生と死の境い目にて 2 | ナノ


生と死の境い目にて 2

「……マザー」 「マザー」 「マザー!!」


 生と死を繋ぐその隙間、残された子供たちの想いに身を委ねていたアレシアは、自分を呼ぶ声にそっと伏せていた目を開いた。対峙する彼らの顔に浮かぶのは、憂いでも悲しみでも、恐怖や苦しみでさえなかった。
「……うん?」
 話してごらんなさい、どんなことでも聞いてあげる。その穏やかな笑顔に、アレシアは応えて首を傾げた。幼い頃から、そうして来たように。その日あった出来事などを話そうと、先を争ってこの膝に縋ってきたあの頃のように。
「私たちは、自分たちの意思でこの結果を選んだんだ。マザーに言われたように」
 セブンが、そう切り出した。それに続いたのは、デュースだ。
「きちんと話し合って、そうしようって決めたんです。わたしたちが、何をすべきなのか」
 二人を交互に見つめながら、アレシアは試すように訊き返す。
「……そう?」
 本当に? アレシアは、わざと疑わしそうに眉根を寄せて見せる。それでも、ほころんでしまう口元は隠すことができそうもない。愚かでいとけなく、それだけにこの上なく愛しかった子供たちが、こんなにも成長した姿を見ることができたから。
「そうなんです」
 拳を握りしめ、胸を張ってトレイが答えた。それに連なるように上がった肯定の声は、どれも自信に満ち溢れている。
「そうだよぉ、だからね」
 飛び跳ねながら手を挙げ、シンクが言う。
「だから、わたしたち、後悔なんてしてないんだ。ねぇ?」
 同意を求めるシンクが振り返った先で、クイーンが頷いている。
「ええ。わたくしたちに想いを託してくれたたくさんの方々のためにも、悔やむことだけはしたくないんです」
 エイトが、穏やかに後を続けた。
「オレたちは、ただ願うだけなんだ。ここから、続いていって欲しいってことを」
「何が?」
 何が、続いていって欲しいと願うの? もうほとんど、答えは出ている。しかし、アレシアはあえて訊ねた。漏れ聞こえた子供たちの想いは、はっきりと自分に向けられたものではなかったから。彼らの口から、直接その言葉を聞きたかった。
 世界の行く末は、今や彼らの手の中に握られていた。いつか自分の手を離れ、遥かな高みへと至ることを望んだ子供たちの魂が、いざそれを成し遂げようとしていることに幾ばくかの寂しさをも覚えつつも、アレシアは答えを促す。
「あたしたちが決めることじゃないんだとも思う。だけど」
 視線を上げて、サイスが応える。
「あたしたちは、あたしたちのしたことを無駄にしたくないんだ。たまたま、だったのかも知れない。でも、あたしたちの選択が世界の破滅を阻んだとするなら」
 キングが、追うように口を開いた。
「消えないで欲しい。このままずっと、続いていって欲しい。そう思うのは、許されないことなのか?」
 静かに語るキングのまなざしは、しかし挑みかかるような烈しい色を帯びていた。その隣に、一歩踏み出してエースが並んだ。
「誰かの許しなんて、いらない。そもそも、許されるかどうかも問題じゃない」
 だってそれを選んだのは、僕たちなんだから。超然と微笑みを浮かべて、エースが言い放つ。
「僕たちは、願うよ。世界が続いていくことを。僕たちが生まれて、生き抜いて、死んだ世界が」
 凛とした声が、空間を打った。音は波紋になり、光を生んで留まることなく広がっていく。その眩しさに、アレシアは目を細めた。光は、すなわち人の想い、残された魂の輝きと同じもの。アレシアがそう産みだしたように、彼は数多の想いを受け取ってきたのだろう。そしてまた今も、仲間たちの想いを代弁する彼の瞳は、強く尊い炎の揺らめきを宿している。
 アレシアは目を閉じ、迫り来る何かに耐えようとした。何ものにも脅かされることなく世界の理を司っているはずの自分の存在が、足元から揺るぎ飲み込まれそうになるのを感じて。
 押し寄せるそれは、歓喜、そして落胆。相反する二つの感情の理由は、自らが思い描いていた結末にこそある。アレシアが創り出した魂は、六億の繰り返しを経てようやく望むものへと成長してくれた。だが、それはあくまで過程の段階に過ぎない。もし自分の考えが正しいものであったなら、子供たちの魂をもって、神へと至る扉は開かれたはずだったから。
