EXTRA | ナノ
服部桧山△
 冬の濃くて寒々しい暗闇の中にパトカーのランプは赤く輝いている。いまだ鳴り響くサイレンやせわし気に行きかう警察のひと、そして遠回りに集まっている見物人の声が混じってすでに深夜になりかけている時間帯だったが建物の近くは喧騒の様子を見せていた。
 そのなかで端の方に立ちすくむようにしていた私に戻ってきた服部さんは身に着けていたいつものモッズコートを脱ぐと上から強引にかけた。今この瞬間まで服部さんが身に着けていたからだろう。体温が残っていてとても暖かい。
 その体温に思わずコートに縋りついた私を傍目に服部さんはかかってきた着信をとるとそのまま話始める。
 先ほど目の前でおきた事件が頭をよぎりどこかぼんやりと服部さんを見ていた。私にコートを渡してしまったせいで彼は薄着だ。与えられたあたたかさと事件の衝撃でまわっていない頭だったが彼からコートを奪い取っていることに今更ながら罪悪感がわき、電話を終えたのを見計らって彼に近づいて話しかけた。
「……服部さん、寒そうです」
「さっきまでその恰好でいた人にいわれてもねえ」
 思わず自分の、コートの下の薄手のワンピースを見下ろす。外に出ることをまったく考慮していない服装だった。露出しているひざや手の先は冷え切っていた。くちびるがかじかんでいるせいで話しづらい。
 でも巻き込まれただけのそのうち解放されるだろう私がこれからおそらく長丁場の仕事にあたることになるだろう服部さんの上着を奪うのはどうしても気が引ける。
 なおも言い募ろうとする私に彼はにっこり笑った。
「そんなに言うならそのコートのなか、一緒にはいってあげようか?」
 目を丸くする私に、冗談と彼は言う。そして自分がすぐに屋内に入ること、だからおとなしくそれを着て帰ればいいとを言った。その態度に固辞しても服部さんは受け取ってくれないことを察してありがとうございますとつぶやく。
 躊躇いはあったが素直に好意を受け取ることにする。そう決めると感じられるあたたかさも甘受できた。コートと残った体温のおかげで感じていた寒さもずいぶんとマシになった。
 思わずコートに顔をうずめると、甘くて、でもどこか苦いにおいがする。彼の吸っている煙草のにおいだ。
「服部さんのにおいがします」
 は、と服部さんが吐き出す吐息が白く濁る。電気に照らされてその吐息はきらきらと光っていた。彼が私の頬に手をのばして、だけど止まる。彼のてのひらは頬ではなく私の鼻先にふれ、その指先がいっとうやさしくなぞった。
「こんなに冷えちゃってまあ」
 ほとんど一瞬だけの接触だったけど、あまりにもやさしいふれ方だったのでまるで夢みたいに感じた。
 あっけにとられた私に、服部さんはもうなにも言わずに背を押すようにして歩かせた。迎えに来てるって、という彼に誰のことだかわからず首をかしげるもその疑問は屋内で私を出迎えた彼によってすぐ解消される。
 目が会った桧山さんは足早に私の前までくると肩をつかんだ。
「ケガはないな」
 目を合わせてそう問いかける彼に大丈夫ですと答えるとにわかに彼の表情が緩む。ずいぶんと心配をかけてしまったことを知って申し訳なくなった。
「無事だって伝えたはずだけど」
 そう言う服部さんに桧山さんが目を向ける。にわかに険しくなる雰囲気に、桧山さんが服部さんに話しかける前に思わず彼の名を呼んだ。
「桧山さん」
 ついうかがうような声音になった。桧山さんはその反応に気を取り直したように、冷えた私の手を取る。
「俺が送っていく」
 そうして彼はそれきり服部さんと言葉を交わさず私の手を握ったまま部屋を出ようとする。服部さんも我関せずというような顔をして見送ろうとしていた。
「あの、コートがまだ」
 そのまま部屋を出そうになるまえに振り返った私を桧山さんが一瞥する。
「今度でいいって言ったけど」
「必要ない」
 私が返事をするよりさきに代わりに桧山さんが答えた。歩みを止めてくれた桧山さんに慌てて袖を通さず羽織るようにしていたコートを体から外す。あのとき感じた煙草のにおいがふたたび強く香った。
 桧山さんは半分に折るようにしたコートを私の手から取り上げると、彼にしては少し乱暴な動作で服部さんにつき返した。
 それからふたたびくちを開くことはなくもう一度私の手を握ると彼はそのまま歩き出す。改めてお礼を言い損ねて服部さんに視線をむけながら部屋を出た私に彼ははひらひらと手を振ってみせた。
 警察の人が行きかう廊下のなかを私の手をつないだまま桧山さんを迷うことなく進んでいく。そして桧山さんの車へと戻ってきて乗り込んだとき、私は疑問をくちにした。車を出す前に確認しておきたいことだった。
「そう言えばほかのひとは出てたみたいなんですけど、あの、事情聴取とか、私まだしてなくて」
「話なら通してある、後日でいいそうだ」
 もし必要なら迎えにきてもらったうえに待たせることになるかもしれないと申し訳なさで顔をゆがめた私の質問に答えた彼は、答え終えるまえに私を抱きしめた。突然の行動にかたまった私の背を、桧山さんが確かめるようになでる。
「連絡がきたとき、驚きで心臓が止まるかと思った」
 連絡、と頭のなかで繰り返しておそらく服部さんだということに思い当った。あの場にいて、私と桧山さんが知り合いであることを知っているのは彼しかいない。私にコートをかけてくれたあのときも桧山さんと話していたのかもしれないなと思った。
 ますます強くかき抱かれながら、煙草ではなく香水の匂いがして桧山さんの匂いだと思った。彼は抱きしめながらも、私の頬を撫でる。いつも身に付けられていた手袋は外されている。彼の手からあたたかな体温が染み入ってくる。
「冷たいな」
「桧山さんの手はあたたかいです、気持ちいい」
 あまりにも心地よくて、私はその手に頬を自ら寄せる。彼がかすかに笑ったのが空気でわかる。躊躇いつつも、私は彼の背中にそっと手をまわした。
 今こうして桧山さんに触れてもらっているのに、なぜか私は私に触れなかった服部さんの手を思い出した。ほとんど一瞬だけの接触でわからなかったが、服部さんの手はこんなふうにあたたかっただろうか。それとも私みたいに冷えてしまっていたのだろうか。
「……匂いがうつっている」
 桧山さんがそうぽつりとつぶやいて、それを差しているのが服部さんだとわかった瞬間にどきりとした。
「今日はもう帰らないで泊まっていってほしい」
 その言葉に私は何も言わずにうなづく。桧山さんが私に身を寄せることで、今度は彼の匂いがうつっていくのを感じながら私は目をとじる。
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