NOVEL | ナノ

 久しぶりに飲んだお酒は美味しかった。アルコールが確実に体が浮つかせ、ついでいえば気持ちも大きくさせてくれたのだと思う。
 帰り道にわきあがった声が聞きたいなという欲求に、とけた理性はそれをすべきではないという理由を忘れさせてくれた。携帯を取り出して彼の名前を呼びだす。指に染みついた動作だ。液晶にうつる名前にそれだけで頬が緩んでしまう。
 電話をかけるとコール音がいくらかもならないうちに悠仁は出た。この時間に私から電話をかけることはほとんどないので、驚いたのだろう。声から伝わるそんな様子にびっくりした?と聞くと素直に肯定が返ってくる。悠仁はいつも素直だ。どうしたの?と聞かれたから私も素直に悠仁の声が聞きたかったんだよと答えた。悠仁の声は私といくつかの言葉を交わしていくうちにどこか困ったような声になっていった。なんだかその声音すらおかしくてふふふと笑うともしかして酔ってる?と悠仁が言う。酔ってないよと笑うと悠仁は迎えに行くからとあっさりと言いきった。
 大丈夫だよという私の声は自分で聞いていてもふわふわしていた。そんな私のことを悠仁は電話越しに言いくるめてしまう。すぐに行くからという言葉を最後に、通話は切られてしまった。
 私の場所は伝えてもいま悠仁がどこにいるのかは聞かなかった。高専にいたんだろうか。待ち合わせ場所として約束した帰り道の近くのコンビニに辿りつき中に入ろうとして、少し迷ってから外の備え付けのベンチに座ることにした。これなら迎えに来られてもすぐわかるだろう。
 コンビニの電光でやわらいでいる暗闇のなかでベンチに座りふと視線を下げると、私服にあわせて履いていたストラップのサンダルの白さが浮いていた。そういうえばこれを買って悠仁の前で履いて見せるのは初めてだった。悠仁はこれを見たらきっとかわいいと言ってくれるだろう。その笑った顔を私は脳裏に思い浮かべる。
 おかしくて幸せでなんとなくさみしくて、そして眠い。やっぱり水を買おうかなと思いながら膝に自分の額をくっつけるようにして体を縮めた。こんな夜遅くに呼びだす年上の彼女ってどうなのと残っている理性がささやく。悠仁は優しいので、電話をするまえから迎えにくるというとなんとなくわかっていた。そうであればいいなあと思っていた。
 目をつむっているのにかすかに涙が滲んでいるのがわかる。ぼんやりしながらもこの態勢で見つかりたくないなと思うのに体は重くていうことが聞かない。そうしているうちに突如として結構な勢いで肩をつかまれて心臓が飛びあがりそうになった。
 顔をあげる。走ってきたのだろうか、息の荒い悠仁がこちらをびっくりしたような心配したような顔で覗き込んでいた。
「俺が来るまでなにかあった? 大丈夫?」
 夜に彼女がベンチで崩れ落ちそうな格好をしていたらそれは心配するだろう。ありがとうとかごめんねとかいろいろ言いたいことはあったけれど、私はそれらの言葉を吐き出すよりも先に立ちあがると悠仁に抱きついた。
 悠仁の体は私よりあつい。サンダルのヒールで身長は少し縮まっている。私はその体をそのままぎゅうぎゅう抱きしめた。
「会いたかったあ」
 悠仁はなんにも言わずぎゅっと抱きしめ返してくれる。頭をぽんぽんと撫でられながら彼の肩に顔をうずめると悠仁のにおいがした。会いたかったと口にすると不思議と何より胸にしっくりくる。そう、私は悠仁と会いたかったのだ。悠仁にずっとずっとこうしたかった。

