APH | ナノ
 眠たいから添い寝してとこともなげに言われたそれは、イヴァンさんが私に言う無茶振りの続きのようなもので、つまりいつもの延長でもあった。
 首筋にこすりつけられるようにされていた鼻筋が離れた。私の体を包むように抱きしめていたぬくもりも離れる。ようやくあきたのだろうかと思ったけれど、急に与えられたその動作は私に少なからず喪失感を与えた。抵抗などないものとしてベットに引きずりこまれ抱きこまれることの羞恥にも慣れ、そのころには触れ合っているぬくもりを心地よく思えていたので逆に名残惜しさえ感じたのだ。
 問いかけるつもりでイヴァンさんの名前を呼ぶ。私を見下ろす彼は、やはり、いつものように笑っていた。
「きみ、警戒心どこかにおとしてきちゃったの? あんなに抵抗してたのにすぐ眠っちゃうなんてすごいよね」
「……お、起き抜けに嫌味言わないでくださいよ」
「だってつまらないんだもの。僕が起きてるのに先に眠らないでよ」
 無遠慮な動作で額を軽く叩かれて思わず手のひらでそのぶぶんをなぞる。イヴァンさんは不満そうなしぐさで私を見つめていた。もしかして面白くないと思っているのだろうかと考えているとそんな考えすら見透かすようにぐっと距離を詰められる。じっと、こちらを伺う淡い紫色の瞳にはただ私を観察するような色が浮かんでいた。私のなかを覗き込まれそうな気分になって、居心地が悪くなる。
「あんな風に抵抗してもさ、結局受け入れてくれるならきみって僕がお願いしたらなんだっていいよっていってくれそうだよね」
 答えを聞いていない、独り言のような言葉にイヴァンさんが無理を言うからしょうがなくだとか、そういう冗談を交えて答えを返すこともできずに思わず彼の顔を見返した。相変わらず近い距離にあるイヴァンさんの瞳に何かを言わなければいけないような気になる。そうしなければいけないような思いのままにひらいた私のくちびるに何を考えたのか彼は自分のそれと触れ合わせた。押し返すためにのばした手のひらは、握りしめられ押しとどめられる。
 ほとんど反射的に、だけどその分必死に抵抗を繰り返す体とは別の場所にあるように意識だけは妙に冷静だった。私の意思をすっかり無視したキスなのに、その一方で縋りたくなるような優しさを多分に含んでいたからかもしれない。そのキスは触れたいだとかそういう熱っぽい欲望を感じさせるものではなく、試すような形式的なもののように感じた。
 呼吸すら奪うようなそのキスから、息が完全に上がり切ってからようやく解放される。酸素不足で目に涙が浮かんだ。目を合わせることが恐ろしくて、私は顔をそらす。そんな私の反応なんてどうでもいいのか、目に入らないのか、イヴァンさんは私の耳にそっとささやいた。
「僕のこと、受け入れてくれるでしょう?」
 その言葉は独りよがりで、他人の、私の意思なんてきっとちっとも意味はないものだった。それはなんだかとても悲しいことのような気がした。
 きっとそれは今ここで自分におこるだろう現実よりも、ずっと、寂しいことだった。
 
 身を包んでいた服がひとつひとつゆっくりとはずされていくのを羞恥と恐ろしさを感じながら見ていた。からだのつくりから違う彼に対する抵抗なんて意味のなさないことだとそうそうに気づいて、ただ震えながら抵抗することをやめた私に、いい子だねと彼は優しく私の頬を撫でる。
 ほっぺたにキスを落とされそのまま首筋へとくちびるが滑っていく。大きいてのひらが私の下着を外そうと肌にふれると、その手の冷たさに肌が震えた。じわじわとわく実感に緊張でからだがこわばっていく。そんな反応は肌を通して伝わったのかひそやかにイヴァンさんは笑った。
「ひどくはしないからそんなに怖がらないでよ」
 この行為自体がひどいことだといいたいのを視線で感じ取ったのか、イヴァンさんはふふふと笑った。びっくりするくらいかわいらしい笑顔だった。その身のうちにある恐ろしさだとか、今から始まる事象にそぐわないような、そんな純粋な笑みだった。楽しそうな表情を浮かべた彼はこれもまた可愛らしいリップ音をたてて、胸元にキスを落とす。初めてされるその行為に思わずイヴァンさんの体を引きはがそうと手を伸ばすが力の入らないそんな動作は彼を止められるものでは到底なかった。
 だけど代わりに私の抵抗を懐柔するような、穏やかであまいくちづけがふってくる。さっきとは違うゆっくりとしたもので、私の反応を確かめているようだった。だけどそのあまさが私は恐ろしかった。そのあまさは彼の気分次第でいくらでも反対のことができることを言外に示していた。
