遥か彼方の優しい記憶の中で、欲したのは、ただひとつ。
斯くして夢は現となりて。







ある春の日の午後。
陽当たりの良い縁側に陣取った二人の妖は、少々前から碁に興じていた。
ぱち。音を立てて互いに石を置いていく。

「だいぶ暖かくなってきましたな総大将」

ぱち。

「そうじゃのう。…ほいっとな」

ぱち。

「む?」
「待ったは無しじゃぞ?カラス」
「うぐ…」

追い詰められたカラス天狗は小さな腕を組み、顔をしかめて、思考を巡らす。
対して総大将ぬらりひょんは飄々と盤を見やり、自身の勝ちを確信すると庭へと目を向けた。
ぱち。

「…これはどうですかな」
「なんの」

ぱち。

「む」

挽回の策と打ってきた一手を難なく切り返すと、カラス天狗はまた思考の海へと沈んでいく。
ゆったりとした時間が流れる。
そうして数分が過ぎただろうか、廊下を駆ける小さな軽い足音が近付いて来た。

「おじーちゃん!カラスてんぐ!」

名を呼ばれて振り返ると、子供が勢い良く抱きついて来る。
カラス天狗も深海から浮上した。

「これはリクオ様」
「おうリクオ。どうしたんじゃ?」
「かくして、かくしてぇ」
「んんん?」

子供特有の高い声でしきりに隠してと繰り返すリクオに、ぬらりひょんとカラス天狗は揃って首を傾げた。
何はともあれ膝の上に抱き上げてやると、安心したかのように屈託のない笑みを見せる。

「リクオ様。どうされたのですか?」
「おとーさんがおきたから、にげてきたの」
「…二代目?」
「ああん?」

ますます訳が分からなくなって二人は顔を見合わせる。
そうこうしているうちに当事者らしい子供の父親が現れた。
声音から察するにどうやら少し怒っているようだ。

「逃げるな、リクオ」
「一体どうしたんじゃい?」

息子の不機嫌な声に、振り返り見上げたぬらりひょんは刹那呆気とばかりに口を開けた。
そして次の瞬間には全てを理解して、遠慮なく笑い声を上げる。

「はっはっはっ。こりゃ、傑作じゃのうリクオ」
「でしょ!?」
「傑作、じゃねぇだろう」

顔に墨で持って悪戯書きされた、二代目総大将その人の姿がそこにあった。





顔を洗ってきた二代目は、まだうっすらと残っている、とりあえずではあるが腰を落ち着けた。

「まったく…」
「ふぉふぉ。気付かず眠りこけてたお前もお前じゃろうて」
「………」

それは自身でも思わなくはなかったので、口をつぐむ。

「…あぁ、リクオ。顔ならまだいい。洗えば落ちるからな。だが、障子や襖なんかには書くんじゃねぇぞ?」
「うん!」
「あれは元通りにするのが大変なんだ。かといって顔に落描きして良いわけじゃないからな。もうしちゃいけねぇ」
「わかった!」
「よし」

がしがしと頭を撫で回す息子と、きゃいきゃいとはしゃぐ孫の様子を好ましく思いながら、ぬらりひょんは目を細めた。
温かいのは春の陽射しのせいだけでは決してない。

「それにしてもリクオや。筆や墨はどうしたんじゃ?」

落ち着いた所で、子供がどうやって準備したのか疑問に思っていたことを投げかけてみた。
息子も同じことを考えていたのだろう、興味深げに黙っている。
尋ねてみれば、答えは極めて単純で、ある意味予想の範疇内のことだった。

「ふでとすみはくびなしがだしてくれて。あとはみんなでやったの」
「みんな?」
「そう!みんな。みんながやろうって」

ぴくりと、肩が動く。
そしてしだいに不穏な気配が漂い始める。

「…リクオ。それが誰か聞いてもいいかい?」
「えっと。なっとうに、かっぱに、くろに、あおに、とうふこぞうに…」

指を折って名前を挙げていくリクオに、その父親はむくりと腰を上げるとその場から足早に立ち去っていった。
あっという間にその背中は見えなくなる。
呆れた様に見送ったぬらりひょんは、姿が見えなくなってから他人事のように呟いた。

「なんじゃい、大人気ない」
「…なっ。何を仰っておられます。いつぞや、似たようなことを私どもにされたのをお忘れですか!?」
「はて、そんなことしたかの?」
「…珱姫様に叱られたでしょうに」
「ふぉっふぉっふぉ」

嘯くぬらりひょんにカラス天狗はこっそりため息を吐いた。
覚えているだろうに、この御方ときたら。
実は声に出ているのだけれど、言われている当人が愉快にそうに笑っているだけなのをカラス天狗は知る由もない。
それまでぬらりひょんの膝の上で大人しくしていたリクオだったが、知らない名前が聞こえたのだろう。
大きな瞳をぱちくりと開いて問いかける。

「カラスー、ようひめってぇー?」
「おう。お前のばあちゃんじゃよ、リクオ」
「おばーちゃん?」
「うむ」
「そうなの?カラス」
「ええ。珱姫様はリクオ様のおばあ様でいらっしゃいます」
「ふーん。えっと、じゃあ、おばーちゃんって、どんなひと?」
「ん?そうじゃのう……」

リクオに改めて問われてぬらりひょんは初めて気が付いた。
思えばあまり彼女のことを人に話したことはないことに。
息子であっても同じである。
はてさて、何と言えば良いのだろうか。
どれほどの言葉を尽くそうとも、それらでは足りない気がしてしまう。

唯一無二の存在だった。

あれは、行く先を、周囲を照らす光のようだった。
あれは明るくて柔らかで、引かれるかのように魅せられ、幾ばくもなく惹かれた。
そして描いた明日があった。
斯くして夢は現となり、元より後悔したことなどない、あの時見据えた未来が今も此処にある。
膝の上の温もりも。
遠くから聞こえてくる賑やかな声も。


此処にある。
それが全てだ。












「うわーっ!二代目ぇぇぇっ!」
「り、リクオ様っ、名前を言ってはダメだとあれほど!」
「ほんの冗談ですようっ」
「ですよう」
「言い訳無用!てめぇらリクオに何を教えてやがるんだ!」
「「「ぎゃぁぁぁあ…」」」











(10/01/11)

親子三代とほんのり祖父母。
こうしてリクオの悪戯っ子な部分が育てられていったり、いかなかったり←
幸せ家族(奴良組)がテーマだったんですが、何かずれました。

早く二代目出てこないかなぁ、の初春に。



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