 ふらつく私の手を引きながら悠仁は私を私のアパートに連れて帰ってくれた。外であまり手をつないだことはなかったけど、初めてつないで歩いた。もっと握ってと言うと悠仁はそのおおきくてごつごつした手でぎゅっと握り返してくれる。
 くっつくのが気持ちいい。もう歩けないよとその腕にくっつく。
 おんぶがいいと彼の顔を見上げると悠仁と目が合った。悠仁がちょっとだけ笑う。ああ好きだなってその顔に見とれて足をとめた私が黙り込むと悠仁はほんとにしよっか?といってくれた。首をそっと横に振ってから視線を地面に下げる。代わりにただくっついた。歩きにくいだろうなと思ったけど悠仁はなにも言わないし私も言わない。悠仁は怒っているという感じではなかったけどいつもより静かだった。
 ようやくたどり着いた私の部屋の扉にもたつきながら鍵をバックから取り出す。サンダルを脱がないまま玄関に倒れ込むようにして座り込んだ私に悠仁がちゃんと脱がないとといいながら足元へとしゃがみ込んだ。足首のストラップが悠仁の手によって外されてサンダルを脱がされる。
「これかわいい?」
「うん、似合ってるよ」
 悠仁の手が持つとサンダルが余計に華奢に見える。サンダルに視線を落としている悠仁の肩にそっと触れ、彼が顔をあげた瞬間にキスをした。ぽかんとした顔の悠仁にしてやったりの気持ちになる。かわいい。
 そのまま何度もじゃれるようにこちらからキスすると肩をつかまれてそのまま深くキスされる。
「……酒の味する」
 囁くように言われると腰からぐすぐずになりそうで私は悠仁によりかかった。こうしているだけで幸せだった。すでに靴を脱がしきっていた悠仁はというとそのまま私の体を抱きあげた。突然の浮遊感に思わず声をあげながらしがみつく。抱き上げられる不安に強ばった背中を大丈夫というように撫でる手に、私は力を抜いて体を預けた。
 あっさりと私を抱きあげたまま悠仁は部屋の奥まで運び、重さを感じさせない動作でベッドの端にゆっくりとおろす。悠仁は私の手を取ると手にはめていた時計を靴をそうしたように外した。
「気持ち悪くない? 水持ってこよっか」
「……だいじょうぶ」
 私はそのまま力の抜けた体をベッドの上へと横たえた。顔にかかった乱れた髪を悠仁がそっとなおしてくれる。
「名前さんのこういうところ初めて見た」
「……悠仁はお酒強いのかなあ」
「俺? うーん、飲んでも酔ったことないかな」
「こら、まだ未成年でしょ」
 まあ高専は割とそういうところは緩いからと思ったけど、悠仁は意外と悪い子なので高専に来る前にもうその味を知ってそうな気もする。どうだろう。
 私をじっと見下ろす悠仁と目が合う。お互いになんにも言わない。沈黙に身を任せるまま彼を見上げていると悠仁はタオルケットを私の上にかけて、寝かしつけるようにぽんぽんとしてくれた。
 私から身を離されるのが名残惜しくて、悠仁の手を握った。そのまま手をぎゅうっと握る。
「帰っちゃうの」
「このままいたら俺名前さんのこと抱いちゃうよ」
「抱いていいよ、しよう。帰らないで」
 腕を引くとそのまま悠仁は素直に私の隣に倒れてくれた。
「名前さんがこういうこと言うのも珍しいね」
「……うん。悠仁はこういう私、嫌?」
「こういう名前さんも可愛いって思うし、いつもの名前さんも可愛いって思うよ」
 でも、と悠仁は続ける。
「名前さん、ほんとはそんなに酔ってないよね」
 その言葉に私は思わずぎくりと固まる。疑問形ではなく確信のこもった言葉に私はかけられていたタオルケットを頭までかぶってそのまま悠仁に背中を向けた。
 見抜かれていた羞恥にぷるぷる震えていると悠仁が名前を呼んでくる。聞こえないふりをしていたが怒った?と聞いてくる声が寂しそうに聞こえてあえなく降参した。おそるおそる悠仁のほうを振り返る。私の顔はきっと耳まで赤いだろう。
 私が振り返ると悠仁は口元を緩めて笑ってくれた。やっぱりどうしようもなく好きだなあと思った。
「……いつから分かってたの?」
「いつからっていうか、帰ってくる途中あたりでもう大分醒めてた気がしたっつーか」
「うわ〜!!!」
 思わず暴れそうになった。けれど彼の言う通り酔いは醒めていて、理性は戻っていたのでそんなことはできないのだった。
 暴れる代わりにそのまま悠仁の上に押し乗った。体重をかけてもけろっとしているのはいつものことだったが今日は少し悔しい。そのまま胸のあたりに顔を置くようにしてぐったりと彼にくっついた。これで顔は見えないだろう。
 聞こえてくる悠仁の心臓の音は一定で、そうしていると安心すると同時になんだか気が抜けてきてしまう。
「名前さんはいつもああやって甘えたかったんだ?」
「……うう」
「酔わないと甘えられなかった?」
 からかうような、でも優しいその声がなんだかとてもさみしそうに聞こえて強い勢いのまま顔をあげた。うおっと声をあげた悠仁はびっくりした顔をしている。
「わ、私がいつも、その、やっぱり年上の彼女だからさあ、頑張ろうっていうか、あんま甘えすぎちゃダメかなあとか、私が勝手に思ってばっかりなだけだから!」
「……名前さんやっぱりまだちょっと酔ってる?」
「悠仁が悪いんじゃなくて、むしろ全然助けられてると思うし、好きだなあって思うし、なんか、なんか、つまり悠仁のことが好きなの……」
「うん」
「好き」
「わかった」
「大好きだよ」
「俺も好き」
「大好き?」
「名前さんが大好き」
「えへへ」
 絶対に明日思いだしたら恥ずかしいなと思ったけど、聞いてしまう。そうして返ってきた言葉に私は思わず頬を緩めた。そのまま悠仁の唇にキスする。悠仁はされるがまま見下ろされていて私は愛しい気持ちが溢れるままにおでこに、ほっぺたに、こめかみに、キスした。そのままあごから首筋にかけて唇をふれさせたところで悠仁が私の体を抱えこむようにする。体を抱かれたままベットへと一緒に横になった。
 私の首の後ろに手が回って今度は悠仁がキスしてくれる。そうしてキスしながら私の服に悠仁の手をかけられたところで、自分が汗をかいていることに気づいて体を離すように身じろぎした。突如として距離をとった私に悠仁が困惑したような顔をする。
「どうしたの?」
「ねえやっぱりシャワー浴びてからでもいい? 私、汗かいてる」
「えっ」
「そういえば悠仁は明日大丈夫なの? 泊まってもいいの?」
 かかった時計に目をやって確認するが時計の針は大分遅い時間をまわっている。私はそもそも明日が休みだからこうしてお酒まで飲んでいるわけだけど問題は悠仁のほうだ。
 確認するように悠仁を見つめるとそのまま有無を言わさずキスされて今度こそ服に手をかけられる。割と強引なその手つきはじゃれあいの延長にある私の抵抗なんてほとんど歯牙にかけない。
「俺のことばっかり考えなくて大丈夫だから名前さんは集中して」
 触れられる手つきによって、自分の呼吸が熱を帯びるのが分かる。私の持つなけなしの余裕とか冷静な部分とかそういう部分は最終的には悠仁によってなあなあにされるのだった。馬鹿だなと思うのに私はそれすらもたまらなくないような気持ちになってしまう。
 結局私はお酒を飲まなくたって精神的には悠仁にいつも甘やかされているのだった。それがいつかもっとちゃんと悠仁に伝えられればいいなあと思う。

ノッキング・アウト・ベイビー

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