最果てまでワルツ | ナノ
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テーマ「禁断の関係」
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 毎年この時期になると卒業試験が行われ、アカデミー生が木ノ葉の下忍となるべく校舎を巣立っていく。
 まだあどけない顔は期待や不安に満ちていて、わたしもあんな頃があったはずなのだと、感傷に浸ることも少なくない。
 ただ、アカデミーを卒業しただけでは下忍になれるわけではない。本当の意味で里の忍となるには、担当の上忍師より提示された試験に合格しなければならない。アカデミー創設以来からの決まりだ。
 いくらアカデミーで出された課題をうまくこなし、試験に通ったとしても、現場で通用するかは別だ。任務中は何が起きるか分からない。里としても、幼い命は一人でも多く守りたい。
 それにアカデミーでの試験は、あくまでもアカデミーを卒業するためのもの。知識をつけ、基本忍術を習得し卒業するだけなら、一定レベルの適性を持つ者なら誰でも可能だ。例えば屈折した考えを持つ者でも。
 当然ながら、里の意に反する者や、里の信念にそぐわない者を下忍にしてはならない。優秀な上忍ですら時には里を抜け仇名す者になる。卒業生が真に『木ノ葉隠れの里の忍足り得る者か』を確かめ続けることは、その数を少しでも減らすためだ。

 わたしにはまだ上忍師の話は来ていないけれど、同期の仲間の多くは上忍師となった。
 まだ何の経験もない、まっさらな子どもたちを指導するというのはなかなか骨が折れるらしく、上忍待機所で愚痴をこぼす人も珍しくない。
 カカシも数年前から上忍師を命じられていた。あのカカシが上忍師、と驚いたけれど、何年も暗部に身を置いていたことを考えると、よい転機になったのではないかと思う。
 ただ、担当になった卒業生は全員アカデミーに戻し続けたため、カカシは正式に下忍を持ったことがない。そのため今でも指導を担当する部下はいなかった。

 今年もまた、アカデミーを卒業した生徒たちが個々の能力に応じて割り振られた班に分かれ、木ノ葉隠れの里の忍としての第一歩を踏み出そうとする時期が来た。
 下忍を持つことはなくても、幼い新顔に興味がないわけではない。わたしたちの次の世代に当たる子たちだからこそ、強く立派に育ってほしいと願ってやまない。
 そして今年はわたしにとって、かなり特別な年だ。



 時間まで待機だと聞いていたので上忍待機所を覗いたけれど、目当ての顔は見つからなかった。
 一体どこで暇を潰しているのかと捜し続け、屋上まで上がったところでようやくその姿を見つけた。
 だだっ広い一角に設置されている長椅子で仰向けになり、枕は頭の後ろに回した左腕。右手で持った本は日除け代わりでもあるのか、顔の真上に掲げ読んでいる。
 こんなところで堂々と寝転がり本を読んでいる銀色の頭なんて、カカシ以外まずいない。

「ナルトの上忍師になるって本当?」

 歩み寄り、立ったまま声をかけると、右目の視線だけこちらに向けられた。いつからか、オレンジ色の愛読書を隠すことはもうしなくなった。今日は下巻を持ち歩いているようだ。

「そうみたいね」

 熱のない返事をしつつ、再び視線を本へと戻し、持つその手で器用にページを捲る。よくその体勢で、とうっかり感心した。
 少し待ってみたけれど、カカシはそれ以上何も言わない。あの子の上忍師になるというのに、随分とそっけないものだと不意を衝かれた気分だ。

「言っとくけど、オレはたとえナルトだろうと誰であろうと、忍になるべきではないと判断したら落とすよ」

 淡々とした声色に、なんだか窘められているような気がして、引き結んだ唇に余計な力が入った。

「それは分かってるよ。大事なことだもの」

 そう返したけれど、カカシはこちらを一瞥することもなく「へえ?」とだけ発し、また一枚ページを捲る。
 実はちょっと浮かれていた内心をすっかり見透かされている気がして、口を閉じるしかなかった。

