昔、村に赤子の霊が出た。
 あれは私がまだ四つ、五つの年の頃だ。夕刻になると、村のはずれにある草むらに遊ぶ子ども達に混じって、ぼう、と時に楽しそうに、時に恨めしげにそれは浮かび上がった。
 初めに視た子は私の友達で、でも、初めは誰も信じなかった。大人は皆揃って、子のたわい話だと疑わなかったし、私も半信半疑だった。お化けは母親の話す怪談でしか存在しないものだと思っていたからだ。
 けれど、暫くしてあそこで遊んでいる子ども達の中で赤子を見ていない者はいなくなった。しかも、初めはただ見ているだけだった赤ん坊は僅かながらに大きくなっていって、時折「遊ぼうよ」と手を引くまでになった。
 怖い怖いと二親にだだをこねる村の子ども達の様子を見て、いよいよ大人達も笑ってはいられなくなった。もっとも、その時はまだ、大人達は誰か質の悪い子どもの悪戯だと思い込んでいたのだが、とにかく、そいつを捕まえてとっちめてやろうというのが村の決定になったらしい。大人達は昼間から日がとっぷり沈むまで草むらを見張った。ある者は鍬を持ち、ある者は鎌を持って。けれども、最後まで大人達が赤子の姿を視ることはなかった。あの小さなか弱い子どもは同じ子どもにしか視えない亡霊だったのだ。

 そうして皆、途方に暮れていた頃、事件は起きた。
 最初に視た友達が、ある時急にいなくなったのだ。
 もちろん、村の住民はこの緊急事態に集まって、総出で友達を探すことになった。
 友達の母親は泣いていた。何故それを知っているのかというと、私はお母さんの言い付けをきちんと守って家にいたのだけれど、その家に今にも儚くなってしまいそうな女一人を匿っていたからである。私は側にいてあげなさいときつく言われたから、始終友達の母親に寄り添って、「大丈夫」と言った。大丈夫、大丈夫だよ。とめどなく吃逆を上げながら、その母親はしきりに頷いていた。「ええ、ええ、あの子はきっと帰ってくるわ。なまえちゃんはいい子ねえ。優しいねえ」
 しかし、そんな願いも虚しく、夜明けに友達の死体が見付かった。井戸の辺りで眠るようにして真ん丸なっていたらしい。私は初めて死というものを目の当たりにして、ぽかんと瞬きばかりしていた。
 死因はわからない。溺れ死んだと言う者もいれば誤って毒草を食べてしまったのではないかと言う者もいた。そうしてあちこちで憶測が飛び交うくらい、友達の身体には傷一つついていなかった。分かることはただ一つ、それから赤子の幽霊は出なくなったことだけだ。

 さて、私の住んでいる村にはそんなことがあったわけなのだが、実はというと私はその赤子の姿が全くわからない。同じ草むらで遊んでいたくせに、ちっともわからない。美しい子どもだったと言う。けれど、私は知らない。否、覚えていないのだ。
 何故か。
 それはあれから十年経った今でも謎である。


 十歳になって、私は忍術学園に入学した。それと同時期に同郷の尾浜勘右衛門も入学して、忍たまの鬼ごっこに混ぜてもらったり、一緒に綾取りもした。割と自由にお互い行き来した方だと思う。男女で教室は違うのだけれどそれなりに平和に仲良くやっていた。
 勘右衛門は優しい子だった。
 学年が上がるにつれて、周りから恋仲なのではないかと冷やかされることもしばしばだったが、二人とも知らんぷりを決め込んでいた。

 ある時、私は誰かの視線で夜中に目覚めるようになった。
 確か三年生の頃だったと思う。
 下級生とはいえども、三年生にもなれば自ずと忍の道を学ぶ者としてある程度の能力が芽生えてくる。私だってその内の一人であり、初めはよくわからなかったけど、次第に確信に変わっていった。
 誰かが、私を、見ている。
 天井から、襖の中から、廊下から、場所は様々だった。何も知らない友人に口にできるはずもなく、私は苦無を握りしめ、毎晩恐怖に怯えていた。
 いざとなったらこれで抵抗するしかない。――でも、抵抗できる相手じゃなかったら?
 そんな時思い出したのが、件の赤子の霊だった。あの赤ん坊だって、初めは見ているだけだったじゃないかということに気が付いた私はぶるりと身の毛のよだつ思いを抱え込んだ。そして一度気にし始めると、恐怖は増すばかりである。
 私はあんまり怖くなって、一度だけ、とうとう夜中にも関わらず勘右衛門の部屋に向かったことがある。真っ白い寝着を乱して懸命に彼の名前を呼んだ。
 勘右衛門、勘右衛門!ねえ、私見ちゃったの!
 勘右衛門なら、私の気持ちをわかってくれると思っていた。

「…ん、あれ。どうしたんだ、みょうじさん。勘ちゃんなら、今晩は鍛練するとか言っていないけど」


 ばたん、と戸を開けた先に居たのは一人だけだった。眠たそうに目を擦る姿は、久々知兵助。勘右衛門と同室の男の子だ。

「どうしたの。顔色悪いよ」
「…ううん、何でもない。ちょっとびっくりすることがあって、気が動転してただけ。ごめんね、夜遅くに」

 事情を知らない彼に打ち明けても怪しまれるだけだ。
 私は少し迷ったけれど、乱れる息を整えてすぐに自室に引き返した。幸い、部屋に帰るともう誰の気配もしなくなっていて、私は苦無を握る手を少しだけ緩めて眠りについた。

