EXTRA | ナノ
いつかはいつの日か夜の中
 お腹に穴が空いた。歪な部分がない綺麗な円だった。
 びっくりして最初は夢かと思った。背中を確認してみても変わりはなく、貫通しているわけではないようだった。まさしく穴なのだ。おそるおそるその穴に触れてみるとやわらかい膜のような抵抗が指に触れた。力を無理にこめれば破れそうな感覚だったが取り返しのつかないことになりそうで怖くなりやめた。
 突如自分の体に穴が空いていると言いだした私に周りは困惑したような顔をして見せた。穴は私以外の誰にも見えていないようだった。何かの症状かとメディカルチェックを受けたが結果は良好。健全そのものなのだった。
 私が本気で穴が空いているのだと主張していることに、後輩はひどく気遣わしげな顔をしてみせた。なので私は彼女に心配をかけないためにもその事実をくちにすることをやめた。なにせ穴が空いているというだけで他はいつもとなんら変わることがないのだ。痛みもなく違和感もない。むしろ穴が空く以前に比べ体が軽いような気すらした。
 穴は常に空いているわけではく私の目にすら見えたり見えなかったりした。ただ、それは見えなくなっているだけで穴は常にあるのだ。私はそれを教えられるまでもなく知っていた。

 体をゆすられる感覚にはっとして飛び起きた。私を覗き込むようにしていたカルナの顔が視界に入り、意識が一気に現実に引き戻される。自分の息は荒く、心臓は強く脈打っていた。体が熱い。汗が肌を濡らしていた。
 肩に添えられた手はそのままで、カルナは私の顔を見つめている。
「うなされていた」
 言葉も出ずこくこくとうなづく。どうやら見かねて起こしてくれたらしい。
 カルナが来るのをまっているうちにいつのまにか眠っていたようだ。額ににじむ汗を手で拭う。 ふらつきながらテーブルに置いてあった水に手を伸ばそうとすると震えていたせいかグラスごと落としそうになった。その前にカルナが手を伸ばして事なきことをえたがいまだ震えは止まりそうにない。
 代わりにグラスを握ったカルナが、そのまま私の口元へとグラスを運んだ。緩やかに傾けられた水を一口飲む。ぬるくなっていたけど、少なくとも心を落ち着かせるのには効果はあった。震えが波が引くように止まる。
 震えが止まると途端に疲労感が襲ってきた。顔を手で覆うようにしてからため息をつく。汗が滴っていて気持ち悪い。
「ごめん、寝てたうえになんなんだけどシャワーあびてきていいかな」
「そうするといい。ひどい顔だ。少しはましになると思うぞ」
 その言い方だと私の顔自体がひどいと言いたいみたいだと少し笑えてしまった。もちろんカルナがただ単純に心配してそう発言しているのだというのは付き合いから分かっている。立ったままのカルナをベッドに座るように促してから、私はシャワールームへとあるきだした。そこで私は自分の体に穴がまだ空いていることを自覚した。
 穴は体調にまったくの影響を及ぼさなかったが、何故かそのまま眠ると高確率で悪夢を見るのでその状態で眠ることを避けていた。穴が空いていると不思議と眠気を感じることはなかったので私はそれをいいことに起きていることにしている。眠気だけに限らず穴がすがたを表すと、欲求そのものが薄れていくようだった。体に起きている変貌に不安を感じないのもそのおかげであるのかもしれない。ただ、眠気を感じなくなったというだけで、眠れなくなったというわけじゃないので気を抜いて横になったりするとそのまま眠ってしまい、飛び起きることも多々あった。
 待たせているので手早くシャワーをあびる。熱いお湯は肌と同時に悪夢の片鱗さえ洗い流してくれそうだった。シャワーを浴び終えて清潔な服を着替えると、カルナの言う通りさっきの状態からは随分とましになった。身支度を整えていると短くはない時間がたってしまい、急いでカルナのところへ向かう。カルナは促した通りにベッドに座ったままで、私を待っていた。彼は素直である以上に律儀だ。
「待たせてごめん」
