最果てまでワルツ | ナノ
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「#エロ」のBL小説を読む
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 憎まれるため、恨まれるため、永遠に許されない咎を背負い、這ってでも生きろというのは、残酷で非道なのかもしれない。道徳の観点から言えば、サホは間違っていると窘められるだろう。
 だけどオレは、あのときやっと、救われた気がしたんだ。
 オビトやリンを相次いで失ってから、親しい周囲は自分を労わり、心配してくれた。ミナト先生もガイもアスマたちも、変なことを考えるなよと、二人の死に苛まれたオレが自害でもするのではないかと、手厚い言葉を注いだ。
 優しくされればされるほど、自分の不甲斐なさでいっぱいになった。
 こんなに優しくされていい人間じゃない。オビトではなく、本当はオレみたいなクズが死ぬべきだった。リンではなく、オレが霧隠れに捕らわれればよかった。

 でもサホは違う。許さないと、言葉の刃でオレを真正面から刺した。優しさなど欠片もなかった。
 苦しんででも地獄であろうとも、オビトや自分のために生きろとオレに強いた。
 たとえ負の感情からくるものではあっても――いや、むしろその憎しみや恨み、許さないという想いの根源がどこから溢れ、それがどれほど深いか知っているからこそ、サホがオレにどれだけ生きろと望んでいるのか信じられる。

 オレがサホにしてやれることは、生きることだ。

 親しい周囲の当たり障りない言葉より、サホの鋭い楔のような言葉に、オレは生きる意味を見出せた。
 生きてもいいのだと、ようやく息ができる気がしたんだ。



「正直、不安はあります」

 ペン先をテーブルへ何度か突く音が、窓を閉め切った室内に響く。思案や苛立つ際の動作に似た動きの意味は、恐らく前者だろう。

「ただ、貴方がそれで生きられると言うのなら、私が口を挟めることではありません」

 ペンを持ったまま手を組んで、アララギさんはオレの右目を捉えた。
 今日はアララギさんとのカウンセリングの日だ。九尾が現れた事件の直後だったため、顔を合わせたときからアララギさんの表情は硬かった。九尾の出現は里の多くの者の心に傷を残したというのに、さらにオレは師であるミナト先生も喪っている。オレの心情を慮るのは想像に容易い。
 だからオレはアララギさんに話した。あのときオレの頭の中で巡ったことを、サホの名は出さずに、少し掻い摘んで。
 アララギさんは口を挟むことなく最後までオレの話を聞いて、終えると渋い物を口にしたようなしかめっ面になった。

「けれど、許されもせず恨まれるというのは、遅行性の毒のようなものです。今はよくても、徐々にあなたの心を蝕み、いずれ堪えられなくなるかもしれない」

 心理師である彼からの言葉は重たく響く。
 『許されない』『恨まれている』というのは、たとえ直接的な害はなくとも、意識下にこびりつき引っ掛かり、縛るほどに精神を追い込む。そんな状況に好き好んで飛び込む奴はいないだろう。

「だとしても、オレが彼女にできることは、それしかありませんから」

 慰めることも、肩を貸すことも、謝ることも、オレはサホにしてやれない。
 何もしてやれないと思っていたオレが、サホの憎しみや怒りをぶつけられる、唯一の捌け口になれるのなら構わない。
 アララギさんの吊った眉が垂れた目に近くなり、少し重たい息を吐いた。ファイルに何かしら書き連ねる。

「前回、医師の診察をと言いましたが、今の状態で受けても意味はないでしょう。代わりに、カウンセリングを二ヶ月に一度から三ヶ月に一度にします」

 カウンセリングの間隔を空けるべく診察を受ける話は、アララギさんの判断で延期になった。それでも二ヶ月から三ヶ月に延びたのは、アララギさんのせめてもの配慮だろう。
 里長が亡くなり、里の至る所が破壊され、木ノ葉隠れの里の動揺や混乱、疲弊は解消されていない。今の木ノ葉の里は他所からすれば、追い詰める絶好のチャンスだ。
 そんなときだからこそ、暗部は仕事が増える。カウンセリングだとか言っていられない、と思ってしまうほどに忙しい。

「だから、必ず来てくださいね」

 念押しまでされたら、従うしかない。そもそもカウンセリングは任務の一つとして入っているので、すっぽかすなんてことはするつもりはない。
 けれど改めて言い聞かせるということは、アララギさんから見たオレはすっぽかしそうなのか、それとも危ういのか。オレの心はすでに、毒に蝕まれつつあるのだろうか。



