小さい頃からとんでもない阿呆で、一族の中で年齢差を差し引いても一番出来損ないだった。
忍の家に生まれた私には二親と、兄と姉が一人ずつ、それと昨年生まれたばかりの弟が一人。
父はとても厳格な人だったから私は家の側の竹林で修行を積む度に手足に青痣や切り傷をめいいっぱいつくった。三歳の頃から苦無を持たされた。父は私をいつも一族の恥だと罵った。
だから、何時しか家を出ることを強く願うようになってしまったわけで、日が沈むと毎日屋敷を抜け出した。
私は一日の中でもとりわけ夜を愛していた。ひとえに、その時ばかりは誰の干渉も受けなかったからだろう。
私は一等立派な木に登って夜を明かした。夜というと闇夜の印象がどうしても先行してしまいがちだけど、実際には月や星が輝いているのだからとても明るい。夜目なんて無くても生きていけるのだ。きっと純粋な闇というのはとても困難に違いない。実力もないのに、幼いながら考えることだけは一丁前な奴だった。だから家族ののけ者になったのだった。
それでも私は彼らのことを嫌いではなかった。彼らは私に愛をくれなかったけれど、少なくとも生き抜く知恵は教えてくれた。それだけで十分だ。私は忍として生きていく。そのための道筋だけはきちんと立ててくれた。
そんな私がついに家を出ることになったきっかけは親戚だった。
私が九つになった時にやって来た彼はこれまたどこかの城に使える忍者で、泊まる家を求めて訪れたのだった。
おそらく一族の中でもある程度の地位をせしめる人だったのだろう、両親に丁重に扱われ酒を振る舞われ饒舌になったその人はぽろりと、ついうっかり零したとでも言わん口調で学園のことを口にした。
そういえば、貴君の家の次女は大層出来が悪いのだそうな。それでは万一くの一になったとしてもすぐに死んでしまうだろう。貴君の手に負えないのなら学園にやったらどうだ。と。
娘を苔にされてもへらへら笑っている父は酌をしながらそうでしょうともそうでしょうともと繰り返し頷いた。丁度うちの長兄が初めて任務に就くというのにあいつがいたら体裁が悪い。学園にでも何にでもやってしまった方がいい。
実に呆気なかった。たった二、三言の会話であったし、次の日には学園の存在を口にしたその人も出ていったけども、それから後はとんとん拍子で話は進んでいった。あと一つ歳を重ねれば学園に通える歳だったことも関係しているのかもしれない。
私は半年ほど後、必要最低限のものを風呂敷に包んで家を出た。挨拶はしなかった。一度だけ振り返ってみたが、そこにはひっそりとした空間があるだけだった。竹林は揺れる。私はそれから一度も家に帰っていない。


学園に入ってからのことを話す前に、私はある一人の男について語らねばならない。
彼は私と同時期に入学した男で、名を鉢屋三郎という。
鉢屋は決して笑わない男だ。笑わない、というのは内面的なものであって、表情ではない。顔だけでいうなら鉢屋はよく笑った。彼はいつも誰かに化けた。大抵は友人の不破雷蔵の顔を拝借して、その他同級生を中心に勝手に化けてみせては先輩後輩構わず人をからかう。飄々たる性格で掴み所のない人物。私はくの一教室で合同授業が無ければ滅多に直接関わることがないけれど、その姿だけはよく見かけた。鉢屋はくつくつと喉を鳴らして笑っていた。


私は叢に紛れ、静かに辺りを見回した。
今は上級生となって初めての実戦演習で、忍たまくのたま合同で行われる厳しいものだ。各自腰につけた紐を手段は問わず奪い取り集めていく。
四年生になって難易度は急に跳ね上がり、命の危険に晒されることも格段に増えた。苦無と手裏剣は常に懐に忍ばせているものの、これがどれ程役に立つかわからない。生きていくには結局、我が身一つでやっていかねばならないのだ。
入学時から長屋で同室だった友人は三年生を終えてすぐに学園を去っていった。やっぱり私まだ死にたくないみたい、と別れ際に苦笑いして手を振った姿を思い出す。
命と忍を秤にかけた時、命はどうしようもなく重い。月は薄雲がかかってぼんやりしていたが、星は今日も煌々と輝いて明るい。私はじっとりとした湿気を纏う風を身に受けながら、おもむろに寝転がった。
流石に寝れるほど図太い神経はないけれど、早朝からの疲れが溜まっていて、わざわざ人を探して奇襲をかけるなんてことはしたくない。血気盛んな奴は僅かな気配だけでも平気で襲い掛かってくるんだろう。幸いなことに、夜が明け終了の鐘が鳴るその時まで自分の紐を死守してさえおけば実習は合格なのだ。なるべく無駄な争いは避けたかった。

「十三、か。上々じゃないか」

近くの茂みの中から声がした。私はさっと懐に手を入れ、狙いを定めて手裏剣を投げた。さくっ、と小気味よい音をたて柔らかな土に刺さる。外れたと思った時には、鉢屋が私を見下ろしていた。

