最果てまでワルツ | ナノ
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バチャスペ
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 テンゾウは興味を持つと後をつける癖がある――というと、テンゾウからは『人聞きの悪い言い方はやめてください』と非難めいた視線を貰うが、事実オレも後をつけられたことがある。オレのときは命を受けいていたからではあるが。
 『分からないから知りたい』と、テンゾウはオレに言った。オレとサホのあれこれを知りたいと。
 これまでのテンゾウの性格を考えると、まず間違いなくオレとサホとのことを探るだろう。しかし尾行に失敗しオレに咎められたわけだから、再び後をつけるなどサホに接触する恐れがある行動はまず取らないはずだ。そう高を括っていた。
 だから、いつの間にかサホと世間話をするまでに親しくなったと聞いたときは、寝耳に水もいいところだった。

「だめでしたか? 止められなかったので、いいのかなと思って……」
「いや……ま、いいんだけどね」

 任務の途中で野営することになった。月の出ない夜に身を潜め、一組は見張りを、一組は体を休める。交代を繰り返し、先ほどからオレとテンゾウは休憩に入った。栄養補給だけを考えて作られた、粘土か泥を噛んでいるような簡易食料を口に運ぶ。
 面を外し、暗闇の中でひたすらに腹を満たす作業に務めていたら、『そういえばこの前サホさんと』と、自然に切り出された。サホと同じ名前の知り合いができたのか、世間は狭いななどと呑気に聞いていたが、まさかオレの知っているサホ本人とは。

「変な話はしていませんよ」
「当然でしょ」
「一緒に食事したくらいですし」
「距離を詰めるスピードが尋常じゃないよお前」

 テンゾウがサホと接触して、まだ一ヶ月も経っていない。そんな短期間であいつと食事に行けるほど親密になるなんて、まったく予想していなかった。やはりこれ以上詮索するなとはっきり言っておくべきだったか。

「女一人じゃ入りづらいからって、牛丼の店に連れて行かれたんです」

 テンゾウがそう言って、あいつが牛丼を食べる姿を想像してみたが、どうにもうまくいかない。
 サホ、牛丼食べるのか。へえ。
 というか、サホから誘ったのか。そうか。
 あいつと一緒に食事をしたのなんて、もう何年も前だ。へえ、牛丼ね。

「先輩、写輪眼が回ってます」

 洒落にならないからやめてください、とテンゾウは顔を背けた。



 親しくなったのなら無理に裂くのも悪い。幸いにもテンゾウはあのときのようにズケズケと訊ねたりしていないようなので――その自重さをもっと前から発揮してほしかったが――サホの迷惑になっていないなら口を挟むことは控えるべきだろう。
 代わりに、少し衝動的な面を抑えるよう、まずは一度熟考してから慎重に動くようにと言いつけた。テンゾウは真剣な面持ちで『分かりました』と返したので、とりあえずそこで留めた。テンゾウにはテンゾウの付き合いがある。オレが指摘するのではなく、自分で気づいて考えることも必要だ。

 それに、テンゾウよりも目をかけなければならない者が居る。
 戦争が終わったことで、暗部が主に務めていた暗殺という任務は以前より減った。もちろん今でも暗殺任務を命じられることはあるが、平和な時代の火影直轄の仕事の多くは、自国、他国問わず動きを偵察する割合が多くなった。
 そのため、各班に偵察任務に都合のいい者が新たに振り分けられるようになり、オレがまとめるロ班も新人を受け入れることになった。

「イサナです」

 並んだ仲間を前に、イサナはひどく緊張した様子で配給された面を両手で持ち、名乗ったあと頭を下げた。後ろで括っている髪が肩からするりと落ちる。
 イサナはオレの二つ下らしく、正規部隊の中忍だったが、今回の件で推薦され転属になったと三代目から聞いている。

「ロ班隊長のカカシ。これからよろしく」
「は、はい。未熟者ですが、精一杯頑張りますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします」
「ま、そんなかしこまらないで」

 名乗ると裏返った声が返ってきた。物差しでも差し込んだみたいに背筋をピンと伸ばし、小刻みに何度も礼を取るので、手で軽く制する。

「コワミ。同性のよしみで、何かあったら相談に乗ってやって」
「分かりました」

 ロ班の女性でクセもなく落ち着いた性格のコワミに声をかけると、コワミは狸の面を掛けたまま一歩前に出る。小柄なコワミはイサナより年上だが、彼女と比べるとイサナの方が少し背が高い。そのイサナは、オレにしたように何度も頭を上下に振る。さっきから頭を上げ下げしてばかりだ。
 既存のメンバーが全員名乗り終え、顔合わせはこれでおしまい。今日はイサナの実力と連携を確認するため、演習場で模擬戦を行うことにしている。
 場所を移動し、まずはオレの方にイサナを入れてざっくり二組に分かれ、彼女の戦闘能力を計ることになった。


