19交差

ちゅう、と神威は神楽の唇に吸い付いた。後頭部はがっしりと神威に捕まっているため顔を逸らすことも出来ず、神楽はまさにされるがままの状態である。


「……っやめ、!」

「やーだ」


抵抗は無駄に終わるばかり。そうこうしているうちに神威は角度を変え、深く口付け始めた。ぞわりと身の毛がよだつのを感じると共に神楽はガチンと渾身の力で神威の唇に噛み付く。


「……っ、」


味覚に広がったのは鉄臭い液体。神威が見せた一瞬の隙を見逃さず、神楽は素早く神威から離れた。しかし駆け出す間もなく神威の手が神楽を捕まえる。


「逃がさないよ?」


刹那、神威の拳は神楽の腹部に重々しくめり込んだ。呼吸が一瞬止まり、目を見開いて咳込みながら神楽は地面に膝を付く。とん、と肩を軽く押されれば神楽の身体はいとも容易く地面に倒れた。


「ごほっ、ごほっ……」

「馬鹿だね、神楽。おとなしくしていれば乱暴しないのに」

「……」


神威越しに見える青々とした空をぼんやり仰ぐ。流れゆく白い雲は何処を目指しているのやら。
ぼやけた視界がフッと暗くなって、気が付けば彼は神楽の身体にまたがり四肢を固定していた。次いで神威の手のひらが衣服の中に入り込み、神楽の肌を撫でる。


「……神威、何で?」

「ん?」

「何で、こんなことするネ」

「さあ、気まぐれかな」

「……んっ……!」


またもや唇を塞がれたかと思えば口をこじ開けられ、舌がねじ込まれる。歯列をなぞる長い舌にぞわぞわと背筋が痺れるのを感じた。
肌の上を這う冷たい手のひらは発達途中の胸元にまで到達し、焦らすように肌を撫でる。


(たすけ、て)


危険信号はひたすらに赤。無意識のうちに溢れ出した涙がこめかみに向かって流れて行く。
もうダメだと、諦めかけたその時だった。



「……おい」

「!」


ふいに割り込んだ第三者の声。それに気付いた神威が振り向くよりも早く、そいつの足は神楽の上に跨がる神威の身体を蹴り飛ばした。神威の身体は容易く吹っ飛び、壁際にたたき付けられる。


「てめーか、いつもチャイナ泣かしてんのは」


ざくざくと砂利を踏み締める足音が響く。だんだんと近付いて来るその姿は、涙でぼやけた神楽の視界でもすぐに理解出来た。


「お、沖田……っ」

「チャイナ!」


砂煙が舞うなか現れたのは、情けなくも助けて欲しいと願っていた沖田だった。神楽の胸にドッと安堵の波が押し寄せる。


「チャイナ、怪我は!?」

「ない、ヨ」

「……そーかィ」


安心したのは沖田も同じく。しかし安堵の溜め息をこぼしている暇などなかった。


「神楽、逃げられると思ってるの?」


バッ、と後方を振り返る。そこにはニッコリと笑う神威が立っていた。あれだけ勢いよく壁に叩きつけられたというのに、神威の体には傷一つない。


「……化け物かよ」


沖田の背に冷や汗がたらりと流れる。神威はいまだに笑顔を崩さず、沖田の方に体を向けた。


「沖田くん、だっけ」

「……そうでさァ」


神威の笑顔に恐怖すら感じる。気味の悪い笑顔だと沖田は思った。


「君、ずいぶん神楽と仲が良いみたいだね。おかげで神楽が俺の言うこと聞いてくれなくて困ってるんだ」

「……おたくもずいぶん仲の良い兄妹だと思いやすけどねィ。兄妹同士で接吻なんざ、普通じゃあるまじき光景でさァ」

「そうかな?まあ俺はその続きもしたいと思ってるんだけどいつも君が邪魔してくれるんだよね」

「すでに手中に収めといてよくそんな口が聞けらァ。アンタしょっぴかれますぜ、近親相姦っていうんでィ。違法でさァ」

「ふーん、興味ないな」


そこまで言って、フッと神威の姿がその場から消える。沖田が目を見開くと同時に、すぐ後方から殺気立つ気配を感じた。


「犯罪には慣れてるんだ」


刹那、蹴り飛ばされる身体。その膨大な威力を受け止め、轟音を響かせながら沖田の体は壁に叩きつけられた。しかし咳き込む間もなく、またもや神威の攻撃が沖田目掛けて飛び込んでくる。それをギリギリで回避して沖田は神威に殴りかかった。


「……っ!?」


けれど、その拳はただ空気を切るばかり。


「どこ狙ってるの?」


けらけらと楽しそうに笑う神威が今度は沖田の頬を蹴り飛ばす。小さく呻き声を上げて沖田は壁に吹っ飛ばされた。


「沖田!」


神楽は駆け寄ろうとその場から立ち上がったが、神威がそれを許すはずもなく神楽の腕は引きちぎらんばかりの力で捕まえられた。


「行かせないよ」

「っ、離せ!」

「……ねえ、神楽、」


耳元で囁かれた低い声に、神楽の肩がびくんと跳ねる。恐る恐る振り向いた先にある神威の表情に笑顔はない。


「……かむ、い?」

「……」



あい色、だった。その表情は、その瞳は。私と同じ、だけど違う。

どうして、そんなに哀しい顔をしているの?