 里に刻まれた九尾の爪痕も、徐々に薄れてきた。急死した四代目の穴は、再び三代目が腰を据えてくださることで、里の住人にも安堵が広がった。
 四代目付きの暗部は一時的に三代目の下で動き、里の警備や他里の監視に力を入れ、正規部隊の多くは復興最優先とし里の至る所に向かわせた。
 半壊、全壊した家は多々あり、ミナト先生の家も、もう人が住めるような形をしていなかった。
 火影であるミナト先生宅には立ち入り禁止の結界が張られ、その中へ入ることが許されたのは三代目と四代目付きの暗部たちのみ。
 重要機密の書類や巻物などが保管されているであろうことを踏まえ、私物などは全て回収することになった。ミナト先生は自身でも術の開発を行っていただけに、仕事部屋にしていた私室の物は、折れた筆であろうとも一つ残らず手に取った。

 リビングだったろう場所には、産まれてくる赤子――ナルトのために用意されていたスペースがあり、柵のついた寝台の上には、小さな服や靴下が置かれていた。
 崩れた屋根の欠片や粉塵で、純白はすでに薄汚れていた。首元に巻かれる予定だったよだれかけは、クシナ先生とサホが作ったものだ。
 二人でソファーに並んで座って、縫い目が揃わないだの、犬の刺繍をしているつもりなのにモグラになっただの、四苦八苦しながらも楽しそうに作業していたのを思い出した。

 これは、ナルトに使ってもらえるのだろうか。

 産まれてすぐに両親を亡くし、そもそも『親』というものの存在すらもまだ気づいていないが、ナルトには偉大な父と慈愛に満ちた母が居た。これはその母親が、ナルトを思って用意した、いわば愛の形だろう。
 使ってやってほしい。頼む立場でも意見できる立場でもないが、なるべくきれいにと、服や玩具を丁寧に箱に詰めた。
 粗方の作業を終え、そろそろ引き上げようというときに、敷地の端に寄せられた鉢の数々に目が向いた。よく見る茶色の鉢から、白、赤、緑と多々あり、引き寄せられたのは青い鉢。青い鉢は、この家には一つしかなかった。

 たしか、コイヤブレとか、なんとか。

 サホとクシナ先生がベランダで交わしていた会話は、完璧にではないが大方覚えている。花言葉も、種ができたらサホにやると言っていたことも。
 見れば、家が壊れた際に倒れたのか、鉢には大きなヒビが入っており、中の土もこぼれて根っこが見えている。
 それよりもオレが驚いたのは、植物の先端が枯れた色をし、丸みを帯びていたことだ。朝顔などのそれによく似ている。

 もしかして、種?

 辺りを見回せば、近くで作業している暗部の姿はなかった。どうも瓦礫の中に大物が見つかって、その回収にと当たっているらしい。
 急いで、枯れた色をした、乾いた風船のような殻を指で摘まむ。ぽろっと崩れ、中から出たのは真珠だった。

「まさか、これが……?」

 どう見ても真珠だ。完全な球体ではないが、独特の光沢を持つ白い珠は、誰が見ても真珠だと思うだろう。
 しかしこれはたった今、この殻の中から出てきた。他の殻を割っても、似たような真珠が零れてくる。
 種だ。コイヤブレの種だ。
 なら、これも持ち帰らなければ。このまま置いて処分されたら、サホの手には渡らない。
 三代目にではなく、サホに渡さなければならない。オレは使命感に駆られ、実っていた種の全てを手早く回収すると、ポーチから小袋を取り出しその中に入れ、またポーチへ戻した。周囲の気配を窺う。恐らくではあるがオレの行動を見ていた者は誰もいないはず。
 何事もなかったかのように他の仲間の下へ向かい、作業を手伝い、隊長の指示で回収した荷物を火影邸へと戻る。ポーチの中の種は提出せず、誰にも知られぬように家へ持ち帰った。
 持ち帰ってきたはいいが、これをどうやってサホに渡せばいいだろうか。第三者を通して渡すにも、四代目の家から勝手に持ち帰ったと知られる可能性を考えると、誰であろうと頼める気にはならなかった。信用できないというわけではなくて、万が一ということがある。
 とりあえず、これはしばらくオレが保管しておこう。いつかサホに渡せる日まで。
 そうやって言い訳して、オレは結局、オレの手でサホに直接渡したいのだと、見えてしまいそうだった本心に蓋をして箪笥の奥へと仕舞った。