 結果として、イサナの実力は可もなく不可もなく、といったところだった。
 それは特別大きな問題ではない。彼女が暗部へ転属になったのは、異常なまでに優れた聴力が主な理由だ。チャクラを練れば、遠くで駆ける足音やかすかな会話も聞き取れてしまうという。現に彼女はその耳の良さを生かして、放たれた術を避け、追手の動きも正確に聞き取っていた。
 しかし、戦闘自体が元から苦手なようで、逃げることはできても相手の足止めをすることほぼ失敗していた上、いざ反撃に転じてもイサナの攻撃はかすりもしなかった。
 戦闘面では不安は残るが、その鋭敏な聴覚は警備や諜報活動に向いている。その点を考えれば、今回の転属もおかしなものではない。
 唯一の同性同士とあって、コワミがイサナに暗部のルールや手信号、独自の暗号を教え、イサナは硬い表情でぶつぶつと復唱しながら耳を傾けている。

「今の状態だと、前線は難しそうですね」
「だね。鍛えるしかない」

 暗部には様々な班がある。情報収集を専門にした班もあるが、それでも交戦の可能性はある。暗部に所属する以上、ある一定レベルの力はつけてもらわなければ困る。
 特にうちのロ班は暗殺も追跡も護衛も、基本的に何でもやる。『戦闘は苦手』では話にならない。
 それはイサナ自身も分かってはいるのだろう。他の仲間が先ほどの模擬戦で気になった点やアドバイスを述べると、真剣に聞いては詳しく訊ね、熱心に教えを乞う。
 その姿をやや感傷的な気持ちで見ていると、

「なんとなく、サホさんに似てませんか」

と、テンゾウがオレにだけ聞こえるよう、ひっそりと耳打ちした。
 耳の良いイサナに聞こえていないかと目をやると、仲間に取り囲まれあちらこちらから飛んでくる話を聞き取るのに精一杯のようで、テンゾウの言葉は耳に入っていないようだ。
 実は、オレも同じことが頭を過ぎった。相手の顔色を窺うかのように、不安げに何度も頭を下げる彼女を見ていると、オレの記憶にあるサホに似ているな、と。
 恐らく、サホを隣に並べたらそれほど似てはいないと思う。
 ただ、何となく似ている。髪の色、目の色、肌の色。体格、声、動き。
 そっくりではなく、ほんのわずか、サホを思い起こさせる。つまり雰囲気が似ているのだろう。
 いや、雰囲気だけではない。緊張した様子も、仲間からの指導に熱心に向き合う姿も、まだ交流があった、オレが色々と修業をつけてやっていた頃のサホを思い出させる。

「『テンゾウ先輩』と呼ばれました。ボクの方が年下なのに敬語まで使われて、なんだか恐縮してしまいますよ」

 居心地悪そうなテンゾウに、不覚にも吹き出してしまった。テンゾウは「確かにおかしいかもしれませんけど、笑わなくても」と口を尖らせる。

「いや。ホント、似てるね」

 別に、テンゾウが先輩と呼ばれていることがおかしかったわけではない。年下であろうとも、暗部の先輩だというのは確かだし、それなら先輩と呼ぶのも間違っていない。
 オレが笑ってしまったのは、やはり昔を思い出したからだ。上忍になったオレを、どう呼べばいいのか考えあぐねていたサホを。
 同い年でも自身は中忍でオレは上忍、しかも班の隊長だからと最初は隊長と呼んだ。サホなりに色々考えてのことだったが、馴染みのある相手からの『隊長』も『はたけ上忍』もむず痒いものがあり、結局ナギサたちの助言もあって『カカシ』に落ち着いたわけだが、最後まで『カカシ隊長』などと、敬称に拘っていた。

「か、カカシ隊長も、さきほどの私の動きにだめ――い、至らない点等ありましたら、どうぞ仰ってください」

 仲間から解放されたイサナがこちらへ歩み寄り、勢いはありつつもぎこちなくオレに訊ねる。気合の表れか頬が赤い。やる気は十分に見て取れた。

「あるかと言えばあるけど……とりあえず、少し休憩だね。気が張ったままじゃ初日から寝込む羽目になるよ」

 顔合わせのときから、イサナの顔は常に強張っている。新しい環境に早く馴染まねばと気負うのは分かるが、このままでは明日の朝にでも知恵熱を出しそうだ。

「暗部は正規部隊とは勝手が違う。色々大変だろうけど、一緒にやっていこう」

 隊長と部下、先輩と後輩、年上と年下。イサナとはそういった垣根が多いが、共に火影の手足となって里を守り支える仲間に違いない。
 イサナは一瞬、虚を衝かれた顔を見せ、一拍置いたあと、ようやく肩の力が抜けたのか「はい」と緩やかに笑んだ。
 あいつに似ている彼女の笑顔は、似てはいるけれどやはり違うと思う。サホがオレに笑ってくれるなら答え合わせは容易だが、それは叶うことはない。遠くなった笑顔を重ねようとする愚かさを内心叱りつけ、仲間を率いて演習場を後にした。



 薄く積もった埃と、本の湿気けた匂いがする。資料室は大概そういう場所で、頻繁に人の出入りがないのであれば、余計に濃く鼻につく。
 目の前にはサホ。任務から里へ帰還してそのままなのか、彼女からは砂と葉の匂いがした。

