少しでも敵を叩き、自陣を堅く。その積み重ねを続けていくために、たった一人でも木ノ葉の忍は減ってはならない。
そのため、わたしは最低限、自分の身を守れるだけの力をつけなければならない。戦闘に巻き込まれても抗い、生き残るために。
そこで今日、なんとかカカシに都合をつけてもらい、鍛錬に付き合ってもらっている。
上忍であるカカシにはまともな非番や休みなんてほとんどない。わずかな時間を割いてもらっているからには、とにかく一つでも多く何かを得なければ。
集中、集中と、目の前の相手に拳を突き出し、足を振り、クナイを打ち、術を放つ。
「――うっ」
鳩尾を狙う容赦のない蹴りを咄嗟に防いだ――つもりだったけれど、完全に勢いを逃すことができず、横っ腹に強烈な痛みが走る。
一瞬意識が飛んで、よろけそうになるのを何とか耐えようとするけれど、膝が少し折れてしまう。
大きな隙ができれば、当然相手もそこを狙ってくる。『写輪眼は使わないけど、実戦に近い形で手加減はなし』と事前に打ち合わせているため、右目だけでわたしの隙を捕捉したカカシが、お構いなしに回し蹴りを繰り出してきたのを、体を反らすことでなんとかかわした。
腹の痛みは引かず、むしろ無理矢理に体勢を変えたために増す。奥歯をがっしり噛んで悲鳴を押し殺したが、顔を顰めたせいで自ら視界を狭めてしまった。
距離を取らねば。思って、印を結び口から炎を吐いた。
最近習得した火遁・炎弾は、わたしの場合はまだ片腕の長さまでしか炎を伸ばせないが、至近距離でならその効果は十分に発揮できる。カカシは即座に反応し、後ろへと身を引く。
いつもならここで、一度立て直しを図るべくわたしも引いていたけれど、それではカカシには勝てない。時間は等しく、わたしが体勢を整えているということは、カカシも同じ。しかも力量の差から圧倒的にカカシの方が余裕がある。
ならば攻めなければいけない。弱者にとって、奇襲は大きな武器だ。
鳩尾から発せられる痛みを堪えて、ホルスターからクナイを一本取って振るう。
カカシは軌道を完全に読んでいて、右に左にと避けた末、クナイを握るわたしの手首に手刀を叩き込んだ。
「いっ!」
痛みで手から力が抜け、クナイを放してしまう。
カカシの手はさらに伸びて、わたしの忍服の襟を掴んだ。いつもと違い、襟が広く開いている服だったからかあっさり捕まってしまう。
――投げられる!
組手を続けていた成果とでもいうのだろうか、カカシの次の動きが読めたわたしは、投げられてたまるかと足に力を入れ踏ん張り、重心を落とすため体を沈めた。
襟はぐっと引き伸ばされ、端が首元の素肌に食い込んで苦しい。
「――あ」
カカシが声を上げ、ぴたりと静止する。そのまま足払いでもして投げに入るかと思ったのに、右目を見開いて硬直していた。
あのカカシが、組手の最中だというのに動きを止めるなんて。
「っはあ!」
クナイを落とした手に力を入れ、その拳をカカシの顔面へ向け振るうと、カカシは避けることも防御を取ることもなく、有りっ丈を込めた拳は頬へとめり込んだ。
「ぐっ!」
勢いを殺せもせず、カカシはバランスを崩しそのまま転がった。襟を掴んでいた手は途中で放されたがわたしまで倒れそうになって、咄嗟に地面に手をついて四つん這いになり、転がることだけは避けた。
「カカシ!」
すぐ近くの顔を覗きこむと、顔の中で唯一動きが分かる右目は閉じて、少し震えていた。瞼がゆっくりと上がる。意識はあるみたいだ。
「ごめん。大丈夫? 思いっきり殴っちゃった」
カカシがわたしの攻撃をまともに食らうことなんてほぼないから、まさかこんなに決まるなんて考えずに、全力を込めてしまった。女だから威力は大したことはないだろうけれど、転がるほどだったのなら、どこかをひどく痛めてしまったかもしれない。
どうしよう、カカシに何かあったらまずい。上忍は貴重なのに、このせいで任務に支障が出たら。
不安で焦るわたしに、カカシは手を突き出し、
「平気だから」
そう言って、上体を起こすと空いている手で頬を押さえた。
「口の中、切ったりしてない?」
「……してない。痛みはあるけど、問題ないよ」
出血などはしていないようでホッとした。いくら無防備に殴られたからって、カカシとてそう簡単にやられたりなんかしない。だって上忍だもの。
頑丈さに感謝したけれど、痛みはあるというのなら、頬はひどく腫れてしまうかもしれない。
早く冷やした方がいいよねとその頬を見やって、それからカカシの右目と合せると、その黒目は気まずげに逃げた。
「カカシ?」
名前を呼んだのに、カカシは返事することもなく立ち上がり、
「オレ、そろそろ行かなくちゃ」
と、どこか別の方を向いたまま言った。
もうそんな時間だったかと気づき、わたしも体を起こして立つ。服の砂を払うと、パラパラと落ちた。
「付き合ってくれてありがとう。またよろしくね」
お礼を言って見送ろうとしたけれど、カカシはその場から動かない。時間が迫っているなら、早く行った方がいいのに。
「あのさ」
カカシはそう切り出して、いくらか間を置いてから続ける。
「その……サホの忍服。いつものはどうしたの?」
「いつもの? 洗濯して干してるよ」
普段着用している忍服は、朝起きてすぐに洗って干している。任務がない日じゃないと洗濯できないから、休みの日の重要な作業だ。
「家にあったのがこれだったから着てきたけど……ダメだった?」
今着ているのは忍服ではなく私服。実は洗濯済みの忍服が一着あったけれど、緊急招集をかけられた際に必要だからあえて着てこなかった。
忍服ではないとはいえ、動きやすい作りだから組手くらいならいいだろうと思って選んだけど、この服はよくなかったのだろうか。
「ダメっていうか……」
カカシは片手で頭を掻いた。言葉を選んでいるのか、右の黒目があちらへこちらへとさ迷っている。
「こういう鍛錬のときも、なるべく任務のときと同じ格好の方がいいと思う。服の丈やゆとりで、動きとか変わってくるでしょ。サホの忍服って、いつも首まで隠してるよね。だったらできるだけ、そういう服を着なよ」
説明されて、そういえばさっきも投げられそうになったときに、掴まれやすい服を着てしまった、とちょっと思った。
わたしとしては普段と変わらない動きができていると思っていたけれど、カカシから見るとそうではなかったのだとしたら、この忠告は有難く聞いておくべきだろう。
「そうだね。なるべく任務のときと似たような服がいいよね」
「ま、サホにも予定があるから、常に忍服ってわけにはいかないだろうけど……とりあえず、今度から組手をするときは、そういう服にしといて。じゃ」
カカシは急いでいるのか、その場で跳躍し、高い木の上から別の木へと移りながら去って行った。
頬は本当に大丈夫かなぁ。ちゃんと冷やすかなぁ。カカシならそういうことはちゃんと分かってるよね、と考えつつ、自主鍛錬でもしようと頭を切り替えた。
夕暮れに染まる里の大通りは、うまく人の流れに乗って歩かなければならない。
誰かの邪魔にならないように、ぶつからないようにと気をつけて進み、一軒の店に入る。
店内にはたくさんの服が吊るされ、畳まれ、陳列している。忍向けの服装を取り扱う店で、ここは主に女性物を扱っている。
カカシに言われたことを振り返りつつ、普段着ている忍服に近い物はないかと探してみた。
わたしの忍服は、実のところヨシヒトが選んだ服だ。
ヨシヒト曰く、美しさを重視しつつ、合理性を兼ねて選んだというだけあって、服に文句はない。どちらかと言うとわたしがヨシヒトに、その色の合わせ方はなっていないなどと文句を言われる側だ。
まったく同じ物を買って鍛錬用にするのも悪くないけれどと思いつつ、一つ一つ手に取り、これはどうかと考えてみても、なかなかピンとくるものがない。
「サホも買い物?」
店内の出入り口を背に、紅がすぐ傍に立っていた。彼女も服を見に来たのだろう。肩にかかっている黒い髪を背中へと流しながら、わたしの手元を覗いた。
「どんな服を探してるの?」
「いつも着てる服と似てるものを探してるんだけど」
「あら。せっかくだから普段と違う服も選んでみたらいいのに。いつもと同じじゃつまらなくない?」
小首を傾げて言われたら、そうなんだよねと心の中で同意してしまう。だけどこの店に入った本来の目的を見失ってはいけないと、口には出さなかった。
「組手とかするときは、いつもと違う作りの服を着ない方がいいって言われて」
「ああ。それはあるわね」
カカシに言われたことを説明すると、紅はすんなり納得した。
「この前の任務で一緒に組んでいた子も、たまたまいつもより服の裾が長いものを着ていて、それでうまく体を動かせなかったりしてたわ」
まさにわたしもそれに似た経験を、今日のカカシとの組手で感じた。
やっぱりよくあることなんだ。さすがカカシだ。それなら尚のこと、きちんと選んで買わないと。
「合わせのある服だったりすると、掴んで引っ張られたら乱れちゃうものね。下着が見えちゃったりして」
「下着?」
「そうよ。合わせのない服でも、例えばほら、サホの今の服だって。襟を引っ張られたら、下着の紐が見えちゃうでしょう」
紅の細い指がわたしの服の襟元を指す。今日の私服は普段より襟ぐりが広いから、グッと引っ張られたら下着の紐は見えるかもしれない。
でも引っ張られるなんて、そんなこと――
「あ……」
そうか。だからカカシはあのとき。気づいた瞬間、羞恥心で全身が震えた。
カカシが投げるのを止めて静止したのは。
わたしの拳をうっかり食らってしまったのは。
組手のときは普段通りの忍服がいいと言ったのは。
あのときのことが何度も頭の中で巡って、耐えきれずに両手で顔を覆った。紅から名前を呼ばれても返事すらできない。
恥ずかしい、恥ずかしいとひたすら繰り返すと共に、もう襟ぐりの広い服を着るのは控えようと心に誓った。少なくとも、カカシと組手をするときは、絶対に。