環境が変わるのはあまり好きじゃない。何をしているわけでもないのに、何故だか身体に堪える。本当、何でだろう。

何故だかは分からなくても、そうなることは分かりきっているのだからこういった行事に参加するのはあまり好きじゃなかった。

寝返りを何度うってみたところで、身体につきまとう倦怠感はどうにもならない。
呼吸が不自然に揺れる。脈が異常に速いまま、もう二時間近くが過ぎてしまったようだ。さすがにそろそろしんどい。


だいたい、これもいけないのだ。こういう時に人の気配を感じるとうまく息ができない。無理矢理に暗くされた部屋に、冴えてしまう意識が放り投げられて、そんなことが人の不安をあおってくる。
幸い今日の宿は二人部屋だったので俺を見張るのはあの無頓着もとい無関心な新羅しか居ないのだが、それでもやっぱりこの状況は耐え難い。

無理矢理に身体を起こすと俺は外へ向かった。向かおうとした。


「臨也」

制するように低く鋭く名前が呼ばれる。呆れたような怒ったような顔で新羅がこちらを睨めつけていた。

結構うまくやってたつもりだったんだけどな。やっぱりばれてしまうのか。どうしたって新羅にはかなわない。けれど譲れない一線が俺にもある。


「ちょっと散歩してくるよ」


作り笑顔でたしなめた。何だかんだ言って新羅は俺の困った顔に弱いのだ。新羅が俺を知っているように俺だって新羅を知っている。

こわい顔のまんまでにらまれる。
少しの間の後、おどけたおどし口調でどやされた。

「あんまり遅いと探しに行くよ?」

新羅がこんなふうにとやかく言ってくるのは珍しい。

「どうしたの」

「面倒を増やされたら面倒ってだけだよ」

「そう……」

本当に面倒なのか、何なのか。


布団から抜け出して程無いというのに寒さに身が満たされていた。
確かに、確かにだ。でも仮にだ。お前は良いかも知れないけれど、いや良くないけれど、そうにしたって、隣の部屋では誰が寝ていると思う。やっぱり俺は立ち止まれない。

隣の部屋へ細心の注意を払いながらひとり部屋を抜け出した。


辺りはしんとしている。いざ歩き出すとふらついてしょうがなかった。意外といろいろ限界だったのかもしれない。新羅のにたにたした顔が浮かんでむかついた。とにかく足を動かす事だけに専念して、夕方みつけておいた、宿の裏の小さな森を目指した。あそこなら人目には絶対につかないはずだ。


遊歩道にそって歩く。しばらくもしないうちに突き当たりまで来てしまった。
小さな広場のようなこじんまりとしたスペースにベンチと水飲み場だけがぽつんとあった。そうそう人が来ることはないようで、役目を果たさないまま風にさらされ続けているらしい。ベンチを指でなぞると指先が黒くなる。その先は暗いからよく見えないけれど、どうやら鬱蒼とした木々が延々と敷き詰められているみたいだ。闇から音だけが鳴っていた。



いくら気を紛らわせようとしても現状はちっとも変わらなかった。こんなに寒いのにじわじわと纏わりつく汗がうっとおしい。
いくら呼吸をしても息が苦しいような気になってしまう。実際、息が切れる。気持ち悪い。寒さが目眩がする。

急速に込み上げる吐き気に耐えきれず、水飲み場に手をつく。


とたんに堰を切らせたように胃が震えて熱い感覚が喉をせりあげる。

「ごほっ…はっ」

すっぱい懐かしい感触に目眩がする。
視界も奪われて、葉の乾いた風の音だけが耳についた。池袋では聞こえない音だなあ。聞こえたのは確かにそれだけだったはずなのに。




「誰か居るのか」

「えっ……」


風の中からいきなり人が現れた。そうにしか聞こえなかった。


「いざや……?」

「しず、ちゃ…ん…?」


幻聴…?嫌だ、そうだろ。そう信じたいのに。なんとか視線だけを上げると、いま一番ぜったいに見たくなかった姿がそこにあった。
なんで、なんで、なんで?
なんでこんな所に居るんだよ。なんで今来ちゃうんだよ。
何のために人がこんな所まで来たと思ってるんだ。ああこんなことなら部屋で吐けばよかった。