「いきなり、なに?」

 火影室に入る前に、ちょうど退室した直後だったらしいサホとすれ違ったのはついさっきの話だ。顔が合って、三代目に用かと訊かれ、そうだと答える短いやりとりのあと、興味を失ったようにさっさと歩き進んでいった。
 久しぶりに姿を見かけてホッとした。最近は慰霊碑にも墓地にも姿を現さなかったので、何か遭ったのではと心配していたが、どうも長い任務に出ていただけのようだ。
 三代目に会い用件を済ませ、火影室を出たら彼女に腕を取られ、この部屋に連れ込まれた。すぐにサホだと気づいたからよかったが、一歩間違えば掴んだその手を逆に掴み返し、腕を捻り上げ拘束するところだった。

「顔貸してって、言ったじゃない」

 まるで自分に非がないような言い方をするサホに呆れる。
 言っていたような気もするが、唐突に腕を掴まれ、引っ張られたオレは承知していない。勝手に了解を取った気でいるのなら、そこは改めて欲しい。本当の目的は決まっているくせに、『顔貸して』と言うのも、何だか気に入らない。

「貸してほしいのは顔じゃなくて、目でしょ」

 どうせサホの目的はオレの顔でもオレ自身でもなく、左に嵌っているオビトの目だ。だったらはっきりと『目を貸して』と言えばいい。お前なんか眼中にないと、最初から突き放せばいいだろう。
 気が尖るが、断りはしない。隠していた左目を晒すと、サホは途端に黙り込む。
 自分がどんな顔をしているのか、彼女は知らないだろう。切なげに寄せた眉の下、ほんの小さな光を灯す瞳の、憂いに満ちた熱い眼差し。恋慕の想いは左目にだけ向けられていると分かっているのに、あってはならない錯覚を引き起こす。

「今度は何があった?」

 問うと、「何があったって?」と、サホは口だけを動かした。

「サホがオビトの目を見せてくれと頼むときは、大体何かあったときだ」

 図星だったのか、サホは言葉を詰まらせる。
 彼女がオレに目を見せてくれと頼むときは、たいてい心に何かを抱えているときだ。顔見知りの仲間が死んだ。リンの命日。オビトの夢を見た。そういったときに、サホはオビトの目を求める。
 しかし、今日は久しぶりだった。オビトの目を欲する理由を考えれば、その間は何もなかったということで、サホにとってはそれがいいのは分かっている。
 ただ、こうやってサホがオレに向き合ってくれるのはこのときしかない。オビトのおまけとして、土台としてしか顔を合わせられない。
 オビトに会いたがるときはサホが苦しんでいるときだと分かっているのに、頭のどこかでそれを待っている自分は身勝手も甚だしい。

「兄さんが忍を辞めるのよ」

 サホの口から出たのは、予想とは違ったものだった。
 彼女の兄は知っている。直接会話したことはほぼないが、暗部に入る前に接点は一応あった。
 サホの兄は、他人の身内を悪く言いたくはないが、目立った特徴のない人だった。ただ兄妹だけあって、同じ両親の下に産まれ育ったのが分かるくらいにサホと似通っていた。

「どうして?」
「前の任務で、ひどい怪我をしたの。治ったけど、もう以前ほど動けないから。そうしたら、母が、わたしにも忍を辞めてほしいって」

 兄が忍を辞める理由や、怪我の具合などどうでもよくて、サホの母がサホに忍を辞めるよう頼んだことに、心臓が冷たい氷で貫かれたような気分になる。
 もしサホが忍を辞めたら、『同僚』というオレとサホを繋ぐ線が一つ消える。筆舌し難い焦燥を隠して、オレはできるだけ平静を装い「親心ってやつでしょ」と、客観的意見を述べた。
 サホは少し唇を噛む。

「でも、辞めるわけにはいかない」

 言って、指先で左目の周りをなぞる。オレに対する態度や放つ言葉は厳しいのに、触れるその指は優しい。注がれる視線の熱が上がる。

「オビトが守ったものを、わたしが代わりに守らなくちゃ」

 この優しさも熱も、全部、オビトのものだ。
 オビト、オビト、オビト。サホの全ては、オビトだ。
 誇らしかった。本当の英雄をずっと愛する一途な彼女が。
 なのに今は、鬱陶しくてたまらない。どうしてこんなにも、やりきれない気持ちになってしまうのか。
 不意に、触れていたサホの手が止まる。

「サホ?」

 呼びかけると、サホは手を下ろし、資料室のドアを開け出て行った。一人残されたオレは、遊び倒して気が済んだからポイと投げられた玩具のようだ。
 いつか本当に、サホはオレを放ってしまうかもしれない――いや、それはもうずっと前からだ。何年も前からサホはオレから興味を失っている。
 心持たぬ玩具になれればいい。土台として。おまけとして。感情なんて湧かなければいいのに。願うばかりで、胸は燻ぶり続ける。



