次にアカデミーへ登校するのは二日後だった。その間、親の都合に合わせて外出したり、留守を任されたりしたので、鳥捜しを続けることはできなかった。
幸いにも、友達の鳥は見つかっていたらしい。アカデミーに着いてすぐ、友達が「鳥が見つかったの」と伝えに来た。他の人にも報告しなければいけないからと、友達がすぐに去って行ったので、詳しい話は聞いていないけれど、無事に保護されて戻ってきたことにホッとした。
「一緒に捜してくれてありがとう」とお礼を言ってもらったけれど、わたしははたけくんと会ったときのことを思い出してしまい、「よかったね」と笑って返すのがやっとだった。
立ち入り禁止の森ではたけくんと一度再会したきり、はたけくんとはまた会うことがなくなった。
この間までは、はたけくんにどこかで会えたらいいな、なんて思っていた。下忍の話も聞きたいし、アカデミーでのことも、話したいことはたくさんあった。
だけど今は、会ったらどうしようと、逆に会いたい気持ちはなくなっていた。はたけくんの闇色の瞳と、向かい合う勇気がない。
もしかしたら、あのときはたまたま機嫌が悪かっただけかもしれない。
忙しくて疲れていて、ちょっと気持ちがやさぐれていたのかもしれない。
あの大人びたはたけくんには珍しいけれど、八つ当たりだったのかもしれない。
だけど、分かっている。あんなに背筋が凍るような冷たい色の目は、一日で出来上がるものじゃない。
わたしたちが知っているはたけくんは、いなくなってしまった。
そのことは、オビトにもリンにも言えなかった。
言っても、信じてもらえないと思ったし、二人を変に不安がらせるのはよくないと思った。
今、木ノ葉は忍の人員確保に努めているらしい。明確な『戦争』とまではいかないけれど、あちこちで他の国との争いが絶えなくて、父が怪我をして帰ってくることも多くなった。
アカデミーでは、優秀と判断された生徒は試験を受け卒業し、下忍へと進んでいく。はたけくんのときのように。
今日も、クラスメイトの一人が卒業することになった。ガイくんだ。わたしはほとんど喋ったことがないけれど、声が大きいガイくんのことは一方的に知っている。忍術は得意ではないけれど、体術はクラス一だ。
額当てなのに、なぜか腰に巻いてみんなの前に現れた姿を思いだしながら、わたしとオビトとリンは、帰り道を歩いている。
今日はガイくんの卒業試験の関係で授業がずれてしまい、終わるのも遅くなってしまった。今からいつものところで修業をしても、すぐに家に帰る時間になってしまうので、今日の修業はおあずけだ。
「忍術もろくに使えないのに、あいつが下忍なんて……」
夕焼けを浴びるオビトの顔には、「悔しい」という感情がはっきり表れている。わたしやリンは素直に「おめでとう」と思ったけれど、同性のオビトからすると先を越された気分なのだろう。
「確かにガイは、忍術はそれほど得意じゃないけど、体術じゃもうアカデミーの誰にも負けないじゃない」
「そりゃそうだけど……」
リンが言うと、オビトは口をモゴモゴさせる。実際、ガイくんは同期はもちろん、先輩相手にも体術なら負けなしが続いていた。不得意の忍術を、得意の体術でしっかりカバーしていて、その姿を見ると努力の人だなぁと感心してしまう。
飛び級で卒業したガイくんのことを考えると、同じく飛び級で、しかもアカデミーに入って一年もしないで卒業していったはたけくんが頭をよぎる。浮かぶのは、星が見えた夜色の瞳ではなく、どこまでも続く闇色の瞳をわたしに向ける彼の顔だ。
「そういやさぁ、カカシなんだけど……」
オビトが発した名前にドキッとした。はたけくんのことをちょうど考えていたので、内心悟られてしまったかと思った。だけど当然ながら、オビトにそんな力はないはず。きっとオビトもわたしと同じように、飛び級で卒業したガイくんから、同じく飛び級で卒業したはたけくんのことを考えていたのだろう。
「忍の人たちが話してたんだけどさ。なんか、あんまり評判よくないみたいなんだよ。いや、確かにあいつって一言多いし嫌な奴だからさ。分かるっつーか分かるし、納得するっつーか納得だし」
やけに明るい声で、オビトははたけくんのことを貶しているのか微妙なことを言う。これについては毎回のことだから「まったく、もう」という感想だ。きっとリンも一緒だろう。
「もしかしたら、お父さんのことで……」
『オビトってば、そういう風に言わないの』と言って窘めるかと思ったら、リンからは少し暗い表情が返ってきた。予想とは違うリンの反応に、わたしとオビトは同時に足を止めた。
「何か知ってるのか?」
