『君の愛し方はいつか彼を破滅させるよ』 いつだったか、友人である闇医者にそんなことを言われたことがある。 けれど俺には酷く素晴らしいことにしか思えなかった。 ***** 湿った空気が流れる。 夕暮れの薄暗い路地裏で掠れた叫び声が場を震わせた。 「やめろ…!」 そこに含まれた響きは哀願、あるいは嘆願だった。 けれど制止の言葉は届かず、届かない言葉に意味はない。 正臣は目の前で繰り広げられる光景から、目を背けることも耳を塞ぐことも出来きずにいた。ただ、沸き上がる感情が熱く頬を濡らしていくばかりで。 かつて、その人は何か一つに執着する人ではなかった。正確に言えば一人に固執する人ではなかった。 だからきっと男が唯一をつくった時に男がそれまでに構築してきた自身の世界は一度崩壊し、そして新たなロジックで再構築されたのだ。 でなければ自分には今の男の行動を理解することが出来ない、いや理解などしたくないのかもしれない。 唯一に選ばれた人間にとっては不幸でしかないだろう。 どこか他人事のように捉えながら、正臣は霞む視界の向こうを見つめていた。 かちゃんと、軽い金属の鳴る音がして全てが終わる。 この場でただ一人立っている男が振り向き、そして不思議そうに声をあげた。 「あれ?おっかしいなぁ。ここは『臨也さん、ありがとうございます』って抱きついてきて欲しい所なんだけど。なんで、泣いてんの君」 「なんで、って…」 「もしかして怪我でもした?いや違うか。仮にも黄巾賊の将軍がこんな奴ら程度に遅れをとるわけないだろうし。ああ!大丈夫大丈夫、殺してないから、こいつら」 だって前に正臣くん襲った奴らを殺した時、一週間口きいてくれなかったじゃない?そんなの嫌だもんね。 にこやかに笑いながら男は告げる。 そういうことじゃない、と正臣は思いながらも言葉にすることはなかった。 出来なかった。 この人はもう自分の言葉一つで人間を殺せてしまうような、そんなふうになってしまったのだ。 受け入れたくはない、だって信じられない。でも。 「臨也さん、」 「なぁに?どうしたの正臣くん」 「…ご飯食べに行きませんか?奢って下さい」 もしかしたら既に心のどこかで割りきって、受け入れているのかもしれない。 俺が笑っていれば、俺に害なす人がいなければ、この人は世界の害にはならないと解ってしまっているから。 「うん、いいね!何が食べたい?何でもいいよ?」 未だ周りに気絶したままの連中がいる中で、これは可笑しな会話に違いないけれど。 彼らに意識を向けることはもう許されない。 折原臨也という男の中に彼らの記憶が残ってしまうようなことは避けねばならない。 それは彼らの為でもあったし、自分の為でもあった。 「…そうですね」 正臣は立ち上がり埃を払いながら臨也に手を伸ばした。 いつか、この関係に耐えられなくなった時、自分は破滅するのだろうという予感がある。 それでも、断ち切れない自分は何を求めて何を望んでいるのだろうか。 「やっぱり、久しぶりに臨也さんの作ったご飯が食べたいです」 美味しいの作って下さい。 そうして喧嘩を立ち回った後だというのに小綺麗なままの男に抱きつく。 「あはは。なんか今日の正臣くん可愛いねぇ」 「…いつもは可愛くなくてすみませんね」 「ごめんごめん、嘘だよ。君はいつでも可愛い」 「…それもちょっと複雑なんですけど」 そう言うと男はまた笑った。 さっきまでの事がまるで無かったかのように思えてしまう。 もちろんそれは錯覚で、可笑しいのは本当に面白そうに笑う男とその腕の中に収まる自分の方なのだ。 (何を望んでるって、もう分かってるじゃないか…) 「よし、じゃあ今日は寒いからあったかいクリームシチューにでもしようか」 いつかの終わりを夢見ている。 いつか降りる緞帳を待ち望んでいる。 終わらせるのは自分自身か、はたまた身を預けている男なのか、まるで分からないけれど。 「ああ、いいですね」 答えに気付かぬように俺は瞼を閉じた。 太陽が落ちる。 ***** 夕闇に浮かぶマンション。 黒く赤く染まった空が窓越しに見える。 「…君の愛し方はいつか彼を破滅させるよ。君はそれでいいのかい?」 妙な静けさの中淡々と手を動かしていた新羅は、傷の手当てにと臨也が訪れているのである、唐突にそんなことを言った。 前後の会話などない、本当に何の脈絡もない一言だった。 問われた臨也は怪訝そうに顔をしかめる。 「…いきなりなんなの?」 「私の本音を言ったまでだよ。君が今まで不特定多数の人間に向けていた感情や興味といったものを、ただ一人の人間に向けるのは相手にとって苦痛でしかないだろう?彼は耐えられるのかな?」 「へぇ、新羅がセルティ以外の心配をすることもあるんだ。驚いたな」 「はぐらかさないで欲しいなぁ。まぁ答えが返ってくるとは思ってないから別にいいけどね」 それに臨也が答えることはなく、部屋にはまた沈黙が戻る。 新羅もこれ以上話が続くとも思わなかったので、黙々と傷の消毒をして包帯を巻く作業を繰り返す。 やがて全ての傷の手当てを終え、道具を片付けていた時だった。 臨也がふと呟いた。 影が落ちてるせいで、表情は見えない。 「…それって酷くそそられない?愛しく思えない?あの子の全てが俺になったら良いのに」 「…臨、也?」 「いや、なんでもない。じゃあ、おいとまするよ。治療費はあとで請求して」 「え、ああ」 「じゃあね」 それがさっきの答えだと気付いた時、既に部屋に臨也の姿はなく玄関の扉が閉まる音がした。 言葉の意味を反芻して、ため息が出る。 「…僕は彼の心配をしたわけじゃないよ、臨也」 彼を失うことで傷つくであろう彼の友人たちを見て、セルティが心痛める姿が見たくないから忠告したのだ。 だけど。 「だけどね、臨也。やっぱり心配してると言っておくよ、君たち二人をね」 君のそれが愛だと言うのなら、もっと彼を笑わせてやったらどうだい? 友人のそんな終演は見たくないんだよ。 自分がこんなことを言ったと知ったら、臨也は笑うだろうか。 何それらしくないと言ってバカにするだろうか。 やがて新羅は自嘲気味に緩く笑うと、今までの思考から意識を飛ばした。 決めるのは、新羅ではないのだから。 そして、太陽は落ちる。 夕暮れのカデンツァ (10/10/09) title by 夜来 狂愛目指したら、ただの殺伐になった。…心当たりがあり過ぎる… 時系列は新羅視点の方が前になります。長くなってしまったので分ければ良かったかもしれない。 ※ブラウザバックでお戻り下さい |