今日のご飯は何かな。昨日は煮魚だったから、今夜はお肉かも。
「カカシ! さあ、今日は何で勝負だ!?」
「もう夕方なんだし、さっさと家に帰れ」
曲がり角に差し掛かると、左の道から声が響き、二つの人影がわたしの前に出た。
「あ……」
「――サホ」
お互い顔を合わせ足を止める。はたけくんの横にはガイくんの姿があった。
「おっ。誰だ? 知り合いか?」
「お前……ホンットに人の顔を覚えないんだな……」
ガイくんはきょとんとしていて、本当にわたしのことなんて覚えていないようだ。以前会ったときから日は経っているとはいえ、一応元クラスメイトという、初対面の相手よりも近しいところにいると思うのだけど、そういう理屈はガイくんには通じないのだろう。
「元クラスメイトの、かすみサホだよ」
「おお! そうだったのか! すまないなサホ! サホ、サホ、サホ……よし、覚えたぞ!」
「それ、この前もやったから」
「なにぃ!?」
前回とほとんど同じやりとりを繰り返すと、はたけくんが冷めた目でガイくんを見る。わたしは苦笑いをするしかない。
「ガイくんたちは、これから勝負なの?」
「おう! 今現在、オレとカカシの青春は一勝五敗だ!」
何となく『はたけくん』と、はたけくんに声をかけるのは躊躇われたので、ガイくんに向けて問うと、ガイくんは拳を握り締めた。なかなか勝負してくれないと言っていたけれど、受けてくれるようになったらしい。
「昨日の勝負は特に熱かった。オレの闘志とカカシの闘志が、行ったり来たりの大混戦だったな」
「ただのあっち向いてホイでしょ」
熱く語るガイくんに対し、はたけくんはあくまでもクールだ。あっち向いてホイを、そんな風に表現できるガイくんは、ある意味語り上手かもしれない。
「何を言う! どんなときでも、ライバル対決は『ただの』勝負ではない! 男同士の熱い魂と、勇ましさと、雄々しさがぶつかり合う、崇高な勝負だ!」
「崇高ねぇ……」
呆れているのか、冷めているのか、そのどちらでもあるのか。はたけくんはため息をつきつつ、手で頭の後ろを掻いた。
「とにかく。昨日は付き合ったんだから、今日は諦めろ。大体オレは任務帰りで疲れてるんだ」
「任務帰りがなんだ! 常に万全の態勢で挑める勝負では青春にならんぞ!」
「ガイは元気でオレは疲れてる。その状態で勝負しようなんて、男としてどうなの?」
断るはたけくんに、ガイくんは引き下がる気はないと迫るけれど、『男としてどうなのか』と問われて怯んでしまう。
「なっ、なにっ?」
「疲れてる相手に挑んで勝とうなんて、男としての器が小さいんじゃない」
「何を言う! オレは小さくなんてないぞ!?」
「どんぐり」
はたけくんがその言葉を発した途端、ガイくんは一瞬で真っ青になって、それから真っ赤になった。さきほどまで全身で色々とアピールしていたのに、ぜんまいが切れたおもちゃのようにピタリと動きが止まっている。
「ひ、ひ、卑怯だぞ!」
「いいから早く帰って寝なよ。寝る子は育つって言うでしょ。でかくなれないぞ」
「で、で、でかっ……! く、くそぅ! くそぉおおお!!!!」
ガイくんは悔しがりながら、わたしたちの前から走り去った。真っ赤な顔で、大量の涙を流して、叫びながら走るガイくんの姿ははっきり言って異常だ。
見送る形で取り残された、わたしとはたけくん。
「『どんぐり』って……?」
「……サホには関係ないから」
興味の赴くままに訊いてみたら、はたけくんはふい、と顔を逸らした。相変わらずマスクをしているので、目元でしか表情が読み取れない。それでも、なんだか気まずそうなことくらいは読み取れた。
それよりも、『関係ない』と突き放されたことが思いのほかショックだ。何でも打ち明ける仲ではないのは分かってはいたけれど、訊ねただけなのに「関係ない」と一蹴されては、わたしは黙るしかない。
「……久しぶり」
「……え? うん……久しぶり……」
はたけくんの方から声をかけられ、ぼうっとしていたわたしは、何とか同じ言葉を繰り返した。そのまま何か会話が続くのかと思えば、はたけくんは口を閉じたままだし、わたしもはたけくんの反応から、彼の考えていることが全く読み取れないので、出方を窺う形になってしまう。
