今日は待ちに待った夏祭り。昨日からそれはもう楽しみで楽しみで夜中も寝付けないほど私は胸を踊らせていた。おかげで朝は痛恨の寝坊に見舞われ昼過ぎに飛び起きて全力疾走で姐御の家に向かったのだけど。寝癖をつけたまま大慌てでやって来た私を見て姐御はくすりくすりと笑いながら髪を解き、綺麗に浴衣を着付けてくれた。
「わあ、ありがとアル姐御!この浴衣ごっさ可愛いネ!」 「ふふ、よく似合ってるわよ」
にこりと微笑む姐御につられて頬が緩む。それと同時に早く夕方にならないかなあ、と期待に胸を膨らませた。
「そうだわ、神楽ちゃん。リップクリーム塗ってあげる」
ふと姐御の口からこぼれ落ちた聞き慣れない単語。私は疑問符をぷかぷか浮かべながらかくんと首を傾げた。
「りっぷすらいむ?」 「リップクリームね。口紅みたいなものよ」 「口紅アルカ!?」
きらきら、瞳に光が宿る。そんな私の様子を楽しげに眺めながら姐御は噂のりっぷくりーむを取り出した。 蓋を開けて底をくるりと回せば白っぽい固体が顔を出す。それが私の唇をすうっとなぞって、そろりそろり鏡を覗けば艶やかに色めく桜色の唇がそこにあった。
「ぬおっ、ごっさ綺麗ネ!」 「気に入ったかしら?」 「めっさ気に入ったヨ!銀ちゃんに見せて来るアル!」 「ふふ、行ってらっしゃい」
手を振る姐御に背を向け、慣れない浴衣姿でぱたぱたと走って万事屋に向かう。チャイナ服に比べると走りにくいのが浴衣の難点だ。
(……あ、)
ふと、大路の真ん中を暑苦しい隊服姿の亜麻色が横切る。見慣れたいけ好かない真選組の糞サド野郎だった。唐突に現れた天敵はまだこちらに気が付いていないらしい。
(にひひ、日頃の恨みに蹴っ飛ばしてやるネ!)
にやけっ面をさらけ出しながら、そろり、後方からゆっくりとそいつに近付く。そしてその場でおもむろに足を振り上げ、思いっきり背中を蹴り飛ばせば沖田は「うっ、」と情けなく唸ってぐらりと身体を傾けた。だがすぐに体勢を持ち直し、振り向き様にキッと睨みつけられる。
「いってーな!何しやがる糞ガ、キ……」
しかし勢い良く飛び出したかと思われた怒号の語尾は徐々に尻窄まり、サド野郎は目をぱちくりと瞬いて私を見た。かくんと首を傾げてみればそいつは更に目を細めてじいっと私を凝視する。
「どうかしたカ?」 「……チャイナ、何でィその格好」 「何って浴衣アル。あ、さては可愛くて見惚れたナ!ふふん、美少女神楽様の魅力に今さら気付いたって遅いネ。今日の祭りで男共はめろめろヨ」
にいっと笑って胸を張れば、沖田は少し視線を落とした。普段ならば即刻「んなわけねーだろ」と反撃してくるそいつが黙り込んでいるのが逆に不自然で、再び首を小さく傾ける。
「どうかしたカ?」 「……いや。似合ってんじゃねーの、浴衣」 「え……」
かっ、と頬が熱を持った。似合ってるなんて言葉がこいつの口から飛び出すとは思ってもみなかった事態で、予想外すぎてむしろ怖い。何だ?今日の気分はデレなのか?デレの日なのかコノヤロー!
「ふ、ふんっ当然アル。惚れんなヨ」 「自惚れてんじゃねーや糞ガキ。昼は天ぷらでも食ったのか?油ひっついてテカテカしてんぜィ、唇が」 「天ぷらじゃねええ!りっぷくりーむアル!」 「りっぷすらいむ?何でィそりゃあ」
「……もういいアル!女心が分からない奴!銀ちゃんの方がちゃんと褒めてくれるネ!」
ぷいっと顔を背け、糞サド野郎に背を向ける。はやく銀ちゃんに見てもらわなくちゃ。きっとこんな奴よりも上手に褒めてくれるから。せっかくデレたと思ったのに天ぷらって何だよこんちくしょー!
最後にべえっと舌を出して走り出せば沖田も不機嫌そうな顔で舌を突き出す。それが憎たらしいのに何故かちょっとだけ切なげに見えて、思わず視線をずらした。 カランコロンと下駄が鳴く。浴衣は相変わらず走りにくい。でもはやく帰らなきゃ。なんだかこいつの前だと調子が狂ってしまうもの。 小さくチッ、と舌を打って、私は人混みのなかに消えて行った。
「……テメーこそ男心わかってねェよ、ちくしょー」
ぽつりとこぼれたそんな呟きを、私はちっとも知らないまま。
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