 わたしたちの間で交わされる『ナルト』とは『うずまきナルト』を指し、今は亡きわたしたちの師である夫妻の子どもだ。
 それと同時に、昔から里が所持してきた尾獣である、九尾の妖狐を封じられた人柱力でもある。
 その出自から、里でのナルトの扱いは他の子どもとは違う。
 産まれて一日と経たずして両親を失ったナルトは、里に保護され育った。『保護』とはいうものの、随分と幼い頃からナルトは一人で暮らしている。『九尾の人柱力』として遠巻きにされ、大人はもちろん、同世代の子どもたちともまともに遊んだことはほとんどないだろう。
 人柱力の件に関しては箝口令が敷かれており、加えて一部の人間には接触禁止の命が出されている。わたしとカカシはその一部の人間に該当しており、わたしはナルトが産まれてから一度も、声をかけたことも顔を合わせたこともない。
 尊敬していた師の、誕生を待ちわびていた子が、小さな体で一人で生きていくことをただ見ているしかできないことが、どんなに歯痒いか。

 接触禁止が解かれる条件はただ一つ。ナルトが正式に下忍となること。
 里の忍として登録されたならば、接触を避けるのは困難だ。同じ任務に就くこともあり、接する機会は当然できる。
 接触禁止を命じられている者は多くないとはいえ、配慮を続けるのは手間がかかり効率も悪い。従って、禁止期間はナルトが下忍になるまで、と決められている。
 もちろん、禁止命令が解除されたとしても、人柱力に関してや、ナルトの両親について教えるのは厳禁とされている。
 でも、ずっと遠くから見ているだけしかできなかったナルトと、同じ木ノ葉の忍として接することができるのだから、それだけでも嬉しいことだ。

――というわけで、わたしとしては、ナルトには何としても下忍になってほしい。
 しかし適性がない者を忍として合格させることはあってはならない。
 その忍自身が命を落とすだけでなく、所属する班、部隊、果ては里に危機が及ぶこともある。私情を挟まず、里にとって必要な人材か否かを見定めるのが、上忍師の務め。
 カカシはそれをちゃんと分かっている。公私の分別がついている。
 とはいえ、さきほど言ったことは『公』であり、『私』でもあると思う。
 自分の未熟さで大事な人たちを失ったと悔やみ続けているから、相手が誰であろうと、たとえ尊敬していた師の息子であろうと――いや違う。ナルトだから、特別だから、特別扱いはしない。
 わたしとて、贔屓してまでナルトを合格させてあげてほしい、とは思わない。
 ただ、あの子ととうとう話せる機会が来るのかもしれないと思うと、居ても立ってもいられなかった。ずっと待ち望んでいた本がとうとう店頭に並ぶ前日のように、気持ちが浮き立って仕方なかっただけだ。

「ナルトの前でその本を読むの、やめてね」

 教育に悪いから、と続けると、カカシは眉を寄せ「名作なのに」と拗ねた声でこぼした。



 カカシの試験に合格し、ナルトを含めた三人の卒業生は、正式に下忍として里に登録された。
 今まで不合格しか出したことのないカカシが初めて合格を出したこと。その班にナルトや、あのうちは一族の少年が属していることが、さらに忍たちの興味を引いた。
 恐らく、カカシが隊長を務める七班は、今期のルーキーの中で最も注目されている班になる。有望株といった意味ではないけれど。
 しかしいくら注目されていても、ルーキーはルーキー。受ける任務はDランクからコツコツと、という方針から外れることはない。
 わたしは上忍になって以降、例外はあるけれど最低でもBランクの任務しか受けることがないため、共に任務に就くこともすれ違うことも、その姿を見かけることすらも叶わなかった。

 非番の昼下がり。こういうときにやっておかなければと自宅の掃除をしていたら、わたし指名の任務があるという連絡があった。
 すぐに忍服に着替え、額当てをつけて里の受付所に向かい、受付の忍から差し出されたのはBランク任務。
 わたしが指名されるだけあって、上級封印術が必要不可欠な内容だった。ただ危険性はかなり低いようで、その辺りを考慮してBランクと判断されたようだ。
 予定期間は一週間。ただ遠出になるので、移動時間を考えるとかなりギリギリのスケジュールを想定されている。
 一週間で終わるならいいなと思いつつ、受付から離れて外へ出ると、賑やかな一団が目に留まった。
 真っ先に認識したのは銀色の髪。高い背丈の上で光るので、灯台のように遠くからでもよく分かる。
 次に、その灯台を取り巻く三つの影。眩しく、深く、鮮やかな異なる色は、灯台の男に文句をぶつけているようだ。
 影の中でも一番小柄な、金色の頭。激しい身振りに合わせて、後ろで結んだ紺色の尻尾が揺れる。
 心臓はグッと握られたみたいに強く反応し、それから岸に上げられた魚のごとく暴れ、忙しなく鼓動を打つ。
 何度か深い呼吸を繰り返し、意を決してその小さな背を目指し、歩を進めた。

