「あーあ。新しいクナイ、買おうと思ってたのに……」
いつものところにある、岩を椅子代わりに腰を下ろしているオビトは、はたけくんへ贈るお祝いの品を買うために、自分がお金を出したことに大変不満のようだ。
「もう。そんなこと言わないで。気持ちよくお祝いしてあげようよ」
「気持ちよくっつっても……」
オビトから見て右手に居るリンが、困ったような笑顔を添えつつ、オビトをやんわりと窘める。リンの手には、簡易的なラッピングがされた包みがある。みんなでお金を出し合って買った、はたけくんへのお祝いの品だ。
何を買おうか話しているときも、選びに行ったときも、買うときも、オビトの顔からは愛想というものがすっかり消えていた。
そこまではたけくんへ贈りたくないのかなぁと思ったけれど、よくよく考えたら、オビトは一人で暮らしているのだから、オビトの手元にあるお金は生活に必要なお金だ。
一体誰から、どれくらい貰っているのか、貰っているのかどうかも分からないけれど、その中でやりくりしているのだとしたら、はたけくんへのお祝いは『余計な出費』なのかもしれない。
「カカシの奴、本当に来るのか?」
「大丈夫。だって約束したもの」
疑うオビトに、信じるリン。わたしは、はたけくんって忙しいんだろうなぁ、という感想。
そのまましばらく待ってみたけれど、はたけくんが来る様子がないので、わたしたちはとりあえず修業することにした。
今日は久しぶりに、三人それぞれでやろうと、背を向けて散らばる形になった。はたけくんが居るときは、はたけくんに色々教えてもらったり、はたけくんの動きを見て勉強したりしていたから、各々での鍛錬は久しぶりかもしれない。
二人から離れることができて、少しだけホッとする。どうしても、二人と一緒に居ると胸の中がモヤモヤするのだ。
「ヤキモチ……なのかなぁ……」
二人を見て胸が苦しいのなら、きっとこれがヤキモチなんだ。やだなぁ。やだなぁ。
せっかくだから、できるだけ離れた場所に行こう。オビトやリンの気配がしないところで。ちょっとだけ二人を遠ざけて、気持ちを落ち着けないと、なんだかむしゃくしゃしてしまう。
「ああ…………もうっ!」
思うがままに、近くの木に右の拳を振るった。わたしが木の幹を殴ったくらいで、ヒビが入ったり折れたりはしない。それどころか、殴った自分の手が痛くて、左手でぎゅっと上から押さえ込んだ。
いたい。
痛い。
いたいよ。
手も痛いし、胸も痛いし。
二人が一緒に居ることに、怒りたくなるような感情が湧いてくることも。
勝手に仲間外れにされた気分になって、泣きたくなることも。
ぜんぶ、全部。痛くてたまらないよ。
「――何してんの?」
上から声が降ってきた。慌てて顔を上げると、わたしが殴った木の枝に、はたけくんが立って見下ろしていた。額にはピカピカに光る額当てがあって、まだその姿は二度目だから新鮮に見える。
「は、はたけくん……」
「怪我でもしたの?」
細い枝なのに、はたけくんは鳥のように器用に足を付けている。その足が枝を蹴り、無駄のない動きでわたしの傍に降りてきた。下忍になったので当たり前だけれど、アカデミーに通っていた頃とは格好が違う。マスク姿は変わらないけれど、マフラーはもうしていない。
「早く手当てした方がいいんじゃない」
額当てがあることで、いよいよ三白眼しか明かさないはたけくんが、わたしの右手を指で差す。
まだヒリヒリするし、木の幹を殴ったのなら、もしかしたら皮が剥けているかもしれない。グローブとか、つけた方がいいかな。
「一人? オビトとリンは?」
黙っているわたしに、はたけくんは質問を重ねる。オビトとリン、と名を出されて、わたしは、なんだかひどい言葉を吐いてしまいそうで、顔を下に向け唇を噛んで堪えた。
「……どうかしたの?」
さすがに様子がおかしいと思ったのか、はたけくんが体を傾け、顔を覗き込んでくる。お互い似たような身長だから、わたしが俯いたのなら、はたけくんはそうしないとわたしの表情なんて読めないだろう。
「泣いてる……?」
