「とうとう明日だな。か、か、神威の結婚式」
「……パピー、緊張しすぎアル」
結婚前夜。パピーは明日着て行く服を選びながらガチガチに緊張していた。昨日までは「急に結婚なんてどうせできちゃった結婚だろ、まったく不健全に育ちおって親不孝者め」なんてぶつぶつしつこく文句を垂れていたくせに前日になるとこれである。小さく溜め息を吐き出し、私も明日着て行く服を選ぶべくクローゼットを模索し始めた。
「か、神楽ちゃん!お父さん黒と白どっちが似合うと思う!?」
「薄い灰色がいいアルヨ。薄らハゲにはそれぐらいがちょうどいいネ」
「え?どういう事?」
「鏡の向こうにいるハゲに聞いてみるヨロシ」
困惑するハゲを適当にあしらい、クローゼットの一番奥に眠っていた白いチャイナドレスを手に取る。少し前に着たきりだが、まだ入りそうだ。
これを着て行こう、と決めたころ、ピンポーンとインターホンが鳴る。慌てて玄関に走って扉を開ければ、そこに立っていたのは兄貴だった。
「あ、神楽。ただいま」
「……お、かえり」
なんだかおかしな気分だ、あと数時間後には結婚してどこか遠いところに行く兄貴に「おかえり」だなんて。少し視線をずらしたまま兄貴を部屋に通す。すると兄貴は薄く笑った。
「懐かしいね、この感じ」
「……え」
「親父が単身赴任したとき、少しでも俺が遅く帰ると神楽は拗ねて俺に目を合わせてくれなかったっけ」
くすくす笑う兄貴に、なんだか言いようのない感情が沸き上がってきて。無言でそれを押し殺し、馬鹿じゃねーの、と小さく笑う。すると暖かい手の平が優しく頭に乗せられた。
「神楽は寂しがり屋だね、昔から」
「……っ」
ああ、もう。ぜんぶ筒抜けじゃないか。
寂しいと思っていることも無理して笑っていることも何もかもバレている。本当こいつはいけ好かない。
「……バカ兄貴!」
べえっと舌を出し、ばたばたと自分の部屋に逃げた。破壊せんばかりの勢いで扉を閉め、力無く床に座り込めば再び涙がだんだん上へと迫り上がってくる。
──神楽には俺がいるから寂しくないよ。
優しく撫でてくれた手。
おんぶしてもらった道。
二人一緒に撮った写真。
ぜんぶ覚えてる。ずっと私のなかに残ってる。なのにあなたのなかから私は消えていく。
結婚なんかして欲しくなかった。いつも兄ちゃんの一番でいたかった。ずっと傍にいられると思ってた。
出来ることなら、こんな結婚ぶち壊してしまいたい。……だけど、
──あの人が兄貴の本当に惚れた相手なら。
「壊せるわけ、ないヨ」
ぐっ、と唇を噛み締める。勢いよく床を蹴り、部屋を出れば兄貴は玄関を出るところだった。
「──兄ちゃん!」
大声で呼び止めれば兄貴が驚いたように振り向く。急に走ったせいで立ちくらみが襲うけど、そんなもんに構っていられない。
「あのネ、」
そいつに伝えるのは、きっと、これが最後。これから先なにがあっても、もう二度と言わないだろう。だから聞いて欲しい。曇りのない心で、濁りのない瞳で。
あのね、兄ちゃん。
「──大好き。お幸せに」
笑って、世界で一番大切なあなたに。どうか幸せになって下さいと、あの人を幸せにしてあげて下さいと願う。兄貴は一瞬目を丸くして、そしてすぐに微笑んだ。
「ありがとう」
結婚前夜。大好きなあなたは私の頭を撫で、優しく微笑んで家を出て行った。
残されてひとりになっても、不思議と涙は出て来ない。きっと、兄ちゃんが魔法をかけてくれたんだ。
「もう、寂しくないヨ」
誰と結婚しても、どこにいても、あなたは私の唯一の兄ちゃんなのだから。だから、どうかいつまでも。
「──お幸せに」
結婚前夜。あなたの幸せをただ願う。
.end