「お疲れ様。『カカシ先生』」

 赤い渦巻が目を引くベストの背に向け声をかけると、カカシは緩慢に振り返る。

「お前の先生じゃないでしょ」

 右目と声色から察せられる感情は呆れを表していた。
 七班の上忍師になって一ヶ月近くは経つだろうに、『先生』にはまだ慣れていないのか、それともわたしが呼ぶから居心地が悪いのか、いつもより肩が縮こまって見える。
 なるべく自然に、普段通りの表情を努めつつ、目をカカシから、三人の子どもへと移した。女の子、男の子、男の子。

「はじめまして」

 ずっと見ていた。でも顔を合わせるのは初めて。だから挨拶は『はじめまして』。
 動揺を隠すなんて任務で慣れているはずのに、声は少し不自然だったかもしれない。カカシのことをとやかく言えないな、と密かに自嘲した。

「ねえちゃん誰だ?」

 真ん丸の青い瞳が一直線に突き刺さる。
 唐突に現れた見知らぬわたしは、ナルトにとって『木ノ葉の忍の誰か』でしかなく、名前すらも知られていない。
 分かっていたことだけれど、一抹の寂しさはある。

「カカシの同僚で、かすみサホというの。よろしくね」

 相手の上司との繋がりを教え、名乗って、一言添える。事前に考えた自己紹介はなんとか果たされた。
 『カカシの同僚』というのが彼らの興味を引いたらしく、三人から突き刺さる視線がより深くなった。

「オレさ! オレ、うずまきナルト!」

 自分を指差し、ナルトが名乗る。
 知ってるよ。君のことはずっと前から知ってる。
 そんなことは言えるわけもないので、グッと飲みこんで笑みを返した。

「春野サクラです」

 班の中の紅一点。鮮やかな髪色の女の子が、両手を前で揃えて軽く一礼をする。分けた前髪が晒す瑞々しい白い額が、雲間から注がれる陽の光に照らされている。

「うちはサスケ」

 最後に名乗ったのは三人の内、最後方に立っていた少年。黒い髪、黒い瞳。今この里にたった一人しかいない、オビトと同じうちは一族。あの夜の惨劇で一人生き残った男の子。

「ナルトに、サクラに、サスケね」

 名前を呼びながら順に顔を見て、姿と名前を頭に染み込ませる。とはいえ、それぞれ特徴がはっきりしているので、覚えることはたやすい。

「カカシ先生の同僚っていうことは、かすみさんも上忍師ですか?」
「サホでいいよ。わたしはただの上忍。カカシはちゃんと『先生』やってる?」
「やってねーってばよ!」

 サクラに問い返すと、答えたは彼女ではなくナルトだった。

「毎日毎日遅刻してきてふざけた言い訳するし! オレたちは太陽ギラッギラのあっちぃ中でずーーっと草むしりしてんのに、自分は日陰でエロ本読んでてさぁ!」

 よほど不満が溜まっていたのか、ナルトは身振り手振りで、いかにカカシが『先生をやっていないか』を訴える。
 下忍や中忍時代は時間厳守を仲間に説く方だったのに。呆れるが、彼らの上忍師はカカシなので、わたしが口を挟むことは得策ではない。何か考えがあるのだろう。きっと。
 でもあの本を子どもたちの前で読むことについてはいかがなものかと、咎める目を向ける前から、カカシの顔はわたしから逸れている。