なんとかなれって言い聞かせたって、どうにもならない。我慢がもたなくて身体が折れる。口を押さえてみても、一瞬動きが止まるだけだった。
「げほごほっごほ…っ、……はっ…」

「おいっ……」

汚い。見られたくない。ああ、お願いだからどっか行ってくれないかな。全身で念を発してみたってぜんぜん通じなくて、シズちゃんはあろうことかこっちに近づいてくる。ばかばか、あっち行けって唱えてみたりするけどちっとも通じない。指先がぴりぴりするのはきっと力がかかりすぎてるからだけじゃない。

「お前、は、本当に……何なんだよ……」
おずおずと伸びてきた指先が背中に触れる。びくりと身体が震えた。こ、わい。
ゆっくりと降りてきた手のひらが小さな波みたいに背中を行ったり来たりする。手のひらの熱のせいでいたるとこのネジが馬鹿になっちゃったみたいだ。泣きそうになってぐっと押しとどめる。嘘だ、こんなの。息の仕方をふと思い出す。大きく息をしていると少しだけ吐き気が引くような気がする。

一通り吐いてしまうと、身体はだるいままだったけれど、少しだけすっきりしたような気もする。

少し固くなっている蛇口を開いてばたばたと落ちる水を手ですくって、口をゆすいだ。

取りあえず笑顔を取り繕いながら顔を上げるけれど、それを見るなりシズちゃんの顔は余計に歪むから、ああ、やっぱり流石に誤魔化せないみたい。空気を読んで誤魔化された振りなんてこともしてくれないらしい。まあ、シズちゃんだもんな。仕方ないか。

「ごめん、俺ぜんぜん気づかなくて」

なんでお前が謝るかな。むかつく。

「でもお前だって…言えよ、俺が言われなきゃ分かんねえの分かってんだろ」

「急だったんだよ。ご飯の食べ過ぎかなあ。なんで修学旅行のご飯ってあんなにいっぱいなんだろうね」

「そうかあ?俺はちょうどよかったけど」


君みたいな人がいるからあんな量を出されるんだ。ってほとんど食べれなかったけどね。そんなことにもシズちゃんは気づいていなかったらしい。こっちは天然の鈍感だ。まあ一緒にいる分には楽で良い。
シズちゃんが余計なことに気づく前にこのまま話をそらすことにする。

「それにしても何でこんなとこに居たの」

これは純粋な疑問でもある。本当、なんでこんなとこに、こんな真夜中に一人でいるんだよ。

「いや、俺は星を……」


「ほしを……?」

「いや、その…」

「星を見に、こんなとこまで来てたの?」


シズちゃんは目を泳がせながら口をぱくぱくさせていた。

あはは! 何それ! 面白すぎるでしょ。相変わらずの乙女思考にひっくり返りそうになる。いや、ひっくり返った。

「おい、大丈夫か!」
「いやあ、シズちゃんがあんまり面白いこと言うからさ」
「はぁあ?」
「あはは、本当に最高だね君は」

後ろ手に尻をつくと満天の夜空が視界を覆った。
同じ場所に居たはずなのに、見える風景が全然ちがう。


「すごい、」

「ん?」

「すごい馬鹿」

「んだよそれ」

シズちゃんが俺の隣に腰を下ろす。

星を見に外へ、か。面白すぎて涙が出てきた。

「あんま無理すんなよ」

「何の話ー?」

「怒るぞ!」

「嘘嘘。大丈夫だって」

「だからそれを止めろって言ってんのに」

「本当に大丈夫」

だってだってね、君が居たら、なんでも大丈夫な気がするんだ。本当の本当だよ。


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あとがきは日記にて。
リクエストありがとうございました!



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