 荒れていた里に活気が戻り出した頃。復興への忙しさも一旦落ち着いてきたが、裏での仕事を主としている暗部は変わらず多忙だ。
 一度ガイにしつこく付き纏われたことがあって――普段からではあるが、普段以上に――要はサホとの仲を改善するために、食事でもする場を設けるので暇な日を教えてくれと。

「忙しいから」
「そんなことを言っていてはキリがない!」

 それはそうなのだが、忙しいのは本当だ。
 四代目の暗部の一部は、そのまま三代目付きへと転属になった。オレもその一人で、元々三代目に付いていた暗部と組むこともあり、前以上に神経を使っている。
 通常任務をこなしつつ、連携を取るために班を組んでの演習も必要だ。一人暮らしに慣れたとはいえ、家事にも時間を取られる。

「こういう状況なんだ。埋められる溝は埋めておくべきだぜ」

 ガイの傍についたアスマが言う。
 不和というのは突きやすい弱点の一つだ。木ノ葉の里が一枚岩になるためには、どんな小さな亀裂でも見過ごせない。ヒビが入ったままではいずれ穿ち、穴となるかもしれない。

「いいから。オレとサホのことは放っておいて」

 オレも昔、人を許せない人間だった。
 父の仲間や、糾弾する里の大人たちを恨んだ。
 父が自害したと聞き、自らの行動を悔いてひどく項垂れた者たちを、オレは決して許そうとはしなかった。一生、罪に苛まれていればいいと突き放した。
 サホがオレを憎む気持ちはよく分かる。父の仲間たちを恨んだ過去があるオレが、どうしてサホに許してほしいと請えるだろうか。仲を取り持ってもらおうなどと、淡い期待を抱くことなどできようか。

「サホにこれ以上、負担をかけたくない」

 外野からの『許してやれ』は、はっきり言って反感しか覚えない。
 個人によるだろうけれど、人というのはある程度の“許容の皿”というものがあって、許せるものであれば誰に言われるでもなく許せる。現にサホは、オビトが命を落とした起因であるオレを許してくれた。
 リンの死は、その“皿”で受け止めきれず、零れてしまうほどのものだった。だからサホはオレを許せない。オレも、父の仲間や里の大人を許せなかった。
 できないことをやれと強要されるのは、苦痛であり、厭悪で、不愉快だ。それでも堪えるのが忍だと言われたらぐうの音も出ないが、サホだけはもう苦しんでほしくない。
 ガイはまだ何か言おうとしていたが、アスマはオレの気持ちが理解できたのか、「分かった」とだけ言って、ぎゃあぎゃあとうるさい緑を連れて行ってくれた。察しがよくて助かる。そういうところが女受けがよくてモテるのだろう。



 ミナト先生たちが亡くなって一年が経つが、変化が多すぎて、もう一年も経ったのかと日付を見てひどく驚いた。
 一度崩れかけた里は、新しい建物が次々に増えたこともあり、以前とまったく同じ風景には戻らなかったが、住民の顔に明るさは戻った。
 ただ、里を出ていく者や、忍を辞める者も多く見られた。新たに人生を仕切り直すためだとは思うが、全員が前向きな決断ばかりではないだろう。
 出ていく者の中にリンの一家もいた。持っていた畑や家は手放され、耕されていない地と空き家だけが残っていた。オレのせいで、慣れた土地を出て行かせてしまったのではないかという罪悪感がふつふつと込み上げる。
 リンは里の忍として死んだので、木ノ葉にその骨を埋めている。リンと家族をまた引き離した気がして、リンの墓に謝罪を繰り返した。


 サホとの関係は、少しだけ変化があった。
 以前は互いに接触を避けていたため、慰霊碑やリンの墓の前でサホに会うことはなかったが、九尾事件以降、顔を合わせることが多くなった。
 オレが慰霊碑の前に立っていても、サホは気にも留めない様子で横に並んだ。何か恨み節でも食らうのではと内心狼狽していたが、サホはオレに反応を示すこともなく、気が済んだらさっさと去って行った。
 慰霊碑だけではなく、リンの墓の前や、ミナト先生やクシナ先生の前でも何度も続いて、そのうちオレもサホが先に立っていても、いなくなるのを待つことなくその隣につくことにした。
 サホはオレになど興味がない。隣に立つことを毛嫌いして避けることも、『構う』という一種の反応の表れだと考えるなら、オレの存在など気にせず墓参りという自分の用事を済ませる彼女は、オレなど本当にどうでもいいのだろう。
 彼女から見たオレは『田んぼの案山子』でしかない。寂しい気持ちもなくはないが、遠ざかっていた横顔がすぐ傍にあるのは、言葉にし難い感情が湧く。