「みんな、カカシのことよろしくね」
「ちょっと。逆でしょそれ」

 背を丸め、三人と目線を合わせて頼むと、一番手前のナルトが「おう!」と笑顔を見せる。カカシのツッコミは無視した。

「わたしはこれから任務だから。またね」

 せっかく会えたのにこの場を去るのは後ろ髪を引かれる思いだけれど、わたしにも任務がある。
 ここでお喋りしている場合ではないと、瞬きや目の動きでカカシに『一週間』とだけ伝え、ナルトたちへ手を振ってその場から離れた。
 四人から遠く離れ、大門を抜けても、胸はまだドキドキしている。
 ナルトは他の子より小さいんだ。やっぱり栄養不足だからかな。野菜とかしっかり食べてるのかな。
 でもすごく元気だった。額当て、ピカピカだった。
 髪と目の色はミナト先生だけど、笑った顔はクシナ先生にそっくり。
 わたし、ナルトと話したんだ。やっと。やっと。
 嬉しくて、心がふわふわと浮いてしまう。ナルトと接触しても、暗部から止められなかった。もう本当に、わたしはナルトと会っていいんだ。



* * *



 アカデミーを卒業した私は、第七班に割り振られた。
 同じ班には大好きなサスケくんがいて、それはとってもラッキーなんだけど、もう一人のチームメイトのナルトがちょっと邪魔。
 ナルトは私のことが好きらしくて、隙あらば話しかけてくる。一緒に修業しようだの、ラーメンでも食べに行こうだの誘ってくるけれど、私はサスケくんとの仲を深めたいのでナルトの誘いなんて鬱陶しいだけ。
 おまけに私たちを指導するカカシ先生は、毎回一時間以上は遅刻するし、大人向けの本を隠しもせずに読む。
 他の上忍師がどんな人かよく知らないから比べようがないけれど、上忍ってもうちょっとビシッとしてるイメージだったから、カカシ先生はどうも『テキトー』な先生にしか見えない。

 今日だってそう。集合場所は里の大門前。集合時間は二時間前。先生自身が指定したはずなのに、ちっとも現れる気配がない。

「っだー! もー! まだ来ねーのかよ!!」
「ナルト! うるさい!」

 ただでさえイライラしているのに、ぎゃあぎゃあ騒がしいナルトのせいで余計なイライラが増えてしまう。
 サスケくんはさっきから腕を組んだまま無言で、里の高い塀に背中を預けて立っている。どうせならこの時間を使ってサスケくんとの距離を縮めたいところだけど、いつもの倍以上にトゲトゲしい雰囲気を放っていて、さすがに声をかけづらい。

「やあ諸君。おまた――」
「おっせぇ!」

 のんびりとした足取りで歩いてくるカカシ先生へ、ナルトが指を差して叫んだ。
 先生はどこ吹く風といった様子で、「指を差すのはやめなさいよ」と、やはりのんびりと窘める。

「なんでいつもいつも遅刻してくんだってばよ!?」
「いやぁ。今日はたまたま通りかかったところに――」
「教えていただかなくて結構です。どうせテキトーな嘘なんだから」

 遅刻してきた理由を語ろうとした先生を遮ると、出鼻をくじかれたとばかりに、わざとらしくがっくりと肩を落とした。

「言い訳くらいさせてくれたっていいじゃないの」
「自分が指定した時間を守れない奴が、一丁前に弁解しようとするな」
「……手厳しくなったね、お前たち」

 感傷的な響きを持った声色で言われても、遅刻癖を控えようとしないカカシ先生が、私たちを手厳しい部下にしたのだから、同情めいた気持ちは一切湧いてこない。
 今日は日陰がある場所で待っていたからよかったけれど、日除けも何もない場所で何時間も待たされたことだってある。直射日光はシミを作っちゃう、乙女の大敵なのに。

「カカシ先生ってば、こんなんじゃ恋人とのデートにも遅刻してそう」

 お使いやお手伝い程度の簡単な作業ばかりのDランクとはいえ、一応任務は任務。
 だというのに部下を毎回長時間も待たせ、平気で遅刻してくるのだから、きっと先生はプライベートでも遅刻ばかりに違いない。

「サクラちゃん。先生とデートしてくれるようなコイビトなんて、いるわけねぇってばよ」

 そういえばそうかもしれない。いくら上忍とはいえ、こんなにだらしない男の人なんて、付き合う前からお断りされているのかも。
 ナルトにしてはなかなか鋭い意見に納得すると、

「失礼な奴らだねぇ」

とカカシ先生はじっとりした右目を向けてくる。

「じゃあお付き合いされている人がいるんですか?」

 これはチャンスだと、すかさず先生に質問した。
 担当上忍なので当然だけど、私たちのことは一方的に知られていても、私たちはカカシ先生のことはほとんど知らない。
 どうして顔のほとんどを隠していて、右目だけしか見せてくれないのか。こんなにひどい遅刻癖があるのに、どうやって上忍になったのか。
 秘密がいっぱい、謎だらけのカカシ先生の恋人の存在は、貴重な、そして意外な情報になる。

