傷 | ナノ

「くだらねえ」
 ただ一人教室に残っていた爆豪くんは私のガーゼがはられた膝を一瞥し、嫌なものを見たというように思いきり顔を歪めて目を逸らした。彼の態度はとても分かりやすく、実をいうとそういうところが好きだった。
 彼の視線が向けられた自分の膝を見つめてみる。いまだガーゼの下でじんじんと鈍い痛みを放つそれはもともとはクラスメイトの女の子のケガだった。体育の時間に転んでしまった彼女のその傷を私が『個性』でうつして、私の傷にしたのだ。
 そこまで大したケガではない。だから大丈夫。私はそっと膝をガーゼの上から撫でてみる。地面に転んだあの子が私を見つけたその瞳に一瞬浮かぶ期待に私は笑ってこたえてみせた。それが私という個性の役目だと思っているから。
 私の個性を知った人はみんなそろって優しいという。少なくとも今まで嫌な顔をされたことなどなかった。そんな中で唯一爆豪くんだけは私の個性を見ると嫌な顔をする。でも嫌な顔をするくせに私のことをそばに置く。爆豪くんは悪趣味だ。
 爆豪くんは私が持っていたカバンを手に取った。代わりに握られるその手のひらは熱くてじんわりと汗をかいている。
 梅雨に入ったばかりで窓の向こうでは雨が降り注いでいた。蒸し暑さが空気に満ちていてじっとしているだけで肌に汗がにじむ。いまだ梅雨はあけそうにない。まだまだ雨は降り注ぐだろう。
 彼はもうなにも言わないから、私はその手に導かれるように歩き出した。
「自分の傷くらい、自分で負わせろ」
 吐き捨てるようにそう言う彼に指を絡める。こたえるように籠められる力に私はほほ笑んだ。
 こちらをふり向かない彼の背中は遠く、こうして手をつないでいることが奇跡のようにすら思う。彼は眩しい。きっと彼はこの先もそんな風に眩しく生きていくだろうという確信があった。それが爆豪勝己という人間だったから。

 一瞬のうちに脳裏をめぐっていくそんな記憶は走馬燈だったのだろうか。なにせ私の体には無数の穴が空いていたから。
 零れ落ちていく血をとめようにも手が足りない。そのうえ残った手は震えてしまってまともに動かなくなってきた。あの日と同じように蒸し暑い梅雨だというのに指先は真冬のように冷え切っている。
 昼間だというのに真っ黒な雲が空を覆っているおかげで日差しは差し込まない。地面に投げ出された私の体により薄暗い影が差し、ひざをついた彼は私を抱き寄せる。彼の腕は私にも分かるくらい震えていた。
「なんで」
 答えを求めるようなものではなく、思わずこぼれたというように端的な言葉に私は唇を吊り上げてわざとらしく笑ってみせた。爆豪くんの顔は表情が凍り付いていて、いつもの感情豊かな彼らしくない。
 らしくないよという意味をこめて、重たい腕を彼の頬に伸ばした。指で頬を撫でると、彼はその手をぎゅっと握りしめる。そこでようやく爆豪くんは顔を歪めた。唇をかみしめて、痛みを我慢するようなその表情はいつのまにか見慣れたものだ。どれだけ辛くても彼はけして口にしない。
 おそらくどうしてここにだとか聞きたいことは沢山あったのだろう。それでも今死に体の私を前にして聞く必要があることなどなかったのか爆豪くんはただ私の体を抱きしめるばかりである。
 そんな中、爆豪くんはふと目を見開いた。それから急ぐように握っていた私の手のひらを自分の腹へと触れさせる。すでに戦闘をこなして駆けつけてくれたからだろう、幾らかのケガを負っているもののその体は血を垂れ流すだけの入れ物になった私の体とは違い、確かな体温があり生きていた。
「オレにうつせ!」
 その絶叫に私はぼんやりと彼を見上げた。本気で言ってるのかと聞くまでもなく、彼が本心からそう口にしているのは見て取れた。馬鹿な人だなあと口にすれば怒られそうなことを考える。
「死んじゃうよ」
「オレは死なねえ」
「爆豪くんてほんと馬鹿だねえ」
 思わず口にしてしまった。彼には頭がいいのにそういうところがある。怒る代わりに彼はいつもの通りに私の額をこづいた。それがおかしいのに何故だか涙がこぼれそうになる。
「テメエの弱っちィ体よりはよほど可能性あんだよ」
 勝気な、もともと悪い目つきがより凶悪に見えるような顔で彼は笑う。その表情にただ好きだと思った。いろんな言葉が駆け巡って、でも結局なにも言えなかった。言葉にならなかった。
 だから伸ばした手のひらに意識をこめて『個性』を発動させる。私が素直に『個性』を発動させたことに安堵したのか爆豪くんが表情を緩め、そうして次の瞬間に顔つきを変えて私の手を自分の体から引きはがした。さすがの爆豪くんは気付くのが早い。だけどもう遅かった。個性は発動し終えた。
「なにしとんだ」
 爆豪くんの声が信じられないというようにひきつっていて思わず声を出して笑ってしまった。そのせいで傷が引きつれたのか口から血がこぼれ落ちた。慌てたように私の体を抱きなおした爆豪くんの指が私の血で濡れたくちびるをぬぐう。
 爆豪くんのコスチューム自体はさすがに治せないが彼のからだの傷は、すべての疵は、私にうつし終えた。個性を使ったことに加えて傷が増えたせいか体がより重くなったような気がする。すでに痛みはない。まぶたすら重くなってきた。なにもかも億劫だ。それでも無理やり目を開けた。彼のすべてを覚えておけるように。
「爆豪くん、『自分の傷くらい自分で負え』って言ってたでしょう」
 私にはもう一度『個性』を発動させる気力はすでに残っていない。指から力が抜けていくのが自分でも分かった。爆豪くんの表情が抜け落ちていく。
「……このままだとテメエが死ぬんだぞ」
「うん」
 ぽつ、と冷たい水滴が体にあたって、雨が降ってきたのだと遅れて気が付いた。思考すら動かなくなっているのかもしれない。一瞬のうちにふりだした雨は私の体からこぼれおちた血すら流していく。そのおかげで爆豪くんと私の周りは血だまりになってしまっている。私の体冷え切っていくばかりで、余計に爆豪くんの体があたたかく感じた。
「爆豪くんの体の傷は全部私がもっていってあげる」
 指をひらき、私は手のひらで彼の胸に触れた。
「だから代わりに爆豪くんのここに疵をおいていくね」
 もう一度きつく抱きしめられる。雨で濡れた爆豪くんの髪の毛から雫がしたたり落ちて私の顔を濡らす。ぽたぽたと何度も落ちてくるそれはまるで涙のようだった。
「……泣いてるの?」
「泣くわけねえ」
 そうだね。こういうときに素直に泣けるような器用な性格じゃないもんね。そういうとこも好きだった。
 雨がどんどん強くなっていく。雨から庇うようにして彼は私を胸へと引き寄せた。彼の胸の中はあたたかくて心地よい。そうされてしまうと顔が見えないがやはり彼は、彼自身の言うように泣いてはいないのだろうと思う。もはやその真相を私は知ることはできないのだろうけど。
 爆豪くんのそういう不器用なまでの強さを、正しさを、私は愛していた。でもきっとそれ以上に、めちゃくちゃに傷つけてやりたかった。愛しいと思えば思うほど憎らしくて、その精神を損なわせてみたかった。確かに愛していたはずなのに。
 たとえ私の死をもってしても、きっと本当の意味で彼に損なわれることはないのだと、そんなことは知っていた。それでもこの季節がくるたびに、雨がふるたびに、私がつけたその疵が痛めばいい。
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