最果てまでワルツ | ナノ
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 オレたちを招集した言い出しっぺは、今夜も規則正しく早寝してしまった。
 酔っぱらって寝たせいか鼾がうるさくて仕方ないので、音を遮断する結界を張ってその中に転がした。こんなチャクラの無駄遣い、そうそうない。

「寝ても騒がしい奴だな」
「逆にあいつが静かにお利口さんで寝てると、それはそれで偽物っぽいよ」
「それは、そうだな」

 部屋主であるアスマが、閉じた戸の向こうで眠るガイへ呆れた目を向ける。『うるさくないガイ』というのは、どうにもしっくりこない。しかし、いざうるさいと少しは黙ってくれとも思う。いい奴なんだが玉に瑕がやや多い。

「主催のくせに一番に寝るなんてね」
「主役が起きてりゃ問題ない」
「それは、どうも?」

 何と返すのが正解か分からず、語尾を上げて返すと、アスマは鼻で笑った。


 一人暮らしをしているアスマの部屋へ来いとガイから誘われ――というよりほとんど強制されたのは数日前。
 以前のように三代目の迷惑にならぬよう、何かあれば受付所にでも伝言をと言い聞かせていたおかげで、騒動を起こすこともなく言伝を受け取ることができた。
 紙に綴られた指定の日時に赴けば、迎えたのはアスマのみ。ガイの所在を訊けば、直に来るだろうと部屋へ通された。
 しばらく待ったあと、酒に肉にとたらふく買い込んだガイがこの部屋に乗り込んだのは数刻前。『乗り込んだ』という表現が適しているほどに、呼び鈴をけたたましく連打し、

「オレだ! ガイだ!」

と、この集合住宅の全戸へ轟くほどに揚々と名乗った。
 アスマはドアを隔てた相手へ眉を寄せ、一言「帰れ」と言い放ったが、そんなことで怯むような奴じゃない。

「どうした!? 具合でも悪いのか!?」

 ドアノブをガチャガチャ回しながらの見当違いな返答には、肩を落として戸を開ける以外の選択肢はなかった。
 部屋を貸したのは間違いだったと、言葉にはしないが悔やむアスマの気持ちがありありと伝わってくる。
 しかしガイはそんなことに気づくわけもなく、買ってきた食材や酒を冷蔵庫の中へ次々に詰め込んだ。おかげでアスマの冷蔵庫は、いまだかつてないほどにぎっちりと物が保存されている。

「カカシとサホのめでたい日を、男同士で熱く祝おうじゃないか!」
「あ、そういうのわざわざ口に出さなくていいから」

 当人であるオレの意思はあっさりスルーされ、部屋の鴨居に『祝・恋人おめでとう!!』などと、力強い墨の字が躍っている紙の垂れ幕を下げた。気恥ずかしさと気まずさと居た堪れなさで、今すぐ帰りたくなった。


 祝ってくれるのは有難いが、正直あれこれと突かれるのは御免だ。他人のプライバシーを探るなんてやめてもらいたい。
 だからオレたちのことが噂として広まっても、事実であることは認めた上で黙秘を通した。あることないこと問われるのが鬱陶しくて、飲みに誘われてもすべて断った。
 どうせオレたちのことを酒の肴にするに決まっている。部下たちが集まって飲む際はテンゾウに金だけ渡して、最近はすっかりそういう場から離れていた。
 逃げ続けてもうどれくらい経っただろうか。オレたちの話もさすがに新鮮味をなくし、周囲のざわめきはやっと落ち着いて、オレとサホが二人で居ても刺さる視線はほぼ皆無だ。
 そろそろ断るのも止めようと思ったところで、ガイからの誘いがあったので来てみれば、本人は全くの善意ではあろうけれど、辱めを受けることになった。
 多少何か訊かれるだろうと覚悟はあったけれど、垂れ幕が目に入る度にこれはないでしょと、ここへ来たことに後悔ばかり募る。

