いつのまにか、雨が降っていた。さっきまであんなに晴れていたくせに一体どうしたものか。 「……誰かが泣いてんのかねェ」 「そうかもね、阿伏兎」 鉛色の空を見上げ、神威は口角をつり上げた。町に降りしきる雨は、誰かの悲しみの表れだろうか。 「だとしても、俺には関係ないけどね」 弱いやつには、興味なんてないんだからさ。 * 無数に広がる痣に触れると、神楽の表情が歪む。ああだから、ベッドに投げたときも痛がっていたんだ。 「お前、なんで黙ってた」 たずねられ、神楽はゆっくりと目を伏せる。 「……お前には、関係ないことネ。言う必要なんか」 「ないわけねえだろィ」 いつもより低い声に、神楽の肩が跳ねた。けれど、怒っているはずの沖田の表情はすごく切なげに歪んでいて、──なんだか泣きそうに見えた。 「サド……?」 「こんなになるまで、毎日殴られてたのかィ」 「……」 何も言わないということは、肯定。沖田はぎりっと奥の歯を噛んだ。 「オメー、それでいいと思ってんの」 「……いいネ。私があいつに従ってれば、お前らは何もされな、」 「ふざけてんじゃねえよ、バカチャイナ」 ぐ、とその細い体を、気が付けば抱きしめていた。突然ふわりと暖かい体温と優しい匂いに包まれ、神楽は目を見開く。けれど大っ嫌いなはずの男の腕の中は、不思議と嫌じゃなかった。 (あったかい……) きゅう、と胸が締め付けられたように痛む。ダメだ、このままじゃ。 (戻れなく、なる) ぐいぐい、と胸を押し返すが、沖田は離れない。やめろ、とか、離れろ、と言っても逆にきつく抱きしめるだけだった。次第に声は震え、目頭も熱くなる。 「泣きたいなら、泣けば」 ああ、この男はずるい。 「このっ……バカサド野郎死ねっ……!」 「オメーがな糞チャイナ」 「ふっ……うぅ……」 ぼろぼろと涙が頬を伝って落ちて行く。ぽんぽんと頭を撫でるサディスティック野郎の手がなんだか優しくて、思わず抱きしめ返してしまった。今さら恥ずかしいなんて感情、どこかに行ってしまったらしい。 すべて言ってしまえれば、どれほど楽なんだろう。今までのことも、神威のことも、何もかも。 けれど言えない。言ったら彼は、必ず神威に立ち向かって行くだろうから。そうすればきっと、彼はあなたを殺すでしょう。 あなたを巻き込むことは、できない。 (あー、気にいらねー) 神楽の頭を撫でながら、沖田は沸々とわき上がる黒い感情を無理矢理押し殺した。自分はとんだ我が儘だったらしい。いつも自分が神楽を傷付けるのに、他の誰かに彼女が傷付けられるとこんなにも苛立つなんて。 (むかつく) チャイナを傷付けた、誰か。そいつはおそらくチャイナの腕や骨を傷付けた人物であり、おそらく、俺を階段から突き落とした人物。ふざけやがって、こんな糞ガキの泣くところなんざ見たくねえっての。 だから、今度は、 「しょーがねえから俺が、チャイナを守ってやらァ」 そう言うと、目を真っ赤にした小さなうさぎが、腕のなかでふわりと、切なげに笑った。 もうすぐ、夏休みがやってくる。 . 助けて、が言えない ▽ |