最果てまでワルツ | ナノ
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「#エロ」のBL小説を読む
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 寝つきはよくも悪くもない。強いて言えば慣れない場所での眠りは浅くなる。それは忍者に限らず、誰でもそういう神経質な面はあるだろう。
 慣れない部屋の、慣れないソファー。沈黙した室内に響く本のページを捲る音、あるいはペンを走らせる音。時々立てられる衣擦れの音や、カップをテーブルに戻す音。
 目は閉じると得られる視覚情報は何もないが、見えないからこそ、肌も耳も普段以上に神経が冴えてしまう。
 どうしたものかと、瞼を下ろしたまま、過去の自分を恨んだ。


 あの夜。その日に探っていた抜け忍に動きがあったようで、暗部のいくつかの班が招集され、追い忍たちと共に里外へと出た。
 他の部隊と共に、夜通しそいつらを追跡し、朝も昼も夕も過ぎた辺りでようやく捕縛に成功した。オレの写輪眼で幻術をかけ、里で待っていた尋問部隊に引き渡した頃には、月は夜空にすっかり上っていた。
 丸一昼夜、睡眠はおろかまともに休むこともなく動き続け、体力の消費は大きい。写輪眼も使った。また寝込むほどではないが、早く部屋へ戻り体を横にしたい。
 空腹感もあるが、弁当屋はもう閉まっていたし、店に入って食べるのも落ち着かない。
 部屋に備蓄していた食料を思い出しながら歩き続け、ようやくマンションの敷地に足を踏み入れ見上げると、昼間に日光を多く取り込めるよう並んだ窓には、人の気配を感じる明かりがいくつか灯っていた。
 その明かりはオレの隣室の窓からも漏れていて、無言で住人の在室を告げている。
 サホが居る――と思うと、階段など見向きもせずに跳躍し、隣室のベランダに足を付けた。
 窓を前にし、そこでやっと自分の短絡的な行動に驚き、どうするべきか思案した。
 そのまま自室のベランダに移ってもいいが、窓には鍵がかかっている。このベランダを後にして玄関の方へと回るのが正解だと分かってはいるが、離れ難くもあった。
 顔を見たい。今夜もここに居るのだと、目で見て確かめたい。しかしもう遅いし、いきなり訪ねるのはさすがにまずいか。しかもベランダから。明かりをつけたまま寝ている可能性もある。寝られているなら起こすのは忍びない。
 逡巡している間に、気配を察したらしいサホがカーテンを引いて顔を見せた。オレの唐突な訪問に目を見張って驚きはしたが、カーテンを端にまとめるとカラカラと窓を開ける。

「……どうしたの?」

 静かに、探るように訊ねる様子に、ベランダからの訪問を咎める気は感じられなかった。単純に『用があるのか』という質問なのだろう。
 どうしたの、と問われても。何と返せばいいのか分からなかった。
 それでもなんとかそれらしい答えを考えてみようとしたが、疲労でうまく頭が働かないためか一向に浮かばない。
 数分に満たない沈黙の後、

「虫とか、入ってくるから。入るなら入って」

とサホが掃き出し窓から少しずれて、オレに入れと促すので、言われるまま部屋に上がった。
 天井に備えられた照明から落ちる光は弱い。低いテーブルの上には湯気の立たないカップに、閉じられた文庫本。本を読むにはもう少し明かりを足した方がいいのではないかと、余計なお節介が湧いた。

「どうかしたの? 何かあった?」

 窓とカーテンをきっちり閉じたサホが、背後からまた訊ねる。なぜ来たのかと問われているだけなのに、胸が苦しくなってくる。
 何か用がなければ来てはいけないのか。
 だってオレたちは、昨夜、この部屋で。

「……ソファー、借りるね」

 了解を得る前に、テーブルの前に置かれたソファーに体を横たえた。オレが寝るには長さが足りず狭い思いはするが、やわらかな反発は何ともいえない心地よさがあった。
 背もたれに顔を向け目を閉じると、強烈な眠気で全身から力が抜けていく。堪えていた疲労感が再び全身を巡り始め、もう身を起こす気がしない。

「何か用があったんじゃないの?」

 戸惑う声が、尚も用件を問う。答えるべきだと分かっていても、眠気と不貞腐れた気持ちが上回った。
 相槌だけはなんとか打ったが、左目の疲労がオレに眠れと命じて、それ以上声を上げることはできず、すぐに何もかも手放した。

