「総司、この間の資料の件だが、今少し良いだろうか」
月曜日。
僕のデスクにやってきた彼に周りのみんながザワつき出した。
一体どうしたのだろうかと思いながらも、僕は一君に返事をする。
「うん、何、一君」
「沖田、お前いつの間に斎藤とそういう仲になったんだ?」
一君が席に戻ったのを確認するとすぐに、隣のデスクの同僚が話しかけてきた。
「そういうって、どういう?」
「・・・・・・あいつが、誰かの名前を呼んだのなんて初めて聞いたぞ、しかも下の名前。俺なんか“あんた”ってしか言われたことねぇよ」
別に呼んで欲しいとか思ってねぇけど、ギ、と背もたれに寄りかかりながら、頭の後ろで手を組んだ同僚のそんなつぶやきを聞き流しながら、席についた一君の背中を眺めていた。
・・・・・・あれ、一君休み・・・?
火曜日。
いつも、僕が出社すると必ず彼は座ってもう仕事を始めている。
その姿が今日は見えないな、どうしたのだろうかと思っていれば、彼が休みだと連絡が回ってきた。
具合でも悪いのだろうか・・・そういえば彼は一人暮らしなのだろうか。
指輪をしていなかった気がするから、結婚はしていないんだと勝手に思っているけれど。
まだまだ一君の知らないことがたくさんあるという事実に、なんだか面白くないとため息が出た。
彼が涙を浮かべていた理由も、彼が電話で話していた内容も、何も知らない。
僕は、一君のことを、何一つ知らない。
「・・・・・・・・・出ない、か」
昼休憩。
屋上で彼に電話をかけてみたけれど、電源が入っていないのだという機械的な声が返ってきただけだった。
「・・・何、こんなに心配してるんだろう」
ため息をついたのと同時、電話が鳴った。
「も、もしもし・・・?」
慌てすぎて携帯を手から落としそうになりながら、画面をタップした。
『電話を、貰ったようだったが』
元気そう、とは言えない声だったけれど、体調が悪そうでもなかった。
「あ・・・うん、休みだって聞いて、どうしたのかなって」
『・・・・・・総司、』
「何・・・?」
『あんたにする必要など無い話だ。仕事の話ではないなら、後にしてくれ』
「はじ、」
電話が途切れて、無機質な音が僕の耳元で繰り返し聞こえた。
ただ分かったのは、休んだ理由が体調を崩したということではないこと。
それから、おそらく、電源を切る必要がある場所にいるということだけだった。
もう一度、夜電話をしてみたけれど、出るはずなんてなくて。
何か一言、メールでもしておけば良かっただろうか。
気の利いた言葉なんてわからないし、そもそも、真実を知らないのだから、何を言えばいいのかも、わからなかった。
水曜日。
不幸があったのだと、知らされた。
もちろん、それは一君から連絡があったわけではなくて、会社で聞いたことだ。
家族、友人、もしかして、恋人――― 一体。
でもなんとなく、全てがつながった気がした。
きっと、笑わなくなった理由も、罪悪感とか感じているせいなんじゃないかって。
いつからだろう。
いつから。
いつから―――
いつから彼は、苦しんで。
その苦しみや、痛みを、分かち合う人は居たんだろうか。
関係がないと突き放された僕だけど、こんな時は一人で居るより、誰かと一緒に居た方が―――
いや、きっとそれは、僕じゃないんだろう。
木曜日、金曜日。
一君はもちろん休みで。
土日が明けて、月曜日、出社した彼は、いつもと変わらずにその席に座っていた。
「この前ごめん、忙しい時に電話して」
「・・・またあんたか」
なんとなく、距離を感じたのは、名前を呼ばれなかったからとかそういうのじゃなくて。
前にもまして彼の表情が硬いなと思ったし、その瞳が冷たいなと思ったからだ。
「隣、良い?」
「・・・・・・断ったところで、あんたは座るのだろう」
屋上のベンチに並んで腰掛けて。
僕はさっき買ってきたばかりのコーヒーを、彼に手渡した。
「一君は、ブラックかなって」
「あんたは、甘くないと飲めなそうだな」
「・・・なにそのイメージ。まあ、間違ってないけど」
別に、無理に話を聞くつもりだってなかったし、そもそも一君が僕に話す必要はないと言ったから、そのことに触れるつもりはなかった。
ただ、もう一度。
今度はもっとちゃんと笑って欲しくて―――
「・・・・・・人とは、脆いものだな」
「え・・・?」
コーヒーのカップを両手で握り締めたまま、ポツリと呟いた一君の表情は、僕が望んだそれではなかった。
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