11恋情

「はい、というわけで明日から夏休みになるわけなんだけど、オメーら羽目外しすぎて問題起こさないよーに。先生の夏休みつぶさないよーに」

「結局自分のためか」


新八の冴えない突っ込みと共に、波瀾の1学期は幕を閉じた。起立、礼。の号令のあと、生徒たちが続々といつもよりテンション高めで帰って行くなか、神楽だけが浮かない表情で俯く。


(とうとう、夏休みが来てしまったネ……)


いつもなら夏休みキャッホー!と飛び跳ねて喜ぶところなのだが、こんな状況ではテンションなど上がらない。家に帰れば神威が待ち構えているのだから、それに比べたら学校に登校した方がマシである。むしろ学校で暮らしたいぐらいだ。


「おいチャイナ、なに溜め息なんか吐いてんでィ」

「……うるせー、ばか」


現れた沖田に力無く毒づいて、神楽はゆっくりと席を立つ。すると突然、視界を真っ黒な携帯が遮った。


「……何の真似アルか」

「メアド。教えろィ」

「……メアドぉ?」

「なんかあったらすぐ連絡できんだろーが、頭わりィな。ほら、携帯よこせィ」

「あ、ちょ、てめっ」


無理矢理携帯を取られ、何やらピッピッピッとボタンが押されて、しばらくしたら返された。すぐにアドレス帳を確認すると、ご丁寧に電話番号まできっちり登録されている。


「……お前、よくあの短時間でここまで出来るナ」

「バカか、赤外線でィ」


近未来のモバイル機器ってのはやっぱすげーなァ、なんて言いながら沖田は笑う。その笑顔を見ていたら、なんだかトクリと心臓が高鳴った。


(……あれ?)


きゅう、と胃と肺の中間みたいなところが痛くなる。痛いけど、嫌じゃない、不思議な感覚。


「……チャイナ?」

「、え」

「何ボーッとしてんだ、お前」


怪訝な表情を向ける沖田にあたふたと「いや、今日の晩御飯、なに食べよっかなーって考えてたアル!」なんて不自然な言い訳をぶちまけると、沖田は更に不思議そうに首を傾げた。けれどあまり興味がないらしく、すぐに視線をずらす。


「……ま、いいや。何かあったらすぐ連絡しろィ。絶対だぞ」

「わ、わかったヨ」

「じゃーなァ」

「……」


もう、帰っちゃうんだ。

去っていく後ろ姿を見てたら、やっぱり胃と肺の間らへんがさくさくした。


(……変なの)


私も帰ろ、と鞄を掴む。しかし背後から「かーぐらちゃん、」と呼び止められ、神楽が振り向くとにやにや気持ち悪い笑みを浮かべた銀八と目が合った。ぎくりと冷や汗が流れる。


「なになに〜、神楽ちゃんと沖田くんってぇ〜そんな関係だったのォ?」

「ちっ、違うアル!勘違いすんなヨ!」

「顔真っ赤なんですけどぉ。メアドまで交換しちゃってさ〜」

「あ、あれはっ、その、」


顔に熱が集まる。やばい、何か言い訳しなきゃ。けれどこんなときに限っていいかんじの台詞が何も浮かばない。
言葉を詰まらせる神楽に、銀八はさらに口角を上げた。


「沖田が出ていくときのオメーの顔、めっちゃ寂しそうだったしィ?」

「な、な、なっ……」

「行かないで〜って泣きつくのかと思ってさぁ、銀さんがドキドキしちゃったじゃん」


ふつふつと熱が上がってくる。もう脳みそなんか熱すぎてドロドロに溶けて鼻水と一緒に流れ出て行っちゃいそうなぐらい。


「とうとう神楽も恋する乙女かー」


しかし、さすがの神楽も我慢の限界だった。


「違うアルぅぅぅ!」

「ぐぼえっ!!」


にやつく銀八の顔面にめり込む右ストレート。そのまま銀八は綺麗な弧を描いて宙に舞い、最後は壁に激突して無惨に落ちた。
それを確認する前に神楽は全力で駆け出し、Z組の教室は遥か彼方。ばくばくと脈打つ心音が聴こえる。


(違うアル違うアル、そんなの絶対、違うアル!)