黙ったまま少し経ち、先に動いたのははたけくんだ。ここから立ち去ろうと足を踏み出すその前に、わたしは慌てて口を開いた。
「あの! き……訊きたいことが、あるんだけど……」
「……なに?」
はたけくんは動きを止めて、目をこちらに向けた。三白眼の瞳は、夕暮れの陽の光を受けて、昔のように星が瞬く夜色をしていて、ホッと安心する。わたしの知っていたはたけくんだ。
「前に会ったとき、わたし、友達の鳥を捜してたでしょ?」
「……ああ……そういえば、そうだな」
わたしが言うと、はたけくんは頭の中をさらって、思い当たる記憶を掘り起こしてくれた。あれから数ヵ月経っているから覚えていなくてもおかしくないけれど、やはり頭がいいはたけくんは記憶力もいいのだろう。
「友達の鳥は、見つかったんだって」
「そう。よかったね」
あっさりとした返答には、特に感情は込められていない。報告を受け取りました、という事務的なものに近かった。
「友達がね、忍に依頼しようと思って受付所に行ったら、もうすでに鳥が保護されていたって。下忍の誰かが、きっと飼われている鳥だろうからって、保護してくれていたんだって」
友達の鳥のその後をわたしが語ると、今度は相槌もなかった。黙ったまま、わたしではないどこかを、ただ眺めている。
「それって、はたけくん?」
思い切って訊ねてみると、はたけくんは一度目を伏せるような仕草をした後、ふぅ、と大きな息を吐いた。
「たまたま見つけたから、捕まえただけ。依頼が来るかもしれないから、だったら先に保護しておけば、無駄に忍を動かさずに済むでしょ」
とても合理的な理由で、聞けばほとんどの人が納得しそうな答えだけど、はたけくんはやけに早口で喋るものだから、逆に違和感を覚えてしまう。もちろん、はたけくんの話を疑うわけではないけれど、それが全てではないのだろうと、勝手に解釈した。
「ありがとう。友達も喜んでた」
はたけくんがどんな理由だったとしても、結果的に鳥を保護してくれて、友達の下に帰ってきたことは事実だから。
お礼を言うと、はたけくんは「別に」と、少し気まずそうに顔を横に向ける。機嫌を悪くしたかなと思ったけれど、多分、照れているんだと思う。マスクをしているからよく分からないけれど、はたけくんと過ごす時間をいくらか持ったおかげで、彼の表情の違いの区別がつくようになった。まあ、わたしの勘違いかもしれないけれど。
「あの」
「……まだあるの?」
顔は横にしたまま、目だけがこちらを向く。声をかけたはいいけれど、言っていいものかどうか少し迷う。けれど、はたけくんと話すチャンスはあまりないので、今しかないのだと勇気を振り絞った。
「お父さんの、こと」
『お父さん』と発した途端、はたけくんの周りの空気が変わった。刺々しいという表現よりも、見えない刃そのものを突き付けられた気分になる。それ以上喋るなと態度で暗に告げているのは分かっていたけれど、負けてはいけない、と自分を奮い立たせる。
「手を合わせに、お家にって思ったんだけど、はたけくんのお家、知らなかったから……」
「別に、いい。サホ、会ったことないでしょ」
「そう、なんだけど……」
行こうと思ったけれど行けなくって、という言い訳がましいことを言うわたしに、はたけくんが返すのは突き放したものだったので、さっき振り絞った勇気なんてあっという間に縮んだ。はたけくんのお父さんには会ったことがない。すごい忍者だということしか知らない。
「はたけくんは友達だし、お世話になったから、そのお父さんにもお世話になったのと同じかなと思ったから……だから……その……」
わたしははたけくんに大変お世話になった。オビトと気まずくなったときも、由緒ある家系のオビトと、平凡な家系の自分を比べて悩んでいたときも、オビトがリンを好きだと気づいて、三人で居るのがつらかったときも、はたけくんのおかげで、今もオビトやリンと一緒に居られる。
そんなはたけくんのお父さんだからこそ、手を合わせに行きたいなと思った。父も母も、お世話になった人の、お父さんやお母さんが亡くなったときも手を合わせに行っていたから、そうするべきだと考えた。