 幸いにもガイはあれこれ訊ねたりはしない。青春とは何たるか、熱い想いがどうだとか、一方的に言いたいことを言っているだけ。下世話な探りもなく、純粋に祝福する気持ちしかないので、やかましい以外はさして不快ではない。
 アスマはオレの内心を読んでいるのか、騒ぐガイのせいで苦情が来ることを心配しているのか、静かにしろと制しては煙草を吸い、酒を飲むのみ。自宅なのにまったく寛げていないのは同情する。
 つまみたいものだけを自由に食べ続けた結果、テーブルの上には、あと一口分くらいしか残っていない皿が何枚もある。
 かわって、灰皿に積み上げられた煙草の本数は二十は下らない。
 そこにまた新たに一本、白く濁った煙をたなびかせ、火をすり消された煙草が加わる。

「ま、うまくいったんならよかったんじゃないのか」

 プルタブの開く音が軽快に響く。厳めしい髭をたくわえた顎を突き出すように、アスマはビールの缶を煽った。
 二回ほど喉を鳴らしてテーブルに置けば、まだ中身がたっぷり入っている底は、少し鈍い音を立てる。
 ガイが眠り、ようやくゆっくり話ができるといった様子に、さて何を突かれるのかと心だけ構えて待てば、「カカシ」と名を呼んだアスマの表情は、予想と違って目を鋭く尖らせていた。

「お前、本当にあいつのこと好きなのか?」
「……はあ?」

 間の抜けた声を上げると、アスマは「いや」と一度視線を落とし、煙草を口にくわえた。

「お前たちは、ちょっと……色々あっただろ。前からな」

 濁すような口ぶりは、何と形容すればいいのか分からない迷いを表している。
 『色々』が指し示す事柄は大変広く、複雑なもので、そこを取り上げられるとオレもふざけて返すことができず黙るしかない。

「色々あったが、くっついて収まって落ち着いたなら、それに越したことない。ただ……」

 続くはずだった言葉は、火をつけた煙草からたなびく紫煙と共に、肺へと押し込まれた。
 アスマの言いたいことは何か。『本当に好きなのか』などと問うということは、オレがサホへ向ける気持ちが、『世間一般でいう正しい恋愛感情なのか』というところだろうか。
 『正しい恋愛感情』というその枠に、オレの感情がきっちり収まっているか訊ねるならば、まずは基準を定めなければならないだろう。正しい恋心というやつを。
 しかしそれはどうやって決める? そんなもの、教科書や指南書に書いてあるわけもない。
 感情などというものは、いつも一つの答えを出すわけではない。指定された項目にいくつか該当するから『好き』、『嫌い』などとはっきり区別できるものではなく、『好き』も『嫌い』も混ざることだってあるだろう。

「好きだよ。ちゃんとね。腹立つこともあるし、ちっとも安心できないけど、それでもサホがいいんだ」

 好きは好きだ。この気持ちは、世間の男女が相手へ抱くものと何ら変わらないだろう。そこに、穏やかではないものがいくつか混じっているだけ。
 そしてオレたちは互いにそのことを理解している。だったら、アスマが危惧するようなことは起きない――と思う。

「そうか」

 短い返事はあっさりしたもので、唇で煙草を挟む表情は緩んでいる。本心かどうかは分からないが納得はしたようだ。

「一応、言っておくが。今までの女みたいに、手を付けてすぐに放り出すようなぞんざいな扱いだけはしてやるなよ」
「しないよ」
「分かってるさ。言ったろ、一応ってな」

 有り得ないことを忠告され、いささか尖った調子で返すと、本意ではないと跳ね返された。

「仕方ないだろ。お前には前科があるんだ。身内でまたゴチャゴチャされたらこっちだって困る」

 咎められ、藪蛇を突いた気になったが、恐らくオレはそう感じる権利すらもないだろう。
 アスマが言う『前科』は事実であり、オレは人から見れば『手を付けてすぐに放り出すようなぞんざいな扱い』をしてきたのだから、忠告を受けても文句一つ零すのもおこがましい立場だ。
 さらにサホとの確執で周りを巻き込んでいたことも踏まえたら、アスマの懸念は考えすぎなどと一蹴されるものではない。一言二言物申されても仕方なく、肝に銘じて真摯に受け止めるべきである。

「ていうか、できるわけないでしょ……」

 決意というより、『手を付けてすぐに放り出すようなぞんざいな扱い』という事象を起こす、その前提すら成り立っていないことを単純に指した呟きは、ろくに酸素に触れることなく口の中で転がった。