「寝たままでやる気はあるのか」
「……ない、かもしれない」
 
私はそれだけ言うとすうと目を細めた。優しい不破の顔を借りた鉢屋は面を被ったみたいに冷たく、恐ろしい顔をしていて、少しでも動こうものならそのまま刺し殺しかねない勢いだ。

「十五」と私は言って起き上がった。その瞬間、苦無がキーンとぶつかり合って辺り一帯に響く。「なんだ。鉢屋の方が沢山持ってるじゃない」
「出会った奴ら片っ端から盗ってったからな」
「それじゃあ、私も危ないね。鉢屋は強いからできれば人から貰った紐を何本かあげて見逃してほしいんだけど、私の分も危なそうかな」
「当たり前だ」

会話が途絶えた。私は目だけ鉢屋に向けたまま、身を隠すために背の高い木にひらりと飛び乗って、そっと気配を消した。
勝算はおそらく三割。真っ向から攻撃をしかけるより逃げた方がいいだろう。彼は他の奴らのように行くまい。まずは距離をとって、一気に駆ける。煙玉は夜の中では逆に目立つ。わざわざ自分の居場所を教える義理はない。
私は確実にやれると思える以外のことを極端に避ける。

「ハチはどうした」

鉢屋は私を追いかけるわけでもなく、おもむろに私に問うた。私は木の陰からこっそり伺う。

「ここへ向かう行き掛けにあいつに会った。ハチはお前にしてやられたと言って笑っていた。勘右衛門もやったらしいな。手強かっただろう、お前どうしたんだ。色でも使ったか」

考えてもみない言葉だった。
私が、色を。
緊迫した空気の中で思わず笑みが零れる。声はたてなかったから彼は気付いただろうか。分からないが、何となく苛立っている気がした。
私は風に揺れる鉢屋を見つめながら、入学したばかりのことを思い出した。そっと息をつくと、胸の奥が不思議と冷えていく。


生まれてこの方、血縁のある人間しか見てこなかった私は学園に足を踏み入れると同時にこんなにも自分と似たような歳の子が大勢いることに驚いていた。自分と同じくくの一を目指す子もいれば、行儀見習いとして数年学ぶだけの者もいる。
私は座学だって実習だって身につけられるものは全て身につけるという意気込みで、自分を追い詰めるようにして学んでいった。すると比例して傷も増える。中には二度と消えないものまでできる。友人や先生に何度止められたことだろう。無理しなくていいんだよ、と。しかし、私は無理をしたことは一度もなかった。
鉢屋の噂はその時から聞いていた。一年生の頃から周りに一目置かれる存在で、同じくのたまの友人も鉢屋のことはよく話した。どうやら一度変装した鉢屋に脅かされて、それを恨んでいたらしい。
だからだろう。
私としても幼いながらに友人の報復をと思っていたから、シナ先生に授業の一環で忍たまの相手をしなさいと課題を言い渡された時、私は真っ先に鉢屋の元に向かった。痺れ薬を入れた手製の饅頭を持って「鉢屋くん、だよね」と声をかけると、彼はそれまで浮かべていた笑顔を引っ込めて、誰だと訊いた。あからさまに訝しんでる顔だった。

「私、…あ、見たらわかると思うけどくのたまね。なまえっていうの。私、鉢屋くんのことずっと見てたんだ。一年なのに変装が上手いでしょう。だから仲良くしたいなと思って、お饅頭つくったんだけど一つ食べない?」

渾身の可愛らしい笑顔を浮かべながら長い台詞を言い切ると、私はすっと差し出した。その出来を自分で計ることはできないけれど、鉢屋の周りでぽかんとしてた奴らがたちまちひゅうひゅうと冷やかしたから、たぶん演技は上手かったんだろう。しかし、鉢屋は首を振った。

「お前、食べろよ」
「え」
「お前が先に一つ食べたら、食べてやる」

予想外の出来事だった。まさか反対に食べろと言われるとは思ってもみなかった。
私は少し思案した後、「私のこと疑ってるのね」と囁くように訊いた。鉢屋は憮然とした表情で答えた。

「当たり前だ。さっき同じような話で雷蔵が医務室に運ばれた。雷蔵に団子をくれた奴は先に俺がからかってやったくのたまの女の子だった。きっと、俺と雷蔵を見間違えたんだろう」

万事休すだ。やることは皆同じということだ。
鉢屋の一言でさっきまで冷やかしに専念していた奴らも徐々にうたぐり深い眼差しに変わっていって、私は追い詰められた。
どうしよう、が頭に過ぎる。でも、これまでも自分を追い込むことに長けていた私にとって、答えは明瞭だった。

「…いいよ。私、食べるわ」

はっと息を呑む音が聞こえる中、私は勢いよく饅頭を半分ほどかじった。できるだけ飲み込みたくなかったが、そうしないでは鉢屋が信用しないと思ったから、よく噛んだ。飲み込んだ。
入れる時は大して気にしてなかったけども、私が使った痺れ薬は随分即効性のあるものだったらしい。手足がじんわりと痺れ、視界が霞んだ。気力だけで立っている状態だ。私は小首を傾げた。

