来神時代




「随分またハデにやったねぇ」

呼び出された屋上で、ぼろぼろになったその姿を視界に入れて開口一番、僕はそう告げた。
もっとも見た目ほど傷は酷くないはずだった。その代わりとでもいうように、重症を負ったのは校舎であるのだから。
今年度に入って一番の惨状に、片付けるのも、先生方も大変だなぁと他人事のように呟いたのはほんの十数分前の話だ。

「余計なお世話。いいからさっさとやってよ」
「人にものを頼む態度とはまるで思えないけど。まぁいいよ。傷見せて」

授業中の校内は、先ほどまでの騒々しさが嘘のように静かだった。
廊下を歩いている時は教師の声と黒板にチョークで文字を書く特有の音が響いていたけれど、屋上にまで聞こえてくるはずはなく。街の音と蝉の鳴き声が聞こえるだけである。
うだるような暑さで、さすがの高校生も元気が落ちているということだろうか。普段以上に静かに感じられる。
大人しく手当てを受けている臨也にしても、いつもならこの辺で静雄への悪態やら独自の哲学やらの講釈が始まるのに、珍しいことに傷口を差し出した後それきり黙ったままだ。
臨也は確かどちらかというと暑さに弱いほうだ、連日の猛暑に辟易しているのかもしれない。そういえばさっきの声には張りがなかったような気がする。
機嫌が悪いのも、静雄とやり合ったせいばかりではおそらくないのだろう。

思っていたよりも軽傷だった腕の傷とその他全ての傷の手当てを終えた僕は、臨也にならって無機質な建物のコンクリートに背を預けた。
屋上で数少ないに日陰に二人並んで座る。授業中ではあるけれど今さら教室に戻る気もなく、業間に何事もなかったかのように戻るつもりでいた。
臨也にいたっては今日もうこのまま帰る心づもりでいるのだろうと思っている。
特にこれといって話すわけでもないので、読みかけの本の続きを読もうかと鞄から取り出していると、遠くを見たままでいた臨也がぽつりと名前を呼んだ。

「…なぁ、新羅」
「なんだい?」

それに応じながら取り出した本の表紙を開く。
会話に集中したいわけでもないのだろう、臨也もそれを咎めることはない。

「好きの反対ってなんだと思う?」

思わぬ問いにページを捲る指を休め視線を一ヶ所に止めたけれど、これは単なる暇潰しに過ぎないと気付いていたから新羅はまたすぐに文章へと視線を戻した。

「それはまた唐突だね」
「いいから」
「うーん、…普通に熟語としてならば嫌いだろうけどね。でもそう言うからには嫌いではないんだろう?」
「そう」
「じゃ、なんなんだい?」
「無関心」
「無関心?…あー、なるほど。確かに好意を持ってる相手から何の関心すらも持たれないのは辛いだろうねぇ」
「時に負の感情を向けられるよりも深い傷を人に負わせるよ。うん。そういうことだね。新羅は察しがいいから好きだよ」
「…まぁ一応ありがとうと言っておこうか。君に好かれても嬉しくないけど」

肩で笑う気配がする。僕も同じだ。

「ひどいなぁ。これでも感謝はしてるのに」
「へぇー?というか第一、臨也が好きなのは個人じゃなくて人間だろう?」
「シズちゃん以外のね。シズちゃんは嫌いだよ。嫌いっていう感情すら持ちたくないのに、嫌いって思わせられるから余計嫌い。無関心でいられないことが腹立たしいし、忌々しいし、不愉快だし、面白くないし、…反吐が出る」

よどみなく話していた声の質が変わり、ここでようやく視線を本から臨也へと向けた。
表情は読めない。だけれど、冷たく静かな瞳が何もかもを語っているようで。
瞳は時に言葉よりも雄弁にモノを語るものだ。

「ああ、それでこの話。でもさ」
「なに?」

それにしても、愛憎とはよく言ったものである。
ある意味で好きの反対は嫌いで間違いないのだろう、込められた感情は違えどこれほどに熱のある言葉を僕は他に一つしか知らない。

「言葉は違うけどそれじゃあまるで、愛の告白のようだよ」

その瞬間たちまち臨也は信じられないものを見るような顔つきになった。
本気で嫌そうに眉を顰める。

「…なにその笑えない冗談。やめてよ、鳥肌立ったんだけど」
「冗談なんか言ってどうするのさ」
「どっちだっていいよ。ホントやめてくんない?」
「あ、いい目だね。僕に怒りを向けているのがよく分かる。さながら僕は蛇に睨まれた蛙ってとこかな。もっとも臨也に睨まれたって、痛くも痒くもないから蛙にはなれないんだけどねぇ。そもそも人間の僕が望んだところで、人間以外にはなれないと知っているし。それを身に沁みて感じているんだよ僕は。痛切にね」

そう並べたてていくうちに、臨也からするすると力が抜けていくのが分かった。
しまいにはため息まで。それは少し心外だ。

「……はぁ。なんかバカらしくなってきた。今日のお前いつにもましておかしい」
「そうかな。きっと暑さにやられちゃったのかもね」

けろりと言い放つ。
一転、毒気の抜かれてしまったらしい臨也がそこで会話を放棄したので、この話はもう終わりだ、自らも読書に意識を戻すことにする。
終業のチャイムはまだ鳴らない。

「でも、まあ」
「うん?」
「臨也には言われたくないよね」

それはお互いさまだと、今度は二人でちゃんと笑った。










蝉が落ちた日を覚えているか















(10/11/07)
title by 3gramme.

この二人の奇妙な友人関係の発端が知りたいです。


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