「あんなやつのことなんか忘れちゃいなよ」


消え去りそうなその声に神楽は小さく首を振る。神威は奥の歯を噛み締めた。


「なんで。お前は俺のものじゃん。あのときずっと一緒にいるって言ったじゃん。神楽は俺だけのものなのにどうして!!」


悲痛に怒鳴る神威の声が響く。そんな神威に神楽はただ驚くばかりだった。今まで一度も見たことがない、兄の姿。


「んなわけねーだろ!!」

──ドゴッ!


刹那、鈍い音が響いて神威は神楽から離れ地面に倒れた。殴りつけた沖田は唇から滴り落ちる血液を手の甲で拭う。


「チャイナはチャイナだ。誰のものでもねェ」

「……違う。俺のものだ」

「……!」


ふらりと立ち上がる神威。しかし、その雰囲気はさっきとはまるで違う。
二人の胸中には少なからず恐怖が蔓延った。


「俺だけのものだ。誰にも渡さない……」

「……チャイナ、オメーは下がってろ」

「だめアル!もう逃げないと殺され、」


──ドゴッ


「……え?」


一瞬、だった。

神楽の隣に居たはずの沖田は神威に首を掴まれ、一瞬のうちに壁に殴り付けられていたのだ。


「沖田!」

「っ、がは……っ」


沖田の首を締め付ける神威を止めるべく神楽は走った。しかし神威によって放たれた蹴りをまともに受け、向かいの壁にたたき付けられる。


「……う、ぐ……ってめえ……っ」

「お前さえ居なければ……ずっと神楽は俺のものだったのに……」


徐々に視界が霞んで行く。淀んだ藍色の双眸が歪み、ついに意識すらも朦朧としてきた。


「……やめ、ろ……」


地面に倒れ込みながら必死に声を絞り出す神楽。しかし、神威には届かない。


(止めなくちゃ、)


止めなければ、このまま沖田が死んでしまう。動かない身体を引きずり、震える手を伸ばす。届かなくて、いつまでも自分は惨めなままで。

──また、あなたを守れない。


「やめろおおお!!」


キキーッ、ドォン!!


「!」


ブレーキ音が鳴り響き、狭い路地から飛び込んできたのは一台のスクーター。さらには舞い上がる砂煙の中から木刀が飛び、沖田の首を締め付けていた手が離れる。

ドスッ、

木刀は神威の手を掠め、地面に突き刺さった。沖田はそのまま地面に倒れ込む。



「……ったく、問題児2人が最近妙に仲良いなと思ってたら、こんなことに巻き込まれやがって……」



もくもくと砂煙が上がる中から気だるそうな声が響いた。からんからんとやる気のなさそうな足音が徐々に近づいてくる。


「挙げ句の果てに夕飯の材料まで奢らすたァ……。沖田、オメー単位やんねーからな」


そして砂煙が引いたとき、見えたのは銀髪だった。


「……銀八……」

「銀ちゃん……!」


現れた銀八の姿に、二人は安堵の笑みを溢す。神威も銀八を見て口角をつり上げた。


「銀八先生かあ。何年ぶりかな?」

「……やっぱ今回もテメーか、神威」


銀八は神威を鋭く睨み付ける。しかし、神威は楽しそうに笑ったまま。


「あんたが神楽の担任なんてね。正直最初は驚いた」

「……」

「それとも俺が来るのが分かってて、わざと神楽の担任になったのかな?」


そう問いかける神威に銀八は眉を潜めた。神威の物言いは、この状況を楽しんでいるようにしか思えない。まったく問題児だらけで困ったもんだ、と小さくこぼれた溜め息が空気中にぼんやりと溶けて行く。


「……もう、あれから5年も経つのか」

「ああ、そうだね」

「テメーはまったく成長してねェな」

「……さあ、どうだか」


くすくすと神威は笑い、くるりと背を向ける。銀八はきょとんとして神威の背中に尋ねた。


「あれ、帰んの?」

「あんたが相手じゃ一筋縄には神楽を手に入れられそうにないからね。また日を改めてから迎えに来ることにするよ」


そのまま去ろうとする神威。ちらりと後方に視線を向ければ沖田と視線が交わり、神威は小さく笑う。


「ザコのくせに向かってくる血気盛んな生徒もいるみたいだしね」


そうして吐き捨てられた言葉に、沖田の眉はぴくりと動いた。銀八がまずい、と思ったころには時すでに遅し。


「……待ちやがれ、テメーはぜってー半殺しにしねェと気がすまねェ!」


案の定、ボロボロの身体でなりふり構わず神威に殴りかかろうとする沖田を銀八が慌ただしく止める。


「待てって沖田くん!お前ケガしまくってるから!」

「離して下せェ!あいつは俺がぶっ殺してやらァ!」


睨みつける沖田の視線を神威は楽しそうに受け取り、路地の奥へと消えて行く。何を考えているのかわからない、その不敵な微笑みと共に。


「待ちやがれテメェェ!!」

「落ち着けって総一郎くん!」

「総悟でさァ!」


見えなくなる背中。
神威は何を思っているのか。


(……神威)


神楽は、それをどこか複雑そうな顔で見つめていた。
























交差するきみの心