いつからだったのだろう。 彼がそんなふうに笑うようになったのは。 昔は無邪気というか屈託なく笑う人だったのに。 「お疲れさま」 目の前に差し出されたドリンクボトル。ありがとう、と言ってそれを受け取ると、声の主を見上げた。 顔なんて確認しなくても分かる、聞き慣れた穏やかな声。 誰かがブリッジに入ってきたのは扉の開く音で分かっていたけど、彼だとは思わなかった。 もうすでに寝ているだろうと思っていたから。 「あとどれくらい時間かかるの?もう休んだほうがいいよ?」 「ありがと。もう少ししたら、さすがに休むつもりだったの。でもその言葉そっくりお返しするわ、キラ」 そう言ってやれば、そんことないんだけどなぁ、と少し困った顔をする。 そんなことは大有りなのに、全くこの友人は根を詰め過ぎるのだ。 この時間にまだ起きているという事は、おそらくフリーダムの整備をしていたのだろう。 自分はというと、集めたデータの整理をしていて予定よりもすっかり遅くなってしまった。 あまり彼のことを言えた立場ではないが、それはお互い様だ。それも一区切りがつき、そろそろ休むつもりでいたのは嘘ではない。 私からすれば、彼の方こそ早々に休むべきなのだ。今はまだ良いとはいえ、また直ぐに彼一人に頼らざるを得なくなる。 無理をして欲しいわけではないのに。もう少しこちらの心情にも気付いてもらいたい。 それにしても、フリーダム整備をしていたとしても少し時間が遅い気がする。 「そんなことあるわよ。休んだほうがいいのはキラだって同じなんだから。フリーダムの整備だった?」 「あ、うん。それもあるんだけどね。うん」 なんとも歯切れが悪い。それ以外に何かあっただろうかと、記憶を手繰りよせるが何も思い当たらない。 戦況は硬直したままで、今は情報を集めている状態だ。 こんな真夜中と言える時間に彼が性急にやらなければならない事は無かったはずである。 思考を巡らせていると、予想外の、でも考えられる答えが返ってきた。 「ちょっと、眠れなくて」 そう言って彼はバツが悪そうに笑んだ。笑んだ理由に気が付いて、惚気られるのは困るが少しからかってみたい衝動に駆られ、次には言葉にしていた。 「そうよねぇ。ラクスさんは宇宙だものね」 おどけた風に言ってみれば、言われた本人は珍しく顔を赤らめて「ち、違うから」と、否定してくる。 「違くないんじゃない?あ、なんなら私が子守歌を歌ってあげようか?もちろん添い寝付きで」 「な、…ミリアリア!!」 「あはは。キラ、顔真っ赤よ?それじゃポーカーフェイスも台無しじゃない」 それはミリアリアがからかうからじゃないか、と拗ねたように呟く。珍しい拗ねた様子になんだか可愛いと思ってしまった。 18歳の青年に可愛いというのは、本人からすれば全く嬉しくない賛辞だろう。 だが、それ以外に巧い言葉が見つからないのだから仕方がない。 可愛いと思ったことは目の前の彼には内緒だ。 しかし、年相応の彼を見たのは久しぶりな気がした。 出会った頃は、その頃から優秀ではあったが、ごく普通の少年だった。 そもそも彼がコーディネイターだからどうだとか、考えた事はなかった。 キラ・ヤマトという一人の人間として私たちの中に、当たり前のように馴染んでいたのである。 それが崩れかけたこともあったけれど、こうして友人として話をしている。ただそれだけで良いんじゃないかと今は思う。 そういえば、昔は声を立てて笑う人だった。それが今では、声をたてて笑うことは滅多になり、穏やかに笑むことの方が多くなっている。 元々顔立ちが整っているので綺麗だが、昔の彼を知っているせいと、何が彼をそうさせてしまったのか知っている身としては何とも淋しく感じてしまうこともある。 以前よりも増して本当に頼もしくなったと思う反面、彼がもう昔のように笑うことはないのだと思うと酷く淋しい。 「…ミリアリア?」 心配そうな彼の声に思考が中断される。どうやら随分と考え込んでしまったらしい。 「ごめん。考え事してた」 「大丈夫?やっぱりもう寝たほうが」 「そうね、そうするわ。キラも早く寝た方がいいわよ?」 そうだね。と答えてやっぱり穏やかに笑んだ。その穏やかな笑みが今日は少しだけ痛い。 2年前も今も変わらずに友人でいる。気付けばそれなりに長い付き合いになるが、見えない距離が少しだけ出来てしまったことは、きっと気のせいではない。 たぶんもう、彼が本当に弱い部分を見せてくれることはないのだろう。 今までだってどこまで見せてくれていたのか、知ることは出来ないけれど。 それでも、と思ってしまう。 おそらく彼女だけなのだ。彼の心の内を全て覗くことを許されたのは。 今は向こう側にいる彼の親友でも、彼の両親でもなく。 「ラクスさんが心配?」 本当は聞くまでもない。見ていれば分かることだ。 彼が心配していることは誰の目から見ても明らかだった。 分かっていても聞いてしまうのは、無理を溜め込んで欲しくないと思っているからかもしれない。 「…そりゃあね。心配じゃないと言えば嘘になるよ」 予想通りの答えに、少しがっかりする。 「そうよね。ごめん、余計なこと聞いて」 「ううん。心配してくれてありがとう、ミリアリア」 そうしてまた、予想通りに笑むのだ。そんなふうに笑んで欲しいわけじゃない。 少しでいいから弱音を吐いて欲しいのだ。涙を流すことで、楽になれるというのなら泣いて欲しいのだ。 泣けないのは、逆に辛い。気持ちを吐き出せないのと同じだから。 もちろん彼女と自分とでは違うことは分かっている。だが、自分だって友人ではないか。 少なくとも付き合いの長さなら、この船に乗っている誰にも負けない。 「…ねぇ、キラ」 「何?」 「辛いときは、弱音吐いたっていいのよ?私だって前と違うもの、受けとめられるわ」 キラは驚いたようで大きく目を見開いた。全く予想していなかったに違いない。 自分だって今ここで、こんなふうに言うつもりはなかったのだ。 「それはどう受け取ればいいのかな?もしかしなくてもかなり心配かけてる?」 「かけてるとか言わないでよ。私がしてるの」 「ご、ごめん」 「ごめんじゃないでしょ?キラってば、何も話してくれないんだもの。少しは頼ってくれたっていいじゃない?」 「ごめん」 「もう。ごめんは無し!」 「ごめん……あ。…」 ぷっ 「「あははは」」 二人同時に吹き出した。 ごめんは無しと言ってからすぐ後に、ごめんと言うなんて。なんてベタなことをしてくれたんだろうか。この友人は。 「ミリアリア、笑いすぎ」 「キラだって」 せっかく真剣に話をしていたのに、それは明後日の方に行ってしまった気がする。 でも、まぁいっか。 あんなふうに笑うキラを見たのは久しぶりだ。そんな彼を見れたのだから良しとしよう。 「ありがとう、ミリアリア」 「え?」 半分涙目になりながら笑っていた私は、キラの言葉に笑うのを止めた。 あぁなんだか真剣になったり、おどけてみたり、忙しいなと思いつつ、耳を傾ける。 「なんか色々と考え過ぎちゃってたから、そう言ってもらえて嬉しかった。だから、ありがとう」 「そっか……」 彼が、全てを語る気はないのだと悟った。 たぶん心配をかけないために。 「ありがとう」と言われてしまえば、もう何も言えない。 けれど私に見せられる弱さは見せてくれたように思う。 「そうね。ラクスさんや誰にも言えなくなった時、私がいることも忘れないで?」 「うん。ありがとう。……今日何回目かな?ありがとうって言うのは」 「別にいいんじゃない?感謝することも、助言することも、お互いに居るから出来るんだもの」 「…そっか。そうだよね」 キラの表情が僅かに揺らぐ。遠い場所にいる親友を思い出しているのかもしれなかった。 私はそれに気付かないフリをする。気付いてあげることだけが、全てじゃない。 「そうよ。だからたまには友人の忠告に耳を貸してよね」 「?…例えば?」 「休める時に休む。誰かさんみたいに、何かせずにはいられない人もいるみたいだけど?」 「う……」 「というわけで、お休みキラ。あ、差し入れありがとね」 「え。ええ?」 半ば強制的にキラをブリッジから追い出す。最初は驚いていたものの、思うところがあったらしい。 「ミリアリアも早く休んでね」と言い残して、ブリッジから出ていった。 今頃は自室に着いているだろう。 彼らしさに苦笑した。彼の優しさが温かくて微笑ましかった。 あの優しさに溢れた人が、苦しまずにすむ世界がくるのだろうか。 データの保存を終えると、自分も休むためにブリッジを出た。自室に戻る前に、展望室へと向かう。 一瞬キラがいるかもしれないと思ったが、あれだけ言った後ではさすがに居なかった。 ガラスの向こう側には、冷たい深海が広がっている。 同じ空気の無い暗い世界なのに、宇宙と深海とではこうも与える印象が違うのか。 今は見えない空の星。地球から見上げる星も、宇宙空間で見る星も変わりなく綺麗だった。 (最近、星を見上げてないなぁ) 今は追われている身で、しかも此処は深海なのだから仕方ないと分かってはいたけれど。 そういえば、彼女は宇宙にいるのだ。煌めく星に思いを馳せているかもしれない。 彼を想って。 幸せになって欲しいと思った。キラが、ラクスが。そして大切な人たちが。 今は見えない空の星に、祈りを馳せた。 遠い空で星が流れる。 願いよ叶えと。 祈りよ届けと。 ミリアリアに気付かれることはなかったけれど。 優しさに満ちたひと 07/01/18 Title by 秩序ある世界 DESTINY/after PHASE 27 ※ブラウザバックでお戻り下さい |