 その翌日、食堂で勘右衛門に会った時、開口一番に両手を合わせて「ごめん!」と平謝りされた。

「昨日、俺に用があって来たんだって?兵助に聞いたよ。ごめんな、昨日は自主練してたら夜が明けちゃってさ」
「別に。気にしないで」
「で、何の用だったんだ」
「ん、いや、大したことじゃないんだ。もう済んだ話だから」

 「大丈夫」と私は言った。「うん、だから本当、気にしないで」

「そうなのか?なら、いいけど…」
「うん。私こそ、いきなり押しかけちゃって悪かった」

 夜の闇は深淵で神秘に充ち満ちている。だから、きっと私は悪い夢を見たんだろう。
 私はそう思うことに決め込んだ。
 元々、あまり深く追及する性分でない勘右衛門も私が笑顔でひらひらと手を振ると、笑顔で友の元へ戻っていった。
 私はその背中が遠ざかるのを最後まで見届けて、深くため息をついた。そうして、未だ潜めておいた苦無に触れ、またため息をつく。幼なじみは異常なほどぴりぴりしている私の姿を見るときっと驚くだろう。気でも狂ったかと心配するかもしれない。でも、あの時の視線の感覚が忘れられないのだ。
 何となく、その時もどこかで見られているような気がした。

 私の予感は的中した。
 私は夜だけではなく、日の高い内から誰かの視線を感じるようになった。授業中も、町へ遊びに行く時も、お風呂に入っている時でさえも。
 そうなったら、部屋に閉じこもるようになるまでそう時間はかからない。仮病を使って授業を休むようになり、布団の中で「家に帰りたい」「両親に会いたい」と独り言を呟く日々が続いた。髪はぐちゃぐちゃ、よく眠れないから目も虚ろである。誰も入れないようにあちらこちらに罠や仕掛けを張り巡らせた。たとえ、その仕掛けに心配した友達が引っ掛かっても謝る余裕はない。やがて近寄る者もいなくなる。
 誰も、誰も来ないように。
 しかし。
 それだけのことをしても、視線が消えることはなかった。私はまさに病人のようだった。あの頃の私は赤子が殺さなくともたやすく死んだだろう。今、思い出してもぞっとする。

「なまえ、入っていい?」

 廊下に見慣れた影が映った。勘右衛門、私が震える声でそう言うと、入るねと勘右衛門は中に入ってきた。不思議と罠にはかからなかった。

「なまえ、どうしたの。すごく窶れた顔してるよ。どうしてこんなことするんだよ」
「…勘右衛門。わ、私…」

 勘右衛門が私の手にそっと触れた。私はこれまでの経緯を全て話した。苦無は布団の中に潜めたままだ。護身用だと思って握りしめていたそれは、結果として自ら自分を追い込むことになっていた。
 私は、ゆっくりと息づくように言葉を紡いだ。肩から力がするすると抜けていって、話す度にあの視線が消えていくような気がした。勘右衛門は私が全て話し終えると、「怖かったね」と私を抱きしめた。

「少し、昔話をしようか」


 昔々、それはそれは幸せな家族がいました。貧しい家ではありましたが、夫婦には一人の子どもとお腹の中に赤ん坊がおりました。未来はとても明るく澄み渡っています。
 でも、それはある日突然崩れ去ってしまいました。
 母親が死んでしまったのです。神社の石段から落ちてそのままだそうです。もちろん、お腹にいた子どもも死んでしまいました。そして、赤子はこの世に生を受けなかった恨みを力に、霊となってさ迷うことになりました。


「それが、あの…」
「まだ続きがあるんだよ」


 赤子は、やがてとある村に行き着きました。そこには楽しそうに遊ぶ子どもが沢山いました。初めはただ羨ましくて見ていましたが、だんだん別の感情が赤子の胸に芽生えてきました。憎い、憎い、憎い!なんで、あの子はあんなに笑っているのに私は、私は、私は!


 そこで、勘右衛門は黙った。少し額に汗をかいて、表情が些か強張っている。
 「どうしたの、」と私が訊ねると、勘右衛門は笑って「何でもないよ」と答えた。

「それで、赤子は何をしたと思う?」
「何って…、それは」


 そんなの、訊くまでもない。あの赤子は私の友達を取り殺してしまったのだ。
 私は口をつぐめて、勘右衛門をじいと見た。
 私には赤子そのものの記憶はない。姿も声も想像でしかない。だから尚更怖いというのに、勘右衛門はにこにこと笑ったまま返事をしてくれなかった。きっと勘右衛門は何か知っている。なのに、その時私は思い切って訊ねる勇気が出なかった。

「はい、この話は終わり!なまえはたぶん神経質になりすぎなんだよ。ほら、見てごらん。何もいない。亡霊なんかいないんだ、もう、この世には」
「うん。…うん、そうだよね」
「外へ出よう。まず食べないと、ずっと食べてなかったんだろ。あ、待って、その前に保健委員呼んでくる」

 廊下に出た瞬間、呆気なく私の引きこもり生活は終わった。苦無は布団の中に置いてきたままである。視線は消えうせて、それ以降も感じることは無くなった。今となっては、何故あんなにも赤子に執着していたのだろうと不思議に思う。

 最後に、それからの私達の話をしよう。

 あれ以来、勘右衛門への信頼感が増した私はいつしか勘右衛門に好意を寄せるようになった。勘右衛門も、前々から私のことを気にかけていたらしく、かつてそうやってからかわれた通り、私達は自然と恋仲となった。
 勘右衛門は今もとても優しい。
 でも、時々。時々だ。怖い目をする時がある。
 それはとても恨めしげな色をしている。


 


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