12 止めた呼吸気が付けば、地面に倒れ込んでいた。目の前は真っ黒で何も見えない。ふわふわとおぼつかない意識の中で痛覚だけが鈍く反応する。
「あら、もうお疲れかしら。夜兎のお嬢さん」
こつん、と頭に固くて冷たい何かが触れる。どうやら下駄で踏み付けられているらしい。この神楽様を足蹴にしやがって性悪女が、と毒を吐き捨てようにもそんな気力はなかった。すべての原因は真上にてギラギラと輝く太陽にある。
(もう、立てないヨ)
傘を持たない夜兎が日の下で長時間戦うなど自殺行為だ。たっぷりと日の光を浴びた私は地面に膝を付き、這うようにして戦ったものの結局はこのザマである。ぼんやりと霞み行く視界。意識も一緒に途切れそうだ。
「傘のない夜兎なんて敵じゃなかったわね。これで宇宙最強だって言うんだからちゃんちゃら可笑しいわ」
「……」
「あなたが傘を置いて行くのが悪いのよ。私は丁寧に拾って交番に預けてあげたの、あなたが傘を使わないようにね」
くすりくすりと笑う女が憎い。こんな奴、傘さえあったのならば今ごろ迷わずぶっ殺していたのだろうに。
ぐったりと倒れ込む身体にひやりと冷たい手が触れる。それは私の首を掴み、爪先が地面に触れなくなる高さまで軽々と持ち上げた。
「あら、よく見ると可愛らしいお顔をしてるじゃない」
ぎりぎりと首が締め付けられる。小さく咳込めば女は楽しげにけらけら笑った。
「女の肉って美味しくないから好きじゃないのよね。でも、夜兎の肉を味わってみるのも悪くはないわ」
「……、」
喰らう、つもりか。
キッと睨みつけてみたが、女の笑顔は張り付いたまま離れない。
「貴女がいなくなれば仕事がはかどる。忘却草の香りが通用しない、天人の貴女をどう始末しようか考えてたの」
「……」
「ふふ、頂くとしましょうか」
太陽の光が眩しい。力が入らない。
首を締め上げられ、だらりと重力に身を任せた私を喰らうべく、女の衣服の下から腹部を裂くように備え付けられた大きな口が覗く。ぱっくりと大きく開かれた口の中、無数の牙が私を誘う。
(あ、私、食われる)
鈍く回転した脳みそがそれを理解した瞬間だった。
目の前をよぎる、藤色の閃光を見たのは。
──ドゴォッ!
「ぎゃあっ!?」
「っ、」
凄まじい勢いで飛び込んだ物体に驚いたのか、もはやバケモノと化した女はぎりりと握り締めていた首を離した。枷を無くした私の身体は重力の成すがままドサリと地面に落っこちる。
「な、何!?」
けほけほと浅く咳込みながら女は周囲を見渡した。壁ごと破壊せんばかりの凄まじい勢いで飛んできたそれは地面にざっくりと突き刺さっている。見覚えのある藤色。それは間違いなく、自分の番傘だった。
「なるほどねェ、そういうことかィ」
砂埃が舞う中、ざくざくと砂利を踏み締める音が響く。ぼんやりと霞む景色にピントはうまく定まらない。けれど、聞こえた。憎たらしい声が。
「……おき、た?」
震える唇が紡ぎ出した言葉に、相変わらずサディスティックな笑みが答える。
「寝てんじゃねえや、糞チャイナ」
なぜだか胸がきゅんと締め付けられた。
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