「39度、ぴったりだね」

人が聞けばどこか暢気とも取れるような口調で告げられた自らの現状に、正臣は弱々しくううんと唸ることしか出来ない。
その声音はとても心配していると気付いていたせいもあったが、彼女に風邪ひくなよと言った自分が風邪をひいてしまったというのが何とも言い難かったのだ。
だって立場がなさ過ぎる。

昨日出掛けた帰りに通り雨にあたってしまったのが災難だった。
沙樹がたまたま折り畳み傘を持っていたおかげで被害は幾分マシではあったけれど、小さなそれは二人を雨から守るには不十分で。
春先の、気温の下がり始めた夕方だったせいもあり身体が冷えてしまったのだ。
帰宅するなり沙樹はお風呂に入れたものの、自分は着替えと髪を乾かしただけだったのがどうやらまずかったらしい。
朝起きたら頭と身体が重く、沙樹に心配をかけるという現状が待っていた。

「…はぁ………沙樹に注意しといて、俺が風邪ひいてちゃ世話ねぇよなぁ」
「ほんとだよ。だから正臣もお風呂入れば良かったのに」
「う。…はっきり言うなよなぁ。俺、病人。もうちょい労って?」
「…それくらい言えるなら熱の高さほど酷くはないみたいだね」

そう言い返しほぅと息吐いた沙樹の瞳からは、ようやく心配の色が薄らいでいく。
俺はそれを認めて、思っていた以上に心配させていたのだと気が付くことになり、自然と謝罪の言葉を紡いでいた。

「……わりぃ」
「自覚あるなら早く治してね。苦い薬も駄々をこねずに飲まなきゃ」
「…ガキじゃねぇんだから、それはないって」
「雨にあたって風邪ひくとか、はしゃいで遊んだ子供みたいだよ?」
「おいおい、お前なぁ」

随分な言いぐさに文句を言いつつも、くすくすと笑う沙樹に安堵する。
治さない限り心配が無くなることはないだろう。でも表情を曇らせたままでいるよりはずっといい。

(身勝手な言い分だけどな)

沙樹はひとしきり笑い終えると左手を俺の額に熱を確かめるように翳し、右手は俺の右手へ。
あんまり近づいてうつしてしまわないか心配になったけれど、冷たさが心地良くて目を細めた。

「とりあえず何か食べれる?」
「…あんまり食欲ないけど、食べるよ…」
「うん。じゃあ、おかゆ作るからちょっと待ってて」
「ん」

手の冷たさを感じていたのも束の間で、そう言うと沙樹は立ち上がりキッチンへ向かった。繋がれていた手はもちろん解かれる。
離れがたく、離しがたく感じてキッチンへ向かう背中を俺は目で追った。
小さな部屋だ。追うのはことのほか容易い。
追いながら、俺何やってんだろうなぁ空回ってるなぁなどと思っていたら、視線に気付いたのか沙樹が急に立ち止まり振り向いたので、少しだけ焦る。
見ていたと気付かれるのはちょっと、いやかなり恥ずかしい。
平静を装いつつ、何かを言いたいらしい彼女を促した。

「……どした?」
「やっぱり言っておこうと思って」
「…なにを?」
「お風呂もそうだけど、次はちゃんと傘にも入ってね」

持ち歩くのはもうちょっと大きめの折り畳み傘にしておくから。
驚愕のあまり言葉を失った俺を置いてきぼりにして、沙樹はそう言うと今度こそキッチンに向かった。
邪気のない、けれど心配げな含みのある笑顔を残して。

一体どのくらい間そうしていただろうか。
忙しなく動く小さな背中を目の端で捉え、ようやく我に返った俺は恥ずかしさに顔を布団に押し付けた。
視線どころの話じゃない。
まさか気付かれていたなんて。
昨日雨に打たれ時、沙樹が濡れないよう自分自身はほとんど傘の下に入っていなかったと、気付かれていたなんて。
恥ずかし過ぎてどうにかなりそうである。
出来れば、そう出来れば気付いていても指摘しないでいて欲しかった。

(いや、違うか)

おそらく本当は彼女も言うつもりなどなかったのだろう。
気付かないふりをして通すつもりだったに違いない。
でなければ昨日の時点で告げているはずである。それなのにどうして今このタイミングで言ったのか。
それはつまり、酷く彼女に心配をかけさせた、ということに尽きる。
もしかしたら、回避出来たはずの現状に少しだけ怒っているのかもしれない。

(あーあ。気付かれてた上に、今のこの状況。ちょっと俺情けないだろ)

別の意味でも頭が痛くなりそうだ。










両手に白旗















(10/07/03)
title by loathe

風邪ネタは王道中の王道ですが、やっておきたかったので^^
王道とはいえ、しかしどこかずれているのはいつものこと。
微妙に雨の話が続いてしまったのは、不可抗力です。



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