 新人が増えた分、多忙さも増したため、住んでいた家を出ることした。
 今の家は、三代目が座する火影邸から距離がある。それに加え、平屋の家はオレ一人が住むには広く、手入れも苦労する。
 一人で過ごした時間の方が長いが、この家は自分にとって確実な居場所の一つだった。思うこともあるが、手放すわけではない。言い聞かせ、家探しを始めた。
 火影邸に近く、商店や弁当屋が周囲にあれば特に条件はなかった。ちょうど空きがあった忍専用のマンションを紹介してもらい、条件に合致していたのでさっさと契約した。
 何もない部屋にテンゾウを呼び出し、棚を作ってテーブルを出してと頼むと、『職権乱用ですよ』と文句は言われたが、オレの希望通りの木遁製の家具をあっという間に揃えることができた。
 元々、必要のない物は持たない主義だ。少ない私物以外は、仕事に必要な資料や忍具くらいで、引っ越しはテンゾウの手と分身を使うことであっさりと終わった。


 新居で暮らし始めて数週間。立地がいいので生活はしやすい。
 部屋の広さは以前の家に比べたら狭いので、通常は寝室に当てられるであろう部屋は、移してきた忍具や資料で埋まってしまった。ま、人を招く予定はないので、リビングで寝起きできれば問題ない。
 不満らしい不満はなく、たまに廊下に血の跡が点在していたり、どこかの部屋で轟音が響くこともあるが、入居者全員が忍ということを考えると、そういうこともあるかと、少々無理はあるが受け入れられる。

 特に血の跡も見当たらない階段や廊下を上がり、部屋に帰った。任務は未明に終わり、それから隊長として報告書を作成し、他の事務処理もついでにやっておこうと手をつけ、やっと詰め所を出てマンションに着けば、空はもう白み始め陽が昇り始めていた。
 重い体を、テンゾウ作のベッドに沈める。先の任務での写輪眼による疲労は強く残っているが、タイミングがいいことに今日は休みだ。今日一日しっかり寝て体力を戻しておかねばと、義務感が背中を押すように目を閉じた。



――騒がしい。覚醒する前から思った。
 閉めきったカーテン越しでも、強い日差しがわずかに届き、部屋はうっすらと明るい。
 何が騒がしいのかと意識を集中させると、原因は隣の部屋からの音だった。オレ部屋は角部屋のため、隣は一つしかない。マンションの防音性はそれなりに高いはずで、現に発せられる音は小さく、普段なら聞こえないか、聞こえても気にも留めないだろう。
 しかし、しんと静まり返った空間では、取り溢したようなわずかな音でもやけに耳につく上、眠りを妨げられたことで不快感が湧く。
 その隣の部屋の玄関が開く音がして、今度はマンションの廊下で何か会話をしているのが窺える。声を発しているのは二人。くぐもっていてどういうやりとりをしているのか分からないが、近所迷惑だ。
 寝なおそうと布団を頭まで被ると、部屋の中に呼び鈴が響いた。恐らく、廊下の二人だろう。
 オレの部屋に客など来る予定はない。引っ越したことをわざわざ周囲に知らせる必要もないから、知っているとしたらテンゾウくらいだ。
 特にガイは乗り込んで来そうで絶対に教えるつもりはなかったが、残念ながら引っ越したこと自体は気づかれてしまい、欲しくもない丼の器を貰う羽目になった。
 まさか忍専用のマンションに訪問販売というわけでもないし、だとしたら何者だろうか。体を起こし、耳を澄ませて気配を探る。
 厚いドアのすぐ前で交わされる内容ははっきりしないが、その声色や口調には覚えがあった。急いでベッドから足を下ろし、玄関へと向かう。ドアに備えてある覗き穴から確認すると、テンゾウとサホの顔が見えた。
 施錠していた鍵を外し、恐る恐るドアを開く。室内に溜まっていた空気が抜け道を得て出ていき、その後を追うように、オレも顔を外へと出した。

「こん――」

 微笑みの一歩手前、といった表情はすぐに凍りつき、何を紡ぐつもりだったのか分からない唇は止まって、サホの目がカッと大きく開かれる。

「か……カカシ……?」

 上擦った声でオレの名を呼ぶサホは、やっぱりかすみサホ本人だ。どうしてサホがここに居る? 疑問を口にして訊ねたが、サホは呆然としたまま答えない。

「ここ、カカシ先輩の部屋です」

 代わりに答えたのは、彼女の後ろに立っていたテンゾウだ。とんでもない場面に遭遇してしまった、とばかりにその表情は浮かない。
 サホはぎょっとした顔で振り返りしばしテンゾウを見たあと、再び顔を前に戻しオレと目を合わせた。

「と、となり……? カカシ、ここに住んでるの?」

 問われたので肯定する。

「家は? あの、平屋の」
「ああ……。任務が忙しくて掃除とか手が行き届かなくなってきたし、この辺で暮らす方が都合がいいから、この間からここに」

 住んでいた家のことを訊ねられたので正直に事情を話すと、サホの表情は目を見開いた状態で完全に硬直した。思考が凍りついているのか、微動だにせず立ち尽くす姿は少し気味が悪い。

「どうしてサホがここに?」

 一体なぜ、サホがここに居るのか。サホ自身も、オレがこの部屋に住んでいるとは思っていなかったようだし、オレに会いに来たわけではもちろんないだろう。
 では誰がここに連れてきたのか。それは当然、サホの後ろで気まずそうに身を縮めているテンゾウだろう。

「テンゾウ、お前が――」
「違います。ボクはサホさんの引っ越しの手伝いをしていただけで」

 お前が連れてきたのかと言い終える前に、テンゾウははっきりと否定し、『サホの引越しの手伝い』と口にした。
 サホの引っ越し。引っ越し?