 しかし、それだけではないのだと、アレシアははっきりと気づいている。これまでの自分であったなら、この結果を目の当たりにした瞬間、迷うことなく世界を再び輪廻の中へ突き落としただろう。今回も同じなのだ、望む結末には至らなかった、そう言い聞かせても、なぜか手は動かない。
「……でも、いっこだけ、気になってることがあるんだよねぇ」
 困ったように笑いながら言う声は、ジャックのものだろうか。閉じていた目を開き、アレシアは顔を上げる。
「みんなが言ってたように、後悔はしてない。だけど、心残りっていうか、さ」
 ジャックは頭をかきながら、ねえ、とまわりに同意を求めている。仲間たちの頷きに後押しされるように、ジャックは続けた。
「僕らの願いが叶ったとして……もしそうなったとしたら、本当に世界は続いていくのかなぁって、ちょっと心配になっちゃうんだよ」
「せっかく、アタシたちが守った世界なんだよ?」
 どこか誇らしげに瞳を瞬かせながら、ケイトが言った。
「みんなが幸せに生きることができて、それが続く世界じゃなきゃ、アタシたちがやったこと、全部無駄になっちゃう」
 自らが死の呪縛にとらわれ、忘却の彼方へ引きずり込まれようとも、子供たちはそうしようとしている世界の行く末だけを案じている。何が、彼らにそうさせているのだろう。アレシアは、答えを探るように子供たちを見つめる。
「……なんでそう思うか、俺にもワケわかんねぇんだけどよ」
 そんなアレシアを見透かすように、ナインが唸り声を上げた。考えることが苦手なナインは、それでも自分なりの答えを出そうと必死で言葉を探している。
「それで?」
 アレシアは、穏やかにナインを促した。幼い頃から何度もそうされてきたことを憶えているのか、ナインははにかんだように唇を笑いの形に歪める。
「なんつうか、俺ら、自分たちが生きてた世界のこと、結構気に入ってんだと思うんだ」
 いい事ばかりじゃなかったけどな、とナインはつけたした。
「痛ぇ思いしたり、どうしてそうなるってイラついたり、そんなんばっかりだった。けど……なんでだろうな、そういうの、今となっちゃあ大したことじゃないって思えちまう」
 そこまで言うと、ナインはがりがりと頭をかいて肩を落とした。アレシアは、苦笑する。あと少し、ほんの少しだけ諦めることなく考えを巡らせたなら、答えはすぐ転がり出てくるというのに。きっと、ナインを取り囲んだ仲間たちもそうなのだろう、呆れたりため息を漏らしたり、期待が外れたことを全身で訴えていた。
「……難しく考えなくてもいいのよ。単純に、感じたままの気持ちを聞かせて」
 アレシアは、子供たちの顔を一人一人見つめて言った。あなたたちが、世界を守りたいと願ったのは。その世界が失われてしまうかも知れないことを恐れるのは、なぜなのか。
 選択と、その結果。今この時へと繋がる道筋、そこで起こったこと、思いを巡らせたこと。それが、取るに足らない不必要なものとは言わない。けれど、幾重にも折り重なった運命の薄紙をすべて取り払ったそこにこそ、真の理由がある。
「あなたたちは、この世界のことを、どう思っているの?」
 母として、あなたたちを導けるのは、これが最後から二番目よ。と、アレシアは子供たちに問うた。さあ、聞かせてちょうだい。そして、私に決めさせて。この先、この世界にどんな決断を下せばいいのかを。
 いち早く返したのは、ナインだった。それなら、簡単に答えることができると、瞳を輝かせて。
「すげー好きだ。それだけは、間違いねぇ」
 シンクが、大きく頷く。
「好き好き、大好きだよ。そもそも、好きじゃなかったら、続いてほしいだなんて思わないよ」
「そうですね。わたくしたちは、あの世界のすべてを好ましく思っていたんです」
 目を閉じ、確かめるように深呼吸したクイーンの眼裏に浮かび上がるものは何なのだろうか。満ち足りたその表情は、明るく柔らかい。
「僕ら、いろんな所に行ったよねぇ。どこに行っても、楽しかった」
 ジャックが笑えば、サイスが肩をすくめた。
「雪が降ってて寒かったり、雨ばっかりでうっとおしかったり、火山のせいでバテたりはしたけどな」
「世界には、私たちの知らないことばかりでした。海や山、川の流れる景色、草原や森や丘、そこに溢れるたくさんの命」
 トレイが言えば、デュースが微笑む。
「朱雀に蒼龍、玄武や白虎……。そこに住んでいる、人たち。消えてしまった国もありましたけど、その想いを継ぐ人たちにも会うことができましたよね」
