その背中を時に消えてしまいそうだと評したのは一体誰だっただろう。
今は地球にいる同期か、少し生意気な後輩か、それとも全く別の誰かだったのか。
硝子の向こうの闇を見つめ佇む姿を目の当たりにし、その評価は的を射ているなと微かに思った。







深い黒の無機質な空が広がる。
瞬いているのは人工の光で、自然のままの光を見ることは叶わない。
此処はコロニーで、宇宙空間と遮断されているのだから当然だ。
誰もいない薄暗い休憩室にキラはいた。
休憩の時間はとうに過ぎ、遠くからは慌ただしさも伝わってくる。
そろそろ戻らなければシンかルナマリアが探しに来るだろう。
だが、そう思いながらもキラはそこから動けずにいる。
否、動きたくなかったのだ。

「なーに、黄昏てんの?」

唐突な呼びかけにも驚くこともなく振り返ると、今の同僚の姿があった。
敵として戦ったことも、共に仲間として戦ったこともある現同僚は、たぶん一番融通が利く相手だろう。
からかい混じりの声に、見付かったのが彼で良かったと思いつつ苦笑しながら応じる。

「ちょっとだけサボり?」

「いいのかよ。明日の護衛、お前んとこが任されてんだろ?」

「ああ、うん。でもそっちは大丈夫だよ。何重にも確認してあるし、残りの最終調整は明日会場で。…てか、そう言うディアッカこそこんな所に居ていいの?」

自分のように一つの隊を率いる隊長ではないとはいえ、彼は隊長を補佐する副官なのだ。
こんなところで油を売るような暇があるはずもない。そもそも自分の隊と、彼の所属する隊とでは規模も違う。
伴って雑務の量も違うだろうに。

「ん、良くはないぜ?共犯ってことで宜しくな」

幼馴染みや彼と同じく同僚となった銀髪の青年では決して出てこないであろう台詞に笑いが込み上げて、喉で笑う。
サボっていたことを咎めるわけでもなく、逆に自分もだと言い放った言葉がさっぱりとしていて潔かった。
そのままディアッカはキラの側には行かず、いくつも並んだ自販機の前に立つ。
数秒悩んだ後、ガコンと音を立てて缶コーヒーが当たり前のように落ちた。そしてもう一度。

「俺のおごりね」

「…口止め料?」

視線を元の見ていた方向に向け直し、再び空を見上げていたら横から缶コーヒーが差し出される。
先ほどの流れからそう問えば、そーいうこと言う?せっかく奢ってやってるのになー、と言葉とは裏腹に然程傷付いた様子もなく返ってきた。
どちらともなく缶のフタを開け、喉を潤す。仄かに苦味が広がり、渇いていた喉を流れていく。
いつからこの苦味を美味しいと感じるようになったのだろうか。遠い昔のことではないはずのに、定かではない。
再び訪れた沈黙は、落ち着いていて居心地の悪さは全くなかった。
もう一口喉を通すと、視線は漆黒の闇へと誘われるように戻っていく。
見えるのは人工の光だけ。上も、下も。
ディアッカの視線も同じ場所に向かったのが感じられた。

「ただ、空を見たくなっただけなんだ。見始めたら動けなくなっちゃったんだけど」

空を見たくなるのは、光る星を探したくなるから。
亡くなった人たちがなるという星を、空に見付けたくなるから。
例え此処からは見えないのだとしても。
どのくらいの時間そうしていたのかは分からない。
常時からこんな外れにある休憩室に来る者などほとんど居らず、今日は少しだけ慌ただしいせいか尚のこと居ない。
数人居た一般兵の姿もいつのまにか無くなっている。
そこまで深く思考が飛んでしまっているのはたぶん、明日が明日だからなのかもしれない。そしてそれは軍が慌ただしい理由でもあった。

「…血のバレンタインね」

「…僕は元々プラントに住んでたわけじゃないから、同じベクトルで祈りを捧げることは出来ないんだけど」

血のバレンタイン。
地球軍による宣戦布告が出されてから数日後の、ユニウスセブンが核攻撃に沈んだ日だった。
たった一瞬の出来事で沢山の人たちの愛する人が亡くなった日。
沢山の人たちの人生が、そして世界が動いた日。
落とされた衝撃はその渦中に居なかった人間には分からない。
自分はこの先何年かかってもその時の親友の痛みを知ることは出来ないのだ。
ただ、それでも。