 三ヶ月に一度のカウンセリングも続いている。相変わらず、お決まりの会話を続けるだけの時間ではあるが、アララギさんに会うこと自体は煩わしくなかった。
 彼は、鏡のようだ。落ち着いた声色に誘われるかのように、自分の中の声がよく聞こえる。彼と話していくうちに、まとまらない思考がだんだんと整理できて、ぼやけていた自分の輪郭がはっきりと浮かんでくるのだ。

「あいつに、新しい師がついたんです。もっと専門的な知識を学ぶために。他にも色々勉強したり、鍛錬していて、それで、毎日忙しいようで、ホッとします。余計なことを、考えなくて済みますから」

 ガイや紅たちからたまに聞くサホの近況は、彼女と会話できないオレにとって貴重な情報源だ。
 忍を辞める者が多い中で、サホは留まり、自らを高めるために毎日励んでいる。
 落ち込んだり考え込むくせがあるけど、昔からサホは努力家だ。目標を決め、そこへ辿り着くためにコツコツ積み上げる勤勉な面がある。
 そうやって目の前のことに熱中している間は、そのことだけを考えていられる。悲しいことも痛みも、少しの間だけ忘れていられる。

「彼女の話ではなく、カカシさんの話を聞きたいところですが」

 言われて、カッと顔に熱が集まる。
 『何でもいいので話したいことがあれば』と言われ、オレの口をついて出たのはサホのことだった。
 アスマたちには放っておいてほしいと頼んだ手前、サホに関する話をできる相手がいない。情報だけは蓄えられ、発散する場所がなかった気持ちを、ここぞとばかりにアララギさんの前で語ってしまった。
 勘違いした自分の間抜けさに恥じていると、

「まあ彼女のこともまた、貴方のお話ですから」

そうアララギさんが微笑むので、オレは黙って俯き、マスクでほぼ見えないだろうが、赤くなっているだろう顔が早く元の色に戻ることを願った。



 オレが隊長を務め、里から長期離れる任務から帰還する途中、火の国の領内で画策していた他里と遭遇し、交戦になった。
 こちらは六人、あちらは二十人ほど。国境の警備をすり抜けてきただけあって手練れなこともあり、慣れた地だというのにこちらが不利な状況だった。
 そこへたまたま任務で近くにいた木ノ葉の忍たちが加勢してくれたおかげで、大した負傷者を出すこともなく、他里の忍を縛り上げることができた。

「助かったよ、ガイ」
「なぁに、木ノ葉の忍として当然のことをしたまでだ!」

 拳を上げてオレへウインクする姿ははっきり言って気味が悪いが、ガイたちの協力があって虎口を脱したことには感謝している。
 だから『もし感謝してくれているなら、今度オレの鍛錬に付き合ってくれ』と言われたときも、たまにはいいかとすんなり了承した。

 それで、オレは今、木ノ葉の忍たち用に整えられた鍛錬場に足を向けたわけだが。待っていたのはガイだけではなく、傍にはサホの姿があった。ばちんと目が合って、驚いた心臓が大きく跳ねる。動揺して止めていた足を進め、腹が立つくらい爽快な笑顔のガイに迎えられた。

「よお、カカシ!」

 何が、『よお、カカシ』だ。

「ガイ。どういうこと?」

 問うてはいるが、ガイの魂胆はすでに分かっている。仲違いしているオレとサホを引き合わせるために、この場を作ってオレたちを呼び出したに違いない。サホもオレを見て目を真ん丸に見開いていたから、彼女もまたオレが来ることなど知りもしなかっただろう。

「言ったではないか。この前の礼に、鍛錬に付き合ってくれと」
「いやま……言ってたけど……」

 ガイの言うことは正しく、悪びれた様子もなく堂々と言い切られると、わざわざ訊ねた自分が馬鹿に思えた。騙し討ちみたいなことへの非でも感じてほしくて、嫌味で問うたつもりだったのに、通じないなら何の意味もない。