驚きが混じった声が妙に優しく感じて、わたしは組んでいる両手をそのまま目元に当てて、頭を左右に振った。ちがうよ。泣いてない。泣いていないはずなのに、両手はなんだか濡れてしまった。
「何かあった?」
普段は素っ気ないはたけくんが、あんまりにも優しい声で訊ねるものだから、わたしの喉からは堪えきれなかった声が、無様な息と共に漏れていく。
「……っふ……う……」
「二人と、喧嘩でもした?」
言ったあと、「まさかね」と、はたけくんは付け足す。
そうだよね。あの二人と喧嘩なんて。オビトとは、前に気まずいときがあったけど、それは喧嘩じゃなくって、わたしが悪かっただけ。人の良いリンと喧嘩するなんていうのは、そもそも有り得ない。
わたしも頭を振って否定して、どう言えばいいのか考えた。わたしがオビトのことを好きなことを、はたけくんは知っている。だけど、オビトの気持ちは知らないかもしれない。
「泣いてちゃ分からないんだけど」
黙り続けるわたしに、さすがにはたけくんの声から優しげがなくなって、逆に苛立つものが滲んでいる。
わたしは意を決し、ふう、ふうと大きく呼吸を繰り返してから、目元から両手を離した。
「……オビトに……好きな人がいて……」
言いづらくて、ボソボソとした声だったけれど、はたけくんの睫毛も白いんだと分かるくらいには近いところに顔があるので、はたけくんには十分伝わったようで、
「ああ。やっと気づいたんだ」
と、わたしが泣いている理由が判明して満足したのか、曲げていた背を戻して、わたしから顔を離した。
「はたけくんは、知ってたの?」
「まあね。あいつ、分かりやすいから」
やっぱり。わたしと違って、二人とはアカデミーに入る前から親しい仲だったし、はたけくん自身も鋭い。じゃあ、オビトはアカデミーに入る前から、リンのことが好きだったのかな。
「わたしは、この前知ったよ。はたけくんが、卒業試験に受かった日」
「そりゃまた……コメントしづらい日だね」
小さなため息をついたあと、はたけくんは両手を腰に当てて「それで」と言い、
「オビトがリンを好きだって知って、ショックで、二人と一緒に居るのがつらくて、こんなところで一人で泣いてたの?」
はっきりと口に出して、わたしに改めて問う。
こうして他の人から口に出されると、『オビトはリンが好き』という事実は、ズンとわたしの両肩に重く圧し掛かる。
『ショックでつらいのか?』と問われると、『はい』という返事になる。
けれど、ショックと言うのは、わたしの恋は叶わないのだと言うことに対するものではなくて、『オビトがリンを好き』という事実を目の当たりにして、それで何だか、物事をうまく受け止め考える力が失われているようなところもあった。
「全然気づかなくって、びっくりした」
「むしろ、気づいてなかったサホの方にオレはびっくりするよ」
そんなことを言われても。けれどよくよく考えれば、オビトはしょっちゅう「リン」と呼んでリンの傍に居るし、リンがはたけくんと話していると機嫌が悪くなる。
「そういえば、オビトってよく、『リン、リン』って呼んでるなぁ……」
「あいつの前世、風鈴だろうな」
はたけくんの言葉で、風鈴姿のオビトを思い浮かべた。家の軒先に釣られて、風に煽られて揺れ、「リン! リン!」と、リンの名前を呼ぶように音を鳴らす。
ちょっと面白い。あと、ちょっと間抜けで、かわいい。
わたしの口から、フッと笑い声が漏れた。笑っちゃった、と、はたけくんをちらりと見ると、はたけくんもフッと鼻で笑った。
もしかして、冗談を言って、わたしの気持ちを和ませようとしたのだろうか。
あのはたけくんが? けれど、そうかもしれないと考えてしまったわたしには、そうとしか見えなくて、はたけくんの優しさに、心の刺々しいものが少しだけ針を収めた。
「リンに、ヤキモチ妬いちゃってるんだと思う」
ヤキモチを妬いている自分というのは、かわいくないし、良いことじゃないから、認めたくはなかった。
だけど口に出してみたら、不思議と、認めなかったときよりも楽になった。
わたしはリンにヤキモチを妬いている。それはわたしが目を向けたくないわたしの部分で、だけど切り離せもしないから、胸の中でグルグルととぐろを巻いていた。
