持っていた野菜がバラバラと床に落ちて転がっていく。強引に引かれる腕を振り払おうと懸命に抵抗を試みる神楽だが、神威にとっては猫が戯れ付くような感覚でしかないらしくどんな抵抗もその意味を成さない。 「離せヨ!」 「やだ」 「どこに行くつもりアルカ……!」 「いいからついて来なよ。それとも今ここで暴れて欲しい?」 悪びれもなく笑顔を作り、あっけらかんと尋ねる神威はさながら無邪気な子供のよう。神楽はグッと黙り込み、腕を引かれるがままに神威の後ろ姿をとぼとぼ追った。 (……沖田) スーパーを出る間際、ちらりと振り向いてみたけれど沖田の姿はどこにもない。神楽は不安げに視線を泳がせた。行く道は、ひとつ。 スーパーを出てしばらく歩くと狭い通りに入り、神威は何の迷いもなく薄暗い路地の中へと入って行く。当然、神楽も入らざるをえないわけで、戸惑いながらも神威に続いた。そのとき吹き込んだ突風が神楽の帽子を吹き飛ばす。 「あ……」 「もういらないよ、ここは日が当たらないからね」 言いながら神威も深くかぶっていたフードを脱いだ。自分と同じ杏色のそれが強い風に煽られて揺れる。 同じ、だった。何もかも。いつから違ってしまったのだろう、貴方と私は。 「……神威」 「ねえ神楽、いつからこんなに離れちゃったんだろうね、俺達」 「え、」 その言葉に神楽が小さく目を見開いたとき、突如神威の腕に力がこもった。そうしている間に強い力で壁に押し付けられ、神楽の身体が強張る。 「……何のつもりアルカ」 「ほんと馬鹿だね、神楽。自分を犯した男にノコノコついてくるなんてさ」 くすりくすりとこぼれる笑みが憎らしい。睨み上げた先にいるのはただの獣か。 神威は笑顔を絶やさないまま、ぐいっと神楽の顎を持ち上げた。 「ねえ、ヤろうよ」 神楽の身体を壁に押し付けたまま耳元で囁く。それを突き放し、神楽は自分と同じ碧眼を睨みつけた。 「嫌アル!ふざけんな!」 「ふざけてないよ?俺はいつでも本気」 「ちょっ……」 押し退け、顔を逸らす。しかし必死の抵抗もむなしく、神威は無理矢理に神楽の唇を塞いだ。 (いや、アル) 脳内の危険信号は赤く赤く点滅し、警報がジリジリと鳴り響く。蜘蛛の糸に捕まった蝶はもう逃げられない。黙って食らわれるのを待つばかり。 逃げ出したい。逃げられない。誰か、助けて。 (助けて、沖田!) しかし果たしてそれを叫んでいいものか、神楽には分からなかった。 * 「チャイナ?」 呼ばれたような気がして振り返る。しかしそこには野菜が並んでいるだけで神楽の姿はなかった。 (そういや、あいつどこ行きやがったんだか) 20分ほど前だったか、神楽はタマネギを取りに行くと言って走り去って行ったっきり沖田のもとに戻って来ていない。どうせお菓子コーナーか何かで油を売っているのだろうと、沖田はたいして気にかけることもなくゆったりと歩き出した。と、そのとき、後方から聞きなれた気だるそうな声が沖田の耳に届く。 「あっれー、沖田くん?」 振り向いた先に居たのは相変わらずパッとしない格好の担任、銀八。片手に持った買い物カゴの中には大量のペロペロキャンディーが入っている。 「奇遇ですねィ、何してんですかィ?」 「俺?俺ァ普通にご飯買いにきただけだよ?」 「先生さすがでさァ、ペロペロキャンディーが主食とは。土方さんに見習わせてやりてェもんですねィ」 「あ、やっぱりィ?今の時代、マヨより糖だよな。よくわかってんじゃねーか沖田くん」 「いえいえ、土方さんの味覚は理解できやせんから」 実際どっちも理解出来ないのだが、とりあえず糖分の株を上げておいた。なんだかんだ言っても担任の機嫌はとっておいた方が得なのである。 「沖田くんこそ何してんの、こんなとこで。高校生が食料品売り場でお買い物なんて珍しいじゃねーの」 「あー、いや、ちょいとワケありでしてねィ」 「ふーん?近頃のガキは何考えてるかわかんねーなー。さっき神楽も居たし」 ふと、銀八の口から神楽の名前が飛び出したことで沖田はその話に食いついた。 「チャイナを見たんですかィ?どこで?」 「え、神楽?まあ見たけど、もう行っちゃったよ?」 「は?」 行っちゃった?どういうことだ? 言葉の意味が理解出来ず、瞬きを繰り返す沖田に銀八は続ける。 「夏だってのに黒いパーカー着ててフードまでかぶってる男と一緒に出て行っちまったよ。何だろうなー、彼氏かなアイツ。なんか神楽はあんまり楽しそうな顔じゃなかったけどなー」 そこまで銀八が続けたとき、沖田は小さく目を見開いた。ざわりざわりと嫌な予感が蔓延る。そして浮上するのはひとつの可能性。 ……まさか。 「……先生ェ。チャイナが出て行ったの、どんくらい前ですかィ?」 「んー、15分ぐらい前じゃねーの……、って、沖田くん?キミ何してんの?」 沖田は銀八の手に自分の持っていた買い物カゴを握らせた。その不可解な行動に銀八は疑問符を浮かべる。 「すいやせん先生。どうも用事が出来ちまいやした。ってわけで、会計よろしくお願いしやす」 「どういうわけでそうなんのォォ!?ちょっ、待て沖田ァァァ!!」 背を向けて走り出そうとする沖田の肩を逃がすものかとがっしり捕まえる。 「遠回しに奢れってか!?あん!?オメーと神楽のせいで減給されまくってる俺に奢る余裕があると……」 「時間がねェんでィ!!」 「っ……!」 凄まじい気迫で怒鳴り付けられ、息を飲んだ銀八は思わず沖田の肩を離した。沖田は瞬時に銀八のもとを離れると店の外に飛び出して行き、切羽詰まったような表情で走り去って行く。残された銀八はひとり、ぽつんとそこに立ち尽くしたまま眉を寄せた。 「……どうも、青春してるって雰囲気じゃねェな……」 銀八は呟き、ふたつ分の買い物カゴを揺らしながら食料品売り場に背を向けた。 一方、店を出た沖田はすぐさま自転車に跨がり、スーパー周辺をぐるぐると巡回しながら手当たり次第に神楽の姿を探していた。しかし手掛かりになるようなものは何一つ見つからず、時間ばかりが過ぎていく。 (くそっ、どこにつれて行きやがった!) 不安と共に時は進み、沖田はただ焦る一方だった。と、そのとき、沖田の視界が捕らえたのは路地の入り口付近にぽつんと落っこちているピンクの帽子。 (……あれは、) 沖田はすぐさま路地の入り口に自転車を止め、見覚えのあるそれに駆け寄る。それは神楽のかぶっていた帽子とよく似ていた。まさかと思い裏返すと、ご丁寧に「かぐら」と名前が書いてある。沖田は細く続いている路地を睨みつけた。 「……この奥かィ」 呟き、帽子を自転車のカゴに入れると沖田は走り出した。だんだんと薄暗くなる道を走り抜ける。 何をこんなに必死になっているのか沖田にはわからなかった。気が付けばいつも神楽のことばかり。あの笑顔が脳裏に焼き付いて離れてくれない。あの涙が自分を縛り付けて離してくれない。 ……なんで。 (……チャイナなら、答えを知ってんのかねィ) 少女は見つけたこの感情の名前を、少年はいまだ知らないまま。 . 危機を救えるのは君だけ ▽ |