「オレたちの戦いを見学することは、サホの勉強にもなる。オレはカカシとの今日の鍛錬で自らを高みへと近づけ、さらにライバル勝負に置いても念願の勝ち越しを手に入れる!」

 どうやら今回この場は、ガイにとってはほぼ完璧なセッティングのようだ。サホのためにも、自分のためにも。オレのためというのが抜けている気がするが、恐らくそこは『二人の顔を合わせるため』とでも言いたいのだろう。
 正直なところ、迷惑な気分が大半だが、わずかに有難さもあった。が、そんなことを伝えるつもりは毛頭ない。

「というわけでサホ! お前は近くで見学していてくれ!」
「あー……うん。分かった」

 言うとサホはさっさとオレたちから距離を取った。見学者でいられることが心底羨ましい。
 ストレッチをし体を伸ばすガイの目には、もうオレしか映っていない。くどい顔で見つめられるのは気持ち悪い。
 面倒なことになった。礼なら別のことにしてくれ、と代案を出すべきだった。
 嘆いていても、もはや手遅れ。鬱陶しさを吐き出すように、肺に溜まっていた空気を押し出したあと、ガイに向き直る。

「この勝負に負けたら、オレは目隠しをしながら里を全速力で100周する!」

 勝手にやってくれ。


 組手が始まってすぐは、サホの勉強ためということで、お互い手を抜いていた。
 しかしそのうちガイの方に火がついて、あっという間にいつもと変わらぬスピードで動くので、オレも合わせるしかなかった。

 これ、サホの勉強になるの?

 まるでさっきまでの動きは準備運動だったとばかりに――実際サホの目に合わせた速度となると、オレたちにしてみれば準備運動でしかないが――高速で繰り出されるガイの拳や蹴りを避け、こちらも応じて抑えていた分を出せば、サホただ突っ立ってこちらを見ているだけ。勉強になっているかなど考えるまでもなかった。

 さっさと終わらせよう。

 何の勉強にもならないのに付き合わせているのは可哀想な気がする。早くこの勝負に蹴りをつけて、オレが先に抜ければ、ガイもサホの鍛錬を始めるはずだ。
 なら、と気合を入れ直し、とにかくガイを伸す気概で挑めば、ガイの顔には喜色が広がる。オレがいつも以上に本気になったのが楽しいのだろう。くどい顔の男に恍惚な顔を向けられるのはやはり不気味だ。
 妙な寒気を感じていると、ふと、サホの傍に立つ人影に気づいた。ガイに応戦しつつ横目で確認すれば、見ない顔の男がサホに親しげに声をかけている。

 誰だ?

 同期にあの顔はない。オレの周りにもいない。とすれば、オレの知らないサホの知り合い、ということだ。
 知らない顔の男と、サホは会話を重ねる。慣れた仲なのか、サホの顔に緊張感もなく、距離も近い。
 あれは誰だ。年上みたいだ。見たことあるかもしれないが、しばらく暗部にいるせいで、正規部隊の顔ぶれを全て把握できていない。
 分からないことに対する焦燥感に駆られるよう、とにかく早くこの勝負を終わらせるべく、振るう拳に、腕に力を入れた。早く。早く。
 ようやく勝負はついたが、すでにサホの傍にあの男の姿はなかった。乱れた息が整うまでその場に突っ立ち、時々天を仰いで深呼吸を繰り返す。

「うおおおお……!! あのとき、左足をさらに曲げていれば!」

 頭を抱え、暑苦しく悔いているガイに無理だろうと告げれば、決めつけるなと返されたが、無理なものは無理だ。根性論で人体の構造を超えられるなら、ガイはとっくに人の形をしてないだろう。

「しかし、得る物は多かった! 今後の課題ができたぞ!」

 課題を喜ぶなんて、アカデミーの生徒が聞いたら信じられないだろうけれど、ガイという人間は苦難を多く望む。障害や壁が多く、高く険しいほど、乗り越えられたときに大きく成長できるのだと信じて疑わない。

「どうだ、サホ! 何か得られる物はあったか!?」
「うん、まあ……わたしはまだまだだなぁと思ったよ」

 苦笑するサホに、そりゃそうだよねと、決して馬鹿にはしていないが同感だった。サホのレベルに合わせなければ意味がないのに、そこのところを忘れてしまったガイが悪い。ま、早く終わらせようと本気を出したオレも悪い。