「ほら、食べた。大丈夫だったでしょう?私、本当に鉢屋くんとは仲良くしたいんだから」

鉢屋は私の目をただじいっと見詰めていた。物事をすべて見透かすような目だ。私はこの時初めて鉢屋三郎という人を認識したといっても過言ではない。

「…お前は」鉢屋は静かに言葉を紡いだ。「馬鹿か。お前は忍に向いてない」

次の瞬間には私はその場にぶっ倒れていた。鉢屋がほんの少しだが、肩を押したからだった。
ここで私の敗北は決まった。
私は医務室に運ばれ、薬が抜けるまで一夜をそこで過ごすことになった。痛みはなかったけれど、始終頭がくらくらしたのを覚えている。
夜中に見舞いにきた友人がシナ先生から私が課題不合格になったのを聞いた。話しながらさぞかし悔しいだろうと友人はまた憤ったけれども、私は別のことを考えていた。
倒れた、あの時。
私を医務室まで運んでくれたのはあろうことか鉢屋だった。私をおぶった彼は、他の皆にかけるような冗談を一度も言わずに平気な顔して歩いた。そのことの方が、私には幾分も悔しい。
友人が長屋に帰ってからもぞもぞと隣の布団が動く音がした。

「…起きてる?」

ろくに動けないから目だけ声のする方角に向けるとひょこひょこと布団の端から髪の毛がうごめいていた。ふわらいぞう、私は紡ぐ。

「うん、そう。僕は不破雷蔵だよ。君は?なまえちゃんだっけ。さっきの子が言ってた」
「……うん、そうだけど」
「そう、よかった。合ってて。なまえちゃん、三郎にやられたんだってね。でも、三郎を相手にするなんてすごいや。化けられた方の僕だってまだ三郎に勝ったことないのに」

不破は薬が概ね抜けたのか、名前の通りふわふわした口調でそう言った。暢気な奴だと思った。私は言った。

「起きられるようになったら、私は補習しなきゃいけない」
「…そうだね、それはそうだけど。でもね、なまえちゃん」
「でも、じゃない。私はやらなきゃいけなかったのに、これが本番だったら私は死んでた」

自分でも八つ当たりだと感じた。そう自覚した時点で、私はみるみる萎んでいった。
あの目が、未だ私を捕らえていた。
不破はそんな私の様子を見てとったようだった。優しい声色で、さっき私が打ち消した「でも」を繰り返した。

「その代わり三郎は生き残った。それだけなんだよ。ねえ、こんなことを僕が頼むのは間違ってるけど、三郎のこと嫌わないであげて。今日は僕のことがあったからピリピリしてたけど本当は、三郎、いい奴なんだ」


私は幼かった頃の面影を追いかけながら、すっと姿を現した。鉢屋がさっと振り返る。

竹谷に出くわした時、私は先程と同じように叢の中に身を潜めていた最中だった。
竹谷は心根の優しい人物だけれども、一度戦闘を開始したら委員会で培った体力を生かして接近戦へと持ち込んでくる。そうなれば、同じだけ経験を積んだ身であっても男女の力の差は歴然である。
案の定、竹谷はすぐに私と間合いを詰めてきた。何度か受け身をとって私は策を講じた。そして攻撃と攻撃の合間にすっと今度は自分から間合いを詰めて、一瞬の隙をついて竹谷の腰についてきた三本の紐を抜き取ったのだった。体格が小さい分の瞬発力を利用した技だ。
紐を盗られたことに気付くと、竹谷はからりと笑って攻撃を止めた。

「まさか」と私は言った。「こんな傷だらけの体で誘惑したって無駄でしょう。私が色の成績が悪いこと、知ってる癖に」
「じゃあ、純粋に実力ということか」鉢屋は笑った。口角をあげるだけの嫌な笑い方だった。「流石、くのたまで一番の実力だけある」
「まさか」また言った。「私はいつだって出来損ないだよ」

ひゅう、と耳元で風が鳴る。
私は鉢屋の襲撃により木から墜落していた。肩を押さえ付けられていて身動きが取れない。ぶつかるかと思ったその時、ふっと体が楽になって寸前で体勢を直し着地することができた。
一体なんだったんだろうか。私はしばし呆然とした。私が無事だということが分かると、鉢屋は興味が失せたようで何もしてこない。やがて、彼はいつかを思い出させる眼差しを私に向けた。

「お前は忍に向いてない。俺にはそれがわかる」

そう言い残して鉢屋は去っていった。途端に、体の力がどっと抜け背中は汗が吹き出す。私は叢に埋もれるように倒れ込んだ。
私は忍に向いていない。
それは幼い頃父に、そして数年前には鉢屋自身に言われた言葉だった。
私は忍に向いてない、私は反芻する。
私はあの夜死んで、今またもう一度死んだ。
体が夜を欲していた。だから私はこんな状態でも息を潜めた。瞼の裏に焼き付いているのは、どうしようもなく眩しい太陽だった。
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -