しさで、知らず太陽を焦がすリンは、わたしにとって生ける罪だ。