「引っ越しって……まさか……」

 睡眠を邪魔した、あの音。出所は隣の部屋。
 まさか。そんなことが。
 サホの顔を見れば、顔の硬直は解けていて、オレと目を合わせると手に持っていた袋から包みを一つ取り出し、オレから少しずれた位置に視線を送りながら突き出した。

「これ、一応、挨拶のタオル」

 平たい包みは、女子が翻す花柄のスカートのような模様を纏っている。半ば反射のように受け取ると、現実味の薄い目の前の状況に似て、想像以上に軽かった。

「よろしくお願いします……」

 視線はずらされたまま、サホが頭を下げる。

「どうも……」

 オレも頭を下げボソボソと返すと、サホはスッと上体を戻した。

「それじゃ」

 用は終わったとばかりに、サホはくるりと身を返し、隣の部屋のドアを開けて中へ入って行った。テンゾウがオレに軽く礼をし、後に続いて部屋に入る。
 玄関のドアを閉め鍵をかけ、渡された包みをベッドへと放る。中身はタオルだっけ。引っ越しの挨拶か。オレ、やってないな。やるべきだったかもしれないが、今更だ。
 いやそれよりも。オレの記憶に間違いがなければ、隣に住んでいたのは男だった。一度だけ廊下でばったり出くわし、会釈した程度ではあったが、確かに男が住んでいた。

「いつの間にいなくなってたんだ……」

 引っ越しとあれば、多少音がするはずだ。それに気づかなかったということは、オレが居ない間に済ませてしまったのだろう。
 隣の部屋とこの部屋は、特殊な構造をしていない限りは壁を一つ隔てている。隣に面している部屋は本来寝室に使われる場所で、今は荷物置きにしている部屋だ。
 なんとなく、その部屋に入った。資料が日焼けしないようにと引いているカーテンによって、リビングと同様、ぼんやりと薄暗い。
 部屋には掃き出し窓があり、ベランダに繋がっている。そのベランダも、隣との境界線はやはり壁が一つあるだけ。
 しばらく開けていなかったその窓に手をかけ横へ滑らすと、隣で交わされている会話が耳に入った。あちらも窓を開けているのか、よく聞こえる。

「隣がカカシなんて……!」

 絶望を滲ませた声でそんなことを言われ、引っかからない奴がいるだろうか。

「あのさ。聞こえてるからね」

 窓枠に身を寄せ、隣のサホに聞こえるようにと、気持ち大きく声をかける。慌ただしい音を立てて、隣のベランダとを遮っている壁の端から、サホが顔をひょいと覗かせた。オレを認めると目が泳ぐ。

「……失礼しました」

 消え入りそうな声ではあったが、サホはオレに詫びた。悪気があったわけではないのは分かっている。昔からどこかうっかりしているから、隣に聞こえるかもしれないなどと考えることも忘れていただけだろう。

「……いーえ」

 タオルの包みを渡されたときと同様、差し出された謝罪をすんなり受けると、壁からはみ出していた顔はサッと引いて、隣の部屋の窓が閉められる音だけが聞こえた。
 再び、オレだけが残された形になり、そのまましばらく外を眺めてみる。すっきり晴れていて空がきれいだ。この部屋に移ってから、この窓を開けたのは一度か二度くらいだろう。

 隣って。

 木ノ葉の里のマンションの空室の中から、オレの隣を選んでしまったのは、サホにとって最大の選択ミスであろうことは予想できる。きっと今もテンゾウ相手に、どうしてこの部屋を選んでしまったのかと後悔しているだろう。
 何だろう。先にこのマンションに住んでいたのはオレで、後からサホが来たのに、あんなにも嫌がられていると思うとオレが悪い気がしてきた。

 いや、悪くない。オレは悪くない。

 無罪なのに湧く罪悪感を振り切るよう、久方ぶりに開けた窓をぴしゃりと閉めて、再び布団へと入り込んだ。その上に放っていたタオルの包みは、なだらかな山を降りて落ち、床に音を立てる。
 向こうの部屋からも音が漏れる。本当にかすかなのに耳が勝手に聞き取ろうとし、何をしているのだろうかと想像してしまい、ああいやだいやだと、暗部の心得を暗唱し続けた。