「よし! それじゃあ今から三人で団子屋にでも行き、反省会を開こうではないか!」

 そう言って、この場から移動しようとするガイに一瞬驚いた。サホの鍛錬はしてやらないのか。お前は随分と清々しそうなやりきった顔をしているが、あいつは何の実も得られていないのに。
 どっちにしても、礼としてガイに付き合う約束は果たされたわけだから、オレは先にお暇させてもらう。

「じゃ、オレはこれで」
「カカシ!」

 後ろの襟を掴まれ、喉がぎゅっと締まる。息ができなくて体を立て直し、ガイの手を思いっきり振り払った。

「たまにはいいだろう!? 昔のように、三人で友情を育もう!」

 ああ、その目的は忘れてなかったわけか。むしろ一番忘れていてほしかったのに。

「甘いの好きじゃないし」
「なら煎餅屋で煎餅でも買うか!」
「いや、いいから。オレは行かない。二人で行ってくれば」
「こら、カカシ! 遠足は家に帰るまでが遠足だ! 組手の約束も、反省会までが約束だ!」

 そんなわけあるか。勝手な理論を押し付け、オレの腕を掴んで離さないガイを何とか振り切ろうとしてはみるが、体力筋力バカのガイはなかなか剥がれない。

「ガイ。あそこでお茶売ってるでしょ。お茶買って、飲んで、解散。それで我慢しなよ」

 ため息をついたサホが、鍛錬場の外を指差す。この近くにある小さな売店を指しているのだろう。

「むっ! うーん……そうだな。腰を据えてゆっくり語り合いたいものだが、移動するのも些か手間がかかるしな。カカシ、それならどうだ?」

 ガイがオレに振ってくる。『どうだ?』と言われても。
 サホはそれでいいんだろうか。ガイが居るとはいえ、オレと一緒にお茶を飲むなんて、いやじゃないのだろうか。

「……サホがいいなら」

 彼女の反応を見てしまうのが怖くて、目は横へずれる。ガイの視線はオレからサホへと移り、サホはしばし黙ったあと、

「じゃ、そういうことで。ほら、行こう」

と促し、オレたちを置いて出入り口の方へと歩き出した。ガイはやたらと上機嫌でその背についていき、オレは口を閉じて二人の後ろについた。
 鍛錬場近くの売店には、青年とも中年ともいえない歳の男性が店番をしていた。オレたちに気づくと読んでいた新聞を畳み、それぞれの会計を済ませるとまた新聞を広げる。この辺で一番近い売店はここで、鍛錬場に通う忍にとって必要最低限の品が揃っているので、必然的に客入りはいい。常連客を得るためにと、変に愛想を振りまく必要もないわけだ。
 売店の近くに長椅子があったので、そこにサホとガイが座る。詰めればオレが座るスペースはあっただろうけれど、加わるつもりはなかったので長椅子の傍に立った。
 動いたあとで、それなりに喉は渇いている。ガイは一気に半分ほど飲んで、

「勝負のあとのお茶は美味いな!」

などと笑顔を見せるが、オレもサホも大した反応は返さないので、すぐに難しい顔に変わった。

「むぅう……そういえばサホ。お前、さっき話していたのは誰なんだ?」
「え? さっき?」
「オレとカカシが組手をしているときに、お前に話しかけていた男が居ただろう」

 サホに問うガイも、やはりあの男に気づいていた。紅辺りから『ガイはあんたしか見えていないもの』と薄気味が悪いことを言われたが、そこは腐っても木ノ葉の里の忍。組手中だからこそ、第三者からの不意打ちの攻撃を察するためにアンテナを張っておくのは大事だ。ガイはその辺りを本能で理解している。その無駄なアンテナのおかげで、オレはよく見つけられて勝負を挑まれて迷惑しているが。

「ああ、シイナさんね」
「シイナと言うのか。初めて見る顔だな」
「……ガイからすれば、初めて見る顔の人は多いかもね……」

 何とも言えない横顔を見せるサホに内心同意した。ガイはいまだに、特定の人物以外の顔はすぐに忘れる。どんなに個性的で印象強く、一度見たら忘れられないだろうという顔であろうとも、数日後には平気で『誰だ?』の一言を放つ。ホントに、よくこれで任務がこなせるなと不思議だ。