 そうしてその夜は、意図せずしてサホの部屋に泊まってしまった。
 明け方に目を覚まし状況を確認し、思考力が回復した頭を抱えた。いくら疲れていたからといって、勝手にソファーで眠るなんて。
 サホにはどう説明しよう。徹夜で任務に当たっていて眠たくて寝てしまったと言うか? だったら自室で寝ればいいだろう。オレの部屋は隣だ。壁一枚分の距離だ。この部屋を訪ねた理由にはならない。
 何と言い訳すべきか考えた末、オレは言い訳することから逃げた。
 寝ている間に掛けられていた毛布を畳み、ベランダの窓をそっと開けて部屋を出て、自室へようやく帰宅した。
 自分のベッドに横になり、天井を仰いでその木目を眺め、気は進まないが眠る前のことを振り返る。
 サホは夜分遅くの訪問を拒まず、いきなり寝始めたオレを起こして叩き出すこともなく、毛布をかけて寝床を提供した。疲れている同僚への気遣いとしては、まあ考えられる範囲ではある。


「どうかしたの? 何かあった?」


 『訪ねる』というのは当然、何かしら理由があってのものだと思うのはおかしなことではない。だからサホはしきりに『何の用なのか』と問うていたし、問いたくなる気持ちも理解できる。
 訪問理由を問われることは当然だと分かっているのに、何度も訊ねられることが無性につまらなく感じたのは、悔しく気恥ずかしかったからだ。
 オレはサホの部屋に明かりがついているだけで、自室ではなくサホの部屋へ、階段も玄関もすっ飛ばして明かりのすぐ傍へと駆けてしまった。
 けれどサホは、あくまでも『用事があったから来た』としか捉えていなくて、自分ばかりが急いて落ち着かなくて、滑稽に思えた。
 立派な名目になる用がなければ部屋を訪ねるのは、会おうとするのは、不自然だろうか。
 あの夜、共に地獄へ落ちると誓って抱き合った。そんなオレが、会いたいというだけで会ってはいけないのか。
 里ではなく、部屋ではなく、ただ一人の下へ帰りたいと、サホは思ってはくれないのだろうか。



――あれから、不貞腐れた気持ちを抱えつつも、明かりを見れば足を伸ばしてしまうことは止めれず、何度もサホの部屋をベランダから訪ね続けた。
 サホはオレが来るたびに用件を問うが、まともに返したことはなく、ソファーを借りる旨だけ伝え、ただ眠るだけ。
 すぐに寝付くわけではなく、しばらくは耳や鼻で室内の動きを窺えることもある。たまにサホがため息をつく音を拾うと、居た堪れなさが募るが、それでも行くことはやめられなかった。

 幾度目かの折、とうとう訪問理由への強い追及を受け答えたときは、顔から火が出るかと思った。お前の傍へ帰りたかったからなど、まるで恋愛小説の自分に酔った主人公みたいだ。
 しかしサホもまた、オレたちの関係に疑問を覚えていたと知り、そういえばあれ以来、まともに話をしていなかったことにもようやく気づいた。
 遠回りする癖が抜けていないなと自嘲すると共に、自分のことばかり考えていたと反省した。褒められたものではない過去の振る舞いにも後悔しかない。
 オレたちの関係に相応しい名前はあるだろうか。恋人というには物騒で、同僚というには情が重く、友人というには近すぎて、仇というには愛しい。
 本当の意味などオレたちが知っていれば問題ないが、それらをいちいち説明するのは面倒だ。酒瓶や資料箱に貼られたラベルに倣うと、『恋人』という名前が一番分かりやすく、世間からの干渉も受けにくいと、オレたちは改めて互いのそういう位置に収まった。

 恋人ならば、会いたいというだけで部屋を訪ねるのは十分な理由になる。
 オレはそれからも、隣室の明かりを見つけてはベランダに降り立った。
 不在でない限り、サホはいつも窓を開けオレを迎え入れ、ソファーで寝ることを許した。書類仕事をしながら、勉強をしながら、道具の手入れをしながら、オレが眠るまで取りとめもない話をして、手を伸ばせば届く場所にいつも居る。
 壁一枚なのに、険しい山脈を越えるより厳しく思えたサホの部屋は、オレにとってもうすっかり通い慣れた居場所の一つになった。



* * *



 一日非番だったため早朝から鍛錬を重ね、軽い昼食のあと何軒か本屋を回り、陽が西に沈み始める頃には家路についた。
 照明をつけ、ベッドに寝転がって買った本に早速手をつける。堅苦しく整えられた文章を半ばまで読み進めたあたりで、空腹を覚えた。本に夢中で気づかなかったが、帰宅してから大分過ぎていたようだ。

