「へえ、だったら勝手にすれば?」

そう言った総司の醒めた目が、脳裏に焼き付いて離れなかった。



駅前広場は、夜も遅い時刻だというのに人で溢れていた。
大抵が、男女で寄り添い歩く恋人同士だ。
張り詰めた冷たい空気、星の瞬く夜空の下。
電飾の施されたツリーは色鮮やかに煌めき、街全体が浮き足立っているかのようだ。
誰も彼もが楽しげに笑いながら、恋人と肩を寄せ合って歩いて行く。
俺は一人そこに立ち尽くし、悴んだ手でビジネスバッグを握り締めていた。
本来であれば共に居るはずだった者の姿は、そこにはなかった。



会社主催のクリスマスイベントに参加してほしい、と土方さんから依頼されたのは、先週のことだった。
当初、そのイベントには土方さんと左之が出席する予定だった。
だが別件のトラブルに左之が駆り出され、スケジュール調整が上手くいかなくなったらしい。
そこで、役目が俺に回ってきたということだった。
その時、約束を思い出さなかった訳ではない。
だが、私事を理由に仕事を断ることなど出来るはずもなかった。
故に、土方さんからの依頼に応じた。


案の定といえば案の定、俺がそのことについて説明すると総司は機嫌を損ねた。

「ねえ一君、分かってる?その日は僕と、仕事の後に出掛ける約束だったよね?」

そのようなこと、言われずとも承知していた。
仕事を終え、レストランで食事を共にする約束だった。

「約束、破るの?」
「駄々を捏ねるな、総司。これは仕事だ」

約束を反故にすることに、申し訳なさがなかったわけではない。
随分前から総司がレストランを予約してくれていたことも知っていた。

「仕事仕事って。僕も仕事してるんだけど。それでも君と一緒にいたいから、ちゃんと調整して25日の夜は空けておいたんだけど?」
「だから急遽決まったと言っているだろう」

俺とて、スケジュールの調整はしていた。
このイベントの一件がなければ、問題なく定時で上がることが出来る予定だったのだ。

「僕、すごく楽しみにしてたんだけどね。君はそうじゃなかったんだ?」

何を言っても納得しようとしない総司の態度に、少し苛立った。
まるで俺の所為と言わんばかりの台詞も、言い掛かりにしか聞こえなかった。
今思えば、迂闊だったと思う。
だがその時の俺は珍しく、つい頭で考えるよりも先に言葉にしてしまっていた。

「仕方がないだろう。土方さんに頼まれたのだ、断る訳にはいかぬ」

その途端、総司が急に醒めた目をした。
不貞腐れたような表情が消え、口元に薄い笑みが浮かぶ。

「へえ」

その口から漏れたのは、人を嘲るかのような冷笑だった。

「だったら勝手にすれば?」

そう言った総司は一瞬俺を睨み付けると、すぐに背を向けて俺の前から姿を消した。

それから一週間、俺たちは一度も連絡を取っていない。


喧嘩をすることが、さほど珍しい訳ではない。
大なり小なり、言い争うことはわりと頻繁にある。
だが、ここまで長引いたのは初めてかもしれぬ。
俺は事情を理解しようとせぬ総司の態度に腹を立てていたし、総司は総司で、約束を反故にした俺に苛立っているのだろう。
勤める会社が異なる故に毎日やり取りしていたメールも、夜毎掛かってくる電話もなく。
年末特有の忙しさに飲み込まれた一週間は、あっという間に過ぎ去った。

そして、約束の日となった。
正確には、約束だった日だ。

クリスマスの朝を迎えた頃にはもう、苛立ちは凪いでいた。
だが、今更どう謝れば良いのか分からなかった。
謝ったとて、当初の約束を果たすことは出来ぬのだ。
土方さんと共に出席したイベントは、否が応でもクリスマスを意識させられた。
会場に飾られた樅の木。
豪勢な料理とケーキにシャンパン。
どれも本来であれば、総司と二人で楽しんでいたはずのものだった。
俺はキリスト教を信仰している訳ではない故に、さほどクリスマスに興味があるとは言えぬ。
だがそれが恋人同士のイベントの代名詞ならば、そして総司が望むならば、やはり共に過ごしたかった。