 きっとひどくされれば泣き叫んでしまう。イヴァンさんの大きなてのひらはその力次第で私が持ち合わせているものをきっとたやすく打ち砕くだろう。
「……お、願い優しく」
 私のすがるような声に、イヴァンさんは瞳をほんの少しだけ見開いた。瞳を縁取る光に透ける睫が、それにともって揺れる。すぐに元の表情へと戻った彼は、その事実をいつも通りの穏やかな口調であっけなくくちにした。
「きみ、初めてなんだね」
 のどの奥で言葉がつまる。愚かしい間違いを指摘されたような気分だった。
「うーんそっか。考え付かなかったけどそういう可能性もなかったわけじゃなかったね」
 他人事のような声で彼は言う。その事実を気づいてもやめるつもりは毛頭ないらしい。
「そっかあ。きみの初めては僕になるんだね」
 心臓のあたりのむき出しになった肌を指先でとんとんとたたかれる。イヴァンさんの手は冷たいのに触れられたところからぞわぞわと熱くなっていくような感覚を覚えた。イヴァンさんの笑い交じりの吐息が肌に触れて肌がざわめく。
「せっかくだからひどくしてあげる。ずっと忘れられないようにさ」
 ひどく、と言葉を反芻した私に彼はひどくだよと楽しそうに繰り返して言って見せた。だけどその言葉とは裏腹にその声には夢をみるような甘さが含まれて聞こえた。
 子供がぬいぐるみを抱くような手加減のない強さで、いつもそうするようにイヴァンさんは私を抱きすくめる。私は、それこそ本当にいつものように、抵抗する意思さえ簡単に失ってしまったことを自覚して、そっと目を閉じた。
 
 体中が汗ばんで、いつの間にか私は何も身に着けていない状態になっていた。イヴァンさんの言葉通り、ただひたすら『ひどく』された私は内側からぐずぐずにとかされてしまったようだった。快楽だけで摩耗させられ靄がかかったような思考はひどく不明瞭だ。この行為はとても気持ちいいことだという信号だけが体を満たしている。
「気持ちいい?」
 その言葉にこくりとうなづく。素直な子は可愛いよと子供をほめるようにささやかれた。その合間も彼の太い指先がこれまた緩やかなうごきでなかをえぐる。体を抱かれたままずっと、おかしくなりそうなほど、舌と指で気持ちよくなることをを繰り返されていた。
 ようやくベットに体を下される。と、くちびるがふってくる。すっかりならされた私のからだは彼の望むことを学んで、意識せずとも勝手に従順な反応をかえすようになった。くちづけが繰り返されたくちびるはすっかり腫れ気味だ。彼のくちづけに答えながらキスが好きなのだろうかとぼんやりと思う。キス魔という言葉は彼を表すにはいささかかわいすぎるが。
 まともな理性など飛んでしまっている意識のなかで、ベルトのはずす音がする。その音にみちびかれるままに何も考えずに下をみてしまい、すぐに目をそらした。とろけきったそこにあてがわれるそれは想像していたよりもずっと大きい。
「は、はいるんですか」
 思わずそう問いかけてしまう。久しぶりに発したまともな言葉がその内容だということが、自分でも恥ずかしい。私がそんな問いかけをしたからか、一瞬目を見開いた彼は目を伏せてふふと笑った。
「入るよ。女の子はそういう風にできてるから」
 押し付けられただけで感じる圧迫感に意識しなくても腰がひける。そんな私の腰をつかんだまま、イヴァンさんは容赦することなく中へとそれを押し込んだ。衝撃に背中がそる。悲鳴のような声が口からこぼれた。
 痛みよりもなによりも衝撃に体が震えていると気にかけてくれているのか、彼はそのまま動かないでいてくれる。そのせいでそれの存在を意識してしまうとどろどろにとけきったそこは、きゅうっとうずいた。
 私の上にのしかかる彼のからだは重い。逃げられるわけがないのに、その動作はまるで私を逃がさないようにしているみたいだった。
 涙がぼたぼたとベッドへとこぼれる。思わず腕で顔を隠すとあっけなく、その腕はイヴァンさんによってはずされる。
「見せて」
 向きなおった先で見たイヴァンさんの顔はしかめられていた。なんだか私よりもずっと痛そうな顔だと思った。
「痛い、ですか」
「きみは痛くないの?」
「気持ちいです」
「じゃあ僕とこうすることに向いてるんだ」
 彼の荒くなった呼吸が、肌にかかる。痛みを我慢しているような吐き捨てるようなしゃべり方だった。つながったまま、指と指を絡めるようにして握りしめられる。折られそうなぐらいに強く握るその手を、ずっと握っていたいと思った。