「作るか……」

 本屋を回り終えて、商店に立ち寄り食材の購入は済ませている。いつも日持ちするものメインで買っているが、久しぶりに魚を焼くつもりでいたんだった。
 会計時に挟まれた、薄っぺらい栞で目印をつけてから本を閉じ、ゆっくり身を起こす。座したまま作業工程を頭の中で組み立てていると、唐突な気配を近くで感じた。
 普段は物置きと化している部屋の方からだ。慎重にベッドから足を下ろし、音はもちろん気配を殺し、隣の部屋へ移る。
 前に開けたのがいつだったか定かではないほど、常に閉じているカーテンの奥は、掃き出し窓とベランダ。
――コンコン、とガラスを叩く音と、ようやく気配の正体に気づいて、すぐに遮光の幕を横へと引く。
 いつの間にか夜を迎えていた里を背に、額当てに木ノ葉のベストを羽織ったサホが、随分と掃除を怠っているベランダに足をつけ立っていた。

「サホ」

 ガラス越しに名を呼ぶと手を振る。鍵を外して窓を横へ引くと、桟に埃が詰まっているのか滑りは鈍い。

「よかった。あっちの部屋が明るかったから居ると思ったけど、シャワーとか浴びてて気づかれなかったらどうしようって、ちょっと焦っちゃった」

 ホッと息を吐くサホが言う『あっちの部屋』は、普段から主に使っているもう一つの部屋を指している。忍服姿と、明かりで在宅の有無を確認したということからして、任務帰りでそのままここを訪ねてきたのだと思う。

「何かあった?」

 サホがオレの部屋を訪ねることもあるが、そういうときは呼び鈴を鳴らし、ちゃんと玄関から入る。いくら慌てていてもベランダや窓から顔を出したりしない。
 こんなところから姿を見せるのは何か事情があったのではと問うと、サホは一度目を足元へ落としたあと、言葉を選ぶように軽く頭を巡らせる。顔の端にかかる髪を後ろへ流しながら、ようやく正面を向いた。

「カカシは、いつもどんな気持ちでわたしの部屋に来てたのかな、と思って」

 恥ずかしいのか、視線は少しずれて、はにかんだ笑みを浮かべる。
 一瞬虚を衝かれたが、サホの意図が面白くて、オレの口も勝手に緩んだ。

「どうだった?」

 一先ず感想を訊ねると、サホは先ほどと似たような仕草を取り、小さく唸ってしばし考え、

「わたしはやっぱり玄関だなぁ」

と結論を出した。どうやらベランダからの訪問はお気に召さなかったらしい。

「行儀いいね」

 正しい出入りを選ぶ真面目さがサホらしいと、腕を組み揶揄混じりで評せば、含んだからかいを察してか、サホは腰に手を当て、口をわずかに尖せる。

「だって、いけないことしてるみたいじゃない?」

 サホの言うとおり、マナーとして考えるなら、玄関以外からの訪問はよろしくない。たとえ気安い関係だとしても、『親しき仲にも礼儀あり』と言う。

「オレは好きだけどね。いけないこと」

 端に寄せたガラス戸に手をかけ、サホの方へ体を傾ける。グッと近づいたことで、サホの目が丸くなり、口がへの字に引き結ばれたのが、暗い夜の中でもよく見えた。

「……昔のカカシが聞いたら怒りそう」

 唐突に過去のオレ自身を引っ張り出され、予想外の返しに自然と笑い声が喉からこぼれた。
 子どもの頃のオレは、とにかくルール重視だった。状況がどうあれ、里の忍として不適切な行動は決して取らないようにとばかり考え生きていたし、他人にも強いていた。
 あの頃のオレが今のオレを見たら、睨むどころの話ではなさそうだ。想像もできなかった自分を受け入れることすら難しいかもしれない。

「昔のオレなら、サホとこうなってる方に驚いて、怒る余裕なんてなさそうだけど」
「ああ。そうかも」
「ま。それはそれとして」

 意識して声のトーンを一つ上げ、納得するサホの思考を一旦断ち切る。背丈が違うため目を合わせるとなるとオレは少し下を向くし、サホは見上げる形になる。
 額で鈍く輝く、木ノ葉の印が彫られた鉢金。下忍になったその日から、サホと共に時を刻んできたそこには、小さな小傷も刻まれている。

「おかえり」

 出迎えの言葉なんて何年も口にしなかったから、もしかしたらひどく不格好な発音になってしまったかもしれない。
 サホは鳩が豆鉄砲を食らったように、うっすら紅を引いた唇を開けて静止した。真ん丸とした目には、よく見ればオレがそのまま写っているかもしれないが、いくら近くても夜の今は確かめることが難しい。

「……ただいま」

 小さな返事のあと、気恥ずかしそうに瞳は少し伏せられた。庇のような睫毛のその長さにまで愛しく思う自分が不思議でたまらない。
 帰る場所があることは幸せなことだ。しかし帰る場所であることもまた、幸いなことだ。
 サホがオレの帰る場所であるなら、オレもサホにとってのそうでありたい。これはきっと、愛しているの一つなのだろう。



帰りたい場所

20200613


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