最果てまでワルツ | ナノ
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 マンションの自室に帰れば、当然ながら誰も居ない。けれど昨夜はサホが居た。不思議なものだと、楽な格好になってベッドへ横になる。
 隣室の気配はない。放っておくべきだと思い確認していないが、まだあの場に留まっているのか。もしくはオレより先に部屋へ戻り、もう寝ているのかもしれない。

 実は夢でしたとか、そんなことないよな。

 たった一日かそこらで色々ありすぎて、幻術の類でもかけられているのではと疑ってしまう。試しに解の印を結んでみるが何も起こらない。それにベッドのシーツの匂いを探れば、オレのものではない、覚えたてのサホの匂いが残っている。現実と考えていいだろう。
 サホの気持ちを知れたのは僥倖だった。しかし、考えた末にやはり自分を厭い、ともすればなかったことにしかねない。
 オレが求めるような関係を拒むとするなら。ここ最近、精神的に不安定なサホに無理強いはしたくはない。サホの気持ちを尊重して引くべきか。

――無理でしょ。

 さんざん燻ぶっていたこの気持ちは、一度蓋を開けてしまったらもう鍵をかけられない。一方通行ではなく、サホもオレを好きだと知った以上、止めようとも思わない。
 仮にあいつが出した答えがオレを拒むものだったとしても、それならあいつの気持ちを変えればいい。晴れぬ暗い霧の中を歩いていたかのような今までとは違う。沈黙を守り続ける必要はないのだと思えば、少し待つなんて苦ではない。


 サホと話したあの夜から、オレは自室へ帰っている。家主が自宅へ帰るのは当然のことなのに、マンションに帰ると言うとテンゾウが信じられない物を見る目でオレを見る。

「何かあったんですか?」
「んー。ま、そのうちね」

 今まで世話になり迷惑をかけた分、テンゾウにも何かしらの説明はした方がいいが、サホから返事をもらってからの方がいい。
 サホが欲しいと言った『少し』というのが、たった一日や二日ではないことは心得ている。気持ちの整理をつけるのに時間は多く必要だ。
 ただあれから三日ほど経つが、サホの部屋に明かりは一度もついていない。
 考えるためにオレから距離を取りたい、だから部屋には戻らない。そう考えるとおかしなことではない。三代目の計らいでBランクまでしか受けられないとはいえそれなりに多忙だろうし、在宅時間がすれ違っていることもあるだろう。

 三代目警護の任務が終わり、今夜の夕飯は弁当にでもするかと、定食屋や軽食屋を通り過ぎて目当ての店を目指していると、前方から煙草をくわえた見知った男が歩いてきた。オレと顔を合わせると「よお」などと声を上げ足を止める。

「今から夕飯か? なら一緒にどうだ?」
「遠慮しとく。弁当買って家で食べる気分だから」

 アスマと食べるとなると、酒も飲むことになる。そういう気分じゃないと断ると、アスマは気を害した風もなく「そうか」とあっさり引いた。
 誘われて断ったら、もう話をする理由はないが、足は進まなかった。断られたアスマも、動かないオレを訝しんでか、煙草を口から外してこちらの様子を窺う。

「サホ、最近忙しいの?」

 少し探ってみるべく問うと、アスマのいかつい顔はわずかな驚きを見せた。

「お前があいつのことを訊くなんて珍しいな」
「……どうも部屋に帰ってないみたいだから、ちょっとね」

 アスマの反応は、普段のオレらしくないと言われたも同然で、気恥ずかしさが込み上げてきた。
 訊く相手をもうちょっと吟味すればよかったか。紅辺りだったらサホの変調についても話していたし、サホの同性の友人として情報量も多い。

「あいつ、三代目にもう話したのか……?」

 アスマは煙草をくわえ直すと手を口元に置いたまま、悔やむオレへの返答ではなく、ほぼ独り言を零した。

「三代目に話って?」
「いや……。最近のあいつ、どうにも調子が悪そうだったからな。何か悩んで苦しんでるなら、いっそオレみたいにしばらく里を離れてみたらどうだと言ったんだ」
「はあ?」