恋だなんて。そんな面倒なものに興味なんてないはずだった。だいいち、そんな感情は知らないし、自分には必要がない。


「はあ、はあ……」


必死に走って、いつのまにか学校の外だった。呼吸を整えながらゆっくりと歩き出す。自分は何を慌てていたのだろうか。


(……あ、傘、忘れたネ)


ぴたりと足を止めた。恋だなんだと慌てるよりも慌てるべく事態だ。傘がなかったら日光にまともに当たって倒れてしまう。

神楽は溜め息をひとつこぼして踵を返した。しかし、再び動きは止まる。


「忘れ物だよ、神楽」

「……かむ、い……」


そこには見慣れた藤色を持って、神威が立っていた。だが、その顔にはいつもの笑顔がない。ぞくり。言いようのない恐怖が蔓延る。


「ほんとに物分かりの悪い人形だよね」


一歩一歩、神威が近付く。そして神楽の腕を掴み、強引に引いて歩き出した。抵抗はしない。無駄なのは分かっているから。

空は、青かった。
まるであの日と同じ。


「ねえ、神楽。俺、言ったよね」


自宅に着くと、神威は神楽を床に押し付けた。ひやりとするフローリングの冷たさが、熱持った神楽の頬にしんみりと染みて行く。


「神楽は俺の人形だって」


──お人形さん。

神威がその言葉を口にするようになったのはいつだっただろうか。たしか、マミーが死んだ、あの日だ。

あの日、あなたは、別人に変わった。


「もうあの男に関わっちゃダメだよ、神楽」

「……いやアル」

「……は、」

「もうやめてヨ、神威」


私、もうあなたの人形じゃない。そう言おうと開いた口は神威の唇に塞がれた。ずきずき、胸が強く痛む。


「んーっ!」


手足をばたつかせて抵抗すると、すぐにそれは拘束され、口内には舌が割り込んで来た。にゅるりとした感覚が、歯列をなぞる。

唇なんて、もうほとんど毎日のように神威に奪われて来た。なのに、なんでこんなに嫌なんだろう。ゾッとして、泣きたくなって、なんでこんなに、──サド野郎の顔ばかり浮かぶんだろう。

唇が離れて、神威を睨みつけた神楽の青い瞳からは涙がこぼれ落ちた。それを見て神威の口元は楽しげに弧を描く。


「なんで泣いてるの?」

「泣いて、なんか、」

「あー、そうか。最初からこうすればよかったね」


くす、と神威は笑い、神楽の制服を胸元までたくし上げた。瞬間、神楽の悲鳴が上がる。再び唇を重ねてそれを制すると、今度はスカートも取り去られた。もはや下着姿同然の神楽に馬乗りになったまま、青黒い腹をまじまじと見つめる。


「へー、まだ痣とか残ってるんだ」

「……っ」

「まあ、虫刺されも残ってるみたいだけど」


少し面白くなさそうに零し、神威は先日沖田が付けた赤い痕の上に唇を這わせた。


「悪い虫に刺されちゃったみたいだね」


神楽は恐怖で身が動かなくなっているのか、一言も発しない。その揺れる瞳が「やめて」と言っているのは明らかだが。
首筋に噛み付くように吸うと、神楽の表情は痛々しげに歪んだ。そこには真っ赤な痕がくっきりと残っている。それを満足そうに眺めたあと、神威はそっとブラのホックを外した。


「っ、嫌!」


ようやく我に返った神楽が必死に抵抗するが、やはり意味など無い。簡単に剥ぎ取られ、あらわになった上半身を隠そうと身をよじるが、これも無駄だった。


「やめてヨ、神威……!」

「何で?処女だから?そんなの関係ないよ」

「やだ、やだ……」


ぼろぼろと涙が頬を伝う。誰か、助けて。誰か……


(沖田……!)


──ピロリロリーン、

そのとき、気の抜けた音がその場に響いた。ちらりと発信源を探れば、神楽の携帯の着信音らしい。神威はそれを拾い上げ、サブディスプレイに表示された名前を見て眉間を寄せて、──そして携帯を置くとゆらりと立ち上がる。


「……帰る」

「……え?」


思いがけない言葉に神楽は目を真ん丸に見開いて固まった。神威は酷く興ざめした様子で、

「ヤる気なくなった」

とこぼすと何事もなかったかのように部屋を出て行く。残された神楽はしばらくぽかんとしていたが、ふと神威が置いていった携帯に手を伸ばした。


『新着メール1件』


そう表示された画面で、ぱちりと決定ボタンを押してそれを開く。視界を埋めたのは、憎いアンチキショーからの『登録しとけ。おきた』とだけ書かれた、メールの本文。

涙が、あふれた。


「……おき、た……」


とくり、とくり。心臓の音がなぜか心地好い。どっとのしかかった安心感が、神楽の感情の異変を告げる。


(ああ、私、とうとう気付いてしまったヨ)


なぜこんなにあいつのことばかり気にしてしまうのか。あいつの顔を見ると安心してしまうのか。

心の中をふわふわさまよっていた感情の答えが、今なら分かる。



(ねえ沖田、)




私、あなたが好きみたい。




















ほんとは、ずっと前から