 ピンポンピンポンと、突き刺すような音。次いで、ドンドンという激しい音。顔を上げて状況を確認すると、玄関のドアの向こうで「カカシ」と自分を呼ぶ声がしていた。

「……は?」

 やっと眠りに就けたのに、またもサホに妨害された。ここが集合住宅だと分かっているのだろうか。チャイムの連打も、ドアを叩く音も、名を連呼するのも、ただの一軒家と比べて迷惑の度合いは違う。
 黙らせるためにも、いやいやながら布団を剥いで玄関へと向かった。その間も音と声は続いている。

「なに――」
「ちょっとカカシ! テンゾウ! テンゾウが! き! き! テンゾウが、き!」

 ドアを開けて顔を出すと、慌てた様子のサホが必死で何かを訴えていた。

「テンゾウが、なに? 『き』? 『き』……?」

 まだ頭がはっきり動いていないのに、全く状況が把握できないサホの説明など理解しようがなかった。『テンゾウ』という名と、『き』という一文字は伝わるのだが、それだけだ。

「しょ、食器棚を出したの。テーブルと、椅子と、本棚と、出したの!」
「棚……ああ、なるほどね」

 ようやく落ち着いたサホは、多少文章らしいことを口にした。棚を出したと。そこでようやく合点がいった。
 動揺しているサホの傍へ、不安げな様子のテンゾウが立つのを見るに、オレの予想は間違いなく当たっているだろう。

「テンゾウ。お前、木遁使ったのか」
「す、すみません。サホさんの助けになればと思って、つい……」

 頭を下げるテンゾウを見れば、自身が木遁使いであると既知の相手以外の前で、無闇に木遁を使ってはならないという命を忘れていたわけではないのは分かる。サホに気を許していて、ホントについ使ってしまったのだろう。
 悪癖とまではいかないが、仕事に支障を来すことを避けるためにも、改めて言い含める必要がある。目をかけなければいけない新人同様、テンゾウもやはりまだ見てやらなければ。
 増える仕事にため息が出るが、まずは目の前のことを片付けるべく、身を部屋から廊下へと出した。

「サホ。部屋に入ってもいい? 外でできるような話じゃない」

 サンダルに足を入れ、サホに訊ねる。他聞を憚る話であることは分かっているようで、渋々ながらも了解を得た。
 サホを先頭に、オレ、テンゾウと続いて入る。玄関からすでにオレの家とは違う匂いがした。前の住人が退去したあと清掃したからだろうか、床に新たに用いた、艶だしの蝋に似ている。
 引っ越したばかりの部屋はスッキリしていた。所謂『LDK』に値する部屋は、ソファーなどの調度品がすでに鎮座しているが、棚などは空いたままだ。

「オレの部屋とはちょっと間取りが違うな」

 玄関のドアをくぐったときにも思ったが、どうやらオレの部屋と全く同じ作りではないらしい。リビングスペースの壁に扉があるので、あの向こうが寝室などだろう。

「で、これがテンゾウが出した棚? テーブルに、椅子、ね」

 置かれている食器棚やテーブルは、どれも雰囲気が似ている。同じ素材で作られているから、調和が取れている。
 キッチンの近くに備えられた食器棚は、高さも容量も一人暮らしにはちょうどよさそうで、便利そうだ。一人暮らしなら食器は最低限あれば十分なので、最初からキッチンに備え付けられていた棚を使えば事足りたが、やはりこういった棚の方が取り出しやすそうだ。

「いいな。オレもやっぱり食器棚を出してもらおうかな」
「いらないんじゃなかったんですか?」
「オレが一人暮らししてるって知ってから、ガイが食器をやたらと押し付けてくるんだよ。しかもカレー皿とか丼ばっかり。置く場所がないから、袋に入れて隅に積んでそのままだ」

 部屋の隅の紙袋には、ガイがくれた食器を入れて放置している。一種類につき一つで十分なのに、どうしてあいつは同じものを七つもくれるんだ。しかも内三つは、運んでくる途中でだろうか、真っ二つに割れていた。縁起が悪い。

「先輩には机も棚も、ベッドもタンスも出しましたよ。本棚なんて二つも」

 テンゾウが冷たい目でオレを見る。職権乱用した側なので強く言えないが、オレが上に告げ口したら、怒られるのはお前なんだけど。いやま、監督不足でオレも怒られるから言わないけどさ。
 だけどテンゾウがサホに出してやった家具は、オレへ出した物よりちょっと凝った感じがしてる。角は当たっても痛くないようにと丸みを持って配慮されてるし、あんな曲線、オレのにはないぞ。テーブルとかベッドの角とか、たまに当たると痛いんだけど。

「カカシは、テンゾウが木遁を使えるって、知ってたの?」

 間に割って入るように、サホがオレに問う。

「同じ暗部だからね。そもそも、『根』に属していたテンゾウが火影様直属部隊に移ったのも、根に木遁使いが居るとオレが三代目に報告したからだ」

 里の秘匿事項ではあるが、サホ相手に嘘で誤魔化したり隠す気はない。木遁使いと知られたらきちんと説明したあと、秘密にしてくれと頼む方が得策だろうと判断したのが半分、彼女に後ろめたさを持ちたくないこと半分、だ。