 まったく予想していなかった話に、喉から呆けた声が出てしまった。

「上に頼んで、他の町への派遣命令が下りたのかもしれないな」

 他の町に派遣って。やっとサホとの、この不毛な関係に終止符を打てると思ったのに、今このタイミングで里を離れたなんて冗談じゃない。

「おい、弁当屋に行くんじゃないのか?」

 踵を返した背に投げつけられた問いかけを無視して、走って向かった先は受付所。日中ほどの活気はないが、里の受付台は常に数人の職員が席についており、有事に備えての夜間待機者の詰め所にもなっているため、ここは常に電灯の明かりで煌々としている。
 職員が腰を掛ける受付台には、そう長くはないが列ができていた。皆が手にしているのは報告書で、彼らは提出のために規則正しく並んでいる。

「早急に調べてほしい件がある」

 その列の最後尾について呑気に待っていられるほどの余裕はない。受付台に手をつき、今まさに列の先頭の男から報告書を受け取ろうとしていた一人の職員との間に割って入った。

「は、はい……何でしょうか?」

 手をついた音が思いのほか大きく響いたからか、急を要する物言いだったからか、職員は声をひっくり返しながら恐る恐る訊ねた。報告書を受け取ってもらえなかった男は、一歩後ろに下がり、自然と列自体も後方へとずれていく。

「かすみサホの任務予定は、今どうなってる?」

 職員は「少々お待ちを」と言い、急いでサホの予定を調べ始めた。該当の巻物を広げ、今現在の状況を確認すると、

「かすみ上忍は、現在Bランク任務を受けており、三日前から里を出ています。里への帰還はあと六日、もしくは七日の予定です」
「六日か、七日?」
「任務予定期間が、約十日間と書いてありますので……」

 夕方も過ぎて、そろそろ今日が終わる。あと六日と言うべきか七日と言うべきか判断がつかなかったのだろう。どちらにしても、あと一週間ほどかかると。
 里外への派遣ではなかったことに安堵し、軽い礼と割り込んだ非を詫び、物珍しげな視線に注がれながら受付所を後にした。
 どっと疲れた気分になって、近くの長椅子に腰を下ろす。
 アスマに会わなければ、こんなに焦って疲れることもなく、部屋で弁当を食べていただろうに。あの髭面がひどく恨めしい。



 アスマは善意を持ってサホに助言をしたわけで、あいつを責めるのはお門違いではあるがタイミングが悪い。事情を知らぬアスマにそんなことを言うのもまた、お門違いではあるが、とにかく今はだめだ。
 あと少し。あと少しで、サホとの関係に決着がつく。結果はさておいて『ただの同期』に区切りをつけることができるチャンスだというのに、これ以上横槍を入れられては困る。
 このまま、サホの考えが終わるまで悠長に待つのは息苦しい。しかし自分にできることはなにもない。
 サホが悩んでいるのはリンとのことだろう。だったらやはり、リンがオレに言っていたことを打ち明けるのが一番だが、信じてもらえる望みは薄い。

「アララギさん。信用してもらうってどうしたらいいんですかね」
「はい?」

 定期カウンセリングでの一通りの問答を終えたあと。例のように「何かありますか?」と訊ねられるより早くオレの方から質問すると、いつもと違う展開に驚いたアララギさんは、カルテの上に走らせていたペンを止め聞き返した。

「相手が受け入れられない事実を受け入れてもらうには、どう伝えればいいのか検討がつかなくて」

 サホが里を出てから八日目。予定通りであれば明後日に帰還する。
 リンの言葉を信じてもらうにはどうすればよいのか、数日間考えてみたが、何も思い浮かばない。何もしないことが得策なようにも思えるが、何もしないで事が悪化することも避けたい。

「そうですねぇ……。私の個人的な意見を述べるなら、例えばカカシさんが隠していたことや秘密を、まずはバラしてみてはどうですか? 秘匿性の高い内容を打ち明けられると、『この人は今、嘘偽りなく話そうとしてくれているんだ』と思うものですよ」

 藪から棒でカウンセリングに関係ない質問だが、アララギさんは真面目に取り合ってくれて、そう間をおかず続けた。手の内を明かす形で信用を得る、ということだろう。

「秘密ですか……」
「カカシさんでしたら簡単ですよ。誰も知ることがないと噂の、そのマスクを下ろしてお話されたらいい」

 自身の頬をトントンと指で叩いて、再びペンを走らせていく。
 マスク云々については、多少からかいを含んだものだろうけれど、一理ある。
 職業柄、秘密は山ほど抱えているが、何でもサホに話せるわけじゃない。サホに教えても構わない、手っ取り早いもの。もはや他の考えは浮かばないほどに、アララギさんは名案を授けてくれた。



