EXTRA | ナノ
瞼裏の楽園
*弓士▲前提のアーチャー。いつかあったかもしれない世界で。

「終わったねえ」
「そうだな」

 かえってきた言葉は思いのほかいつもと変わらない声音でなんだか気が抜けてしまった。けれどどことなく穏やかなのは私の勘違いではないんだろう。
 息を大きく吐く。体中が疲れ切っていて、重かった。そのくせ体が疲労している感覚が愉快に感じてくる。疲れすぎてハイになっているんだろうなと、昔初めてお酒をのんで意識を飛ばした記憶を思いだしながら思った。あの時も今のように、見るものすべてが愉快に見えて仕方なった。
 欠けた月はすでに沈もうとしている。空は先ほどよりも黒さを増した。もう少しすれば空は白み始めて朝日が昇るのだろう。夜明け前が一番暗いというのは本当のことなのだなと、どうでもいいことが浮かぶ。もう次に迎える夜には、私の隣にいる彼はもういないのだ。彼に出会ってからは昼夜問わず、ずっと二人でいたせいか、彼がいなくなるというのを想像すると胸にぽっかりと穴があいたように思える。きちんとつながっていたはずのパスがどんどんと細く、頼りない感覚になっていくのが、ただ寂しい。

「アーチャー、聖杯とれなくてごめんね」

 潮の香りがする空気を吸いながら、私は砂浜にしゃがみこむ。冬の海は夜空のように暗い。海にうつる欠けた月を見ながら、アーチャーを召喚した日を思いだした。あの日もこんな風に月が欠けていたのだ。
 そっと、私の隣にたつアーチャーへと視線を向ける。彼は本当によくやってくれた。決して優秀とはいえない魔術師である私と組んで善戦してくれたのだ。私がマスターじゃなかったらきっと聖杯をとることだって夢ではなかっただろう。それでも彼は私に最後までついてきてくれた。

「……君はいつもそんな顔をして私を見るな」

 苦笑じみた言葉とともに腕を伸ばされる。ぼんやりとしながらその腕を見ているとそのまま思い切り腕を引かれて立ち上がらせられた。力強いその腕の感覚に鼻の奥がつんとする。私が生き残れた時点で奇跡と呼ばれるレベルなのだと分かっている。それでも私は、私に付きしたがってくれたアーチャーと勝ちたかった。そのうえもうこんな風に世話を焼かれることもないと考えるとますます寂しいし泣きたくなってくる。

「胸を張れ。君はできることをやった。自分の全てを尽くしたんだ。後悔なんてないだろう」
「……もっと褒めて」
「君は私の最高のマスターだった」
「恥ずかしいからやっぱなし」
「私は君のサーヴァントとして戦えて悔いはないよ」
「なしだってば!!」

 いつだってこう、不遜というか慇懃無礼な態度をとってきたサーヴァントの思ってもみない言葉に頬に熱がこもる。いつもがああなので、より恥ずかしく感じる。でもただ嬉しくて抗議のためにたたこうと伸ばした掌で、そのまま彼の背へと手を添えた。すがるようにして、彼の外套をつかむ。彼の背中にはこれ以上のない信頼を抱いていた。それこそどんな時だって助けに来てくれるヒーローに対する信頼に似た、そんな、子供じみた感情を。
 この世界に正義のヒーローはいないし、そんなものには誰もなれないのに。

「あのね、アーチャー。知ってると思うけど、私、聖杯にかける大した願いなんてなかったんだ」

 すがる掌にちからを込める。その事実はアーチャーが何より知っている事実だ。何せ聖杯戦争という存在を知らないまま、アーチャーを呼び出してしまったのだから。魔術師として少しばかりのちからの使い方を学んではいても、それは到底実践で使えるものではなかった。なんだか思い返してみると本当に無茶ばかりしていたような気がする。きっと私の幼馴染が知ったら怒るだろう。
 聖杯戦争に参加したせいでここ最近まともに連絡の取れていない幼馴染の顔を思いだして笑う。彼はきっと私の無茶を叱るだろう。怖いなあと思いつつ、嬉しくなってしまう。自分なんてこうと決めたら私以上に無茶をするくせに。

「でもねえ、もしかなうなら世界平和にでも使ってやろうかと思ってた」
「……君らしくもない願いだな。君は赤の他人の幸せを自分を顧みずに願える女ではないだろう」
「とげのある言い方だなあ。うん、でもそう。私、赤の他人なんてどうでもいいよ。でも私の大切なひとの幸せは心の底から願ってる。大切なひとには幸せになってほしい」

 アーチャーは何も言わない。ただ黙って私の話を聞いていた。そう、彼の言う通りだ。私は狭量だし、何も知らない他人のために命を晒そうとは思わないし、聖杯戦争に参加したのも自分の命を守るためだった。
 でもそれはきっと普通のことだった。私はそれを知っている。自分を顧みずに他人の幸せのために生きるのは間違ってはいない、けれど人としてはきっと救われることがない生き方だ。