「…大切な人を失う痛みはいつの時も同じだと思うから」

だからその日を、僕にも祈らせて欲しい。
散った命を、星になった人々を。
同じ宇宙で、見上げる地上で、僕が奪った命を。

「お前、考え過ぎだっての」

「そうかな」

「そう。真面目っていうかさ。仕方ないと言えば仕方ないのかもしんないけど」

「そういうディアッカだって真面目じゃない。普段は飄々として見せているけど、実はちゃんと考えて周りを見ていることを知ってるよ」

「…よく見てるのはどっちだよ、全く。まぁ、軍に入ったばっかの頃は考えなしだったけどな。俺にも色々あったってことさ。キラもだろ?」

「まぁね。」

色々あった。そう一言で済ましてしまうことは出来ないことが。
けれど語るには言葉が足りず、結局総括して一言になってしまう。
きっと感情もまだ追い付いていないのだと思う。塞がりかけた傷口が開いてしまうことを恐れている。



「さすがにそろそろ戻らないとまずいかも」

「シンの奴怒ってるぜ。間違いなく」

笑いながら断言するディアッカに、苦笑を浮かべ確かにと頷いた。
脳裏を真っ直ぐな赤い瞳が過っていく。
ひょっこり戻ったらまずルナマリアに小言を言われて、やがてたぶん探しに出ていたであろうシンに怒鳴られるんだろうなと確信がある。
何せ、当初は赤かった空がもうすっかり闇と言えるほどの時間まで姿を眩ましていたのだから、それくらいは覚悟しなければならないだろう。
悪かったという自覚はあるので、神妙に応じることにする。

「素直に怒られるよ。悪いのは僕だし」

「健闘を祈る!」

「あはは、ありがとう」

じゃ、またね。コーヒーごちそうさま。
まだ休憩室に残るつもりらしいディアッカにそう告げて、光の当たる場所へ戻るべく足を踏み出した。






「2月14日か」

一人になった休憩室で、ディアッカはベンチに浅く腰かけ呟いた。
あの日あの時自分はフェブラリウスの自宅に居て、リビングでテレビから伝わる映像を見ていたのだ。
親父の反対を押し切って軍に志願したのは、そのすぐ後だったと思う。
何を思って志願したのか覚えていない辺り、大した理由ではなかったのだろう。
当時の自分はナチュラルというだけで見下していたから、報復のつもりだったのかもしれない。
結果として今の自分が存在しているので、軍属に後悔はしていないが。
何も知ることなくまだ戦っていたかもしれない、あるいは既に居ない可能性もある、と思うと背筋が凍る。
世の中に偶然などはないという。必然の上に成り立っているのであれば、自分の人生捨てたもんじゃない。
なぜなら自分は此処で、この自ら選んだ場所で、考え感じることが出来ているのだから。
二度の戦争を、それも前線で経験しながらも生きている。運が、というか巡り合わせが良いのだろう。
そこまで考えた所で、キラに考え過ぎだと言っておきながら、自身も相当考え込んでいたことに気付いて苦笑する。
まったく、ここで感傷的になるのは柄じゃないというのに。
真面目な同僚の雰囲気に流されたか。

瞬く光に目を向けた。人工の光。
あれから5度目のバレンタインを迎える。
追悼式典に1度目以来平和を願う唄は無い。それはおそらく今年もだろう。
望む声が無かったわけではないけれど、今プラントにいるのは歌姫ではないから。
当日あるのはただ、静寂と数えきれない程の祈り。

防護壁の向こう側に確かに存在しているはずの数多の星々を思い浮かべて、そしてディアッカは休憩室を後にした。

明日は、明日も変わらずやってくる。
















移ろう魂に、せめてもの祈りを










(08/02/** write)
(09/05/21 rewrite・up)

after SE4

去年のバレンタイン時期に書いたまま、放置していた代物です。勿体無い精神でサルベージ。

運命では前半でブレイクザワールドが起こって、後半にはプラントコロニー群がレクイエムに落とされ血のバレンタインよりも大きな犠牲を出しているので、血のバレンタインの持つ比重は一期ほど重くはないのかもしれませんけれど。

長く続くことになる戦争の引き金は恐らくここだったのです。
舞台は一応C.E.75の2月13日。ディセンベル市にあるザフト軍本部の休憩室。



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