「いや、構わない」
 私もベッドに座ろうとして、辿りつく前に足が揺らめいた。床に崩れ落ちるまえにベッドに座っていたはずのカルナが私を抱きとめる。
 足から力が抜けたのだと思った、でも違った。力が抜けているのは全身だった。いつものあの独特な感覚がふさがらない穴を満たしていた。最初はこの感覚の意味にまったく気づかなかったがこの前ようやく気づいた。穴が広がろうとしているのだ。
 穴が見える頻度がここにきて明確に増えていた。痛みはやっぱりない。
「穴が、」
「穴?」
 こじあけられていく。何によってなのかは全くわからない。カルナは私の手がおさえるお腹に視線をやって、それから私の表情をうかがうように顔に視線を戻した。見えないのだ。
 カルナはあの初めてのときにいなかったから、穴のことなど知らない。話題に上がったこともないのだから知るはずもない。だけど力が入らないことは分かったのか私の体を簡単に抱きあげるとそのままベッドに運んでみせた。
 ベッドにおろされる。膝をついたカルナがどうした?とひどく冷静に、だけど優しさを含んだ声で聞くので、大丈夫だと答えるつもりだったのに私はあっさりとくちを滑らせていた。
「穴があるの、おなかに」
「痛むのか」
「痛くない。ちっともね」
 添えられたままの私の手に重ねるようにして、カルナは手で穴に触れた。カルナの手は大きい。指も長いけど手のひら自体が大きいのだ。最初は握りこぶしぐらいだった穴はいまやカルナの手でやっと覆えるぐらいの大きさだ。
「治るものなのか」
「分からない。治し方も分からないし、どうしてこうなったのかもよくわからないんだ」
「お前にしか見えていないようだ」
「そうなの。誰にも見えてない。私にしか見えない。気でもおかしくなっちゃったみたい」
 その通りなのかもしれない。信じたくはないけど、それ以外にどう表現すればいいのか分からない。カルナはどう思うと答えに困るだろうと思いながら聞いた。私の質問に、カルナは私の穴に視線をやる。私には穴にしか見えないが、カルナの目には普通通りにうつっているのだろう。
 少しの沈黙をおいてカルナはくちを開く。彼の瞳は彼そのものでいつだって真摯だ。
「俺には見えない。が、お前が信じるものを否定しようとは思わない」
「……」
「お前にはそう見えているんだろう」
 今の今までそういうものだと納得していたのに、私は突如としてひどく心細くなった。今の今までこのことに関しては不思議なほど心が凪いていたのに、泣き出したいような思いに駆られて唇をかみしめる。無言のまま私は彼に手を伸ばしていた。彼が困惑しているのが分かる。私は衝動のまま抱きしめてほしいとくちにしていた。カルナは突然のことに困惑しながらもその言葉に従って私のことを抱きしめる。
 手探りのような手つきで彼が私を抱きしめるので、もっと強くしてと言った。カルナはどこまでもマスターである私に従順で、その通りにしてみせた。痛いくらいに抱きしめてもらってようやく息が吐く。
「カルナ」
「なんだ」
「……なんでもない」
「そうか」
 私が求めれば、カルナはどんなことでも私に与えるだろう。今こうやって抱きしめてくれているみたいに。それはとても幸福なことで、なのにとても切なくなった。
 繰り返し見る悪夢が脳裏によぎる。広がる穴が私自身を飲み込む夢だ。
 カルナの肩に回していた腕をそのままに、彼の首筋に額を乗せて目を閉じる。体にはいつのにか力がこもるようになっていた。穴はいつものように、いまはまだ、きちんとふさがるだろう。体は軽い。あいた穴からいらないものをなくしたようだった。
 揺れていた感情もおさまってくる。感じた切なさは穏やかな安寧に飲み込まれていく。ただどうしてか、抱きしめてくれるカルナに思う寂しい気持ちだけはどうしても消えなかった。寂しいのに覚えていたいと思った。
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