 先日、サホから誕生日のプレゼントを貰った。昔は四人で贈りあっていたが、オビトやリンが欠けてからはサホとまともに会話することすらもなくなり、プレゼントどころの話ではなかった。
 だから、サホに『今のカカシが好きものが知りたい』と言われて嬉しかった。
 あれだけ嫌って恨んでいたオレを知ろうとしてくれている。オレのことを知りたいと思ってくれている。
 オビトではなくオレを見てくれているんだという事実に、子どもみたいに喜んでしまうのを抑えて、『サホが好きなものが欲しい』と返したのは、やはりオレもサホの全部が知りたかったからだ。
 自分以外の誰かが知っているサホをなくして、繋がりを絶っていた間のことをくまなく埋めたい。誰かからサホのことを知るのはもうやめたかった。

 オレの希望を汲んだサホがくれた一冊は、数年前に発売された恋愛小説だった。
 話の中心は登場する男女の恋愛ではあったけれど、家族との関係、置かれている現状への不満や期待、日常に転がっている欠片を集めたような文章で構成された物語は面白かった。
 恐る恐る、どうだったかと問われ、正直にそのことを伝えるとサホは破顔した。
 自分が好きな場面、好きな文章。こう思った、ああ思ったと、本の魅力を語る表情から目が離せなくて、肝心の内容は実はほぼ覚えていない。サホが自分に笑い、好きなものを語る姿に慣れなくて、ついそちらに意識がいってしまう。

 その戸惑いもなくなって、気が緩んでいたのだろう。
 いつものようにサホの部屋に明かりがついていたので、隣の自室ではなくそちらへ帰った。
 サホは今夜中に確認しなければならない書類があるということで、オレは邪魔にならないよう、定位置のソファーでサホから借りた本を読んでいた。
 サホが所有する本は、オレが手に取らないものが多いので、それはなかなか面白かった。しかしその夜に貸してもらった本は、どうもつまらない。恐らく文体が気に入らない。
 読めないことはないが退屈になってしまったオレは、口直しがてらポーチからお気に入りの一冊を取り出した。
 やはりこの本はいい。何度も読んで馴染んでいる文体に、実家に帰ったような感覚でホッとする。物語の展開は覚えているのに、一行読めばあっという間に数ページ進んでしまう。
 先ほどの本への退屈な思いを吹き飛ばそうと、普段よりずっと本に集中してしまったのがまずかった。
 ふと気づけば、サホの顔がこちらを向いていた。その両目が捉えているのは間違いなくオレが手にしている本。
――まずい。動揺から、本の表紙を支える指が動いて、サホの目も本から上がり、オレと視線を絡ませた。

「……書類、終わったの?」
「……うん」

 声を潜めて訊ねるオレに、サホは頷いた。
 そうか。終わったのか。
 うん。それじゃあ、読書は終えよう。
 本を閉じ、何事もなかったかのようにポーチに仕舞おうとすると、

「あ、カカシ」

と声をかけられ、後ろに手を回した状態で動きを止めてしまった。

「なに?」
「その本、カカシがいつも読んでる本だよね?」

 そうだよ。オレの愛読書だよ。今のところオレの人生の中で最高の本だよ。返事は脳内でだけ済ませたが、サホの質問は確認みたいなものだったので、恐らく明確な答えは必要ではない。

「イチャイチャ……パラダイス? なんだかスキップしそうなタイトル」

 でしょ。オレも最初はそう思ったんだよ。気が合うね。ははは。口は一向に動かないくせに、頭の中ではやたらお喋りだ。
 すでにタイトルはばっちり見られているが、ささやかな抵抗としてそっと背に隠した。しかしサホの視線は本を持つオレの腕に注がれたまま。
 このままポーチに仕舞えばいい。何事もなかったように振る舞えばいい。しかしこうも凝視されているとやりづらいというか、下手に身動きが取れない。