 近隣の町で起こったトラブルに抜け忍が関わっているとの情報があり、その周辺をほぼ一日かけて探ってみたが、抜け忍に繋がる手がかりは見つからなかった。
 別の部隊へ引き継ぎ、ロ班全員が詰め所に戻ったのは夜の九時を回っていた。報告書を仕上げ終えたら外を出て、寄り道することなくマンションを目指す。
 サホの帰還予定は今日だった。無事に帰ってきているか否か。
 答えは隣室の窓にあった。ぴっちり引いたカーテンの向こうから、うっすらと明かりが透けている。
 帰ってる。久方ぶりの隣の光に知らず誘われ、気づいたときにはサホの部屋のベランダに足をつけていた。
 以前は謝罪すべく部屋を訪ねようにも、結界が張られていて窓に触れることもできなかった。
 今はどうだろうかと、指の背で試しに叩くと、弾かれることもなく硬いガラスに当たって、小さな音が響いた。
 音に気づいたのか、カーテンが横へとずれて部屋主が姿を見せる。もう床に就くつもりだったのか、長い髪は下ろしている。

「玄関から来なよ」
「居留守を使われそうで」

 掃き出し窓を開けながらの咎める口調に、部屋へと上がりつつほぼ反射的に返した。
 勝手に入ったが、サホは「任務は?」と問いながらそのまま窓を閉めたので、ひとまずは追い出されることはないようだ。
 室内は隅に置かれた間接照明だけが唯一の明かりで、サホの部屋の輪郭をぼんやりと浮き上がらせている。

「さっき終わった」
「本当に?」
「ホント。そろそろ帰ってるかと思ったら、明かりがついてたから」

 疑わしげな目を向けられるが、嘘をつく理由などない。
 オレの部屋と違い、間取りから察してリビングに当たるここはその役目をきちんと果たしており、あるのはソファーや棚、低いテーブルくらいだ。
 その足の短いテーブルの傍へ、日頃から身に着けている装備類を外して座り、マスクの端に指をかけ下ろした。どことなく落ち着かないが、薄暗さのおかげで思った以上に気にならない。
 アララギさんからの助言の、信用を得るための策でもあるが、サホと向き合おうとするならば、顔を隠すべきではないかという考えからでもある。
 額当てを外せば、左目に穏やかな光が当たるのを感じる。
 開いた両目をサホに向け、テーブルの端に肘を乗せて頬を支え、考えは終わったかと問うと、サホは膝をゆっくり折ってオレの近くへと腰を落とした。

「一応ね」

 『一応』ではあるが、サホの中で決着はついた。
 判決を待つ罪人のような、合格発表を待つ受験生のような、そんな心持ちでサホの言葉を待った。
 切り出し方を迷っているのか、重ねた手を何度も組み直す。忙しないそれが落ち着いた頃、ようやく口が開いた。

「あのあと、夢にリンが出てきたの」

 言って、サホはそっと目を閉じる。頬の上のクマが前よりもずっと薄くなっていることに気づいた。

「リンの夢は、最近ずっと見てた。オビトの夢も。夢の中でね、リンはいつも訊くの。『サホはカカシを好きじゃないよね。オビトが好きなんだよね』って。オビトはね、『リンが泣いてる』って、『守るって約束したのに、なんで泣かせるんだ』って、わたしに怒るの。それが、ずっと。ずっと、毎日、ほとんど、繰り返し。そういう夢しか見なかった」

 ぽつりぽつりと続けられた内容で、最近のサホの不調にやっと納得がいった。追い込まれ責められている夢を毎日見ていれば、寝不足にもなるしストレスで嘔吐もするだろう。
 人はどうして、つらい夢を見るのだろう。現実から逃げる場くらい与えてくれてもいいのに。
 安寧の時間など許されないのは、それほどの罪を犯したということなのか。

「でも、あのあと。部屋に戻って、眠って見た夢の中で、リンがわたしに、『大好き』って言ってくれた」

 口元が弧を描くと同時に、閉じていた瞼が上がり、オレと目が合うと少し眉を下げた。

「夢だからね。わたしの、願望でしかないって思うけど」

 サホは自嘲していたが、オレは驚きのあまり絶句していた。
 まさか、本当にリンが言ってくれたのか。にわかには信じがたいが、図々しくも願ったオレに応えてくれたのだろうか。