「個人情報をむやみに露出しちゃ、忍者失格でしょ」

 なんて先生だ。
 確かに情報を自ら漏らすなんて、忍としてはあってはならないこと。先生の個人的事情を、わざわざ私たちに話す必要性があるとも言い難い。
 でも少しくらい教えてくれたっていいのに。結局イエスともノーとも言っていないので、恋人がいるのかいないのかさっぱり分からない。カカシ先生って本当、何でもはぐらかしてばかり。

「あ、サホのねえちゃん」

 門から里外へ続く道の向こうを見ながら、ナルトが聞き慣れない名前を挙げる。視線の先にはこちらへ歩いてくる女性が見えて、あちらも私たちの存在に気づいたのか、合図を送るみたいに手を振った。
 長い髪を後ろで一つにまとめているあの女性は、上忍のかすみサホさん。カカシ先生の同僚らしく、謎の多い先生と繋がりのある人なんて珍しかったので覚えている。
 何かいいことでもあったのか、遠目からでも機嫌よさそうなその表情が見える。近くなると、木ノ葉の中忍以上に支給されている緑のベストや、忍服が少し煤けたり土埃で汚れているのが分かった。

「任務帰りですか?」
「そうなの。早く終わらせようって頑張ったから、ちょっとくたびれちゃった」
「お疲れ様です」
「ありがとう」

 見るからに一仕事終えてきた、といった様子で、『くたびれちゃった』というのはその通りだと思う。
 でも顔はにこやかで、その苦労をちっとも思わせない。任務が相当うまくいったのか、帰りの道中で何か良いことがあったのか。

「おかえり」
「ただいま」

 同僚らしく、カカシ先生が迎えの言葉を送ると、サホさんもさらっと返した。どちらもあっさりした態度だ。

「君たちは今から任務?」
「そうなんですけど、カカシ先生がまた遅刻して、二時間も待たされたんです。昨日三時間、一昨日は一時間半。その前は五時間近かったんですよ! 自分が集合時間を決めてるのに遅刻するなんて、信じられない!」

 忘れていた怒りを思い出し、カカシ先生の悪癖のせいで被った迷惑を訴えると、サホさんは「大変ね」と苦笑した。
 さすがに同僚の前で自分の遅刻癖を糾弾されると気まずいのか、先生の右目は明後日の方を向いている。

「なあなあ、サホのねえちゃん! カカシ先生ってば、コイビトいんの?」
「コイビト?」

 ナルトが質問すると、サホさんは目を瞬かせ、言葉の意味を確認するように復唱した。
 そうよ。本人に訊ねてもだめなら、知り合いから攻めればいいんだわ。

「こんなに遅刻するなら、恋人とのデートにも毎回遅刻してるんじゃないかって。でも先生に訊いてもはぐらかされちゃって、いるのかいないのかもはっきりしないんです」
「へえ……カカシの恋人……」

 カカシ先生に邪魔される前に、さっきの話の流れを掻い摘んで説明すると、サホさんは「へえ」と繰り返しながらカカシ先生を見やった。
 そのカカシ先生はというと、いつの間に取り出したのかいつもの本を開き、自分のことなのに我関せずとそちらに集中している。

「いるよ」

 さらりと告げられて、私やナルトはもちろん、あのサスケくんですら驚きを顔に出していた。

「ホントか!? カカシ先生を選ぶとか、趣味悪いってばよ……」

 遅刻癖がひどくて、私たちの前で平気でいかがわしい本を読む人と付き合う人がいるなんて、私も相当奇特な人だとは思う。
 ただ世の中には変わった趣味の人もいるから、カカシ先生みたいな人がタイプという人もいるかもしれないし、たまたま運よくそういう人と巡り合えたのかもしれない。

