love song from my hell garden | ナノ

お前の嵐を花に例えたりしない

 時間がたつにつれて苦しいことより美しいことや楽しかったことばかり印象深く思うのはどんな思い出にとっても共通しているのだろうか。
 私が高専のことを考えるときにいちばんに思い出すのは五条くんの目の色だ。たった一度だけ正面から見たその色彩を繰り返し思いだすのは、きっとその色が私の人生のなかで見たもっとも綺麗なものだったからだろう。
 夏油くんのことを選び、私がいちばんにしたことは高専の制服を捨てることだった。もはや着られないのだし持っていると余計なことを考えそうだったからだ。私服だけを毎日身に着けるのは久しぶりで変な感じがした。これからはこうやって生きていくのだろうとも思った。
 私が制服の代わりに私服を身に着けるようになったように夏油くんは制服の代わりに袈裟を着込むようになった。夏油くんはその姿をいちばん最初に私に見せてくれた。
 目を丸くする私に夏油くんはをこれなら『らしく』見えるだろうと言った。
「夏油くんはどんな姿も似合ってるね」
 その姿は本人の雰囲気もあって様になっている。真面目に言ったつもりだったのだが、夏油くんは苦笑した。
「悟なら笑ったかな」
「……そうかもしれないね」
 五条くんならなんて格好をしてんだよと目に見えて反応するのが想像できる。想像のなかのその反応を懐かしく思った。
 夏油くんが五条くんに会ったことを聞いたのは夏油くんが五条くんとの再会を終えたあとだった。夏油くんが硝子に会いに行くというのはその前に本人の口から聞いていた。硝子に会いに行こうと思うと旧友に会う予定を告げるようなそれこそ何気ない口調で言われて、私はそれを聞いたときすこし間の抜けた反応をしてしまった。
 会いに行く理由が理解できなかった。それは私がこういう選択肢を選んだことに対して仲間の反応を見るのが恐ろしく思っていたせいもあるし、少なからず危険だと思ったからだ。
 私が思いつくのだから彼もわかっているだろうが改めてそう指摘すると彼はなにも言わずにほほ笑むようにこちらを見つめた。その表情にだからこそ#゙は行こうとしているのだということに私は気づいた。私はそれを止めなかったし、恐らく止めても彼は会いに行っただろう。
 帰ってきてから夏油くんは、変わらなかったよとだけ私に言った。それが夏油くんにとって良いことだったのか悪いことだったのか私にはわからなかった。
 夏油くんは私にたいした仕事をやらせなかった。私の術式が役に立つことがあれば使うように頼んだが、それは大概ほとんど危険のないようなものだった。彼自身のほうがより矢面に立っていた。
 夏油くんが人を集め、呪いを集め、金を集めるなか、私は夏油くんの隣に影のように連れ添っていた。彼は私にほとんどなにも求めなかったが、そばにいることだけは要求した。だから彼の望まれるまま、あの♂ト油くんが呪詛師として名を馳せていくのをいちばん近くで見ていた。夏油くんが自らの家族を殺すところも私は見ていた。
 人を救い、人を助けてきたことに代わるように、彼は人を騙し、人を殺した。私たちはそれによって摩耗していくものをおぎなうように何度も抱き合った。一度抱き合ってしまうとそこからは転げ落ちるようだった。
 改めて関係に名前をつけることはしなかった。もしこうなるまえに『恋人』としての関係を得ていたのならまた違っていたのだろうなと思う。だけど私たちはそうなるまえに抱き合ってしまったし、それはもはや取り返しのつかないことだった。すでに私たちは愛というにはうすぐらい、どろどろした濃密で重たい感情でつながってしまっていて、今更改めることはできなかった。
 それはあまり幸せなことではないかもしれない。だけど不幸ではなかった。
 私は結ばれていた彼のネクタイに手をかけ、緩めていく。彼にこうするたびに新婚みたいだなあと思った。私たちはおそらく結婚をしないだろうから余計にそう感じたのかもしれない。
 夏油くんがじっと私の手つきを見ている。高専の制服はネクタイではなかったので自ら結ぶこともなく、彼に結んであげることが私にとっては初めての経験に近かった。私が初めて彼のために結んであげたときは自分で言うのも恥ずかしいけど凄くひどかった。