「言ったでしょ。リンはサホを嫌ったりしない」
「わたしも言ったじゃない。そんなの決めつけだって」

 新たな確信を持って再び言えば、サホはまた決めつけだと一蹴する。
 夢の中でリンがサホに伝えたことは、あくまでもサホにとっては『自分の想像』でしかない。予知夢の能力を持つわけでも、過去を覗ける力があるわけでもないなら、夢は所詮夢だと切り捨てられても仕様がない。
 本当にリンはお前を嫌わないのに。もどかしくて焦る。写輪眼でオレの記憶を見せてやるか。いや、それもオレが作った想像だと決めつけられたら意味がない。

「もしリンが、やっぱりわたしを嫌うとしたら。リンを傷つけたわたしを、オビトも恨むとしたら」

 どうすればいいと思い惑うオレを置いて、サホは組んだ手を握り直しながら、視線を落としてか細い声で続けた。

「生きている今も、死んでからも、いくらでも償う。地獄に落とされたっていい。ううん。わたしみたいなのは、地獄に落ちるに決まってる」

 自身のこれまでの振る舞いから、死したあとの先は地獄に違いないと言い放つ表情に悲観的な色はなかった。心穏やかにすら見える。罰せられることを求めているのかもしれない。贖うには地獄はちょうどいい。

「だから」

 握る手に一際が力が込められる。蝋燭のように頼りない明かりに当てられ、祈るように。

「だから」

 深い息をついたあとに継ぐ声は、緊張からか半音ずれる。
 サホの顔は俯き、胸に溜まった不安が口から出ないよう押し殺すみたいに、体にグッと引き寄せた。肩を狭く、身を縮ませ、怯えている。

「だから……」

 そうだ。怯えている。続けたい言葉は口にするは大罪、禁忌と等しくて、最後の一歩が踏み出せないでいる。
 懐かしいと哀愁が呼び起すのは、今よりずっと小さな体で、進む道の標を見失ったり、立ちはだかる壁を前に泣いていた女の子。
 変わらない。背丈が伸びて体がくびれても、術に長けるようになっても、きれいになっても。サホはずっと、オレの知っているサホだ。
 弱くて考えすぎて、泣くことをやめられないほどにひたむきな。

「いいよ」

 下を向く顔を持ち上げると、サホは軽く目を見開いた。
 オレだけを見てほしいと、開けているのは右目だけなのに、サホは逸らさない。
 それがどれだけ嬉しいか、お前はきっと気づかない。

「一緒に地獄に落ちよう」

 お前が何を願いたいのかなんて分からない。知る気もない。
 サホが何と言おうと、お前を一人にする気なんてないから、何を願ってくれたっていい。オレはその全てを受け入れるから。
 サホの瞳に水が張っていく。腕が伸ばされ、重みと熱が絡まる。支えるように背に両腕を回して引き寄せると、薄い体の骨が手のひらで鮮明に色づく。

「カカシ……ごめん」

 サホは謝り続けた。オレを道連れにすることへなのか、別のことへなのか。
 謝らなくてもいい。これから先ずっとオレを見て、オレの傍に居てくれるなら。オレと生きて死んで、地獄まで連れて行ってくれるなら、それでいいんだ。

 オレを一人にしないで。

 お前を一人にしないんじゃない。オレが一人になりたくない。
 暗い家に帰りたくない。味噌汁の匂いに憧れていたい。
 サホの髪が長くなったことを、大人になっても面影を残すことも、一粒残らず、お前の傍で覚えていきたい。
 美しい幸せなんかなくていい。優しい世界なんて届かなくていい。奈落の底は、独善的で身勝手なオレたちにぴったりだ。

 薄明はいつもオレの孤独を煽った。一人でも誰と居ても、オレは結局独りでいた。
 薄荷の飴をくれても、日の出を寄り添って迎えてくれても、頬を包んで誓ってくれても、彼女の心にオレは棲めなかった。
 だけど今は違う。朝焼けのように焦がれたこの部屋から、掻き抱くサホとオレは地獄へ行く。オビトじゃなくて、彼女はオレの目を、手を選んだ。
 夜の空に昇る月は、どれほど追っても辿り着くことはできない。しかし顔を背けることはあっても、決して消えることもない。
 足下を照らし、尽きない闇のよすがだった月は、この夜が明けても昇り、オレと共にどこまでも落ちていく。



30 [みち][]く月夜

20200613


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