「ちょっとナルト。それはさすがに失礼よ。『蓼食う虫も好き好き』って言うでしょ」
「お前も人のことは言えないな」

 世間は広いのよという旨をナルトに伝えると、サスケくんから痛い指摘が入った。やだ。性格悪い女だって思われたかしら? そんなつもりないのに! それもこれも、カカシ先生とナルトが!
 そういえばサスケくんの好みってどんな感じなんだろう。かわいい系かな? サスケくんってクールだし、きれい系かも。騒がしいのは嫌いみたいだから、落ち着いた雰囲気の女性、ってところかしら。
 そんなことを考えている間、サホさんは大きな声は上げないものの、私たちの反応が可笑しいのか、口元は緩みっぱなしだった。

「あの。カカシ先生の恋人って、どんな人なんですか?」

 もしかしたらサホさんなら、この調子であっさりと教えてくれるかもしれない。

「んー……そういうことは自分たちで確かめないとね」

 期待を寄せて問うと、返ってきてガッカリした。まあ、本人のプライバシーを他人が、しかも本人が居る前でなんて言えるわけないか。

「サホのねえちゃんも、コイビトいんの?」
「わたし?」

 結局分からず終いのカカシ先生に飽きたのか、ナルトは今度はサホさんに自身のことを訊ねた。
 ナルトって思い立ったら即行動なのよね。落ち着きがないと苛立つときもあるけど、気にはなっても自分で訊ねるのは抵抗があるときに、躊躇もなく質問してくれるのは便利だわ。

「うん。そうだね。いるよ」

 先生のことについて答えたときと同じく、サホさんは誤魔化すことも勿体ぶることもなく、その存在を明かした。大人だしきれいだし、お付き合いがあってもおかしくない。

「誰? 誰? どんな奴?」
「だから、そういうことは自分で確かめないと」
「んじゃヒント!」
「ヒント? そうだなぁ……」

 やんわりと話を流そうとするサホさんにナルトは食い下がり、サホさんは視線を空に上げて考えた。
 しばし待ってみても「ヒントかぁ」と繰り返すばかりで、新しい情報は何も口にしない。

「サホさんの恋人は、やっぱり素敵な人なんですか?」
「んー…………ふふっ。そうね。そうかも」

 ただ待っているのがもどかしくて訊ねると、サホさんは面白そうに笑ったあと肯定した。
 でも、うっとりしているとか、恥ずかしがっている様子は一切なくて、本当にそう思っているのか微妙なところ。

「さてと。カカシが遅刻したなら、すぐ任務に取りかからないとね。わたしも報告が終わったら買い物して準備しなきゃ」
「準備?」
「その素敵な恋人が、きっと悠刻堂で売ってる、季節限定の大福を買って帰ってきてくれるだろうから、美味しいご飯を用意しておかないとね」

 サホさんは言い終えると、手を振って大門を通り、里の中へと入って行く。最後まで表情はにこにこしていた。

「なあなあサクラちゃん。『ユーコクドー』ってなに?」
「知らないの? 大福とか練り切りが有名な、老舗のお菓子屋さんよ」

 『悠刻堂』を知らないナルトに簡単に説明すると、今度は『練り切り』が何なのか分からなかったらしく再び問われ、練り切りも知らないのかと驚いた。
 ナルトは手のひらにちょこんと乗る練り切りより、両手で持たないといけない丼のラーメンが好きだから、そういうことに疎いのは不思議ではないけれど、説明するのも面倒だ。

「じゃ。これ以上遅れるとまずいからとっとと行くか」
「それはこっちのセリフだっつーの!」

 一人歩きだしたカカシ先生に、ナルトが怒りながらツッコんだ。私も、きっとサスケくんも同感だ。



 任務内容は牧場から脱走したヤギの捕獲。
 近くに棲みついている野生の獣に襲われる前に捕まえなければならないけれど、見慣れない人間が追ってくるからか、ヤギたちは必死で逃げるので、見つけて近づくだけでもとても苦労した。
 あの手この手を使い、脱走したヤギを一匹も死なせることなく捕まえて、牧場主の下へと無事に連れ戻すことができた。
 すべてのヤギを小屋に押し込んだ頃には、聞きすぎた独特の鳴き声が頭に深く染みついて、帰り道を歩いていても頭の中で『メエメエ』と再生される。
 里への足取りは疲労で重く、傾いて沈みかけている夕陽が眩しい。
 少しでも早く家に帰って、何か素敵な音楽でも聴かないと、このまま寝たら夢にヤギがいっぱい出てきそうだ。
 大門を通ってようやく木ノ葉の里に戻り、両手を上げてグッと伸びをした。ナルトはその場でだらしなく座り込み、サスケくんは腕を組んだまま「こんなところで座るな」とナルトを嗜める。