「ごめん。迷惑だったね」
でも、相手がそれを受け入れるかどうかは別だから。はたけくんがお家に上がられることを不快に感じるのなら、ちゃんと引くべきだ。相手の嫌がることはしてはいけない。小さい頃から父より言われていたことだ。
ちょっと図々しすぎたと反省しつつ、「それじゃあ」というタイミングを探る。何でもなかったように、サラッと。サラッと。
「来れば」
「えっ?」
「家」
言葉を投げると同時に、はたけくんが歩き出す。少し先を行って、わたしがその場で見送っていることに気づくと足を止めて、来ないのかと訴えるようにわたしをじっと見た。
家に連れて行ってくれるのだと分かり、慌ててはたけくんの下へ向かう。歩調と共に、口を開かない彼に合わせて、わたしも黙々と歩き続けた。
はたけくんの家は住宅街から少しだけずれたところにあった。畑が広がる道を進んだ先に、一軒の平屋の家が見えて、そこがはたけくんの家。後ろには竹林が茂っていて、風が吹くたびにざざんざざんと波のような音を鳴らしている。
はたけくんが玄関の鍵を開け、戸を引いて中へ入る。サンダルを脱いだ彼は、すぐに左脇の廊下を伝って奥へと行ってしまった。
はたけくんが歩く足音以外、何も聞こえない。
玄関のたたきには、はたけくんのサンダルだけ。
目を凝らしても、耳を澄ませても、誰の気配もない。
この家には、はたけくん一人。
胸がギュッとした。声を上げて胸を抑えそうになるくらい、何かが込み上げてくる。
「お邪魔します……」
一言のあと、わたしもサンダルを脱いで揃え、板張りへと上がった。ギイ、という音が響く。
左脇の廊下に面しているのは二部屋。障子戸が開きっ放しの部屋を覗くと、どうやら客間のようだった。その奥の、もう一方の部屋に続く襖もやはり開いたままで、導かれるように静かに入る。
向かって左側に床の間、右側に仏壇があって、はたけくんはその仏壇の前に突っ立っていた。仏壇の前に置いてある経机には、鈴と撥、香炉、火立が並んでいる。
さらに奥には写真が二つ並んでいた。古びた写真枠に、相反するように美しく若々しい女性。枠が新しく、顔立ちや髪の色がはたけくんによく似ているけれど、はたけくんよりも柔和な印象の男性。それぞれ、お父さんとお母さんの物だと、一目で分かった。
これがはたけくんのお父さんとお母さん。初めて会うのが、遺影のご両親。胸から込み上げる何かは、喉にまで上ってきそうだ。
「お線香上げても、いい?」
込み上げるものを堪えてはたけくんに問うと、無言で頷いた。経机に置いたままにしてあったマッチ箱からマッチを取り出し擦って、蝋燭に火をつける。それを終えるとわたしに席を譲るように、仏壇から離れ、後方へと下がった。
わたしは空いた場所に正座をして、改めて仏壇に一礼した。思えば、はたけくんの両親の顔は今初めて知った程度で、名前も分からないのにお参りする資格はあるのだろうかと、今更ながらに考えてしまった。
いや、そういうことではない。はたけくんのお父さん、お母さんだからこそ、手を合わせるのだ。
そうだそうだと、自分を納得させていたところで、はたと気づいてしまった。
「あっ、手ぶらで来ちゃった!」
仏壇に挨拶をするときは、決まって何かお供えするものだ。例えば干菓子とか、お酒とか。けれど、急にはたけくんのお家へお邪魔することになったので、何の準備もしていない。
「何か……何か……あっ」
せめて何かないだろうか。ポケットを探ると、硬い物に指が触れた。摘まんで引っ張り出すと、薄荷味の飴だった。今日、いつものところへ行く途中にキクおばあちゃんに会って、そのときに貰ったんだった。修業中に休憩したときに一つ食べて、これはその残りの一つだ。
「いい、かな?」
後ろで、襖に軽く背を付け、腕を組むはたけくんに、カサカサと音が鳴る透明のセロハンに包まれた、濁りのある白い飴を見せて訊ねる。
「……いいんじゃない」
無事に許しを得られた飴を、仏壇の真ん中の、空いているスペースにそっと乗せる。
線香に火をつけ、香炉に挿して手を合わせた。