 あのときは夏油くんがふと思いついたように結んでくれというので、四苦八苦しながら私はネクタイに手をかけた。私が悩みながら手を動かすのを、夏油くんは微笑ましそうに見ていた。出来上がったものの当然かたちが悪く、こんな格好で夏油くんを送り出すわけにはいかないので降参すると夏油くんは私の目の前でわかりやすく教えてくれた。夏油くんの手によって結ばれたそれはまるでもともとそういう形をしていたように完成した。いまはもう、彼に導かれなくてもちゃんと結んであげることができる。
「夏油くんはなにを着ても似合うね」
 私がそういうと夏油くんはやっぱり苦笑した。私が夏油くんのことを肯定的な発言をすると、彼はいつもそんな顔をする。
 完全にネクタイが外されると、夏油くんは私に口づけた。私はそれを受け入れる。ベッドへと雪崩れ込みながら私は天井を見上げた。彼が帰ってくるころにはすでにパジャマになっていた私ときっちりと着込んでいる夏油くんはアンバランスでどこかおかしかった。
 彼は私を甘やかすように抱く。こうしてふたりで過ごす時間はおままごとみたいに穏やかで、つくりものめいた安寧がそこにはあった。その安寧に浸っているとすべてを忘れそうになる。これ以上なく優しく肌をなぞるその指先が血と呪いに染まっていることだとか、この安寧がこの二人きりの部屋にのみ存在しているだとか、そういうことを。
 夏油くんのこの手がひとを助けるためにあったかもしれない未来を考えたりする。もしそんな未来があったのなら、きっと夏油くんの最もそばにいたのは私ではなく五条くんだっただろう。そしてこうやって私と抱き合ったりはしなかったはずだ。
 どこか上の空なのを感じ取ったのか、肌を甘くかまれた。痕をつけられる。悪戯っぽい顔をする夏油くんに私も戯れに彼の肌に歯を立ててみる。夏油くんの体はあたたかい。抱きしめられていると熱く感じるくらいだ。こうして抱きしめられると生きている、と思う。顔を肌に顔をうずめると夏油くんのにおいがする。
 くすぐったいような思いで、目が合うと夏油くんも口元が緩んでいた。それが余計に胸にあたたかさを満たす。
 そうしてすべてを終えても離れるのがさみしくて肌をくっつけたままでいた。物寂しいような気持ちにじゃれあうように夏油くんの肌に触れるとそのうちどちらからともなくくちびるを重ねあって、もう一度抱き合う。くっついていると満たされるのに、同時に切ないような気持ちになる。その気持ちを埋めるように求め合うけど、その穴はたぶんもう埋まらないのだろう。
 穴の存在すら意識の果てに投げ出すために、ぐずぐずになりながら体を重ねる。そうして横たわったままぐったりしている私とは違って夏油くんには余裕がありそうだ。それでも彼も満足はしてくれたのだろうか、愛しむように肌にくちづけては撫でてくれる。
 夏油くんは甘えるのも甘やかすのも好きなのだろう。こうして抱き合うようになって、一緒にいるようになって、私はそれを初めて知った。
 布団の中でくっつきあいながら夏油くんが『仕事』の話をしてくれた。彼は術師としての私を尊んだが、最近は私をより安全な場所に置いておくようになった。
 最初のうちはそれにいろいろと考えてしまったが夏油くんが私にひとを出来るだけ殺させないのは変わってほしくないからなのだと気づいてからは私はなにも言わなくなった。でも、どんなものだって生きているのなら変化は起きてしまう。それは私だって例外ではなかった。私は高専にいたころの私とは随分違うだろう。もうずっと前からそうだ。だけど私はなにも知らないように、変わらないように夏油くんの前でふるまう。
 話の合間に五条くんの名前が出た。ほかと変わらない口調で呼ばれるその名に私は密かに彼の顔を見た。彼の表情は変わっていなかった。
「辛い?」
 そう口にした私にわかっているだろうに夏油くんは「ん?」と聞き返した。その反応に私はそれ以上の答えを聞くことをあきらめる。私が顔色をうかがっていたことにも気づいていただろう、それでもそういう反応をするということはくちにする理由がないか言いたくはないのだ。なら無理に聞き出すつもりはなかった。
 五条くんの名前は高専と違った道を選んだからこそよく耳にした。三人の特級の呪術師のうち唯一高専で動いている彼は、高専を卒業してからもよりその名を轟かせていた。一人で『最強』をしている五条くんのことを考えると懐古に似た胸の痛みが走る。瞬くのは青の色彩だ。五条くんの瞳を、私は数年たった今でも脳裏に明確に思い起こせた。
 失ったのではなく、自らそれを損なうことを選んだのに私はその色彩を今も忘れられない。