「テンゾウ。いつから根に?」
「はっきりした年齢は分かりませんが……アカデミーを出たのは一応、六歳でした」

 今度はテンゾウに問う。テンゾウが歯切れ悪そうに言うのは、生い立ちまで説明していいのか迷っているからだろう。
 サホがテンゾウの発言を受け思案し始め、自身から意識を外した合間を縫い、オレに目で訊ねる。首を軽く横に振って、これ以上は言うなと制すと、テンゾウは小さく頷いた。

「じゃあ……テンゾウは……木遁使いは、ずっと前から、木ノ葉に居たの?」

 問いは再びオレに向けられる。この問いの意味を、分からないわけがない。

「そういうことになる」

 だから肯定したくはなかったが、取り繕うにも限界がある。ならばいっそはっきりと口にすることにした。
 サホは息を呑んで、それから呼吸を一旦止めると、溜めた空気を出すのと同時に、怒りも露わにした。

「なら……ダンゾウ様が、テンゾウのことをもっと前から火影様に伝えていたら、クシナ先生は……!」

 きっと、サホならそう思うだろうと分かっていた。オレと同じことを考えるに違いないと。
 このやり場のない悔しさ、歯痒さにオレも苦しめられた。知ればサホも苦しむと分かっていたから知られないようにと努めていたのに。

「すみません……お力になれなくて……」

 弱々しい声は、顔を伏せているテンゾウの口から発せられた。サホはハッとした表情になり、テンゾウへと一歩踏み出すと、俯く顔を窺った。

「ごめん。テンゾウが悪いわけじゃないのに」

 謝るサホの声はひどく優しくて、そういえばこんな声を出す奴だったと、一人懐かしんだ。
 その声に引かれるように、テンゾウはわずか顔を上げる。まだ不安そうなのは、テンゾウが独断でサホの身辺調査を行って、彼女のこれまでを知っているからだろうか。
 クシナ先生というかけがえのない師が、尾獣によって命を落とした。その尾獣による悲劇は、木遁使いである自分が役目を果たしていれば防げていたかもしれないことを。
 サホはおもむろにテンゾウの両手を取る。そのまま少し上に持ち上げ、柔い力で何度も握り直した。

「テンゾウ。あなたのその木遁は、今度こそ、新しい人柱力の子のためにも使って。木ノ葉の里がまた壊されないよう、誰も傷つかなくて済むように。お願い」

 祈るように、サホはテンゾウに頼んだ。
 テンゾウとて、あの頃の木ノ葉の惨状を知らないわけではない。今の人柱力であるナルトの扱いも分かっている。
 テンゾウはしっかりをサホの目を見返し頷いた。



 新しい隣人が引っ越してきて数週間経つが、あれから接触は一度もない。
 お互い忍という不規則な仕事に就いている以上、必ず在宅している時間などというものはなかったし、サホのあの態度を見たら、オレと顔を合わせたくないのは一目瞭然。
 だったら会わないでやろうという親切心――というのは建て前で、反発心の表れもあった。オレだってお前の隣に住む気はなかったと。
 けれど何より、またオレを拒絶する言葉を貰うのが怖かった。不細工に隠した本心は、情けない臆病者でしかない。


 日付が変わる少し前。夜の帳が降りて、住民に倣うように里も静かに眠っている。
 暗部の詰め所から自室への帰路を辿るルートはいくつかあって、今日は急いで帰るつもりもなかったので、のんびりと通りを歩いていた。
 頭の中では、先ほど終えた任務のこと、ロ班のことなど、詰め所から離れても考えるのは仕事のことばかりだ。
 マンションに程近い通りまで来ると、向かいからも人が二人歩いてくるのが見えた。お互い様ではあるが、深夜に出歩く人間を見ると警戒してしまうのは仕方ないだろう。
 街灯のぼんやりとした明かりと、自分の右目を頼って何気なく確認すると、どちらも久方ぶりに見かける顔だった。

「お。久しぶりだな」
「今帰りかい?」

 あちらもオレだと分かったのか、親しげに声をかけてきた。
 並んで歩いていたのはナギサとヨシヒトで、しばらく見ない間に、昔と比べてどちらも変わっていた。ナギサは髪が伸びたし、女性のようだったヨシヒトも少し骨ばってきている。
 街灯と街灯の間辺りで、どちらともなく向かい合う形で立ち止まった。

「二人は?」
「サホの部屋で鍋を食った帰りだよ」
「引っ越し祝いを渡しにね」

 理由を聞いてあっさり納得した。かつてのチームメイトととして、三人の交流は続いているらしい。
 鍋を食べたと聞くと、急に腹が空いてくる。くたくたに煮た白菜と、火を通して辛味が抜けた長葱。どちらかと言えばあっさりした味が好みだから、水炊きが一番だ。

「サホの隣、カカシなんだろう? 今度は四人で食べよう」
「サホが嫌がるでしょ」
「好き嫌い言ってちゃ大人にはなれねぇからな」
「オレはピーマンか何かなの……」
「どっちかと言うとトウモロコシかな」
「ああ、天辺のヒゲがな。カカシの頭だな」