「やけに親しかったな」
「そう? 組手の最中なのによく見てるね」
「まあな! 目の前のライバルに全身全霊を注ぎ込みつつも、周囲への注意を怠らない。それが忍者というものだ!」

 胸を張るガイを見ながら、サホはお茶を一口飲む。

「定期的に、封印術者の集まりがあるの。九尾が現れたから、ね」

 『九尾』という言葉に、ぶわりと鳥肌が立つ。ミナト先生やクシナ先生を死に至らしめたという記憶が脳裏を駆け、手に持っていた容器を握る手に力が入るが、幸いにも頑丈であったため破裂するようなことはなかった。

「新しい人柱力の中に封じられたけど、いつまた封印が解かれるとも分からないでしょ。だから、封印をかけなおしたり、抑え込める封印術者を増やすために、集まって勉強会や情報交換をして各々のレベルを高めて……そういうことをしてるの」
「なるほど。そういえばサホは、封印術が得意だったな」

 ガイが返すとサホは頭を縦に振った。人柱力の封印など、ちょっと学んで習得できるものではないだろう。先生が施した術式がどんなものか、どれほど力があるのか分からないが、まだろくに自分の意思で動けもしない赤子のナルトに何か遭った場合、封印が緩んだり解けてしまう可能性は想像に難くない。

「でも、高度な封印術を扱えるようになるのはまだまだ先だから、たくさん勉強しないと……」

 サホは少し背中を丸めた。視線の先は自身の足下。
 はっきり言って、サホの実力は人並みだ。戦争を経験しているだけあって、戦闘技術は随分と向上したけれど、まだオレやガイの動きも目で追えない。
 そのサホが唯一秀でているのが封印術であり、それに関しては恐らくオレももう追い越されているだろう。
 とはいえ、まだ成人にも達していない中忍は、封印術者の集まりの中ではやはり未熟者になるらしい。
 俯く横顔は、出会った頃から見慣れている。
 昔からサホは自信を持てないでいる。想い人が名のある一族であることに引け目を感じ、親友と比べては至らない部分を見つけて落ち込んでいた。
 やっと見つけた封印術という強みも、その界隈に身を置けば、自分は大した実力ではないことを知って、掴みかけた自信が揺らぐ。
 だとしても卑下するほどではない。他者と比較し努力を放棄する者も居る中で、腐ることなく取り組む姿勢を保ち続けているのだから、そこはサホの美点だろう。

「木遁が使えたらなぁ」
「木遁?」

 ぽつりと零した言葉に、真っ先に反応したのはガイだ。

「ほら、初代火影様だけが使えたっていう、木遁忍術。木遁は尾獣を抑え込む力があるから」

 サホの説明に、ガイはまるで初めて聞いたとばかりに興味深そうに相槌を打つ。
 アカデミーの授業で木ノ葉隠れの里の歴史について学ぶことは何度もあり、特に里を成した初代火影である千手柱間様の話は、里の子どもにとって一種の英雄譚でもあった。しかしガイはあまり覚えていないようだ。

「木遁じゃなくても、人柱力にかけられた封印を抑え込む術はあるけど、木遁が使えたら……」

 ガイに向けるため上げられていた顔は、また俯いた。
 『木遁が使えたら』。その先を促すほど無粋な真似ができる者は、この場には居ない。

――木遁。

 暗部の任務中、思いもよらない出会いがあった。割愛し、要点だけまとめれば、ダンゾウ様の管轄にある『根』に所属する、キノエと名乗る木遁使いと少々いざこざが起きた。
 『木遁使い』は初代火影である千住柱間様の呼称といってもおかしくないほど、彼以外に木遁を扱える者は百年近く現れなかった。
 その木遁使いが木ノ葉に居た。同じ暗部ではあるが『根』はダンゾウ様直属部隊であり、オレたちと関わることはないため、彼の素性は不明のままだ。分かっていることは、まだ十ほどの少年であり、年頃のせいか少し意固地な面があるくらい。

 もし、キノエの存在をミナト先生や三代目が知っていれば。

 尾獣を抑え込める木遁使いが、クシナ先生の出産に付き添っていたら。九尾の封印は解かれることなく、誰も死ぬことはなかったかもしれない。
 里を束ねるのは今も四代目で、クシナ先生は赤子の世話に追われて、ナルトは陽のあたる場所ですくすくと育ったかもしれない。
 全てはもう起こり得ない仮定の話だというのに、キノエの存在を知ってから、もっと早くと考えずにはいられなかった。