 からだも慣れたと判断したのかついに突き上げられるようにして腰を動かされる。肌が重なっているからか、つながっているからなのか、ひとりできもちよくなるよりもずっと心地いい気がした。
 繰り返される律動に何度目かにもわからない意識が白くはじける予兆を感じる。もうまともに言葉を発せなくて、だからイヴァンさんの名前を呼んだ。ただ必死に呼んだ。そうする以外の方法を私はわからなかったのだ。だけど、そのうち名前を呼ばれることが煩わしくなったのか黙ってと口づけでくちびるをふさがれる。
 最後に見た彼の表情は、私よりもずっとずっと苦しそうだった。淡い紫色のその瞳にうっすらと水の膜がはっていて、だから私はその零れ落ちそうな水滴をぬぐってあげたいと、思ってしまった。
 私のからだを、壊してしまいそうなほどに強く抱きしめるイヴァンさんの体に縋りつく。涙をぬぐいたいなんて思っても結局私にできたのは、それぐらいのことだった。



 目が覚めると、見えたのはイヴァンさんの背中だった。服は、身に着けていない。だけどべとべとだったはずのからだはすっかり綺麗になって乾いていた。全部始末してくれたらしい。
 部屋の中はサイドテーブルにあるライトがかすかな明かりをともしていたけれど相変わらずあたりは暗くて、夜が明けているのかも分からなかった。時計の針もベットの上からでは読めない。ただその代わりにベッドの下に服が散らばっているのは見えた。取り合えず着替えるために体を起き上がらせるとどこもかしこもぎしぎしした。ふらふらする体でベットからおりるために、床に足を下すと後ろから太い腕が伸びてきてひゅっと息をのんだ。その腕は私を抱きしめると、そのままベッドの中へともう一度引きずり込む。
「……起きて、た、んですか」
「きみが動くから起きちゃった」
 小さくあくびをしたイヴァンさんは、ベッドの中で私のからだをじぶんと向き直らせた。そのままそっと額にキスをおとされる。
 されるがままに黙っていると、イヴァンさんは私の手を握った。
「ねえ、怒ってる?」
 他人事みたいな聞き方だったけれど、手を握る彼の力は強かった。こちらを見つめる瞳には、あの時見えたような涙など影もない。だけど恐ろしいくらいにまっすぐに、その瞳は私を射抜く。
「怒ってませんよ」
 少し悩んでからから、そうくちにした。考えたのは自分でも何を思っているのかわからなかったからだ。体中がひりひりして、ぼろぼろで、たぶんどこもかしこもあざだらけだった。痛かったし、今でも痛いし、きっと怒る権利は少なからずあった。でもあるのは寂しいような、悲しいような気分だけだった。
「僕じゃなくてもそうやってきみは許したの」
「分かりません」
「……」
「でもイヴァンさんだから許せたのかもとは、やっぱり思いますよ」
 そんなはっきりしない言葉に、彼は何も言わずに私を見据えた。私も何も言わないまま、彼を見つめ返す。そうして衣擦れの音がして、私はそっと目を閉じた。軽くくちびるに重なってすぐに離れてしまった熱に私は彼のからだを抱きしめる。
「今度はちゃんと欲しいって言ってください。……イヴァンさんがわざわざ奪わなくたって、私からあげますよ」
 愛の告白みたいだった。言ってから気づいた。恐る恐る彼の顔を伺うと真顔でこちらを見ている。イヴァンさんは何も言わないし、私も何も言えなかった。
 気恥ずかしさから、イヴァンさんの体に回していた腕をはずす。とりあえず服を回収しようと距離をとしかけた私のからだは再び抱き込まれる。
「イヴァンさん、あの」
「くっついていたら、寒くはないでしょ」
「そうなんですけど、でも」
「まだ朝じゃないから寝てなよ。きみ、疲れてるでしょう?」
「……イヴァンさん」
「まだ疲れてないっていうならもう一回する?」
「寝ます」
 自分の痴態を思い出してしまいそうになって耳が熱くなる。そんな私の羞恥を分かっているのかわかっていないのかイヴァンさんはお休みとささやいた。ここから彼の意思を曲げさせることなど不可能に近いことだった。なのでそれにこたえるようにおやすみなさいと言って、私も目を閉じる。私自身、彼の言う通りからだは重くて疲れていたし眠かったのだ。
 目を閉じると、いともたやすく睡魔は私の意識を襲った。泥のような眠りの予感を感じながら意識が溶け出していくなかで、髪の毛をそっと梳かれるのがわかる。それがすでに夢だったのかそれとも現実だったのかは、判断できなかった。ただその動作があんまりにも優しかったから幸せだと、それだけを思った。

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