 人をトウモロコシ扱いし、二人はやけに面白そうに笑う。この髪質は産まれ持ったもので、好きでなったわけではないし、第一そんなに似ていない。浮かれているこの調子は、酒でも飲んだからだろうか。

「まあ、飯を食うのは置いといて。あいつのことよろしく頼むな」

 一頻り笑って満足したのか、ナギサは先ほどとは打って変わって、真面目な口調で言う。そういえば二歳ほど年上だったかと、忘れていた差を思い出させるほどにどっしりとした態度は、サホの父か兄が振る舞うそれに見える。

「面倒な子だし、君への態度も褒められたものじゃないのは重々承知してる。こんなことお願いすることも甚だしいけれど、カカシから離れるとサホはきっとだめになるから」

 ヨシヒトもふざけた態度は奥へと引っ込んで、真剣な顔つきでオレにそう頼むが、いまいち素直に受け入れられない。
 頼まれること自体は構わない。あちらはどう思っているか知らないが、オレとしては何か困っているなら手を貸すことは厭わない。昔馴染みだし、隣人としての近所付き合いの一つだろう。
 問題はそこではなく、『オレから離れるとサホがだめになる』という点だ。

「オレが近くに居る方が、あいつの神経を逆撫でしてそうだけどね」
「否定はできねぇな」
「大体、あいつが傍に居てほしいのは、オレじゃなくてオビトの目だし」

 心の拠り所になっているこの目がサホから離れれば、サホの精神を支えることができなくなるかもしれない。
 それはつまり、『オレから』ではなく、『オビトの目から』が正しい。
 物事は正確に捉えておかなくては。サホにとって必要なのは『オビトの目』。『はたけカカシ』ではないときちんと理解しておかないと。

「極端な話、目だけが欲しかったら、もうすでにカカシの顔からくり抜いているんじゃない?」

 ヨシヒトは事もなげに、物騒なことを述べる。『くり抜いている』の言葉に、隠している左目が反応したようにざわつくような気配が走る。

「いや、さすがにサホも――」
「やらないって言い切れる? 僕は言えない。ナギサもあの頃のサホを覚えてるだろう? 前を向いて一心不乱と言えば聞こえはいいけど、鬼気迫るところもあって危うかったよ。大きく燃えて、どんどん溶けてしまう蝋燭みたいに、寿命を縮めているようだった。サホのオビトの目への、オビトへの固執は尋常じゃない。憎いカカシから奪おうと考えてもおかしくはなかったと思うよ」

 否定しようとするナギサを、ヨシヒトは遮った。『あの頃のサホ』がどの頃を指しているのかはっきりしないが、オビトの死後のサホも指しているのなら、ヨシヒトの言い分はさほど間違ってはいない。
 その時期のサホは、とにかく邁進していた。体力や気力の続く限り立って走って、目と脳が限界を迎えるまで本を読み、知識を詰め込めるだけ詰め込んでいた。
 そうまで頑張る理由を知っているから止めたりはしなかったが、知らない者から見れば何かに憑りつかれたような姿だったかもしれない。

「どうかな。オビトがオレにくれた、その意志を尊重しただけでしょ」

 仮にオレから目をくり抜いてしまいたいと思うときがあったして。でもサホはきっとやらない。上忍祝いにとオレにくれたオビトの気持ちを、サホは踏みにじることはしない。

「それもそうだね」

 ヨシヒトは不穏な持論を引っ込め、あっさりとオレの意見を肯定した。

「じゃあ、カカシがだめになるから、サホから離れないようにね」

 まるでくるりと矛先を向けられた気になって、言葉が詰まって出てこない。
 何も返さないオレの横を通り、二人は「またね」「じゃあな」と軽い挨拶を投げて、そのまま行ってしまった。
 街灯の明かりがやんわりと降るのはその真下だけで、オレのところまでは照らしてくれない。ヨシヒトの言葉が思いのほかぐっさりと刺さってしまって、しばらくそのまま突っ立ってしまったが、やっと止めていた足を進めた。

 オレがだめになる?

 自身で問うてみたけれど分からない。
 オレはサホがいないとだめになるのだろうか?
 例えばサホが死んでしまったら――想像しただけでゾッとして、夜風に当たっても震えもしない体に鳥肌が立つ。
 ああ、ヨシヒトの言う通りかもしれないと、見透かされた自分を恥じて頭を掻いた。
 サホはどうだろうか。オレが死んだら、同じように思ってくれるだろうか。ただオビトのために生きてほしいのではなく、オレが死んだということに悲しんでくれるだろうか。
 マンションに着き、階段を上がり、廊下を歩く。オレの部屋のドアはサホの部屋の奥にある。必然的に通過することになるサホの部屋のドアの前で、ぴたりと足を止めた。
 この扉の奥にサホが居る。鍋の後片付けでもやって、一息ついたり、そろそろ床に就こうと準備しているかもしれない。
 すぐそこにサホが生きている。思うだけで、心底安心する。ヨシヒトの言うとおりだと、自身を笑ってサホの前を過ぎ、慣れたドアを開けた。



18 心臓二つ

20191027


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