オビトが訊くと、リンは少し考える素振りをしたあと、「ううん」と首を横に振った。それは『知らない』というよりは『知っているけれど言えない』といった様子に見える。多分、そうなのだろう。
「サホは? 何か知らないか?」
今度はオビトがわたしに訊ねる。わたしが知っていることと言えば、はたけくんの目の色や態度や考え方が、なんだか前のはたけくんとは違ってしまったことだけだ。
でも、それを言う勇気を、わたしは持ってはいなかった。
「……ううん」
リンと同じように首を振って否定した。嘘をついた気分だけれど、実際、はたけくんの評判がよくないという話に関しては何も知らない。わたしが知っているのは、はたけくんが明らかに、以前と違う人になってしまったことだけだ。
「そっか……」
オビトのその言葉で、話は終わった。みんな黙ってしまったけれど、はたけくんのことを考えているに違いない。
リンが、『お父さんのことで』と言っていたから、もしかしたら、お父さんが亡くなったことに関係しているのかも。
お母さんはもういなくて、お父さんまで亡くなって、一人ぼっちになったなら、何らかの変化があることは仕方ないのかもしれない。
もし、はたけくんがまだアカデミーに居たのなら、わたしやオビトやリンが傍に居て、支えてあげられたかもしれない。ううん。今だって、支えようと思えば、できたかもしれない。
いくら考えても、全て過去のことだ。過去はどうしようもできない。はたけくんはもう下忍になってしまったし、お父さんは亡くなられているし、彼は変わってしまった。
家に着く頃には、東の空は藍色に染まっていた。気の早い星がすでにきらきらと顔を出している。はたけくんの瞳の色だ――瞳の色だった。
人手不足とは本当のことらしく、先輩たちも、優秀な人は次々に卒業していっているらしい。わたしたちのクラスからも、ガイくんを筆頭に飛び級で下忍になった人も居る。
ガイくんたち飛び級組が卒業して数ヵ月経ったけれど、はたけくんとはやはり会わない。リンやオビトは見かけて声をかけたみたいだけれど、そのときのことをどちらもあまり話したがらないから、恐らく二人ははたけくんが変わってしまったことを知ってしまった。
話しておいた方がよかっただろうか。全く知らないで気づくより、ある程度心構えがあってから気づいた方が、ショックは少なかっただろうか。
そんなことを考えながら、母に頼まれたおつかいの帰り、近道として公園の傍を通ろうとしたら、聞き慣れた声が耳に入ってきた。
「カカシ! 今日こそ勝負だ!」
その元気な声の主は、公園のベンチの前に立っていた。全身を緑色のタイツで包んでいて、男の子なのに女の子並みに艶やかなおかっぱをしている。額当てなのになぜか腰につけているのは、一足早く卒業していったガイくんだ。
「さあ、オレと一緒に青春の汗を流そう!」
「……うるさい。しつこい。暑苦しい」
ガイくんにきつい言葉を投げかけ、ベンチから腰を上げたのは白い銀色の髪の男の子。背中を向けられ、顔は見えないけれど、体格や声で誰だかなんてすぐ分かる。そもそも、ガイくんはさっき口にしていた。『カカシ』と。
はたけくんは両手をズボンのポケットに入れ、ガイくんを置き去りにすべく歩き出した。ガイくんは諦める気などまったくないらしく、歩くはたけくんの周りをうろちょろしながら「勝負だ」「オレが怖いのか」「さあさあさあ」と声をかけ続けている。
鬱陶しそうな顔のはたけくんは、なんと偶然にもわたしの方へ歩いてくる。わたしの足は、縫い付けられたように動かない。
「――あ」
不意にはたけくんが顔を上げ、進行方向に立つ人影を認める。わたしだと気づくと、軽く声を上げ足を止めた。
「ん? なんだ? 知り合いか?」
歩くのを止めたはたけくんを不思議に思ったガイくんは、はたけくんの視線の先に立つわたしの存在に気づき、はたけくんに問う。
「お前な……アカデミーで同じクラスだっただろう」
「なにぃ!? そうだったか! すまない!」
「あ……うん」
呆れた様子ではたけくんが言うと、ガイくんはわたしに向かって頭を下げた。体が直角に曲がっている。ガイくんとはあまり話す仲ではなかったから、覚えていなかったことは、まあ、うん。ショックだけど、そんなものだろう。
「名は何だったか?」
「かすみサホだよ」
「そうか! サホ、サホ、サホ……よし、覚えたぞ!」
親指を立て、歯を見せた快活な笑顔に悪気は一切感じられない。それを見ていると怒る気にもなれない。
ガイくんがわたしと話している今のうちにと、はたけくんがスッと横を通り過ぎていく。はたけくんは袖なしの服を着ていたので、剥き出しの腕が目に入った。色は女子のように白いけれど、筋肉がしっかりついているのが分かる。
「待てカカシ!」
「お前に付き合うほど暇じゃない」