「アタシたち朱雀しか知らなかったから……ううん、朱雀に住んでてもあんまりよく知ってるわけじゃなかった。いっぱいある街のひとつひとつがどんなで、そこに住んでる人たちがどう生きてるのかを」
 しみじみと呟いたケイトの後を、セブンが続けた。
「みんな、自分自身の生を生きていた。何を思い、何を目指すのかは、それぞれ違っていたけれど」
「何かに縛られたり、遮られたりはしても、それでも自分の道を選んで歩いていた。オレたちと同じに」
 エイトは、迷いなく断言する。力強く言葉を放つのは、キングだ。
「それは、俺たちの力になった。そして今もきっと、俺たちの中に宿っている」
 子供たちの内に宿る力。彼らがそれと意識せずとも、託され引き継いできたたくさんの人々の想い。それは、光だ。その光は、輪廻という名の鎖を引き千切り、理という名の闇を払おうとしている。どこからか差し込むのではなく、彼らから滲み出るようにして生まれている光で。
「……僕たちも、託したいんだ。彼らに」
 エースが、まっすぐにアレシアを見つめる。悲哀も憂いもない、澄んだ瞳で。
「……彼らに?」
 繰り返したアレシアは、しかしすでに気づいていた。子供たちの魂を彩る、鮮烈な光。その中に、ひときわ強く瞬いているものが、二つ。ティスやジョーカーとともに、螺旋の中から弾き出された者たち。
 エースは頷き、固めた拳にふと視線を落として続けた。
「……僕たちが世界から忘れられてしまったとしても、僕たちの想いが彼らの中で続いていくんだとしたら。僕たちの想いが、彼らの力になるんだとしたら。それほど、うれしいことはないよ」
 積み重ねてきた自分たちの時間を反芻して、そこから想いをひとつひとつ拾い上げるようにして、エースは言葉を紡ぎ出していく。
「僕たちがそうされたように……僕たちの想いを、願いを、力に変えて、彼らに」
 握りしめた手のひらの中に、答えは初めから用意されていたのだと言わんばかりに、瞳をあげたエースは迷うことも躊躇うこともせずに、そう言った。彼を囲む仲間たちも、同じ瞳でアレシアを見つめる。願うことは、ただひとつ。愛すべき世界が、そこに生きる人々が、自分たちの力で続いていくことだけなんだ、と。
「……望むのね?」
 アレシアは、子供たちに問うた。これが、最後の問いかけとなるだろう。絶えることのない光に縁取られた子供たちの顔を、一人一人見つめ返しながら。
 望むのね? あなたたちが思い描いていた未来があることを。人が自ら道を選び、その足で歩んでいく世界を。彼らが、そこで生きることを。そのための力を、自分たちが託すことを。
「……うん!」
 口々に、肯定の意を表す子供たちの声が、光の中へと遠ざかっていく。その姿は、もう見えない。アレシアの手にも届かない場所へ、魂の気配は旅立とうとしている。それでも、アレシアは手を伸ばした。子供たちが残した想い、その光へと。
「……受け取ったわ」
 呟きは、ひっそりと光に飲み込まれた。この声は、届いただろうか。アレシアの危惧を打ち消すように光は一瞬強さを増し、そして徐々に薄れていく。
「いってしまうのね」
 彼らの想いを受け取った瞬間、世界はあるべき姿を決したのだ。魂は、もう二度と繰り返さない。ただ、受け継がれ続いていくだけ。子供たちが望んだ世界だ。なのに、残されたこの胸に湧き上がる感情は。
 自分という存在を揺るがす感情の正体を、アレシアは噛みしめていた。神の手足となり、その思惑のために働く道具である自分。この手で創り出した子供たちの魂もまた、自分にとっては道具と同じ存在であったはず。けれども。
「……母として、私はあなたたちを愛していた」
 六億を超える繰り返しの中で、それは芽生えた。何度も出会い、育み、教え、導いた。血と肉で繋がれた母と子ではなくとも、それにも劣らないほどの愛情を自分は彼らに注いでいたのだと、今ようやく気づくことができた。
「だからこそ、私は私のやるべきことをするだけ」
 子供たちが、望みのまま成長してくれたことに報いるためにも。
 子供たちの託した想い、その全てを、空白だった最後の頁に記そう。
 それで、世界の環は閉じられるのだから。
 そこから、彼らの望んだ新しい世界が続いていくのだから。



 ――ありがとう……。
 誰かの声が、そう呟くのが聞こえたような気がする。
 アレシアは、応えるように微笑んで、光の名残が漂うその場所に背中を向けた。





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