はじめまして。かすみサホと申します。はたけくんにはいつもお世話になっています。この間は友達の鳥も保護してもらいました。ありがとうございました。
心の中で呟いて、そっと合掌を解いたあと、火立の火を仰いで消して、最後に一礼してから席を立った。
はたけくんはわたしをじっと見たままだったらしく、振り向くとばっちり目が合った。三白眼がいつもよりずっと細くて、何を考えているのだろうと、しばし見つめ合ってしまう。
――カァ、カァ――
カラスの鳴き声が響いた。外はほぼ藍色に染まっていた。
「帰らなくちゃ」
言葉にすると、はたけくんが部屋を出て、玄関の方へと向かう。誘われるようにわたしも続く。
サンダルを履いて、玄関の引き戸を横へずらすと、少し肌寒さを感じた。夜はもうすぐそこにある。
「お邪魔しました」
「……一人で帰られるの?」
「うん。ちゃんと覚えてるから大丈夫」
「そう……」
床板に立つはたけくんと、たたきに立つわたしだと、普段よりずっと視線の高さが違う。少し見上げる形になるので、はたけくんの眉が少し寄るのがよく見えた。
「でも、ちょっと自信ないかも」
付け加えると、はたけくんの眉はスッと元の位置に戻る。
「夕飯買いに行くついでに、送る」
ついでに。そう言いつつも、はたけくんがサンダルに足をつっかける動きはスムーズで、面倒くさそうな感じには見えなかった。口元がむずむずするのを、必死で押さえる。ここで笑ったら、はたけくんは絶対に機嫌を悪くする。そういうことが分かるくらいには、わたしははたけくんに詳しい。
道を歩きながら、わたしは黙ったままだった行きと違い、とても穏やかな気持ちで口を開いた。
「鳥を捜していた日ね、オビトが風邪引いたんだ」
「あいつが? バカなのに?」
「バカは関係ないよ……」
信じられない、とばかりに、はたけくんは顔を顰める。『バカは風邪を引かない』とよく言うけれど、誰だって風邪は引くものだ。
「はたけくんに追いつくためには、もっともっと修業しなきゃって雨の中でも続けて、それで」
「むしろバカだから風邪を引いたのか……」
そう言われるとそうかもしれない。雨の中で修業というのも、体を鍛えるためと言われたらそうなのだけど、それは自分の体の限界を把握している人が行うべきで、子どものオビトがやるものじゃなかったのかも。下忍のはたけくんに言われると、反論の言葉はもう出てきそうにない。
「サホはどうなの?」
「え? どうって、何が?」
「最近、顔出してなかったから。オビトとリンと三人で居て、つらくないの?」
はたけくんが前を向いたままなので、わたしも前を向いたまま答える。
「もう、そんなにつらくないよ。もちろん苦しいときもあるけどね」
いつもところで、アカデミーで、帰り道で。わたしたちは三人だけど、やっぱり三人ではない。オビトとリン、わたし。そんな風に考えてしまうことは、オビトを好きでいる限り、やめられないのだろう。
「わたしがオビトを好きで、二人を見ているとつらいときがあるって、そういうのをはたけくんが知っててくれてるって思うとね、そんなにつらくないんだ」
わたしがつらい気持ちを抱えていることを、はたけくんが知っているということ。わたしは一人ではないのだと考えると、胸のズキズキは、シクシクくらいになって、そのうちゆっくり落ち着いてくる。
「ふうん」
はたけくんが相槌を打つ。マスクをしているし、横顔だし、辺りが暗いせいで、表情なんてほとんど読み取れない。
「あ、でも、それとは別で、はたけくんが来てくれるのは嬉しいよ」
来てくれなくてもいいと受け取られたかなと思って続けると、はたけくんからは間が空いて「どうも」とだけ返ってきた。
空には藍色が広がり、すぐ頭の上にも星がちらつく。明日はきれいに晴れそうだ。
わたしとオビトとリンは、アカデミーに行って授業を受けて、放課後になったらいつものところで集まるだろう。
そこに、はたけくんは来られないかもしれない。明日も、明後日も。
「いつも待ってるからね」
でもわたしたちは待つ。はたけくんを待つ。子どものわたしには、彼をあの一人きりの家から守るなんてできないから、いつでも待っている場所を作ることしかできない。