1仲好

──その日、泣いたのは兎だった。弱くて小さな、青い瞳の兎だった。



ドカァン。轟音が五月末の空に響き渡る。

本日は快晴。つまりは五月晴れというやつで、中間テスト直後で疲れ気味の銀魂高校2年Z組の生徒達は穏やかな陽気にうつらうつらと舟を漕いでいる──場合ではなかった。


「おいコラてめ、私の酢昆布勝手に食ってんじゃねええ!」

「オメーが此れ見よがしに見せ付けて来んのが悪いんだろィ。諦めなァ、オメーの酢昆布は既に俺の胃袋ん中だぜ」

「うがあああ!」


……という数時間前のやり取りをきっかけに、暴れ出したクラスの問題児・沖田と神楽のおかげで教室内はもはや戦場と化していた。椅子や机は立派な武器となり、暴言と共に室内を飛び交う。
こうなってしまうとこの二人を止められるものなどもはや存在しない。危険を察知したクラスメイト達は早々に避難していて、窓の向こうには立派な青空教室が広がっている。聞こえるのは殴り合う鈍い音だけ。


「このサディスト!早く酢昆布返すアル!」

「バカかィ、もう食っちまったもんは戻らねえよ」

「ふざけんなァァ!」


勢いよく繰り出されたパンチを軽々と避け、沖田は右足を神楽の頭部に向けて振り上げたが神楽の左手がそれを止めた。


「バカが!」


にやりと口角を上げ、至近距離から沖田の腹に蹴りを入れる。低い唸りを零して沖田は一瞬よろめいたが、すぐに体制を戻して神楽の足を掛けた。


「あ、」


ぐるんと世界が回る。どすんという音と背中に鈍い痛みを確認してから、勝ち誇った笑みを浮かべる沖田を憎々しげに見上げた。


「バカが」

「……死ね!」

「オメーが死ね」


口だけは達者な二人だが、さすがに何時間も暴れ回ったせいでもう体力は残っていないらしい。沖田は床に吸い込まれるように腰を下ろした。


「もうへばったのかヨ、情けないアルナ」

「そういうオメーも疲れてんじゃねえかィ」

「違うネ。これはアレ、ちょっと休憩してるだけヨ」

「結局疲れてんじゃねーか」


呆れたように息をつく沖田。そんな彼に神楽がべえっと舌を出したころ、Z組の面々はぞろぞろと教室に戻ってきた。机や椅子の悲惨な有様にクラスメイト達の顔は引き攣り気味。


「あーあー、またひでェことになってんじゃねーのまたババアに怒られんじゃねーのまた俺の給料下げられんじゃねーのォォォ!」


と一人で怒鳴り散らす担任の銀八を無視し、沖田は高々と挙手した。


「先生、神楽さんに殴られた脇腹が痛いので保健室行ってきまーす」

「先生、沖田くんに殴られた首が折れてるようなので保健室行ってきまーす」

「あーハイハイ行ってこい、その腐った脳みその手術してもらえ」


額に血管を浮き立たせ、銀八はシッシッと二人を追い払う。はーいと元気よく返事して教室を出て行った二人を眺めながら、こぼれる小さな溜め息がひとつ。


「ほんとは仲良いんだろうけどなァ……」


銀八は呟いたが、半壊された教室をちらりと視界に入れてしまうと、もはや溜め息すらも出て来なかった。

一方沖田と神楽は、教室を出たあと真っすぐに保健室に向かっていた。……というのは嘘で、二人は迷わず階段を上へ上へと駆け上がる。行き着いた先は生温い風が吹き抜ける屋上。立入禁止と書かれた紙などとっくの昔に破り捨てた。


「あー風が気持ちいー」

「そのまま飛んでいくヨロシ。そんで死ね」

「オメーが死ね」


このやり取りは相変わらずだが、二人の表情は先程よりもだいぶ緩んでいる。沖田はゆっくりとフェンスに手を掛けた。


「……お、」


と、その時、フェンス越しに何かを見つけたらしく沖田の口元はにやりと弧を描いた。くるりと振り返り、不思議そうに自分を見ている神楽に手招きする。


「何ヨ」

「いいから見てみろィ。ほら、あそこ」


疑問符をぷかぷか浮かべた神楽がフェンス越しに下を見下ろすと、よく知っている男子生徒が中庭できょろきょろと慌ただしく何かを探している姿が視界に入った。


「あ、多串くんネ」


それはクラスメイトの土方だったのだが、彼がどうかしたのだろうか。もう一度沖田の顔を見ると、相変わらずそこにはサディスティックな笑みが貼付いている。


「実はなあ、奴はこいつを探してるんでィ」


そう言う沖田の手には、真っ赤なキャップの黄色い天使・マヨネィ〜ズ。


「朝、土方さんの鞄からパクったんだがねィ」

「それが何ヨ」

「頭悪ィなバカ。パクったもんは返さなきゃなんねェだろィ、上からだけど」


そこまで言って、神楽はようやく意味がわかったらしい。沖田と同じように口角を吊り上げた。




「……ったく、どこ行きやがった」


そのころ土方は、突然行方をくらました愛するマヨネーズを探してふらふらとさまよっていた。とは言え、実際はマヨネーズを探しているというより、それを持っているであろう沖田を探しているわけだが。


「あのヤロー、見つけたらぶっ殺……」

「ひーじかーたさーん」

「!」


どこからともなく聞こえた生意気な声に、土方はキョロキョロと辺りを見渡した。しかしどこにも沖田の姿はない。


「土方さん、上ですぜ」

「あ?」


その言葉に従い、土方が頭上を見上げた、その時。


びちょっ。


「うっ、ぎゃあああっ!?」


顔面に落ちてきた冷たい感覚に思わず絶叫する土方だったが、口元に付いたそれを嘗め取ると口内に広がったのは自分の最も愛するあの味で。
マヨネーズ……これは間違いなく俺のマヨネーズだ!


「総悟ォォォ!!」


額に青筋を浮かべ、マヨネーズを頭に乗せたまま土方は全速力で階段を駆け上がった。


「ぎゃっはははは!」


その姿に沖田と神楽は腹を抱えて笑い転げ、用済みとなった残りのマヨネーズを放り投げる。ドカドカと忙しく駆け上がってくる足音にいち早く気が付いたのは沖田で、いまだに笑い続けている神楽の腕を引いた。


「マヨラーが来る前に逃げるぜィ」

「おう!」



二人が地面を蹴った刹那、屋上の扉は破壊されんばかりの勢いで開かれた。土方は二人の姿を確認し、鬼のような顔で迫りくる。


「待てこのクソガキ!!」

「待てと言われて待つ泥棒は居やせんぜ」


沖田と神楽は身軽に屋上のフェンスを飛び越え、にやりと口角を上げた。


「あばよ」


同時に言い捨て、二人は屋上から飛び降りる。それまで顔を真っ赤にして怒り狂っていた土方だが、その顔は一気に蒼白に変わった。


「ば、バカ!」


慌ててフェンス越しに下を見下ろす。すると真下には職員玄関の屋根があったため、二人は無事だった。……とは言え、一歩間違えたら確実にお陀仏になる高さである。
げらげらと笑いながら走り去って行くふたつの背中を眺めながら、土方は力なく溜め息を吐き出した。

ああ神様、どうかあの二人の頭に隕石をぶち落としてやって下さい。

なんて考えながら。




















なんだかんだで仲良し