女性向けジャンル | ナノ
 何気なく口にした言葉で顔色を変えた彼の姿を見て、私はいつもそうするようにそれ以上激昂する様子を見せる前に彼の顔を自らの胸に抱き寄せた。
 癖のない長い黒髪に指を入れて撫でてあげながら、彼の耳に口を寄せ繰り返し「大丈夫」だと囁く。そうしてしばらくしていると彼の肉体に走っていた緊張と張り詰めていた力がほどけていくのが触れている場所から伝わってきた。愛情が伝わるように優しく頭を撫でながら触れてあげる髪の滑らかさに思わず目を閉じる。一緒にいるようになって私が彼の髪に手をかけることでもともと質の良かった髪はより美しさを増していった。その美しさとはつまり私の存在による変化そのもので、実感するたびに言葉にできない満足を覚える。
 彼は私に触れられること自体が好きだからそうして面倒を見られることも好きなようだった。手間をかけてそうされるのは愛されているみたいだから好きだと彼は言う。彼に愛情を求められるたびに私は底のない入れ物を連想した。
「……全然大丈夫じゃないですよ、誤魔化そうとしてるだろ。俺が怒ってるのちゃんと分かってますか……?」
 その言葉とは裏腹に声音は柔らかく、甘えるようなものだった。一緒に過ごすようになって、彼が激昂するような言動の傾向は何となく理解できるようになったと思う。それによって激昂を見せる数自体は減ってもなくなることはない。恐らくこれからもそうだろう。それが嬉しい。私はそうして激昂する彼の様子も愛しいと思うし好きだったから、それが良かった。
 激昂する彼の姿を見るとき、私は"張り詰めている"と感じる。私や他の人間にとって何気ないことでも彼にとってそうではないのは彼の人生において人からの態度の影響でもあっただろうけど彼自身の性質でもあるように思えた。
 考えこんでいると手が止まっていたようで、彼の手が伸びてきて続きを促すように掴む。
「もっとしてください。止めないで。ほら……」
 うっとりした声音に私までうっとりしそうになりながら返事の代わりに彼の頭を抱く腕に力をこめた。そうすると私の手を掴んでいたその白く大きい手から力が抜ける。私のために命をあげてもいいと言う彼に彼自身が傷つくことはやめて欲しいと強く願いそれに従ってくれるようになってからも、彼自身の代わりにずっと薬を塗ってあげても、まだ傷がうっすら残っている。痛々しいその手は私を力で支配しようとして強引に抱いた手で、子供みたいに私に愛情を求める手でもあった。
「俺が貴女をこんなにも愛しているように貴女も俺のことを愛しているんだ。……愛してるんですよね、そうじゃなかったらこんなに……。もっと言ってください。もっと聞きたいんです、言って、ねえ言えよ」
 噛みしめるような言葉には歓びが満ちている。大丈夫だよ、可愛いね、大好きだよと彼を肯定し、愛する言葉を彼の耳に何度も囁き続けてきたことで最初は縋るような不安がこめられた言葉だったそれらが、甘える意図を帯びるようになった。
「もっともっと俺に実感させてください。俺だけが全てだって、俺だけを愛してるんだって思わせて……」
 目の前のこの人が私に愛されたくて必死なのを見るたびに愛しいと思った。私に愛してほしくて不安で堪らない彼が愛しくて可愛い。抱きしめて撫でて大丈夫だと言ってあげたい。だからそうしてきた。私の示した愛情が彼の抱えていた不安を満たすことで、彼の精神が穏やかな変化を見せるのが嬉しいと思う。
 でも、同時に考える。今、この人が私に拒絶されたらどうするんだろう? どうしてくれるんだろう? 初めて私を抱いた時以上に、大変なことになってくれるだろうか?
「何を考えてるんですか……? ちゃんと俺のことを見て」
 私は考えていたことを顔には出さず、彼のことを考えていたと伝える。嬉しそうに彼が笑うのを見て、撫でていた手を止め、今度は彼の胸に顔をうずめるようにして抱きしめた。痛みを覚えそうなほど強く抱きしめているのに腕力の差でそうは感じていないのか、もっと強く抱きしめてほしいと彼がねだる。それでも足りなかったのか、それとも歯がゆかったのか、彼の方が逆に痛いくらい抱きしめてくれた。
 今度は彼が私の髪を撫でる。貴女の匂いだと言いながら顔を首筋に埋められてくすぐったくて身をよじった。こうしてじゃれあうのが幸せだ。でもその中ですら彼を突き放し、拒絶し、逃げ出そうとした瞬間、彼がどうするのだろうという様子のことを私は心のどこかで考えている。私は私に愛されて彼が幸せになる様子のことも愛していたが、私に愛されたくて不安でどうしようもなくて苦しんでいる彼の姿も愛していた。だってそれはどちらも彼が私を愛するがゆえの姿だからだ。
 いつかその姿を見たいという欲求に負け、想像だけでは満足できない日が来るのだろうか? 分かるのは、きっとその日が来ても私は変わらずに幸せだろうということだった。私は私が愛する彼が同じように私を愛していてくれさえすれば幸せだったから。
 私と彼は似ている。底のない入れ物なのはきっと私も同じだった。
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