にいちゃん。遊ぼ。 幼い神楽が俺の足に抱き着く。その体を抱えてやれば、何が楽しいのか理解し兼ねるがキャッキャと神楽は笑うのだ。俺の肩に乗ってはしゃぐ姿は年相応で、可愛らしくて、──幸せそうなその笑顔を握り潰してしまいたいと思った。 「団長」 ぼうっと窓の外を眺めたまま、んー、と返事すると呆れたような溜め息が聞こえた。 「あんた、最近ボーッとしすぎじゃねえか?」 「そんなことないよ」 「いーや、最近おかしい。どうせまた例の妹のことでも考えてたんだろ」 その言葉に、神威はぴくりと反応した。にいちゃん、と呼んでついてくる小さな子うさぎが、ちょこちょこと歩いて手を差し出す。 ちがう。ぜんぶ。 「妹なんていないよ」 ぴしゃり。冷えた声が響いた。怪訝な表情を向けられたが、それ以上は触れようとしない。 「あいつは俺だけの人形だもん」 声なんていらない。表情なんていらない。感情だって、いらない。 ただ俺の傍で座っているだけの存在であれば、それでいい。 「そりゃァ、お人形さんも大変だ。こんなヤキモチやきのご主人様じゃあなァ」 揶揄を受け止め、神威はくすくすと笑った。独占欲が強いことは分かっている。だから、あの茶髪を階段から突き落としてやったのだ。本当は殺してやりたいぐらいだったけれど、あの銀八のクラスの生徒らしいからやめておいた。 「どこ行くんだ、団長」 「散歩」 ふ、と笑ってフードを深く被る。外に出る間際、「あんまりお人形さんを虐めんなよ。」と言う声が、ちらりと聴こえた。 * 「──なんてーの、若気の至りっていうか?まあ、はっちゃけたい年頃なんだろうなって言うのは分かるんだけどさァ、いや、マジで先生は分かってるよ?オメーら二人が本当のバカだってこと先生には分かってるわけよ。まあ、先生が何を言いたいかって言うとだな、若いからって調子に乗ってんじゃねーぞ糞ガキ共!ってことなんだけれども、まあ糖分で例えるならフルーツパフェだからってプリンに勝てると思ったら大間違いだぞ分かってんのか、みたいな?的な?そんな感じなわけ。だからさ、君達二人とも根本的な部分が野生に近いから暴れたくなる気持ちは分かるけどさ、もうちょっと大人しくすごせねえのかなって俺は不思議に思うわけ。てか大人しくすごせよバカヤロー。俺がどんだけ校長に怒られてると思ってんの?どんだけ家賃滞納してると思ってんの?どんだけ給料減らされてると思ってんのォォ!?オメーら二人はこんなに人に迷惑かけちゃってんの!分かる!?バカにも分かるように説明してるつもりだけど理解してますかオメーら!分かったんだったらさっさとココ行って掃除して来い!!」 お疲れ様。と言いたくなるような長い長い銀八の説教をくらい、沖田と神楽はバケツと雑巾を持って資料室の戸を開いた。埃っぽいにおいが鼻を掠める。 「お前のせいヨ、銀ちゃんに怒られたアル」 「それはオメーの日頃の行いの結果でィ、ざまあみやがれ」 「一緒に怒られた分際で偉そうにしてんじゃねーぞ」 はあ、と溜め息をこぼして神楽は座り込んだ。目の前に広がる資料室の有様はひどいもので、しばらく掃除していないことは一目瞭然。 「こりゃあ、一筋縄には行かねえなァ」 沖田も呟き、座り込む。 なぜ二人がこんな状況に叩き込まれたかと言うと、まあ簡単に説明すればいつもの喧嘩がヒートアップした結果である。殴り合いの末に神楽の放った飛び蹴りを沖田が避けた瞬間、ちょうど開かれた真後ろの扉の前にいた銀八にそれは命中。「あ。」と二人が気付いたときには既に手遅れ。鬼の形相と化した銀八に捕まえられた二人は職員室へと連行、そして冒頭に戻る。 「罰当番で資料室の掃除なんてバカバカしいネ。帰る」 早々にリタイア宣言をして立ち上がった神楽の制服を沖田が掴んだ。 「いいのかィ?終わらせずに逃げたら課題2倍プラス夏休み毎日登校だぜィ」 「マジでか」 あの白髪のちゃらんぽらんは、毎日へらへらふらふらしてるくせにこういうときだけ目敏い。チッ、と舌を打ち、神楽は散らばっている本の山を担いだ。 「さっさと終わらせて帰るアル!録画したドラマ見たいネ!」 「おーおー頑張れィ。俺ァこっちで見てるから」 「オメーもやれェェ!」 ばこん!と沖田に本を投げ付け、また喧嘩になる前に神楽は資料室を黙々と片付け始めたのであった。 ──それから何時間たったのだろう。いつのまにか外は薄暗くなり、部活動生の声も聞こえない。資料室の片付けは、いよいよ終盤に差し掛かっていた。おそらくあと20分もあれば終わるだろう。 「おいチャイナ」 本の山に向かって呼びかけると、その中から神楽がぴょこんと顔を出した。 「何ヨ」 「オメー、教室に帰って鞄とってこい」 「はあ?嫌アル。自分で取ってこいバカヤロー」 露骨に嫌な顔をする神楽に沖田は「やっぱマウンテンゴリラは理解力ねぇな。」と揶揄し、それに神楽が反論する前にまた言葉を続けた。 「俺がこっち片付けとくからオメーは二人分の鞄を取ってこいって言ってるんでィ。そうすりゃあとから教室戻らなくていいだろーが」 「おー!なるほどナ!」 ようやく理解したらしく、神楽はポンと手を叩いて資料室を出る。 「5分以内に戻って来たら酢昆布おごるヨロシ!」 「3分以内にしろィ。オメーの足、化け物並に速ェだろうが」 「化け物は余計ネ!」 最後に睨んで、神楽は真っ暗な廊下に消えて行った。普通の女なら多少怖じけづく夜の学校も神楽にとっては何の問題もないらしい。 「……可愛くねえ女」 少し残念そうに呟き、沖田は再び掃除に戻った。 * もしも、この世に神様がいたとして。いま、私を見てるのだとしたら神様はとんでもないSだ。あのサド野郎に匹敵するサディストだ。 真っ暗な教室。もう職員室の明かりも消えている。時計を見れば7時を過ぎたころだった。まだ早い時間なのに、この高校の教師は帰るのが早すぎやしないだろうか。 (鞄、鞄……あ、あった) 二人分の鞄を抱え、教室を出る。早く帰らないと3分経ってしまうから、速足で廊下を歩いて行く。 ──ぞくり。 そして、背後から殺気を感じた。 「、っ!」 びゅうっと温い風と鋭い蹴りが頬を掠める。ぎりぎりで避けて間合いを取るが、すぐに詰められた。繰り出される拳。避けるのが精一杯で反撃に出られない。 ドゴッ! 「ぐっ……!」 鳩尾付近に一撃入れられ、神楽はよろめいた。かろうじて急所は外したが、ダメージはでかい。そうこうしているうちに再び蹴りが入り、なんとか回避したがおかげでふたつの鞄が吹き飛んだ。 「やっぱり弱いね、神楽」 漆黒のなかに響く声。それは間違いなく自分の兄の声だった。 「神威……!」 ぎり、と奥歯を噛み締める。妹だけでなく関係のない沖田にまで手をかけた非道な男は、まっすぐと神楽を見下ろしている。 「何、神楽。そんなに睨んじゃって」 「お前が……アイツを階段から突き落としたアルか」 唐突な問い。神楽の言う「アイツ」に心当たりがある神威は、ああ、と適当に相槌を打った。 「あの茶髪か」 ふ、と笑えば神楽の表情は見るまに険しくなっていく。そして繰り出された拳の乱打が神威に目掛けて放たれるが、それが神威の顔を射ることはない。挙げ句の果て、放った拳は神威に捕まった。 「関係ないアイツを何で巻き込むネ!」 「ねえ神楽、何をそんなに怒ってるの?」 「アイツを巻き込むなって言ってるアル!」 「……アイツアイツって、そんなにアイツが大事?」 「なっ……」 ドカッ! 鳩尾に鈍い痛みが走る。続けて神威の蹴りをまともに受け、神楽は吹っ飛んだ。ガシャアン!と派手に音を立てて教室の中へと打ち付けられ、割れた窓ガラスの破片が白い素肌に突き刺さる。じわりと痛覚が反応し、真っ赤な液体がぽたぽたと落ちて行く。 「神楽は俺だけの人形だって言ったじゃん」 「か……はっ……」 うまく呼吸が整わない。たかが2発、食らっただけでこの有様だ。化け物とはこの男にこそ相応しい言葉だろう。 髪を掴まれ、無理矢理頭を持ち上げられる。いつもなら唾を吐き捨ててやるぐらいだが、今は睨み付けるのが精一杯だ。 「……ねえ神楽、そんなにあの茶髪が大切なら、分かるよね?」 「……。」 「アイツを巻き込みたくなかったら──」 分かってる。分かってるんだ、全部。 最初から敵うわけなかった。それでも、従いたくなかった。だってあの馬鹿らしい日々に二度と戻れなくなるのは明白だから。……でも、もう手遅れ。 「──もう、アイツに関わらないこと」 だって私は、あなたの人形なのだから。 苦々しく噛み締める唇に、冷たいそれがゆっくりと重なる。 (あーあ) もう、だめみたい。 . こころを殺す ▽ |