止めるガイくんにそれだけ言い残し、はたけくんはその場で大きく跳躍すると、近くの家の屋根を伝ってあっという間に去って行った。
「むうぅ……! なんてクールな去り方! さすがオレのライバル!」
サッとあしらわれたことに悔しがったものの、ガイくんはすぐに気を取り直し、はたけくんを褒め、ライバルだと称する。切り替えの早さがすごい。
「ライバルなんだ?」
「ああ! 木ノ葉のこれからを担う期待の若手同士、切磋琢磨しようと思っているんだ!」
なるほど。はたけくんもガイくんも、まだ十にはなっていないから、若手の中でもさらに若手だ。同じ年頃の仲間なんて限られている。互いに競い合う関係は、自身の強さに磨きをかける意味でも大事だ。
「しかし、なかなか勝負を受けてくれなくてな……」
燃えさかるような闘志を見せたかと思えば、がっくりと肩を落として落ち込んでいる。さっきからガイくんは、元気になったりそうじゃなかったり、落差がすごい。そんな人だったかな、とアカデミー時代を思い出してみたら、案外そういう人だったかもしれない記憶がよみがえってきた。
「なんだか大変みたいだけど、頑張ってね」
「ああ! 応援ありがとう!」
とりあえず当たり障りない声をかけてみたら、ガイくんは親指を立ててお礼を言った。ガイくんはとても明るい。なんだかこっちまで釣られて、沈んでいた気分を上がらせる。
「うさぎ跳びで里を100周だ!」と意気込み、腰を落としてぴょんぴょんと跳ねながら進んでいくガイくんを見送って、わたしも家に帰った。うさぎ跳びって、両手を頭につけてうさぎの耳みたいにするんだったっけ。
アカデミーでの休み時間にトイレに行って帰る途中、廊下でクラスの女子が固まって話をしていた。手元にある何かを囲んでいて、みんなの口からは「かわいい」という声が上がっている。
何を見ているのだろうと気になりつつ、そちらに意識を向けていると、友達の一人と目が合った。
「サホ! ねえ、これ見て! かわいいでしょ!」
友達が手に持っていたのは写真だった。鳥が二羽、寄り添うように写っている。よく見たら一羽は、以前うっかり逃がしてしまったからと、友達に頼まれて捜していた鳥だった。
「あれ。他にも鳥、飼ってたんだ」
「最近ね、親戚の家からうちに来たの。親戚に赤ちゃんが産まれたんだけど、鳥アレルギーとかなんとかで、飼えなくなっちゃったんだって」
「へえ、そうなんだ」
写真の中で、白い頭と腹の、赤い羽根が混じった青い羽の鳥の隣に、全身が黄色で、頭の天辺だけがオレンジ色のちょっと小ぶりな鳥が居る。
「最初は喧嘩しないか心配だったけど、もうすっかり仲良しでね」
「そっか。幸せそうでよかった」
「うん。あっ、この子が逃げちゃったとき、サホに一緒に捜してもらったよね。あのときは本当にありがとう」
話していて思い出したのか、友達はあのときのことを口にし、またお礼を言ってくれた。
「どういたしまして。やっぱり、忍に依頼したの?」
ペット捜しを忍に依頼する人は多い。一般人じゃ難しいところも、忍は忍術や身のこなしで解決できる。依頼料は高くつくけれど、早く見つけたいのならそれが一番の近道だ。
「ううん。あのね、次の日の朝に、依頼しようと思って、お母さんと一緒に受付所に行ったの。受付の人に事情を話したら、『もしかしたらこの鳥ですか』って。誰かが、この子を捕まえて保護してくれていたみたい」
「え……そうなの? 依頼する前に?」
てっきり、依頼を出して受けた忍が無事に見つけてくれたから、すぐに戻ってきたのかと思っていたけれど違った。
「そうなの。びっくりだよね! この子を捕まえてくれた人が『人に慣れているし、野生では見ない種だから飼われている鳥だろう』って思って、『依頼が来るかもしれないから、保護しておいた方がいい』って言ってくれたんだって」
ずっと飼われて外に出たこともない鳥なら、野生の鳥と明らかに違うだろう。それに友達が飼っていた鳥は、ペット用というのだろうか、野生で姿を見かけることはほとんどない種だと思う。
だから、その忍がそう判断して、保護するために捕まえたという話は不自然ではない。不自然ではないけれど、引っかかるものがある。
「その、捕まえてくれた人は誰なの?」
「……そういえば、この子が見つかったことが嬉しくて、そこまで聞かなかったなぁ。でも確か、下忍の人だったみたい」
「下忍の……」
下忍の誰かが、友達の鳥を保護してくれた。依頼がある前に。
話の筋は通っているのに、どうしても何かが引っかかる。
引っかかる何かに、わたしは何となく気づいている。
ただ、あんなことを言っていたのに、どうして、と、あのときと同じように考えてしまう。