「……読みたいの?」
「いいの?」

 声を潜めて問うと、サホの顔がパッと明るくなった。
 よくはない。というか、問うただけで差し出したわけではない。
 けれどサホはもう読めるものだと踏んでいるし、期待に満ちた眼差しを向けている。
 悩んだ末、腕を前へ戻した。両手で本を取ったサホは「ありがとう」と礼を言ったあと、ようやく手にできたと言わんばかりに表紙をじっくり眺めた。

「『自来也』? これ、自来也様が書いた本なの?」

 筆者のことを訊ねられ、声を出す気力もなく頭を振って頷くと、見知った人物が作者ということに対し感嘆の声を上げたあと、静かに表紙を捲った。
 手渡したのはイチャパラの上巻だ。冒頭にそういったシーンはなく、まずは主人公たちの軽い紹介などから始まっていく。
 だからページを捲るサホの指もスムーズだったが、20ページも進んだ頃だろうか、そのスピードが鈍くなった。恐らく致しているシーンに入ったのだろう。明らかにペースが落ちて、時には指を挟んで軽く閉じることもあった。
 それでもサホはなんとか文章を追っていったが、全体の半分も辿り着かないところで、ページを捲る音は完全に途絶えた。
 サホはイチャパラを持ったまま沈黙し、少し俯いている。表情が窺えないのが怖いが、知ってしまうのも怖い。
 どう思っただろうか。本の内容もそうだが、その本を愛読しているオレに。
 軽蔑された? 気色悪いと思われた? ああ、やっぱり読ませるんじゃなかった。
 後悔に苛まれている間も、サホは何の声も発しない。

「……サホ?」

 心配が勝り、体を傾けその顔を覗いてみた。呆然とした顔は真っ赤で、オレが視界に入ったことに気づくと、口元を手で隠してサッと目を逸らした。

「こ、これ……本当に自来也様が書いたの?」

 不自然に跳ねた声が、再び筆者の確認を取る。いわゆるゴーストライターが書いた作品の可能性もなくはないが、元々物書きであることを考えると、これはやはり自来也様本人が綴った物語だろう。

「そうらしいよ」
「そう……。こんな、お話書くんだ……」

 本の中身を『こんな』と称したサホは、イチャパラをオレへと突き出した。

「ごめん。ありがとう」

 礼は本を貸したことに対してだと分かったが、謝罪は何に対してなのかうまく掴めなかった。読ませてとせがんでおいて、最後まで読めなかったことに対する詫びだろうか。

「……もういいの?」

 まだ物語は始まったばかり。しかもこれは上巻。ここから色々あって、あと二冊でようやく完結する。ポーチの中には中巻も下巻も揃っている。
 読ませたくはなかったが、どうせ読まれるのなら最後まで読んでもらいたい、という気持ちがわずかにあった。
 イチャパラはただの官能小説ではなく、人生の、その横で通り過ぎていく感情や思いに目を向けたくなるような、そういう気づきのある作品だ。
 もうこうなったらいっそイチャパラの良さを知ってくれとまで思い始めていたのに、こんな序盤で止めるなんて。
 オレの問いに、サホは口を手で押さえたまま、熱が回って赤くなった首を弱々しく振る。

「もう、むり」

 吹けば消し飛んでしまいそうなほど小さな声は、堪えれないと自身の限界を告げた。



 ちょっと考えてみれば分かることだった。
 サホは少し前までオビトを好いていた。幼少期よりオビト一筋にも関わらず、想い人の死という絶対的な別れによってその青い恋は実ることはなく、他の男に懸想されても断ってきたゆえに、サホの恋愛経験値というものはないに等しい。
 貸してもらった本は、どれも致している描写はうっすらとしか表されておらず、行為があったこともたった一行の説明で終わらせてしまうようなものもあった。
 一度だけ、サホが自ら服を脱いでオレに迫ったこともあったが、精神的にも不安定な時期だったし、自暴自棄に突き動かされた衝動的な言動だったと推測できる。
 交際経験もなく、背中の火傷のおかげで色任務を受けることもなかったため、サホにとって性行為というものはとんと縁の薄いものであり、知識はあったとしても経験は一切ない。所有の本の描写がどれも曖昧なら、漠然としたイメージしかないだろう。
 しつこく丁寧に説明し、表現される官能小説は、サホにとって刺激が強すぎた。
 しかもそれを、オレが居る前で読み続けるなんて、そりゃあ堪えられないだろう。
――つまり何が言いたいかというと、オレとサホはいまだに一線を越えたことなどない、ということだ。

「まあ、あれだけ女の上を跨り歩いたお前がようやく落ち着いたのは、いいことだな」

 新しく一本を取り出し火を点け、アスマは肺にたっぷり煙を充填すると、勢いよく吐いていく。口寂しい男だ。

「下品な言い方しないでくれる?」
「下品なことしてただろ?」

 反論ができずに言葉を詰まらせると、アスマはしてやったりという表情で笑った。ヤニ臭い武骨なそれが、女にはたまらないらしい。もしオレが女だったとしても、絶対こいつを好きになんかならないとたった今決めた。
 実際に行為まで至った相手はいなかったが、第三者から見ればオレはそう捉えられて仕方ないことをした。
 サホからもオレがそう見えているのは知っているが、特に否定も言い訳もしていない。否定はしたいが、その過去も理解しオレを受け入れてくれたなら、一先ずは自ら掘り返す気はない。

「サホとはなぁ……」

 ため息とも判別つかない呟きは、多量の煙と共に、暗に意外だと含んでいた。

「趣味悪い、みたいな目」
「そういうつもりじゃねぇよ」

 見た感想をそのまま口にすると、アスマは喉を鳴らすだけの小さな笑い声を立て、先端の灰を皿へと落とす。

「お前には惹かれるものがあったんだろうが、小さい頃から知ってるせいで、オレはいまいち、あいつをそういう対象には見れないからな」

 アカデミーからの同期は二十年近い付き合いになる。長い付き合いで形成される関係は友人や腐れ縁を作り、兄弟に近しい存在になることもある。
 アスマにとってサホは恋愛対象から外れてしまっているのだろう。オレも紅などはそういった対象に見られないから理解できた。

「惹かれるものねぇ……」

 改めて考えると、これ、というものはすぐには出てこない。
 好きだと思う気持ちは確かだが、具体的に『ここがいいから好き』と説明するには、どれも相応しい言葉が決まらない。アスマに話すこと自体も気恥ずかしさがある。
 アスマに話せるような、サホのいいところ。

「そうね。殺しても死ななさそうなところかな」
「はあ?」

 ピンとくるものが頭に浮かんで言うと、ただでさえ大きな口をさらに開け、威嚇するかのように眉を寄せて腹から呆れた声を上げた。

「サホって、意地でも『生きてやる』っていう気概があるからさ。きっと長生きすると思うんだよね。長寿タイプって言うの?」
「はあ……」

 説明が足りないかと足してみても、アスマの眉間の皺は刻まれたままで、今度は気の抜けた声を漏らした。

「そういう、しぶとく生きてくれそうなところ、いいよね」

 母に父、オビトにリン、ミナト先生やクシナ先生。オレのかけがえのない人たちは、呪われたように死んでいった。
 そうして一人になったオレに、サホは、オレが死ぬまで死なないと言い切った。オレが死んでも許さないとも言った。
 そんなサホに、オレはどうしようもなく安堵を覚えたし、サホだけは傍から消えないでいてくれるのだと拠り所にして縋っている。
 サホが生きるのは恨むためで、オレを生かすためで、オビトの目のためで。
 そして今は、オレと生きるためでもあるなら。

「まあ、女版ガイみたいなもんか」

 アスマは自分なりに解釈した結果、『女版ガイ』などという不吉な名称を付けた。

「ちょっと。ガイと一緒にしないでよ。あいつは暑苦しいし、オレが死んでも手を合わせて冥福でも祈ってくれて、オレの分まで里を守るだとか何とか言ってくれるだろうけどさ。サホは本気で、オレが死んだら殺してやると思ってるんだからね」

 女版ガイなんかじゃない。というか、女版のガイなんて言われたら、サホの顔にあいつの濃い影がチラついてしまう。オレに安息の地がなくなる前に、今ここできっちり否定しておかねばと語気を強めると、