「……私のすきなひとの願いなんだ」

 せかいのへいわ、と小さくくちのなかで言葉をころがした。なんて耳障りの言い言葉だろう。けれどきっとそれが本当に、現実のものとしてかなうなんて思っている人間は、この世界にいくらいるんだろう。子供ならともかく、いい大人が本気で言う言葉じゃない。正しいとされていたって、それはきっとかなわない理想だ。

「アーチャーはね、私のすきなひとに似てる」

 それでも、……それでも、彼は、士郎はそれを心から願っているし、成し遂げたいと思っている。昔から変わらない。最近少しは自分のことを思うようになってくれたけれど、根本的なところで彼が変わることはきっとこの先もないだろう。ひどい歪みだ。でも私はその歪みすら愛しいし、その歪みごと愛しきることに決めている。いつか他の誰もが見放すような時がきたって、士郎自身が肯定できなくなったって、私だけは絶対に士郎を一人にしてやらないのだ。
 士郎の顔を思いだして、思わず笑みが浮かぶ。と、アーチャーは面白くなさそうに鼻をならした。

「君の男の趣味は絶対に悪いから願い下げだな」
「えっ!? 会ったこともないのにそんなこと言わないでよ。……いやでも悪くないかと言われると否定できないような。え、でも会ったことないでしょ!!」
「会わなくても分かるさ、君の男の趣味は最悪だ」
「ええ?! なんか今までで一番あたりきつくない? その反応ちょっと傷つくんだけど」

 私の抗議にアーチャーは心底馬鹿にするような笑みを浮かべてから、それからふっと気のぬけたように笑った。他意などないような、柔らかく笑う笑みはあどけない。
 そんなあどけない笑みになんだか胸が痛くなった。苦しくなるぐらい、痛く感じた。どうしてそう感じるのかは分からない。ただそんな風に笑うアーチャーがひどく愛しく、それでいて悲しく思えたのだ。
 なんだかたまらなくなってアーチャーの背中によりそうように、そっと額を押し付けて、目を伏せた。

「アーチャー、あなたは聖杯が取れたら何を願うつもりだったの」

 初めて問う疑問だった。私の最初の願望は生き残ることで、それを叶えるためにアーチャーは最初から最後まで動いてくれて、だからこんな風に改めて聞いたこともなかった。私が叶えたい願い(といっても借り物のようなものだけれど)を初めてくちにしたように、アーチャーに願いを問うこともなかったのだ。
 今、ここにいる、私の命を掬い、守ってくれたアーチャーの願いを、私は知りたかった。
 
「アーチャー?」

 すがるようにして背中に触れていた私の体が、すっと引き寄せられる。今度はアーチャーが私にすがるようにして、抱きしめられた。鋼色の瞳が私を心底愛しいとでもいうような優しいいろに染まるのが見てとれて、私は思わずもう一度、彼を呼ぶ。当たり前ではあるけれど、彼にこんな風に触れられたことなど初めてだった。
 ただ、よくわからないまま彼の背中に腕を回す。そうしなければいけないと思ったからだ。―――そうしてあげたいと、そう思ったからだ。

「君は今幸せか」
「うん」
「君は迷いなく、その男を好きだといえるか。後悔する日は来ないか」
「もちろん。この先どんなことがあったってそうだし、後悔なんて絶対にしないよ」
「―――その男は君を幸せにできるのか、君はその男とこの先一緒にいることで不幸になったりしないか」
「分からない。でも私が幸せにしてあげたいと思う。一緒に幸せになりたいって思うよ」
「そうか」

 安心したような声音だった。でも複雑すぎてよくわからない。泣きそうな声にも聞こえた。だから私は大丈夫だというように彼の背中を抱きしめる力を強める。もう何も不安を抱かなくてもいいように、守ってあげるように、ぎゅっと抱きしめる。

「名前」
「なに?」
「俺はね、名前のために戦うことができて本当によかったと思ってる」
「……アーチャー」
「もうずっと君だけを見ていた」

 とん、と肩を押された。強く抱きしめていた腕があっけなく外れる。アーチャーの肩越しに、朝日が見えた。あれだけ昏かった空も、海も、鮮やかな光へと飲み込まれていく。私はただそれを見つめることしかできない。

「願いなら、もう叶ったよ」

 最後に彼がどんな表情をしたのか、光にのまれたせいで私には分からなかった。それを私は知ることがない。彼は行ってしまった。
 空に残った鱗翅のような光だけが、彼が今そこにいたことを証明していた。その光すら、もうあと少しでかき消えてしまうだろう。それでもきっと一生私はその光景を忘れることはないのだろう。
 朝日がひどく目に染みる。どうしてだか今すぐ士郎に会いたいと、そう思った。

アーチャーの愛の言葉:欠けた月に想いを寄せる夜、そっと目を伏せて「もうずっと、君だけを見ている」
http://shindanmaker.com/435977
×
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -