おかえり『あ、一君。今平気?』
アルバイトを終えた総司から電話がかかってきた。
それはいつも決まって24時を10分回った頃。
週3日。
特別大事な用事があるわけでもないというのに。
お陰で、その時間にはきちんと電話に出られるようにと、食事も風呂も全て済ませる癖が付いた。
高校を卒業して、別々の大学に進学してからは、以前よりも会う機会は間違いなく減っていた。
寝る前に読んでいた小説に栞を挟み、代わりに電話に出る。
「今帰りか?」
『うん、そう。聞いてよ、今日またお客さんに絡まれて―――』
自宅近くの居酒屋、交通の便が良いからと決めたらしいそのアルバイト。
女性客によく絡まれて困ると言っていた。
辞めればいいと言えば、負けた気がするから嫌だと言う。
他愛もない会話。次に会った時でも、メールでも、どちらでも構わぬだろう。
「そうか」
『うん、あ・・・家着いた』
電話越し、しんと静まりかえった住宅街で、時折車が通りすぎる音が聞こえる。
アパートの階段を上る音が聞こえたかと思えば、鍵を取り出す音。
『・・・ねえ一君』
「どうした」
『一君家、行って良い?』
突然何を言い出すのだろうか。
先ほど家に着いたと、自分で言っていたはず。
それに、アルバイトが終わって、終電ももうすぐなくなる時間のはずだが。
それとも、電話では言えない、重要な話でもあるのだろうか―――
「何故だ」
『会いたいから』
間髪入れずに返って来た答えに、正直少しだけ、嬉しいと思ってしまった。
ただの友人関係である、それだけだ。
だが、こうして電話を頻繁に掛けてくるのは、俺に構うのは、総司くらいで。
時々家にも泊まりに来ることがある。
酒を飲みながらそのまま寝てしまうことばかりだが、それも悪くないと、思っていた自分。
それでも、素直に肯定できない、自分の不器用さに腹が立つ。
「家に着いたのでは無かったのか?面倒だろう、今からでは終電も―――」
『ダメじゃないんでしょ?』
被せるように、そう言った総司に、しぶしぶ納得したような言葉を返すが、本当は。
「否、あんたがそうしたいのなら、俺は別に構わぬが・・・」
『じゃあ決まりね』
そうして電話が切れると同時、間違いなく、玄関の扉に鍵が差し込まれた音が聞こえた。
・・・まさか。
玄関へと向かえば、ちょうど扉を開けた総司が、俺を見下ろして微笑んだ。
「ただいま!」
「総司っ・・・!あんたはいつの間に鍵を・・・」
「さあ、いつでしょう!あー、一君あったかい!」
冬の寒さと、アルバイトのせいだろう煙草の匂いを纏った総司が、ぎゅっと抱きついて離れない。
「お・・・俺で暖を取るなっ!」
「だめ、寒くて死にそう」
ぴたりとくっつけられた頬は、冷え切っていて。
「・・・風呂なら勝手に使え」
「・・・外より一君の言葉が冷たい」
「わかったらさっさと・・・」
しょうがないなあ、と口を尖らせて荷物を置くと「タオル借りるね」と、勝手知ったる我が家のように、以前置いていった部屋着とタオルを取り出した。
会えると思ってなどいなかった。
会いに来ると言われた、瞬間、会いに来た。
本当に、総司には敵わない。
だが、本当は喜んでいることを悟られたくなどなくて。
「・・・そういえば、今日はいつもより早く上がったのか?」
電話は、いつもと同じ時間に鳴ったはず・・・それなのに、俺の家に来れるということは、それよりも早く終わっていなければ難しいだろう。
「あー・・・うん、今日貸切だったんだけど、案外忙しくなかったから早く上がって良いって言われて」
「だが、明日も授業があるだろう」
「うん、でも、会いたかったんだからしょうがないでしょ?」
当然のように言い放った。
またそのような事を、と、恥ずかしさを隠すために、そんな風に返そうと思っていた言葉も。
「ねえ一君、ただいま」
聞こえるか、聞こえないか。
ものすごく、小さな声で。
呟いた“おかえり”の言葉。
END
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付き合ってると思い込んでいる総司と、まだ付き合っていないと思っている一君。
とかだと良いなあ。
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