「はあ? 死んでるのに殺すって……」

アスマは不可解な表情で、理屈に沿わない言葉を繰り返した。
 死人を殺すなどできない。すでに息絶えているのに再度とどめを刺すなど意味が分からないだろう。

「そうだよ。死んでるのに殺しに来てくれるの。最高じゃない? 死んでもまた会えるんだから」

 もしオレがうっかり死んでしまっても。きっとサホはまたオレに会いに来てくれる。非合法の手段で、倫理も禁忌も厭わずに。
 勝手に死ぬなんてと責めて、約束も守れないクズだと罵倒しに来るのだとしても、死んでも会えるなんて、こんな幸運なことはない。
 ようやくオレの意を汲んだのか、アスマは「まあな」と呟いて煙草をふかした。いつの間にかアスマも、死に別れた相手を何人もその胸に留めている。オレと同じことは考えずとも、理解できる部分はあるはずだ。
――遠吠えが聞こえる。長く、短く、短く、長く、短く。静かな夜にそれはよく響いた。

「じゃ、帰るね」

 床に手をついて胡坐を解き腰を上げ、外していた額当てやベストを手に取る。

「おい。あいつはどうするんだよ」
「転がしておけばいいんじゃない?」

 寝室の方を顎でしゃくってアスマが問う。生憎と男を背負って帰るほど物好きではない。可哀想だが今夜はむさくるしい男と二人で過ごしてほしい。
 恨みがましい視線を受けながら玄関から外へ出ると、夜の冷たい空気が肌を刺した。気づけばそろそろ深夜だ。これからどんどん冷え込んでくる。
 アスマの部屋を背にして足を進めたが、すれ違う者はほとんどいない。いないことはないが、賑わう昼などなかったかのように、出歩く人の姿は稀だ。
 黙々と目指す先は自宅――ではなく、里の出入り口である大門。日中は人の往来で賑わう門扉が、遠目からでもかたく閉ざされているのが分かる。
 その大きな門柱の傍に、犬が一匹。オレを認めると尻尾を振って短く吼えた。

「グルコ、ありがと」

 礼を言って頭を撫でてやると、グルコの糸目は一際細くなり、煙と軽い音を立てて消えた。
 さて、とその場でしばらく待つ。
 立ち始めて数分後。閉め切った大きな門から少し離れた、小さな門扉が音を立てて開いた。
 一人、二人と木ノ葉の忍が里内へと入る。大門が締まっている際は、脇の小さな門から出入りすることが定められている。もちろん簡単に開く仕様ではなく、多重結界など様々な術を利用し、木ノ葉の忍以外が通ることは不可能となっている。
 帰還してきた忍の、その最後尾。一番後ろの四人目が門扉を閉じたあと、仲間に向けていた顔をそのままこちらにやり、そこでオレの存在に気づいた。

「カカシ? こんなところでどうしたの?」

 目を丸くしたサホは、仲間に何か告げたあと、小走りでオレの下に駆け寄ってくる。一つにまとめている髪にわずかな乱れはあるが顔色は悪くなく、むしろ先ほどまで移動を続けていたからだろうか、頬は少し赤い。

「おかえり」

 改めて問おうと口を開くサホを、遮るように出迎えの言葉を送る。虚を衝かれた顔をしたあと、はにかんでみせた。

「ただいま」

 そう返したあと、待機している仲間の方を振り向く。オレたちとそう歳の変わらない顔ぶれは全員中忍だ。

「みんな、ここで解散ね。先に式は飛ばしてあるし、あとはわたしが改めて報告に行くから」

 今回の任務で組んでいたメンバーはそれぞれに顔を合わせたあと、一度深く頭を下げる。

「ではお先に失礼します」
「かすみ隊長もお疲れ様でした」
「お疲れ様。ゆっくり休んでね」

 手を振るサホに見送られ、仲間たちは通りを歩いて行く。「腹が減った」と誰かが言い、まだ開いている店へ行こうと舵を取った。
 全員くたびれた様子ではあったが、無事に里へ戻ったことに心から安堵しているのか、表情は穏やかだ。

「予定だと五日前には帰還じゃなかったの?」

 サホが任務で里外に出たのは、およそ三週間前。任務の仔細までは知らないが、本来であれば五日前には帰還すると言っていた。
 だというのに、サホは予定を過ぎても帰ってくる様子がなく、気になって調べてみれば、想定外のことが起きて若干遅延していると、事前に連絡があったらしい。

「少しトラブルがあって。でも任務は達成できたから」
「そっちの心配はあんまりしてないけどね」

 任務の遅延はよくある話で、サホが今回受け持ったBランクにもトラブルが起きることなど珍しくない。サホは腐っても上忍だ。中忍も連れているし、Bランク程度なら任務自体はやり遂げられる。
 オレが心配したのは、任務が完遂できたかではない。

「何もないよ」

 サホは笑んだ。オレを安心させるために。
 任務中は必ず嵌めているグローブを外した手が伸びてきて、右の頬に添えられる。柔らかくはあるが、タコがあって滑らかな手とは言えない。けれど温かさが心地よい、美しい手だと思う。

「死なないよ」
「分かってる」

 思考を読んだように、サホは欲しい言葉をくれる。

「オレが死ぬまで、死なないでいてくれるんでしょ」

 オビトの目と、意志を継いだオレを見張るために。
 いつか一緒に地獄に行くために。
 理由はもう何でもよくて、オレの傍でずっと生きてくれるなら、それでいい。

――こわい。

 オレも忍だ。些細なことが引き金となり命を落とすことを知っているから、サホが里を出ている間は、いつも心臓を取り上げられた気分になる。
 『死なない』と、たとえ夜毎言い聞かせられても。
 いつも里に帰ってくる姿を見つけても。
 死んでもきっとまた会えるとしても。
 この恐怖だけはいつまで経っても拭えない。
 頭や心で分かっていても、ひたひたと追ってくるような黒い影から逃れられない。

 サホが死んだらどうしよう。この手が冷たくなってしまったら。

 一回り小さな手に自分のそれを重ねて、ぎゅっと押さえた。
 このままずっと手放さなければ、サホはどこにも行かない。
 現実として無理だと承知だが、願わずにはいられないくらいに、失うのが怖い。
 顔をずらし、掌にマスク越しの唇をつけた。この手は里に尽くした。時には部下に指示を告げ、時には庇い、誰か傷つけたかもしれない。
 そしてこの手はオレの心を生かしもするし、殺しもする。

 どうしようもないこの不安は、一体どうすれば消えるのだろう。

 掌から手首へと、なぞるように落ちていけば、皮膚の下の血管に触れる。意識を傾け振動を探れば、トクトクと流れる音も聞こえてきそうで安堵する。
 つい、と口先で食むと、驚いたようにサホの指が動いた。唇をつけたまま右目だけでその顔を見ると、それまでされるがままだったのに、急に戸惑っている。
 太い血管がある場所だ。そこを不用意に触れられるのは、本能が拒んでも仕方ない。獣に牙を立てられているような、そんな感覚を。
 その顔に、腹の底がずくんと呻く。

 サホのすべてを知り尽くしたら、そしたら埋まるのかな。

 オレが死ぬまで死なないと言うサホは、その命をオレにくれているも同然だ。それは一種の、最上の愛ではないだろうか。
 しかしそれでも満たされない。視線も隣も命もオレにくれても、まだ欲しいと思う。
 押し当てていた口をわずか開いて、歯を軽く立てる。一枚布を挟んでいても、歯の硬さは十分に伝わるだろう。ぎゅっと手や腕が強張って、サホの喉からオレの名を呼んだような、かすれた声が漏れた。

「――帰ろう」

 唇を離して、空いている片方の手で握り直し、並んだ部屋のある方へと足を踏み出す。
 サホは引かれるがままオレの隣に並ぶが、歩くオレと違い小走りだ。早く部屋へ、と無意識のうちに歩幅が大きくなっていたようで、急くみっともない自分に気づいて普段のようにサホのペースに合わせた。
 少し顔を傾け窺えば、合わさった目は揺らいで逸れた。普段は機微に疎いのに、こういうときだけ察しがいいなんて、かわいそうに。
 怖いだろうね。でもオレも怖いんだ。だからそろそろ諦めてほしい。
 頭や心で抑えられない恐れを拭うには、渇いた体に言い聞かせるしか、もうないのだから。



逃げそこなう女

20200805


【掌:懇願 手首:欲望】

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