「どうした? カカシ」

 呼びかけられてそちらを見やると、不思議そうな顔をしたガイとサホがこちらを向いていた。どうやら何か口走ったようだ。

「いや、何でもない」

 考えていたことがそのまま口に出ていたらまずい。このままこの場に留まって変なことを言ってしまう前に帰ろう。
 買ったお茶はすでに空なので、売店近くのゴミ箱に容器を捨てて、二人の下には戻らず反対の方へと爪先を向けた。

「おいカカシ!」

 勝手に帰ることを咎めるようなガイの声が飛んできたが、

「これから任務だから」

それだけ投げて、戻ることも振り向くこともしなかった。ガイの要望には付き合ったし、礼はできたはずだ。
 任務なのは確かで、しかしまだ時間がある。そういうとき、オレの足は決まって、オビトやリンの下へ向かう。今日はリンの墓の方だ。



 整えられている歩き慣れた道を通り、『のはらリン』と刻まれた石の前で足を止める。この墓ができたのは数年前。墓石は陽に焼かれ真新しさはないが、丁寧に手入れをされているので、汚れや苔などついたことはない。
 見慣れた墓なのに妙に違和感を覚え、すぐに気づいた。備え付けられている花立てが空だ。

 おかしいな。供えたばかりだったはず。

 午前中は非番だったので、ガイとの待ち合わせまで時間を使って、朝から慰霊碑や墓に顔を出していた。その際に墓を飾っていた萎びた花と、花屋で調達した新しい仏花とを取り換えた。まだ開きかけの蕾もあり、束ねられたばかり花は一目見て新しい花だと分かるはずだ。
 それなのに花は花立てから消えている。半日も経っていないのに、もう枯れたということは考えられない。
 ならば、オレのあとに顔を出したサホが捨てた? いや、それもない。枯れない限りはリンに手向けられた花を捨てることはしない。

 悪戯か、花泥棒か、それとも悪意か。

 ただの悪戯や花泥棒なら、リン個人に対する恨みというより、花があればどの墓でもよかったのであり、リンの墓が狙われたわけではないので、墓地の管理者に報告して見回りの回数を増やせば対策は取れる。
 けれど悪意なら話は違う。墓の花を捨てるなどという罰当たりな行為ができるのだから、ろくな倫理観など持たない者かもしれない。そんな奴は、見回りが増えようが監視員が居ようが、自分の感情を向けることを止めたりなどしない。
 しかし、リンに恨みを持つ者などいるだろうか。人当りがよく、献身的だった彼女を嫌う者はいないと言っても過言ではない。
 だとしたらリンではなく、花を供えたオレ?

「……心当たりがありすぎる」

 オレを嫌う者として、真っ先に思いつくのはサホだが、リンの墓を荒らすような真似は絶対にしないので除外するとして。それでも思い当たることは出てくる。
 最近のオレは以前に比べて丸くなったと言われているが、昔のオレは端的に言えば傲慢で独り善がり。だから任務で組んだ相手の反感を買い、陰口を叩かれることはよくあった。
 若気の至りと言うには穏やかじゃない、その辺りの時代に築いたアレコレで、オレへの恨みがリンの墓へ向けられているならオレの責任だ。

「リン、ごめん」

 本当のところはどうか分からないが、静かに眠るリンに謝った。
 新しい花を生けないと。でもまた捨てられたら、リンに迷惑だろうか。

 上手くいかないな。

 振り返れば振り返るほど、オレの人生は上手くいったことなんてほとんどなかったように思える。
 どうでもいいことばかり、オレは上手くやれた。アカデミーの卒業試験も、中忍試験も、上忍への昇進も、暗部への配属も。そんなことばかり上手くこなして、大事なことほど取り溢している。
 さっき見た、俯くことに慣れたようなサホの横顔が頭にちらつく。
 オレがいつも見ていたサホは、想い焦がれて苦しむことはあれど、瞳は曇ることなどなく、ひたむきに満ちていた。
 その横顔が好きだった。自身の弱さに足掻く彼女は、傷つきながらも尚、道を進むことを止めない強さを持っている。

 サホだけは。

 サホだけは、もうこれ以上、悲しませたくない。苦しめたくない。死なせない。



16 ここは雪の底

20191002


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