あの日、兄は愛してやまなかった彼女を失い、兄は彼女の愛した彼を怨み、兄は兄であることを捨てた。その日、兄である彼は死んだのだ。そして彼は愛する人形を手に入れた。 涙を流したまま兎は笑った。いとおしい人を想いながら。 「──ひま。」 と、呟く沖田に土方は深い溜め息を吐き出した。本日何度目になるのか分からない「ひま。」にもはや返事をする気力すら削がれる。 「しょうがねえだろ。入院してんだから」 「土方さん、何かおもしれーことしてくだせぇよ。そこの窓から飛び降りて死ぬとか」 「一個も面白くねーよ!!」 はあ、と土方は溜め息混じりに頬杖を付いた。病室では煙草を吸うことが出来ないため苛立ちは募るばかりである。 「誰とやり合ったんだよ、オメーがぶっ倒れるほどの相手なら俺もやり合ってみたかったぜ」 「……あんたでも一筋縄には行きやせんよ、あの野郎は」 「へえ。そりゃ是非とも手合わせ願いてえな」 くすりと土方が微笑むと沖田の表情が曇った。先日のことを思い出せばぐつぐつと感情が煮えたぎるようだ。 「……土方さん、」 「あ?」 「俺ァおかしいんですかねェ。チャイナのこと考えたらイライラするんでさァ」 「それって前からじゃねえの?」 「……何か、ちげェんです」 イライラする。彼女にキズが付くことが。彼女が他の誰かに泣かされることが。彼女が他の野郎と、体を重ねたことが。 「……殺したいくらい、イライラするんでさァ」 ぽつりと呟いた沖田の言葉に土方が息を飲んだそのとき、病室のドアがコンコンとノックされた。そうして入って来たのは見慣れた銀髪頭。 「……銀八」 「お、元気そうじゃねえの」 ヘラヘラと笑い、銀八は「お見舞い品。」と言って買い物袋を差し出した。中身は大量のペロペロキャンディー。こいつはペロペロキャンディーしか買ったことねえのか、と沖田は呆れる。 「……ありがとうごぜーやす」 「いやいや別にいいって。ほら、好きなの一本取れ。残りは俺の」 「オメーが食うんかい!」 すかさず土方が突っ込むと銀八はあからさまに驚いた顔を向けて「えっ、いたの?」と漏らした。最初からいたわ!と憤慨する土方だったが、銀八は華麗にスルーして沖田に視線を戻す。 「……ま、そんなわけで今日はオメーに話があって来たわけよ」 「どういうわけだよ。唐突だろ」 「うるせーなテメェはいちいち!ペロペロキャンディーか?ペロペロキャンディーが欲しいのか?じゃあ一本やるから出てけマヨラーが!」 「いらねーよそんな砂糖の塊!言われなくても出ていくわ死ね天パ!!」 病室で散々怒鳴り散らし、土方は病室を出ていった。沖田は呆れがちにそれを見送り、再び向き直った天然パーマネント野郎にも同じ視線を向ける。 「……で、話の続きなんだけどよ」 「はあ」 「お前、神威に関わるのやめろ」 ぴしゃり、はっきりと言い放たれた言葉に沖田は言葉を飲み込んだ。黙り込んだ沖田を死んだ魚の目で見据えたまま、更に銀八は続ける。 「神楽を守りてえって気持ちは分かる。だが相手が悪い。お前じゃ相手にならねえ」 「……じゃあ、目の前でチャイナが苦しむ姿をただ見てろって言うんですかィ」 「お前が死んで一番悲しむのは神楽だ」 「……それでも俺は!」 声を荒らげ、沖田はベッドから勢いよく上体を起こした。ずきりと重く響く痛みに唇を噛み締める。 「……それでも俺は、あいつと約束したんでさァ。今度は、必ず守るって」 部屋の隅にうずくまる白い素肌が記憶の影で小さく震える。泣き出した空と同じように哀しみに暮れた藍色が、ぼんやりと自分をうつす。 「……もう、あいつのあんな顔、見たくないんでさァ」 ぽつりぽつりと呟く沖田の言葉を銀八は黙って聞いていた。そして短く息を漏らし、うなだれる亜麻色の髪をぐしゃりと撫でる。 「……何の真似ですかィ」 「いやー、愛の力には敵わねーなと思ってね?」 「はあっ!?」 かっ、と赤く頬を染める沖田に銀八は微笑み、もう一度グシャグシャと頭をなで回す。「いででででっ!」と痛がる彼を撫でながら銀八はぽつりぽつりと呟きはじめた。 「……神威と神楽の母親は病気がちでなァ、神楽が小学生のときに死んじまったんだとよ」 「……!」 「そんで親父はハゲてるくせに海外で働いててな、あんまり家に帰らなかった」 「……それはハゲてるの関係あるんですかィ」 「まあ聞けって。それである日親父が家に帰ってきたら、母親は死んでた。代わりに家で自分を待ってたのは誰だったと思う?」 話し続ける銀八の表情が、沖田には読み取れなかった。あくまで無表情に、けれど苦々しくそれは紡がれて行く。 「……そこで親父を待ってたのは、片手に包丁を持った息子だった」 「……神威?」 「ああ。そのまま親父に襲い掛かった挙げ句、片腕を切り落としたそうだ」 ──絶句した。 実の親に刃を向けて片腕を切り落としたようなやつが、まさか神楽の兄だなんて。しかも自分はそんな狂った野郎に拳を向けて破れたのだ。 『犯罪には慣れてるんだ』 先日の神威の言葉が脳裏を巡る。 「その事件がきっかけで、神威は少年院に入った。あいつが16のときだ」 「……16……」 今の自分よりも年下である。そんな頃、すでに彼は家族の片腕を切り落とせるほどに狂っていたのだ。 沖田はいつかの土方の言葉を思い出した。 ──なんでも、チャイナ娘の兄貴が色々と問題起こしたらしくてな。それから何も話さなくなったらしい。 ──チャイナの、兄貴? ──ああ。この高校に居たらしいが、問題起こして退学になったとか。 問題というのはこのことだったのだ。おそらくチャイナは、実の兄貴が親の片腕を切り落としたことをネタにされて苛められていたのだろう。 ぎり、と奥歯を噛み締める。 「……そのとき、チャイナは無事だったんですかィ」 「……いや、神楽は──」 「川に落ちたアル」 突如割り込んだ第三者の声。振り向くと林檎を片手に持った神楽がそこに立っていた。 「崖から突き落とされて、そのまま川の中にどぼんヨ」 「……チャイナ」 「あいつ、笑ってたアル。わたしのこと人形って呼んで、首を締めて、そのまま放り投げて」 神楽は視線を落とした。追憶の中で笑う彼はもう、神楽の「兄」ではない。 「あいつはマミーが死んで、おかしくなったのヨ。濁った色に染まって、もう、戻って来ないアル」 切なげに続く神楽の言葉に、誰一人として声を発することはできなかった。肯定も否定も意味がなかったからだ。 窓から空を見上げれば、それは重たげな灰色で今にも泣き出しそうである。沖田は窓の外を見ながら呟いた。 「……雨、降りそうだねィ」 そう、まるで彼女の心のように。 . 追憶の中の彼が笑う。 ▽ |