 夏油くんはなにも言わずにじっと私を見ている。その視線は私のなかをさぐろうとしているようでもある。
「ときどき、もし私が君をあそこに置き去りにしたとしたらを考えるよ」
 私は後悔をしたことはない。感傷的に思うことはあってもそれだけはなかった。夏油くんもそうだろう。だけど彼は時折私を連れてきたことを間違いだったように考えているようだった。言葉にされなくたってわかった。
「私がいないほうがよかったって思ったりする?」
「今さら手放すつもりはない」
 さらさらと私の髪をなでて目を細め、無意識だろう、少し怖いような顔をした彼に私はほほえんだ。
「夏油くんが選ぶことは間違ってないよ」
「……君の中の私はきっと本物の私よりもずっと正しいんだろうな」
「そうかな」
「君にはずっと伝えなかったことがある」
「うん」
「高専を出てすぐに悟と会ったと言っただろう。君の話になった。悟は君の身を案じていたよ。こちらを選んだのは本当に君の意志だったのかを聞かれた。どうして呪術師に向かない君を連れて行ったのかと問われた」
「……」
「君が優しいのは悟もよくわかっている。だから君が同情で私を選んで戻れなくなっているのではないかと心配だったんだろうな」
 初めて聞かされる五条くんのその言葉は、恐らくまだ私が人を殺してはいなかったときのものだろう。
「私はそのあとすぐに君に一般人を殺させた。もう戻れないように」
「後悔してるの?」
 傑くんが笑う。ああ、後悔はしていないんだなとわかって私は彼がひどく愛おしくなった。
「私のために君がそうしてくれたことが嬉しかったよ。そのくせ君にそうさせてしまったことが、君自身を損なわせるようで私は恐ろしくなった。それでも君には知っていてほしかったんだ。すべてを知って、それでも君には私を選んでほしかった」
「……」
「私は学生のころから、君が思うような男だったことなんてなかった」
 夏油くんは真面目な人だった。人を惹きつけるところがあって強くて自分の力の使い方についていつも考えていた。とても真面目だからこそこういう道を選んだし、自らを苛んでいた。
 だからこんなふうに、私に隠し通さず問いかけたりする。私は人を殺すその前に伝えられたとしても、きっと夏油くんから離れたりはしなかったのに。
 私は夏油くんを神のように思ったことはないし盲信しているわけでもなかった。私は夏油くんの理想がこれ以上なく困難でおそらく不可能であることを気づいている。夏油くんがそれを知っていることも知っている。だけど夏油くんが夏油くんであるためにこの道を選んだのなら、私だけはそれを知っていてなお、肯定したかった。
 夏油くんは私が夏油くんに夢を見ていると思っているのかもしれない。でもそれは違った。私はもう夏油くんを知っている。高専にいる間ではなくこうなってしまってから彼と弱いところや醜いところをさらしあって理解しあうのは皮肉といってもいいかもしれなかった。こうなってしまったからこそ理解できたのかもしれないけれど。
 私は夏油くんのすべてを知っている。それでも、大儀を抱えたまま、自らの道を選んだ夏油くんを愛している。
「ずっとそんなふうに胸に抱えていてくるしかったよね」
「……」
「夏油くん、私もなにも後悔をしていないよ。でももしそれでもなにかを思うのなら、私のことを少しでも思っていてくれるのなら、最期は夏油くんが私を殺してほしい。夏油くんがいい。おいていかないで」
 いつかそうして縋ったように、私は告げた。だけどいま縋っているのは私ではなく夏油くんだった。だから私はあのとき夏油くんが私を受け入れてくれたように彼の体を抱きしめる。あまり手加減をせず力任せに縋られて、苦しいくらいだったがそれも愛おしく思った。
 私には彼をこうして抱きしめてあげることしかできない。それでも、それは私にしかできないことだった。私に呪力があったことも私が高専に入ったことも夏油くんと出会ったことにも、きっと意義はあった。そうでなければ、私は。
 私はすべての思い出を振り払うように、彼を腕に抱いたまま目を閉じた。夏油くんに手をかけてもらうその未来を脳裏にえがく。けれどその光景には、彼の話をしたからだろうか、この世界でなにより綺麗な色彩が混じる。きっと夏油くん自身も忘れることができないその色がまぶたの下でにじんでいくのを感じながら私はただひたすらこの世で最も愛した人を抱きしめていた。
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