結局、イベントが幕を下ろし仕事から解放された頃には、22時を回っていた。
今更、クリスマスディナーも何もあったものではない。
今日という日に残された時間は、あと二時間弱。
それでも、会いたいと思った。

駅前広場で待っている。

それだけを打ち込んだメールを送った。
だが、総司からの返信はなかった。
着信に気付いていないのか、それとも敢えて返さないのか。
俺には分からなかった。

俺とは異なり、交友関係の広い総司のことだ。
会社の同僚、はたまた学生時代の友人。
誰かと飲みに行っているのかもしれぬ。
考えたくはないが、女性と共に過ごしているという可能性も捨て切れぬだろう。
総司には俺が居なくとも、今日という日を共に過ごす者が他にいくらでも居る。
故に、このような所で一人待っていても無駄なのだと、頭では理解していた。
恐らく総司は来ぬだろう。
だがどうしても、諦めて帰ることが出来なかった。
もしかすれば、と。
ありもしない可能性に縋る俺は、さぞかし滑稽なことだろう。

仕方がなかった。
それは、事実だった。
仕事は仕事だ、浮かれた理由で疎かにする訳にはいかぬ。
だが、もっと言葉を尽くすべきだった。
総司はいつも、口下手な俺の一言も二言も足りぬ言葉を掬い上げ、意図を汲んでくれる。
いつしかそれに、甘え過ぎていたのだ。
俺も残念に思っていると、本当は共に居たかったのだと。
そう言えていれば、何か違ったのかもしれぬ。
ディナーには間に合わなかっただろうが、今頃はどちらかの家で共に過ごすことが出来ていたのかもしれぬ。

「……今となってはもう、手遅れか」

腕時計に視線を落とせば、時刻は間もなく24時を迎えようとしていた。
クリスマスはもう、終わってしまう。
結局総司は現れなかった。
数分おきに確認しているスマートフォンにも、返信はなかった。

もう、愛想を尽かされてしまっただろうか。
今頃総司は、誰か他の者と楽しいクリスマスを過ごしているのだろうか。
そう考えると、広場の中央に置かれたツリーの電飾がじわりと滲んだ。
慌てて瞬きをし、視界を邪魔する薄い膜を振り払ったその時。


「君って本当、馬鹿だよね」


背後から聞き慣れた、それでいて懐かしくも感じる声がした。
聞こえるはずのない声だった。
呆然と振り返った視線の先。
そこには、ハーフコートに身を包んだ総司が立っていた。

「………な、にゆえ………」

目の前にある事実が信じられず、その姿を凝視する。
苦笑した総司はゆっくりと踏みしめるように足を運び、やがて俺の前に立った。

「風邪でも引いたらどうするのさ、こんなに冷たくなって」

総司の手が、何の躊躇もなく俺の頬に触れる。
恐らくずっとポケットに入れていたのだろう。
その手は温かかった。

「大体君は………って、まあいいや。メールに気付かなかった僕も悪かったしね」

大きな手で俺の両頬を包み込んだ総司は、困ったように眉を下げて笑うと。

「遅くなってごめんね、一君」

そう言って、俺に口付けた。


言いたいこと、聞きたいことは山のようにあった。
だがそれよりも今は、総司がここに居るというそのことだけが重要だった。

今ならば素直になれるだろう。
きっと、あの日言えなかった言葉が言えるだろう。
今度こそ、言葉を惜しむことなく想いを伝えるのだと、そう決意して。
俺は、重なった唇の温もりに身を任せた。







温もりが離れたその時に

- 会いたかったと告げよう -




『The Eagle』城里ユア様より

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