「新八ぃ、それ何アルか?」

とんとんとん、と軽快なリズムで包丁がまな板の上のキャベツを刻んでいく。その隣にちょこんと置いてある銀色のボウルの中。そこに見たこともない魚が数匹入っていた。

「ああ、これね。トビウオっていうんだ」
「トビウオ?」
「うん。海を泳ぎながら水上に出て飛ぶんだよ。だからトビウオ」
「魚のくせに飛ぶアルカ?生意気ネ」
「あはは、そうだね」

笑いながら新八は再びキャベツを刻み出した。とんとんとん、刻まれるキャベツの横でボウルの中身をじいっと見つめる。細長く青みがかった銀色の身体に付いた羽のような長いヒレ。おかしな形をした魚だ。しかも泳げる上に飛べるなんて贅沢な魚だ。

「私なんて泳げないし飛べないアル」
「おいおい神楽、小魚ごときに嫉妬すんじゃねーよ。言っとくけど飛べるったってなあ、こいつらは空飛べるわけじゃないからね。水の上で飛び跳ねて泳ぐだけだからね。あれだよ、バタフライだよバタフライ」
「バターフライ?これバターで炒めて食うアルカ?」
「ちげーよバタフライっていう泳ぎ方があんだよ。だいたいあんなもんだって言ってんの」
「ふーん」

銀ちゃんの言うバターフライはよく分からないけど、とにかくこいつは泳ぎがとっても上手いんだということは分かった。それがやっぱりちょっと悔しい。

「はいはい、銀さんも神楽ちゃんも向こうで待ってて。今からトビウオをフライにするから」
「バターフライ?」
「え、何、バターで炒めたいの?それはまた今度ね。ほら、とにかく油とか飛んで危ないから向こう行って」

しっしっと台所から追い出され、仕方なく私と銀ちゃんは居間に座る。しばらくするとジュワアアって音が聞こえて、とうとうあの贅沢な魚どもが衣にまみれて油の中に投入されたのだと思うとざまあみろと言いたくなった。ていうか言った。

「え、何?俺?」

おめーじゃねーよ糞天パ。なんて内心ぽつりと呟いているとトビウオをすべて揚げ終えたらしく新八が皿を持って台所から出て来る。ほかほかと湯気のただようそれはこんがり狐色に色付いていて、思わずじゅるりとよだれが垂れた。

「はい、トビウオのフライ。少ないからちゃんと分け合っ……」
「うおらああァあ!」
「言ってるそばから取り合ってんじゃねェェ!ちょっ、僕の分まで取らないで下さい銀さん!」

全員の箸がフライに突き刺さり、もとよりほんのちょこっとしか無かったトビウオは物の数秒で皿の上から姿を消した。

「ちょっとォォ!僕キャベツしか残ってないじゃないですか!」
「いいんだよ駄眼鏡、お前はそれでいいんだ」
「ぶっ殺しますよアンタ!」

吠える負け犬の隣で勝ち取ったトビウオを噛み砕く。さくさくと口の中に広がるトビウオは悔しいけれど美味しい。なぜだか負けた気分になる。

「ちくしょー、バターフライめ……」
「だからバター炒めはねえって言ってんだろ!無い物ねだりすんな!」

そう怒鳴りながら、銀ちゃんはテレビの電源を入れた。映し出された画面の中では水泳の大会が催されている。

「世界選手権ですって。今から決勝みたいですね」
「へえ、あんま興味ねえな」

ぼんやりとテレビ画面を眺めていると、ずらりと並んだ海パンの男どもが一斉に水のなかに飛び込んだ。まるで魚のように水中を泳ぎ、そして水上にざぶんと飛び出す。それはまるで噂に聞いたトビウオの泳ぎさながらで。

そうか、これが、


「……バターフライ」

「神楽ちゃん、そんなに食べたかったの?」


.110820