今泉君とシェアハウスしている私。ベッドは半分こで一緒に寝ている。それにここ星墜モダンアパートの一階にある美味しいクレープ屋さんは大家さんがやってて、そこで手伝いをするとその月の家賃を払わなくていい。
あの今泉君と一緒の屋根の下なんて羨ましい。なんて友達に言われた私は「そうかな」と苦笑いを零す。今泉君はかっこいい。中学の時からそれは言われ続け今に至る。かっこいいとは思う。性格は賛否あるだろうけどまぁ良い方。プライドが随分とお高いようで、時々扱いに困るくらい。だけど優しい時は優しい。鳴子君がそれを聞けば「頭イカれたんとちゃうか?」と疑ってくるだろう今泉君への評価。
完璧とは言わない。ちょっと難がある方が付き合っていていい。だけど、だけどね。
窓からの光が茜色に変わる時間。ソファに広がる淡い色のワンピースを掻き集めて、両足を抱えて膝に顔を埋める私の心境はとても複雑。何をそんなに複雑かと言うと、カレンダーに書いてある花丸印。私の手帳にも書いてあるその日は一年で一度、特別とまではいかないけどちょっとした記念日。

「…ばか泉」

特別じゃないよ、ちょっとした記念日。けど私にとっては大切な日なんだよ。分かり易いように赤色でぐるっと数字を隠すくらい大きく花丸をした。彼だって何日か前にはその印を見て私に「そんなに書かなくても分かる」って文句を言っていた。なのになんでよ。朝起きて、隣に居ないことに気付いてリビングから始まり、部屋全部をぐるりと回って玄関に行くと靴もロードバイクも消えていてそこで一気に気分が落ちる。去年と一昨年は忘れていた。彼は私の期待をことごとく打ち砕いていく。慣れた気もする、でもやっぱり悲しいな。
足を抱える手でくしゃり、とワンピースを握れば皺が出来る。いつかのお出かけの時、似合うに似た回りくどい言葉で褒めてくれたワンピース。それ以来大好きになったこのワンピースはこの日のためにクリーニングに出して綺麗にしていた。口下手な彼がせっかく褒めてくれたから嬉しくて。
顔を上げてそんな思い出のあるワンピースに目線を落としていると、玄関から聞こえた音と声に思わず体が反応する。いつもならおかえりの一言を掛けるけど今はそんな気分じゃない。もう一度膝に顔を埋めて、聞こえる足音に耳を澄ませながら膝を抱える腕に力が入れて「なまえ」と控えめに呼ばれた名前に無反応を示す。

「いるなら返事しろよ」
「……」
「おい」

無視の私に少し苛立ちを含んだ声を出す今泉君に私はほんのちょっとだけ顔を上げる。するとソファに座る私の前にしゃがみ込み、切れ長な目がこっちを見つめていた。ロードバイクに乗る時のぴちっとした服を着て。朝っぱらから今の今までロードバイクですか、そうですか。この様子じゃすっかり忘れているようで。恰好から今日のことなんて気にも止めていない様子の今泉君に嫌気がさして、見つめてくる目線から目を反らす。一人で舞い上がってて馬鹿みたいだ。私もいっそのことこの日の事を忘れて昼までぐーたら寝てしまいたい。
朝から今日のことばっかり考え過ぎて疲れたのか頭がぼぅ、とする。何もしゃべらない今泉君と私の間に静寂が続く。ああ、嫌だ。なんだか泣いてしまいそうだよ。泣きたくないのに込み上げてくる涙を必死に堪えて唇を噛んでいると、不意に目の前に現れたクマのぬいぐるみに目を瞬かせる。

「…クマ?」
「…前、お前 見てただろ」

可愛らしく首元にリボンの付いたクマには見覚えがあった。だけどあれ?前って今言ったけどこれって結構前だったはず。いつも見ていた店から無くなっていて「あ、ない」と呟くように言った日から季節は二回巡っている。なんでこれがここに?と考えている私にもう一つ白い箱を押し付けてきた。これも見覚えがある、これは大家さんがやっているクレープ屋さんの箱だ。上部分から中の見える透明な所から見えたクレープ生地で出来たケーキに綺麗な花の飾りを施して、チョコレートの板に英語で書かれた文字を見て堪えていたな涙が溢れ出しそうになる。

「な、なんで…だって今泉君 忘れてたんじゃ」
「あんなでっかく書かれて忘れられるほど俺は馬鹿じゃない」
「じゃあ 朝いなかったのは、」
「寒咲からそのクマを見つけたって電話があったんだよ、それが少し遠くだったから早めに出ただけだ」
「私、てっきに走りに行ってるんだと思ってて」
「するわけないだろ、鳴子や寒咲達が煩い」

半ば押し付けられるようにしてクマを私に預けた今泉君は視線を下に下げて何かをじっと見た後、もう一度私の目を見る。何か言いたそうな表情で口を開いては閉じて口ごもる今泉君。今泉君?と名前を呼ぶと視線を反らして、照れた顔で「俺がお前に告白した日だ、忘れねーだろ」と言ってしゃがむ自身の膝に肘をついて、口を手の平で隠す。
なんだ、忘れてなかった。今泉君はちゃんと覚えていてくれた。何かをくれたとか、何かを言ってくれたとかじゃなくて、ただ彼が今日のことを覚えていてくれたことが嬉しくて涙が溢れる。笑いながら泣き出す私に今泉君は困ったように眉を八の字に歪める。
泣かなくてもいいだろ。
泣かしたのは今泉君。でもね、去年と一昨年は忘れてたよ。
それは…悪かった。
明日 デートしてくれたら許してあげる。
膝を抱えていた手を今泉君の頬へ伸ばして横に引っ張りながら言うと「そんなことでいいのか?」と聞いてくるから「そんなことでいいんです」なんて返す。すると「分かった」柔らかい声に目元を細める彼がとても優しくて胸が締め付けられる。かっこいいなぁ、ちょっと性格に難があるけどそれがまたいい。
朝からの考え事は綺麗に解決した途端にお腹が空いて腹の虫がなる。そんな私に今泉君がケーキを切ってくれた。「私大きいのがいいなぁ」「太るぞ」そんなやり取りをしながらケーキに目を輝かせていると、突然名前を呼ばれてケーキから視線を上げる。するとそこには私を見る今泉君。

「それ、明日も着ろよ」

似合ってる。
握って少しだけ皺の出来たワンピースは私のお気に入り。だって彼が褒めてくれたから。遠まわしに「似合ってる」と言いたそうな口ぶりで。それなのに、ずるいよ今泉君。
熱が集まる顔。口が変に曲がって、私はただ無言で頷くことしか出来なかった。