そのとぐろが、わたしを苦しめるたくさんの理由の一つで、大きな部分を占めていたのだろう。はたけくんのおかげで、認める勇気ができて、自分で飲み込むことができて、とぐろが少し解けて楽になった。そんな感じだ。
「現状を的確に把握できているのは、忍として正しいことだ」
後押しするように、はたけくんが言ってくれる。アカデミー生じゃなくて、額当てをつけた本物の忍であるはたけくんが言うんだから、説得力があるし、何より力強く感じられた。
「三人で居るの、きっとまだ苦しいと思う」
オビトがリンを好きだと知ってから、どうしても『オビトとリン』で見てしまう。リンに好きな人が居ることも、もし居るのならその人が誰かも知らないから、オビトの恋もまだ叶うかどうか分からない。
けれど矢印の存在を認めてしまったら、『リンを好きなオビトとリン』という括りで見てしまう。そういう関係なんだという意識が頭にこびりついている。
だから今はちょっと、三人で居るのは苦しい。自分だけ外野の気分だ。矢印で繋いでいったら、わたしだって加わって三人のはずだけど、でもそれは、わたしからは見えない。わたしから見たら、『二人とわたし』だ。
「だけど、オビトも好きだけど、リンも好きだから」
男の子で一番好きなのがオビトなら、女の子で一番好きなのはリンだ。
リンのこと、オビトに好かれていて羨ましいなとも思うし、二人の間に、わたしには作れないような空気があるとムカムカしちゃうけど、それでもリンを嫌いになんてなれない。むしろ、リンも好きだから、苦しいのだと思う。
「三人で居るのはつらいけど、二人から離れるのも苦しい。だから、我慢する」
つらくて苦しいことが、ずっと続くのはいやだ。
けれど、つらくて苦しい修業を重ねて、できなかった術がうまくできるようになったり、組手で勝てなかった相手に勝てるようになったりしているから、これも修業だと思えばいい。そうしたらいつか、二人を見て苦しい気持ちは少し和らぐかもしれない。
修業。修業。うん。
「オレも、なるべく来るようにするよ」
両手で拳を作って、修業修業と自分に言い聞かせているわたしに、はたけくんがそう言った。「え?」と、握った拳を少し緩めてはたけくんの顔を見たら、時々眠たげにも見える三白眼があった。
「三人で居るのがつらいなら、四人で居ればいいんでしょ?」
はたけくんがそんなことを言ってくれるとは思っていなかったので、思いがけない彼の優しさに驚いて喉が詰まった。きゅっと締められたみたいで、声は出ない。絞られている喉が、目から少しだけ涙を押し出した。零れるほどではないけれど、目元をじわりと温かくして、くすぐったい気持ちになる。
「……ありがとう」
わたしたちと違って忙しくなるはたけくんが、貴重な自由な時間をわたしのために使ってくれようとすることが、もうすでに嬉しい。本当に来てくれたなら、もっと嬉しいし、わたしもきっと気持ちが楽になる。
「仲間を助けるのが、オレの流儀だ」
腕を組んで、力強い言葉を口にするはたけくんは格好よかった。夜みたいな深い色をした目は鋭いけれど、優しさも持ち合わせている。オビトは一番好きな男の子で、とても格好いいと思うけど、今わたしの中で一番格好いいのは、誰よりもはたけくんだった。
また涙が出てきたわたしを見て「それが治まってから行こう。じゃないと、オレが泣かせたみたいだ」と言われ、わたしたちはしばらくその場で留まり、わたしの涙が落ち着くまで待った。
でも、悪い意味ではないけれど、はたけくんに泣かされたのは事実だけどなぁ、と内心思っていると、
「オレじゃないから」
と冷たい目を向けられて、はたけくんは本当に察しがいい人だなと、苦笑いで返した。
涙もすっかり引っ込んで、もう大丈夫だとはたけくんに言うと、彼を先頭にいつものところへ二人で戻った。
いつものところには、手裏剣を手に持ち何やら話しているオビトとリンが居た。それぞれ一人で修業をすると決めたはずなのに、いつの間にか二人で、になっているのは、やっぱりショックだ。はたけくんが様子を窺うようにこちらを見るので、平気だよと言う意味を込めて笑ってみせた。
