学園に、狐がいると聞いた。
 最初にそれを聞いたのは、たまたま気が向いて珍しく時間通りに委員会に出てみたときだった。立花先輩からだ。狐というのだから化けて悪さをするのかと思えば、至って普通の狐だと先輩は言った。人に化けてはいるが、人並みに良心を持ち合わせているし、悪さといっても食堂から油揚げをこっそりつまみ食いするくらいの可愛いものらしい。夜遅くに屋根に登って嬉々としながら食べているのを見たと先輩は笑った。それ以来油揚げを差し入れてやっているということで、先輩と狐は随分親しい間柄になった。
 次に狐の話を聞いたのは同室の滝夜叉丸からだった。立花先輩とは反対に日が高く昇った時分に見かけたという。狐は花壇の前にしゃがみ込んで、薬草を収穫している善法寺伊作先輩と仲良く談笑していたらしい。そこで浮かんでくる疑問。何故それが狐であると判断ついたかというと――これが間抜けな話で、ふさふさとした黄色い尾を生やしていたということだ。狐が去った後、滝夜叉丸は善法寺先輩に何故話していたのか、そもそもどういう経緯で出会ったのかと問い詰めた。彼は困った顔をして知らないと言った。花壇をくのたまの格好をした女の子が興味津々と眺めていたから声をかけただけであって、まさか彼女が尻尾を生やしていただなんて微塵も気付かなかった、と。何だか釈然としなかったが、まあ善法寺先輩という人は少し抜けているし、自他共に認める不運なお方だったので深く追求することなく終わったと滝夜叉丸は目を細めた。滅多とない経験ができて満足といった顔だった。



「…ふぅん、で?」

 今日は昼までで授業がないからと意気揚々と歩いていたら、ものの見事に嵌まったらしいなまえが丸い空を見上げていた。おや、と目が合って数秒。この穴掘り小僧め、と憎々しげに呟かれたとはそう前のことではない。普段それほどドジはしないなまえが蛸壷に落ちたのは珍しいことだった。

「他にも続々と狐の目撃者が出てきて、仲間外れにされた綾部は拗ねちゃったわけ?」
「別にぃ。でも、お馬鹿な狐だというもんだからたくさん掘ったらくれるかと思って」

 次第に落ち着いたのか、のんびりとした様子のなまえに僕もだんだん興味が失せてきてぼんやりと空を見上げた。せっかく掘った蛸壷がおじゃんになってしまったのだから尚更だ。とりあえずなまえの落ちたすぐ隣にまた掘ってはみるものの、これでは落ちて保健委員がいいところだろう。

「ねぇねぇ」
「何、綾部」
「なまえは狐?」

 半ば冗談で訊いてみたら、案の定「まさか」と言って笑われた。

「仮に私が狐だったら先輩も滝も気付くでしょう」

 それもそうだ。なまえの話は最もだった。
 日差しが暑い。もしかしたら僕がこうしている間にもまたどこがで誰かが間抜けな狐を見ているかもしれない。僕となまえとは一年生の頃からの顔見知りであるけども、なまえはずっとなまえのままだった。くのたまのことなどあまりよく知らないが、そこそこ成績優秀でそこそこ皆に慕われて、僕の知らないところのなまえがいるのも知っている。かといって、ヒゲが生えたり尻尾が出ているなまえがいないのも僕は知り得ていた。

「…ああ、でも全然知らない人に化けちゃえば、私が狐である可能性も否定できないのか」
「知らない、人」
「うん。それこそ鉢屋先輩みたいに学園内の人に化けたりね」


 ――ああ、愉快愉快。

 あっはっは、と豪快に笑う姿は女のそれじゃなかったが、僕はあえて見て見ぬふりをした。一人で考えついて一人で笑う姿は些か滑稽だ。なまえは変わった節があるから、きっと今もその頭の中では妙ちくりんなことを考えているに違いない。ひとしきり笑い終えると、なまえはおーいと僕を呼んだ。

「ところで、そろそろ穴から出たいんだけど。その働き者のふみ子ちゃんを差し出してくれないかな」
「どうして?」
「私がそれに掴まって綾部が引っ張り上げるの」

 それなら手を貸せばいいだろう。わざわざ遠回りな頼み方をするのにむっとして、埋めて欲しいのと言うと<「まさか」と返された。
 たまにこうやって落ちてしまったのだから、珍しいことを沢山してみたいと思ってというのが言い分らしい。確かになかなか滅多にないことではあるが、だからといって僕がそれに協力してやる義理など、これっぽっちもない。

「嫌だ、面倒くさい」
「つれないなあ。今頃狐も私みたいにつまらなそうに空を見上げているかもしれないよ」
「だったら、狐の方に行く」
「綾部が拗ねた」

 途端、うわっとなまえの悲鳴が蛸壷から響いた。僕が砂を落としてやったからだ。加減したつもりだったけど、結構な被害を受けたみたいで目が目がと喚いて煩かった。
 こういうところ子供っぽいなと思う。お互い上級生と言われる年齢になったとはいえ、まだまだ先輩の実力には到底及ばない。それはきっと、考えに冷静さがついてきてないからだろう。
 僕はここで初めて蛸壷の中を覗き見た。一番初めになまえを見つけたときもむくれていたが、久しぶりに見るなまえの顔は砂のせいで目に涙を溜めながら般若のような顔をして、よくわからないことになっている。

「この穴掘り小僧め」
「それさっきも聞いた。はい、手を貸して上げるから出ておいで」

 よいしょっと。穴から出た瞬間、なまえが攻撃をしかけてきた。危ないったらありゃしない。僕はそれを避けつつ、なまえの腕をぱしりと掴んで動けないようにした。

「おやまあ、落ち着いて」
「もう!ありえない」
「でも、これでなまえは狐じゃないってわかったね。だってこんなに怒りっぽいとは聞いてないから」
「まさか」

 狐のこと、何にも知らないくせにとなまえはふっと笑みを漏らした。その言い種に引っ掛かった。そういえばさっきから僕ばかり狐の話をしているが、なまえは狐に会ったことがあるのだろうか。

「じゃあ、なまえは何か知ってるの」
「まぁね。会ったことくらいあるよ」
「どんなだった?」
「別にぃ。普通の娘だったよ、人間が大好きでちょっと淋しがり屋の。あ、あと立花先輩は狐は油揚げが好きって言ったみたいだけど、本当はおいなりさんが大好物なんだって」
「ふぅん」

 僕はなまえの話と前に聞いた話を総合して、まだ見たことのない狐を想像してみた。おそらくは何処にでもいるような子なのだろう。よーく見ないと気付かないような、そんな狐。

「ねぇねぇ」
「なあに、綾部」
「なまえは、狐?」

 「まさか」となまえは笑った。


 
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