16明眸

いつから世界はこんなに濁ってしまったのだろうか。
その答えは誰も知らない。



「──……で、その兄貴がオメーを襲ったんだな?」


沖田の言葉に神楽は力無く頷いた。告げられた真実。しかし沖田に臆する様子は見られない。


「兄妹喧嘩ってわけかィ」

「そんな生温いモンに見えんのかヨ」

「見えねェなァ」


読み取りづらい表情のまま沖田はゆっくりと酢昆布の箱を開ける。オイそれ私の酢昆布アル、と神楽が睨むがお構いなしと言った風に沖田はそれを口へと運んだ。


(勝手に私の酢昆布食いやがって……)


むう、と頬を膨らませる神楽だったが、文句を言っていつものように喧嘩をする気力はない。ぼんやりとまどろむ意識がこくりこくりと船を漕ぐ。落ちていくまぶたは重い。

そんな神楽の様子に気付き、沖田は頬杖をつきながら神楽の頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。


「今日はもう寝な。ガキが夜更かししたらお巡りさんに逮捕されちまうぜィ」

「逮捕なんかされねーヨ。つーかオメーもガキだろ」


精一杯の悪態を返したが、心のどこかが昼間の恐怖をまだ覚えていたらしく声が震える。ぐ、と唇を噛み締めると沖田は「大丈夫、」と普段では考えられないほど優しい声で呟いた。


「今度こそ俺が、そいつをぶっ飛ばしてやらァ」


普段は憎らしい赤の瞳があまりにも真っ直ぐ見つめてきて。それがとても、綺麗だと思った。


「……うん、」


敵うはずないのは分かっている。負け戦だと知っている。けれど私はどこかで貴方の助けを求めていた。助けてくれと、遠い水面に向けて手を伸ばしていたんだ。


「……じゃ、おやすみ」


神楽をベッドに寝かせ、沖田は家に帰るべくそれに背を向けた。ぼんやりと白む意識のなかで部屋を出ようとするその後ろ姿に言いようのない不安が蔓延る。


「……おきた、」

「あ?」


呼べば振り返るそいつに、愛しさが込み上げて。出ていこうとする姿に、寂しさが押し寄せる。まぶたは重くて重くて遠退く意識はシャットダウン間近。



「……いかないで」



最後は自分でも何を言ったのか分からない。ぼんやりと霞む意識の中でそれだけを残し、神楽はゆっくりと目を閉じた。









ねえ、覚えていますか。
あの日泣いていたうさぎのことを。



「……ぐす、ひぐっ……」

「……うぅ、っ……」

「ふ……ぅ、……ぐすっ」



あの日、泣いてた。
小さく丸めた背中にゆっくり近付いてみたら、うさぎさんが泣いてた。



「どうしたの」



聞いてみれば、涙で溢れた藍色の瞳がこっちを見る。泣かないで、と抱きしめてやればいつもより頼りないその腕が弱々しく背中に回された。大丈夫だよ、ここにいるよ、だから泣かないで。



「ずっと一緒にいるから」



耳元で呟いたその言葉で、あの日、青く澄んだ瞳は濁ってしまったのだろう。





──目を覚ますと、いつもと変わらない天井が見えた。あれ、昨日いつ寝たんだっけ。とか考えながらぐるりと寝返りをうつ。


「……ん?」


ふと、下腹付近に違和感を感じた。同時に蔓延るイヤナヨカン。そろりそろり、ゆっくりと寝ぼけた視界を下におろす。

そして、神楽は叫んだ。


「ぎゃああああ!!」


ドゴォッ!

断末魔さながらの悲鳴と共に繰り出された回し蹴りが隣で寝息をたてていた沖田を吹っ飛ばす。ドォン!と豪快に音をたてて壁に激突した沖田はずるりずるりと床に落ちた。


「……っ、いってーなァ!何しやがんでィ!」


「お前が何してんだァァ!なんで私のベッドで寝てるネ!夜這いか!?夜這いしにきたアルか!?」

「ふざけてんじゃねーや。テメーが寝ぼけてベッドに引き込んだんだろが」

「はああ!?ふざけんな、そんなわけ……」



──いかないで。



「……あ。」


ふつふつと蘇り始めた昨夜の記憶。帰ろうとした後ろ姿に私は思わず手を伸ばして……。


「そのままベッドんなか引き込んじまうんだもんなァ。俺ァびっくりしたぜィ、チャイナさんがそんなに積極的だとは思ってなかったんでねィ」

「ふざけんなァァ!私はそんなふしだらな女じゃないアル!」

「ごふっ!!」


にやりと笑う顔面に1発食らわし、神楽はぷりぷり怒りながら部屋を出て行った。乱暴に閉められた扉を眺め、殴られた箇所を手で押さえつつ沖田は苦笑する。


「寝顔は可愛いのにねィ」


やんわりと口元を緩めたまま、沖田も続けて部屋を出たのだった。























美しかった瞳はどこ?