「オレは報告書を提出してくるから、各自このまま解散。明日もまたここに、六時に集合だ」

 カカシ先生はそれだけ言うと、その場で跳躍し、私たちを置いてさっさと行ってしまった。
 私たちがヤギを追っかけている間、呑気に本を読んだり、もっとキビキビ動けと口を出すばかりで、ヤギを追いかける素振りすらなかったから元気なものだ。

「ぜってー六時になんて来ねぇってばよ」

 先生が消えた方へと舌を出して、ナルトが悪態をつく。
 でも明朝六時に現れるわけがないというのは否定しない。また性懲りもなく私たちを待たせ続け、悪びれもせずに現れるはずだ。
 かといって、カカシ先生が遅刻することを見越して集合時間にわざと遅れる気にはならない。
 カカシ先生の言動には何かしら意図があることは、一番最初の試験で思い知ったし、そもそも自分たちが遅刻していい正当な理由になんてならない。
 任務が終わって晴れて自由の身。夕飯時にはまだ少し時間がある。

「ね、ねえサスケくん。疲れたときは甘い物がいいって言うし、これから私とお団子でも食べに行かない?」
「一人で行け」

 このままデートに、と誘ってみたけれど、サスケくんはこちらを見ずにすげなく断って、止める間もなくスタスタ歩き出して行ってしまう。
 追うことも一瞬考えたけど、『しつこい女は嫌われる』と本で読んだし、駆け出しそうな足にグッと力を入れ、素直に諦めた。

「サクラちゃんサクラちゃん。あんな奴ほっといて、オレと一楽に――」
「私はパス。一人で行ってくれば。じゃあね」

 サスケくんに断られた腹いせというわけではないけれど、ナルトの誘いを最後まで聞くこともなく跳ねつけた。
 あと一時間か二時間ほど経てば夕飯だっていうのに。軽く甘い物を摘まむならまだしも、今からラーメンなんて食べたら、ご飯が入らなくなっちゃうじゃない。
 ナルトは追ってくることはなかった。多分、一秒よりも早くラーメンを食べたい欲が勝って、一楽へ向かったに違いない。
 それはそれで、私よりラーメンなの? と思うが、私だってナルトより甘い物の方に惹かれる。

 そういえば、悠刻堂の季節限定の大福って、どんなものかしら。

 甘い物のことを考えていると、任務前に大門でサホさんが言ったことをふと思い出した。
 悠刻堂にはたまにしか行かないから、ちょっと覗いてみようかな。うん。そうしよう。
 善は急げと、悠刻堂に向けて足を進めた。あまり行く店ではなかったので途中で少し迷ってしまったけれど、なんとかお店のある通りまで着くことができた。
 悠刻堂はたしか、この通りの中ほどの――

「あれ? カカシ先生?」

 前方の人混みの中、最近見慣れた銀色の髪の存在に気づいた。
 遠目だから断言はできないけれど、緑のベストも羽織っていたし、カカシ先生で間違いないと思う。
 もう報告書の提出は終わったのかしら。任務には遅刻してくるのに、帰宅に関しては早いなんて。
 声でもかけようか、なんて思う暇もなく、先生は雑踏に紛れて見えなくなった。
 まあいいわ。どうせ明日も会うんだし。それよりも大福よ。
 店先で紫苑色の旗をはためかせる、『悠刻堂』の文字が堅い印象の看板を掲げた入り口を通り店内へ入る。すぐに「いらっしゃいませ」と店員に迎え入れられた。
 季節限定の大福、季節限定の大福……。

「あっ! 売り切れかぁ……」

 ガラスのショーケースの一角に、『季節限定』と書かれた大福のコーナーがあったけれど、そこには大福は一つも並んでおらず、『売切』という小さな木製の看板だけがぽつんと立っていた。

「ごめんなさいねぇ。ついさっき、ちょうど売り切れちゃったのよ」

 白い三角巾で頭を覆う、年配の女性が申し訳なさそうに言う。ついさっきなんて、タイミングが悪い。
 目当ての大福が売り切れたのは残念だけど、縁がなかったと割り切ろう。ショーケースの中には他にも美味しそうなお菓子が並んでいるし、今日はそっちを買って、機会があったら大福を買いに来ればいい。
 あーあ。食べられないとなると、余計に惜しい気持ちが増してしまう。最後の一個を買っていった見知らぬ人が、ちょっとだけ恨めしかった。