「あっ、カカシ……」
「カカシ! よかった、待ってたんだよ!」
わたしとはたけくんに気づいたオビトが声を上げ、リンが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「悪いな。任務がさっき終わったから」
「ううん。ほら、オビト!」
リンは首をふるふると横に振って、不貞腐れた態度ではたけくんを睨むように見ているオビトを呼ぶ。オビトは不機嫌さを隠すこともなくわたしたちの下に来ると、「マジで来たよ」とうんざりした声で言った。
「みんなでお祝いしようって言ったでしょ」
「へーへー」
オビトは頭の後ろで腕を組んで、ツンとそっぽを向いている。はたけくんが「ガキ」と毒づくのを、近くに居たわたしの耳が拾い、はたけくんとオビトってどうしても気が合わないんだなぁ、仲を取り持つリンも大変だなぁと、心の中だけでリンを労った。
「はい、カカシ。これ、わたしたちから、お祝いよ」
「ああ。ありがとう」
プレゼントをリンが差し出すと、はたけくんはお礼を言いながら受け取った。袋の口を留めていたシールを剥がし、中身を取り出す。
「ホルスター?」
「うん。みんなでアイディアを出し合ってね、サホが、ホルスターがいいんじゃないかって」
へえ、とはたけくんがわたしに目をやる。
「お父さんが、支給品のホルスターはあんまり質がよくないって言ってたの。だから自分で買い直す人が多いみたい。はたけくんも、どうせなら良い物を使った方がいいと思って」
忍の父は、家の居間でよく道具の手入れをする。「こうやって大事にしておかないと、いざというときに切れ味が悪かったせいで、失敗に繋がることもある」とよく言っていた。
そのときに、支給品にも当たり外れがあって、支給されるホルスターは昔から使いにくいのだとも零していた。任務の際に傷んで使えなくなった道具は、物によってはその都度支給してもらえるらしく、けれどホルスターだけは自分で新しく買い直す人が多いと。
ならどうして、もっと質のいいホルスターを支給しないのだろうと訊ねると「その辺は大人の事情だよ」とうやむやにされた。
そのやりとりを思い出してリンに話してみたら、ホルスターにしようと決まって、そのまま忍具専門店を覗きに行った。三人で出し合ったお金は、そう多くはない。品質のいいものは、値段も高い。色んなお店を回り、ちょうど閉店セールをやっていたお店で、このホルスターを見つけて無事に手に入れることができた。
「いいね。ちょうど買おうと思ってたんだ」
はたけくんは気に入ってくれたのか、ホルスターをあれこれいじり、サイズを変えてみたり、留め金を開け閉めしたりと、かなり興味を示してくれている。はたけくんって、使えない物は要らないってはっきり言いそうだったから、使える物を選んでよかった。
「オレも金出したんだから、大事に使えよな!」
「はいはい。ありがと」
噛みつくようなオビトに、はたけくんは一応、お礼を言った。オビトはずっと「お祝いならケーキでいいじゃん」「ケーキ買おうぜ」と言っていたけれど、「カカシは甘いものが苦手って知ってるでしょ」とリンに却下されていた。多分、はたけくんへの嫌がらせもあるけれど、自分が食べたいからだ。
オビトがはたけくんに何か言って、それにはたけくんが言い返して、睨み合う二人をリンがやんわりと止める。
これがわたしが見ていた、いつもの光景。
けれど、いつまでも同じものを見ていられるものじゃないのだと、わたしは気づいてしまった。
はたけくんは下忍になって集まることは少なくなるだろうし、オビトの気持ちを知ったら、リンと一緒に居る姿も、今までと見方が変わる。
変わらないものなんてないのだと、何だかしんみりしてしまう。
「サホ? 何してんの?」
わたしの名前をはたけくんが呼ぶ。いつの間にか三人で話し合い、みんなでクナイを打つ練習をすることに決まったらしい。
やる気に満ちているオビトが一番前を歩いていて、その後ろを微笑ましそうにリンが歩いている。はたけくんは動かないわたしを待ってくれていて、わたしが歩を進めると、一緒に並んで、二人の後ろを歩いた。