* * *



 先ほど入った店の、砂糖が放つ甘ったるい匂いに鼻から酔ってしまい、できるだけ他の匂いがしない、開放的な川沿いの道を歩いてからマンションに着いた。
 階段を上がって自室のある階へ。オレの部屋は一番奥の角部屋だが、開けたドアは、その一つ手前の部屋。
 手をかけたドアノブに抵抗はなく、開いて中へと入ると、一番に醤油の香ばしい匂いが出迎える。
 後ろ手でドアを閉めてサンダルを脱ぎ、框を越えてキッチンのある部屋へ進むと、菜箸を持ったサホが振り返った。

「おかえり」

 言うとすぐにコンロに向き直り、箸を持った手を動かし続け、もう一口で火にかけている小鍋の中を覗いた。 
 「ただいま」とだけ返して、近くにあるダイニングテーブルに持っていた紙袋を置き、グローブを外してポーチにしまう。素手でもう一度紙袋を掴んでサホの後ろに立ち、視界に入るように腕を伸ばして袋を軽く振った。

「ご所望の品」

 サホは「あ」と声を上げて、紙袋を取るとこちらを向く。

「本当に買ってきてくれたの?」

 喜色に満ちた顔で袋の口を早速開き、中に鎮座する大福を認めると「おいしそう」と嬉しげな声を上げた。

「あんなこと言われたら、素敵な恋人としては買って帰らないわけにはいかないでしょ」
「ふふっ、ありがとう」

 オレにだけ伝わる形でリクエストされたなら、応えなければ男が廃るだろう。
 あとでゆっくり食べようと、大事そうに紙袋の口を閉じる姿を見たら、急いで買いに行って正解だったと思う。なんとか最後の一つを持ち帰ることができたのは運がよかった。

「で、オレの恋人はどんなご飯を作ってくれたわけ?」
「それは手を洗ってからね」

 腰に手を回して訊ねると、母親が子どもに促すように、手を洗ってこいと返ってきた。
 素敵な恋人として従うべく洗面所の水道を借り、手を洗って戻ると、ダイニングテーブルから白米や味噌の香りが立ち、サホの手によって大皿や小鉢や次々と運ばれていく。
 最後の一品の配膳が終わると、サホはエプロンを外して椅子の背もたれにかけ、そのまま腰を掛ける。
 向かい合う形でオレも椅子に座り、両者揃ったところで食材への感謝と、オレは作り手への感謝の念を込め手を合わせ、どちらともなく箸を持ち食事が始まる。

「今日の任務はどうだった?」
「んー……ま、みんな頑張ってたよ」

 隠せない期待が垣間見える眼差しと共に向けられた問いに、当たり障りない答えを返すが、サホは箸を止めてなおも続きを待っている。
 促されても、特に話すことはない。新米下忍のDランク任務なんてお使いや手伝いみたいなものばかりで、同じ木ノ葉の上忍であるサホに話してもさほど問題はないだろうが、一応守秘義務はある――というのは建前で、単純に腹が減っている今は、喋るより食べるために口を動かしたい。
 オレが構わず食事を続けると、サホもオレの意を汲んだのか諦め、箸を持ち直し味噌汁に口をつける。

「そのうち時間を作って、ナルトに会わせてあげるから」
「んっ、ぐ。ほんとう!?」

 咀嚼を終えてから言うと、サホは急いで嚥下し、オレの倍ほどの声量で問う。両目は先ほどより一層きらきらと輝いて、今にも身を乗り出してきそうだ。

「うん。だからとっとと食べちゃいなよ。大福もあるんだし」

 感情がころころ変わる様に呆れながら、止まっている箸を動かすよう告げると、サホは頷いたあと晴れやかな顔で白米を口へと運ぶ。
 約束してしまった手前、会わせないわけにはいかないが、浮かれて羽目を外してしまわないか気がかりだ。
 改めて引き合わせるのもなんだし、ナルトがよく行くらしいラーメン屋で偶然を用意するか。舞台をどう整えようか考えながら、飢えていた腹を満たした。



イントロはこれにて

20210502


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